2013/06/03 - 2013/06/03
154位(同エリア954件中)
ottoさん
フュッセンからロマンチック街道を北上し、ディンケルスビュールを経てロ−テンブルク市へ254km_4時間
ロ−テンブルク市を散策の後,ヴュルツブルクへ65km,_1時間のバスツアー.
(ヴュルツブルク泊)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- ANAセールス
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ロマンチック街道の終点フュッセンで迎える朝。
4つ星のルートポルトパークホテルの広い部屋に薄日が差し込む。 -
窓を開けると山の稜線をバックにこじんまりとした町並み。
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8時に迎えのバスが来て雨模様の中約2時間の途中休憩までノンストップ。
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ローテンブルク目指してロマンチック街道を北上。
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数日来の雨で川の水嵩が増し橋桁すれすれだ。
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昨日観たルートビッヒ2世の城が煙ってみえる。
もう此処まで来ることは無いだろうと思う. -
川の中洲に建っているこの建物も水位が基部に迫っている。
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豊かな農地が広がっているが水害が心配される。
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雨しぶきをついてバスは幾つかの村を通過
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ミュンヘン、アウグスブルク方面の標識をよぎる。
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この一帯は、元々カロリング朝時代に創られたヴェルニッツ川渡渉地点沿いの入植地を拡充させてできた。
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付近の森林地帯へは、フランク族が支配していた時代の後期、8世紀頃に入植が行われていた。
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アウグスブルグ迄39kmとある。
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この辺り水の浸食がひどそうだ。
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堤防などの護岸工事もなく自然の生態系を尊重した川岸
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『川と草地のロマンティック』と評される辺りを走行。
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羊の群れを見てほっとする。
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案内書によれば.....
ディンケルスビュールは、フランケン地方南東部およびシュヴァーベン地方の北部にあるヴェルニッツ川沿いに位置し、ドイツ連邦共和国バイエルン州ミッテルフランケンのアンスバッハ郡に属する都市である。 -
町に近づいてきたようだ。
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「デインケルスブルク」の表示を確認。
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街の景観は、中世のまま基本的に変わっていないそうだ。
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5軒並びのカメラスポット,
その真ん中の赤い建物が -
ドイチェス・ハウス、
豪壮な多層階建築で、木彫りが施されている。 -
1499年に完工した高さ90mの町のシンボル・カトリックの聖ゲオルク聖堂、重要な後期ゴシック様式のホール式教会。
塔の天辺から円形の町が一望できるそうだが時間も体力もなく.... -
教会に入る。内装はシンプルな印象。
中央に磔刑の様子が描かれている。 -
ドラマチックな世界が訴えかける力を感じた。
(ピンボケになって残念) -
聖ゲオルグの竜退治が描かれているのかと思ったが龍の姿は確認不能。
壮麗なオルガンの響きをイメージしてみる。 -
戦争による破壊を免れ町は中世のまま残された。
営々と続く祈りの暮らし。 -
13世紀に形成された多くの他の街とは異なり、ディンケルスビュールには、街の中心に、長方形のマルクト広場がない。
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そのかわり漏斗状のワイン市場から北に36mも延びた市場通りが設けられている。
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ヴェルニッツ門
尖塔式のファサード、イオニア式柱頭のある切妻壁などゴシックとルネッサンス様式が一体となっている。 -
キンダーツェヒェ 7月の第3月曜日前後に開催されるディンケルスビュール最大の祭。三十年戦争の時、町を占領し、これを破壊しようとしたスウェーデン軍の隊長に対して、町を救うよう懇願し、破壊から救った子供達を記念して行われる祭。祭は前後10日間に及び、時代パレードや郷土舞踊が行われる。「我らの子供」とこの街で呼ばれる10歳から18歳の少年達聖歌隊員が、先頭を歩く。この祭では子供達への感謝の徴にお菓子が配られる。
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ちょっと珈琲ブレイクしてみたくなるような店。
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完全な形で残った魅力的な町はローテンブルクを小型にしたような町だとか。
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多くの歴史的な街とは異なり、ディンケルスビュールの旧市街は、19世紀から20世紀に大規模な拡張がなされた。市を完全に取り巻く壁が完成し、西側と南側には濠が掘られ、北にはローテンブルガー池が設けられ、東側はヴェルニッツ川につながる洪水調整池が造られた
川に水が溢れ濁っている。 -
2つの交易路(ニーベルング街道とローマ街道)が交わるヴェルニッツ川の渡渉地点として、防衛上の重要地であったこの地に、1130年頃シュタウフェン家はディンケルスビュールの防衛施設を建造した。南北の街道は、ヴェルニッツ川やレヒ川の渓谷沿いをたどる交易路であると同時に、北ドイツからローマへ向かう巡礼の道でもあった。
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1950年にアウクスブルクの市長であったヴェーゲレは、観光の振興を目的として、連邦道B25号線沿いを中心に、ヴュルツブルクからアウクスブルクまでの中間に位置する中世の面影を残した街が連なるルート、特にローテンブルク・オプ・デア・タウバー、ディンケルスビュール、リース盆地のネルトリンゲン、ドナウヴェルトを「ロマンティック街道」と名付けた。
これから40分ほど走ってローテンブルクに向かう。 -
ローテンブルク・オプ・デア・タウバーは、アウトバーンA7号線沿いに位置し、市街からわずかな距離にローテンブルク・オプ・デア・タウバー・インターチェンジがある。旧連邦道B25号線がローテンブルクを南北に縦断して走っており、東西に走る古城街道と市内で交差する。
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今は一小教区となっている地域が、970年頃にライニガーという名の東フランケン地方の貴族によって創設された。この貴族はついでコムブルク(現在はシュヴェービッシュ・ハル市の一部)を創設してタウバー川を望む丘の上に (oberhalb der Tauber) 城を建てたことが、現在の地名である "ob der Tauber " の由来である。
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13世紀になると、塔や城壁が造られた。その中で現在まで残っているものはレーダー・アーチとマルクス塔である
シュピタール堡塁。
1350年には皇帝から徴税権と関税権を認められ、この頃からローテンブルクは帝国自由都市とみなされるようになる。1356年のバーゼル地震で古い城塞が崩壊した。 -
マルクス塔 レーダーアーチ
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十字軍遠征に伴いローテンブルクにもたらされた聖遺物とされる聖血が置かれた。これが多くの巡礼者を引き寄せ、中世のローテンブルクは第一級の巡礼地であった。その当時は神聖ローマ帝国内の上位20都市の中に入っていた。
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旧市街を取り囲む城壁の一部がちらと見えた。。
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市門の一つ、レーダー門
1400年ごろまでには、ローテンブルクはフランケン地方の中ではニュルンベルクに次ぐ第二位の人口を抱える都市となった。
1485年には、170年掛けて建設された聖ヤコブ教会が落成し、現在までよく保存されている。
1544年、ローテンブルクは Johann Hornburg 市長の時代に遂にプロテスタントへの改宗を達成した。所謂宗教改革である。 -
1618年に勃発したドイツ三十年戦争で、ローテンブルクはプロテスタントに味方し1631年10月、カトリック派の軍勢によって町が占拠された。カトリック軍の司令官ティリー将軍は、「3.25リットル入る大杯に注いだワインを一気飲みできる者がいたら町を破壊することをやめよう」と。これに名乗りを挙げた元市長のヌッシュが見事にワインを飲み干し、ローテンブルクは破壊から救われたと伝えられている。
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1632年-1634年にかけて帝国都市連合はスウェーデンと同盟した。その後ペストの大流行によって多くの死者が出た。1645年にフランスの軍隊に占領され、1650年に最後の兵士が街を去ると、街の発展は停滞し、街はその重要性を失っていった。そのため街は17世紀のままの状態で保存されたのである。
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1688年の大同盟戦争では、フランスの侵攻を受けてドイツ側の軍隊(Landwehr)は大損害を受けたがローテンブルクは占領されなかった。街の再建は18世紀まで続いた
見事に保存された旧市街の中世の町並み「プレーンライン」 -
ローテンブルクは、入り組んだ路地や小さな公園それを取り巻く木組み住宅といった中世さながらのよく保存された旧市街で知られている。
この旧市街は、ドイツの街のプロトタイプとして、世界中の観光客の目的地となっているそうだ。 -
シュニッツェルが笑っている。
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”シュネーパル”(クッキーボール)が整然と並んでいる。 -
お待ちかねランチタイムとてレストランに入る。
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由緒ありげなものがデスプレイされている
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木組みの建物はあったかい雰囲気。
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運ばれてきたのは....
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マッシュルームスープ。
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チキングリル。皮がぱりぱりして美味しい。
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アイスクリームオンベリー
エネルギー充電で午後から観光の続行 -
1793年のフランス革命戦争もこの地に大きな騒乱をもたらし、500年にわたる独立都市としての歴史を持つローテンブルクは、その意思に反してバイエルン領に併合された。
1806年にはナポレオンの圧政下、フランス主導でバイエルン王国が成立。同時にライン同盟に加盟し、フランスの影響下に置かれた。ローテンブルクは辺境地帯となり、経済危機はさらに悪化した -
1815年のウィーン会議によりバイエルン王国はオーストリアを盟主とするドイツ連邦に加入したものの、1866年の普墺戦争のプロイセン勝利よって解消された。
1871年にドイツ帝国が成立すると、バイエルン王国もドイツ帝国に組み込まれ、1873年には鉄道が開通するなどによりドイツ帝国内からの旅行が容易になり、次第に観光客が増え始めた。また工業化(乳母車工場など)も進め、経済は回復し始めた。 -
1880年代になると、ロマン主義の画家らによってローテンブルクが再発見され、イギリスやフランスからも人気の観光地となっていった。街並みに大きな変更を加える事を禁ずる法律が作られた。 -
不運にも第2次大戦で軍事的な意義などないにもかかわらず、ローテンブルクが攻撃されたがドイツ軍守備隊長のThommes少佐はヒトラーの「全ての街は最後まで戦え」との命令を無視し、降伏した。よって、砲撃による街の完全破壊は免れた。4月17日、ドイツが降伏する3週間前に、米軍が街を占領した。
全世界から再建のための寄付が寄せられ、アメリカからも多額の再建資金援助を行っている。この時の寄付者の名前は、市壁の内側通路に掲示されている。
戦後、街は昔のままに忠実に再建された。 -
損害の大部分は、旧市街でも比較的新しい地域であったため、最も重要な記念建造物は、被害を免れた。
マルクト広場に面して建つ歴史的な市庁舎と -
マイスタートルンクのからくり時計がある市参事会酒宴館。
時計盤の両脇の窓が開いて二人の人物が登場。これは17世紀、町を破壊から救った歴史上の出来事「マイスター・トゥルンク(市長の一気飲み)」を再現している。(修復中で13時の時計ショーは見ること叶わず) -
広く美しい立派な市庁舎通り。
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教会の尖塔らしきものが見える。
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回りこんで近ずく。
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聖ヤーコプス教会:1485年、170年掛けて建設された。
魂の灯り。。。 -
ティルマン・リーメンシュナイダー作の聖血の祭壇がある。
下部には最後の晩餐の場面。 -
ステンドグラスからもれる光の壮麗さ。
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5500本といわれるパイプが厳かな音色を奏でるオルガン。
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エキゾチックでユニークな彫り物。どんな経緯があったのだろうか?
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見上げる高さの祭壇はすっきりとしたプロテスタント教会のもの。
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磔刑のキリストと12使徒
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緻密な装飾の技
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上品なステンドグラス
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通りに聖ヤコブ像がさりげなく立っている。
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敬虔な趣の外観
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又広場に戻ってきた。
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広場のテントは繁盛している。
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ドイツといえば木の玩具。
窓一杯の大きな兵隊さん。 -
鉄細工の看板アートが魅力的
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St.Georgbrunnen 聖ゲオルグ噴水は現役で
トップに竜退治のゲオルグ像が乗っかっている。 -
長きに亘って旅人や馬の渇きを癒してきた。
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マーケット広場の建物
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童話の世界に誘われる。
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見飽きない可愛らしさ。
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市門 北から時計回りに、クリンゲン門、ヴュルツブルク門、レーダー門、シュピタール門、コーボルツェラー門、ブルク門、マルクス塔・レーダーアーチ、ヴァイサー塔:現在のものより古い時代、12世紀の市壁に設けられた門。
左は旧市街を取り囲む市壁、若かりし頃登り巡った記憶が甦る。 -
城壁を出て
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改めて振り返る。
嘗て訪れた際は確か鉄道の駅の方に出たように思うが、記憶が薄れている。 -
塔の外に集結し、迎えのバスを待つ。
-
人はなぜ古(いにしえ)を辿ることで心和むのだろうか?
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この旅行記へのコメント (2)
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- まほうのべるさん 2013/09/28 08:44:24
- 夢の世界
- おはようございます、ottoさん。
ローテンブルグ懐かしいです。
べるが初めてヨーロッパに行ったのはロマンチック街道・ノインシュヴァン
シュタイン城・ウイーン・ザルツブルグ・パリ10日間のツアーでした。
ヨーロッパは憧れの地。ローテンブルクのプレーンラインに立った時、幸せは絶頂に達し「毎年お正月はヨーロッパで過ごそう」って心に決まました。
その後ほぼ毎年お正月をヨーロッパで過ごしています。
ローテンブルクでは昼食を含め数時間の滞在で、ほんの少しだけしか雰囲気を味わうことができませんでしたが夢の中に入るようでした。
ottoさんの旅行記で素敵な世界を味わうことができました。
やっぱりヨーロッパが大好き!
byまほうのべる
- ottoさん からの返信 2013/09/28 22:27:45
- RE: 夢の世界
- まほうのべるさん 今晩は!
やっと秋らしくなってきました。
亀の歩みさながらの「ドイツ縦断記」ですが ポツダム、マイセン、ドレスデン、ニュールンベルク、ローテンブルクと続けて訪問・投票して下さって有難うございます。
ベルさんの素敵な「オランダ・ベルギーの旅」を再訪して懐かしく、視点が変わる楽しさや、見逃した所を補ってもらう嬉しさを味わって居ます。
ローテンブルクは仰るようにとても心癒されうっとりしますね。
昔に変わらぬ美しい町の佇まいに感心しました。私の住む千里ニュータウンでは建替えが進み便利さと引き換えに共同体として故郷意識が薄れてゆくのではと懸念されます。有志が集まって望ましいあり方の会議も致しては居ますが.....
自治体の「街づくり認識」が問われるところです。
ところで毎年ヨーロッパでお正月を迎えておられるとは羨ましいことです。
来年はどちらを予定されているのでしょうか?
又いろいろ教えて下さいね。
otto
> おはようございます、ottoさん。
>
> ローテンブルグ懐かしいです。
> べるが初めてヨーロッパに行ったのはロマンチック街道・ノインシュヴァン
> シュタイン城・ウイーン・ザルツブルグ・パリ10日間のツアーでした。
>
> ヨーロッパは憧れの地。ローテンブルクのプレーンラインに立った時、幸せは絶頂に達し「毎年お正月はヨーロッパで過ごそう」って心に決まました。
> その後ほぼ毎年お正月をヨーロッパで過ごしています。
>
> ローテンブルクでは昼食を含め数時間の滞在で、ほんの少しだけしか雰囲気を味わうことができませんでしたが夢の中に入るようでした。
> ottoさんの旅行記で素敵な世界を味わうことができました。
> やっぱりヨーロッパが大好き!
>
> byまほうのべる
>
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