2013/09/21 - 2013/09/21
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名古屋のmisakoさん
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ならまち界隈の十福地蔵御朱印集めに福智院、十輪院、元興寺、伝香寺と周り、最後に般若寺によって9月21日から秋期の特別開扉の仏様を拝んできました。元興寺は萩やキキョウや彼岸花が美しく咲き、コスモスで有名な般若寺はいろいろなコスモスが咲き始めていました。表題のコスモスも八重のコスモスでこんなコスモスは初めてみました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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まずは福智院から参拝です、真言律宗清冷山福智院は天平8年聖武天皇御建立、開祖玄昉。
地蔵菩薩お本尊と成し、国家鎮静を祈り清冷院と号す、後に福智院と改称す云々、宗祖西大寺開山興正、福智院の寺院明細帳より
地蔵菩薩様は撮影禁止なので、写真はがき3枚300円を購入しました。
桧の寄木造りの上に漆を塗り重ね、その上彩色が施されていました。右手に錫杖執り、左手に宝珠を捧げ、右足を安座にした丈6尺(2.73m)の坐像で宜字座(1.65m)の上に、舟型の光背(4.95m)一杯に小形の化物をつけた、千仏光背を負っている。台座からの総高は6.6mもあり、どっしりとした南都特有の鎌倉彫刻で、気魄に満ちたご本尊は慈相をたたえて鎮座されております。〜パンフレットより〜
寺の方の説明によりますと、台座や光背は通常は阿弥陀仏に使われるものとの事で、おきて破りの造りであるとの事でした。慶派の有名な仏師による作なので許されたのだろうとの事でした。地蔵菩薩の中では最大級の地蔵菩薩様でした。 -
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1300年祭の時に初めて参拝し、以来久しぶりです。とても珍しい石の仏像があります。南都十輪院は元興寺旧境内の南東に位置し、静かな奈良町の中にあります。寺伝によりますと、当山は元正天皇(715-724)の勅願寺で、元興寺の一子院と言われます。また、右大臣吉備真備の長男・朝野宿禰魚養の開基とも伝えらています。
平安時代中期〜鎌倉時代前期の石仏龕(せきぶつがん)中央に本尊地蔵菩薩、その左右に釈迦如来、弥勒菩薩を浮彫で表しています。間口2.68m奥行2.45m高さ2.42m花崗岩製
寺伝では弘仁年間(810-823)に弘法大師が石造り地蔵菩薩を造粒された、とあります。〜パンフレットより
十福地蔵御朱印の御朱印台帳の表紙を飾る地蔵菩薩様は30?ほどの小さな仏様で十輪院のものだそうです。御朱印台帳の文字も十輪院のご住職が書かれたそうで、また勉強になりました。お寺の案内の方より
現在は真言宗のお寺です。 -
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世界遺産の元興寺は飛鳥寺から移転し、日本最古の瓦が残る真言律宗のお寺です。
萩が美しく咲いていました。 -
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彼岸花が美しく
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キキョウが美しく咲いていました
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昼食は奈良町商店街の9月14日にオープンしたばかりのAIIDAの肉団子のトマトソースかけ定食750円
お値打ち価格の家庭的なランチでした -
天ぷら盛り合わせ定食750円
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般若寺は思ったより古く、ホームページには、”飛鳥時代629年日本「三論宗」の初祖、高句麗の僧、慧潅(えかん)法師がこの地に瑞祥を見て「般若台」と号する精舎を開創。聖武天皇が735年平城京の鬼門鎮護のため紺紙金泥の『大般若経』六百巻を地中に納め、卒塔婆をはじめ伽藍を整え勅願寺としそのとき経題に因み「般若寺」と命名。”とありました。
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般若寺の白鳳秘仏特別公開9月21日土曜日から11月11日月曜日まで開催、
コスモス見ごろは10月〜11月初旬 35種類 15万本
珍しい品種のシーシェル、ローズボンボン、スノーパフ、ハッピーリング、ピコティ、サイケなどが咲いています。ローズボンボン、スノーパフは複弁で菊のような豪華な花です。秋咲の大輪花やオータムビューティ、淡い黄色のイエローガーデン、イエローキャンパスも咲いています。キャンパスの淡いピンク色もあります。ベルサイユの赤は鮮烈です。
2013.10.15のホームページにはこれから2週間が見頃ですとありました。
秘仏阿弥陀如来総高40.9?金銅製金鍍金、銀製の仏像があり宝石のようでした、銀製の仏像は初めてみました。 -
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ホームページより
平安末期の治承4年
(1180) 平重衡の南都焼き討ちによりこの地は合戦場となり、伽藍は焼亡した。(『平家物語』)鎌倉時代、礎石のみが残る廃墟の中から復興する。
建長5年
(1253)頃 現存の十三重石宝塔が東大寺再建事業に来日した宋人、伊行末によって建立される。
慶長大地震により大石塔が上三重目まで墜落す。
この地震で上3段目まで倒れて中から公開中の秘仏阿弥陀如来像が出てきたそうです。 -
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シオンも美しく咲いていました
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般若寺向かいの植村牧場には、子牛が公開中でした
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ソフトクリーム300円が美味しかったです
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亀山SAで販売されてた亀の尾と関の戸はお上品な和菓子でした
ホームページより
銘菓亀の尾は江戸末期より当地に伝わる亀山の銘菓であります。
当家祖先初代角屋留吉が創意し、瀧壺の亀にはねて散る志ら玉になぞらえて作り上げた亀甲形の餅菓子です。
長きにわたり 皆様より愛用され、大正天皇よりお買い上げの栄も賜りました。又、昭和三年、昭和二十六年と二度にわたり、天皇陛下両宮御参拝の際にお買い上げを頂きました
、銘菓「関の戸」は寛永年間より370年作り続けられている餅菓子です。赤小豆のこし餡を、白い求肥皮で包み、阿波の和三盆をまぶしたその姿は鈴鹿の峰に降り積る雪をモチーフに考案されたと伝えられています。
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