2013/08/25 - 2013/08/25
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Yo-chanさん
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クラクフから路線バスで2時間
アウシュビッツ&ビルケナウ・ナチスドイツ強制絶滅収容所
これからの時代を生きる16歳と21歳の子供と
夫婦の家族で訪れました。
中谷さんという日本人ガイドがいて、事前にメールでお願いしましたが、日本からの団体ツアーのガイドをするため、お会いできませんでした。
英語ツアーに参加し、娘はほとんど理解できないので、私が簡単に説明しました。
10〜15時の間は有料の3時間のガイドツアーに参加します。
参加して本当に良かったです。
ポーランド女性のガイドでしたが、淡々と語る内容は悲惨で、涙をこらえるのに必死でした。
戦争は人間を狂わせます。
一人でも多くの人が訪れて、世界から戦争がなくなれば良いと思いました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
アウシュビッツ強制収容所の入り口
ARBEIT MACHT FREI 「働けば自由になれる」 -
ARBEIT MACHT FREI
事実と反していて虚しい言葉です
ナチスが掲げるアーリア人による理想郷建設の結果の大量殺人 -
Bの文字の上が大きいのは、収容者のささやかな反抗とも言われていますが
当時の流行だったとの説もあります -
アウシュビッツはドイツ国防軍が接収したポーランド軍兵営の建物をSS(ヒットラーをリーダーとする親衛隊)が譲り受け開所。
約30の施設から成る。
平均して13,000〜16,000人、多いときで20,000人が収容された。 -
収容者を監視する小屋
6000人のSSが15000人前後の収容者を監視 -
懲罰は、圧倒的多数の被収容者に多大の心理的な抑圧を与えることを目的とし、行使以外にも見せしめによる擬似的な体験、連帯責任制や強烈な恐怖心を抱かせる懲罰の流布などにより、被収容者をコントロールする要となった
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もともとポーランド軍の兵営であったため暖房設備は完備されていたが、収容所として利用された時には薪などの燃料は供給されなかったと言われている。
掛け布団は汚れて穴だらけの毛布(薄手の麻布に過ぎない)のみであった。 -
粗末な寝床
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真夏はプラス37度、真冬はマイナス20度になる厳しい気候
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収容されたのは、ユダヤ人、政治犯、ロマ・シンティ(ジプシー)、精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者、さらにはこれらを匿った者など。その出身国は28に及ぶ。
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即刻の死の処分を免れた被収容者は、男女問わず頭髪をすべて刈り、消毒、写真撮影、管理番号を刺青するなど入所にあたっての準備や手続きを行う。
管理番号は一人ひとりに与えられ、その総数は約40万件とされる。 -
アウシュビッツ収容所のトイレ
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洗面所
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SSに協力する者には個室やまともな食事が与えられている。
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心理面で下層の被収容者がいることで上層の者に多少の安心を与えると共に、被収容者全体がまとまって反抗する機運をつくらせない狙いがあったと考えられる。
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囚人服には「政治犯」「一般犯罪者」「移民」「同性愛者」、さらには「ユダヤ」などを区別するマークがつけられている(ナチ強制収容所のバッジを参照)。
これは、強制収容所内にヒエラルキーが形成されていたことを意味し、労働、食事、住環境など生活のあらゆる面で影響を及ぼしたと考えられる -
11号棟にある逃亡者や収容所内でのレジスタンス活動を行った者に対して銃殺刑を執行するための「死の壁」
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「銃殺刑」や「絞首刑」は、具体的な死の姿を瞬間的に見せつけ、しばしば所内にとどろく銃声は直接これを見ずとも緊張と忘れがたい恐怖を植えつけるのに十分であったと言える。
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「死の壁」には花が供えられていました
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90cm×90cmの狭いスペースに4人を押し込む「立ち牢」や、一切の水・食料を与えない「飢餓牢」は、体力を確実に消耗させ、死に至らしめる。
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永続的に続くかのような苦痛と絶望が介在する懲罰の存在は、被収容者たちに計り知れない恐怖を与えたと考えられる。
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ナチス政権下のドイツ政府の制定した法の多くがそうであったように、選別は、「法令」に比べ規範(簡単に言えばルール)のあいまいな「訓令(または通達)」を受けて遂行されている。
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規範の細部については「担当者」や「担当者が所属するグループ」の裁量に任された
個々の事例で、具体的にどのような行為が行われたのかが書面として残っていないことも多く、戦後の各裁判での事実認定を難しくしている主な原因となっている -
労働は主に4つのタイプに分けることができる
ひとつ目は被収容者の肉体的消耗を目的とした労働。たとえば、石切り場での作業や道路の舗装工事などを行う「懲罰部隊」がこれに該当する。
場合によっては、「午前中は穴を掘り、午後その穴を埋める」といったような、なんら生産性のない作業を命じられることもある。
懲罰部隊に組織された被収容者の多くは短期間のうちに死亡したとされる -
ふたつ目は、戦争遂行に欠かせない資材・兵器などの生産や、収容施設の維持・管理などを目的とした労働。
工場労働者や各施設の拡張・管理作業などがこれに該当し、何らかの技能や知識(電気工事師、医師、化学者、建築士など)を持つ被収容者が作業にあたった。
懲罰部隊での労働と比較して程度の差こそあれ、劣悪な食料事情や蔓延する伝染病などにより命を脅かされる状況にあったことに違いはない -
三つ目は、所内で死亡した被収容者の処分を目的とした労働。
ガス室や病気、栄養失調などで死亡したおびただしい数の遺体を、焼却炉などに運び処分する「ゾンダーコマンド(特別労務班員)」がこれに該当する。
比較的待遇は良かったが、一方で口封じのため数ヵ月ごとに彼ら自身も処分された。
1期から13期まであり、解放直前に結成された12期のメンバーは武力蜂起による反抗を試みている -
最後は、ほかの被収容者たちを監視する「カポ(労働監視員、収容所監視員などと訳される)」である。
主に第一収容所のドイツ人犯罪者から選ばれることが多かったとされ、被収容者ヒエラルキーの頂点に立った。
戦後、過酷な懲罰を課したことで裁かれる者もいた。 -
脱走者も少なからず存在する
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絶望のあまり自ら高圧電流が流れる鉄条網に触れて自殺する者もいたという
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最終的に成功した脱走者数は、約150名であるとされている
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成功した背景には内部のレジスタンスの協力があったとされている
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収容者の出身国は28に及ぶ。
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収容所では、脱走があるごとに、脱走者の10倍の人数を見せしめとして無作為に選び、「飢餓刑」にすることが恒常的に行われていた
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アドルフ・ヒットラー率いるナチス党政権下のドイツが行ったホロコーストの象徴と言われる「アウシュヴィッツ強制収容所」は、1940〜1945年にかけてオシフィエンチム市郊外につくられた
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ソ連への領土拡張をも視野に入れた「東部ヨーロッパ地域の植民計画」を推し進め、併せて占領地での労働力確保および民族浄化のモデル施設として建設、その規模を拡大させていった。
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収容者の髪の毛で織物を作ったとか
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ガス室で使用されたのはチクロンB、防疫施設で伝染病を媒介するノミやシラミの退治にも使用されたもの
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全裸の女性が写っています
この後ガス室に行かされたのでしょう
収容者が隠れて撮影したものです -
義足や義手など
障害者もガス室です -
収容者の持参した物
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収容者の靴
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収容者のかばん
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子供の衣類
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ここにあるのはほんの一部だそうです
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ドイツ人医師たちは、被収容者をさまざまな実験の検体として扱った。いわゆる「人体実験」である。カール・ゲープハルト、エルンスト・ロベルト・グラーヴィッツ、ホルスト・シューマンらはスラブ民族撲滅のために男女の断種実験を、ヨーゼフ・メンゲレは双子や身体障害者、精神障害者を使った遺伝学や人類学の研究を行ったとされる。
ほかにも新薬投与実験や有害物質を囚人の皮膚に塗布する実験などが行われた。命を落とした者は数百に及び、たとえ生還できたとしてもその多くには障害が残った -
地政学的には「ヨーロッパの中心に位置する」「鉄道の接続が良い」「工業に欠かせない炭鉱や石灰の産地が隣接する」「もともと軍馬の調教場であり、広い土地の確保が容易」など、広範なドイツ占領下および関係の国々から膨大な数の労働力を集め、戦争遂行に欠かせない物資の生産を行うのに適していると言える
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終戦後1947年4月16日 - 初代所長ルドルフ・フェルディナント・ヘス、ここで絞首刑
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アウシュヴィッツ最初のガス室とされる施設がつくられたが、後に強制収容所管理のための施設となった。戦後、ガス室として復元され、一般に公開されている
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ガス室内部
最初のガス施設(クレマトリウム1)は1941年頃にアウシュビッツにつくられ、実験をかねてまず約800人のソ連兵捕虜・ポーランド人が送られた。後にビルケナウに4つのガス施設(クレマトリウム2〜5)が1943年3月〜6月にかけて、さらに農家を改造した2つのガス施設(赤い家、白い家)の計7施設がつくられたとされる -
死体は施設に備えられた焼却炉や焼却壕などで処分され、この作業にはゾンダーコマンドがあたった
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ガス施設は、1944年10月に起きたゾンダーコマンドの反抗による破壊(クレマトリウム4)、ソ連軍の接近を察知したSSによる破壊が原因で、現在当時のままの形をとどめているものはない
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アウシュヴィッツでは、日々送られてくる被収容者の効率的な殺害の手段として「ガス室」を研究し、実際に用いたとされる。
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無料のシャトルバスで2キロ離れたビルケナウへ
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収容者増を補うため、1941年10月、ブジェジンカ村に絶滅収容所として問題視される「第二強制収容所ビルケナウ」が開所。総面積は1.75平方キロメートル(東京ドーム約37個分)で、300以上の施設から成る
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「死の門」・アウシュヴィッツ第二強制収容所(ビルケナウ)の鉄道引込線
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収容者を乗せてきた家畜用の貨車
遠くギリシャやノルウェーから休憩なしで来るので、到着する前に亡くなる人も多かったとか -
貨車から降りるとこのあたりで「収容理由」「思想」「職能」「人種」「宗教」「性別」「健康状態」などの情報をもとに「労働者」「人体実験の検体」、そして「価値なし」などに分けられた
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価値なしと判断された被収容者はガス室などで処分となる。
その多くが「女性、子供、老人」であったとされる。
ここで言う「子供」とは身長120cm以下の者を指すが、学校や孤児院から集団で送られて来ていた子供たちは形式的な審査もなく、引率の教師とともにガス室へ送られた -
破壊されたガス室
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死者の骨は砕かれてビスチュラ河に捨てられており、現在では慰霊碑が立てられている
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バラックと言うべき非常に粗末なつくりで、もともと、ポーランド軍の馬小屋であったものや、のちに一部は基礎工事なしで建てられたため床がなく、上下水道が完備されていないため地面は土泥化していた(汚水は収容者が敷地内に溝を掘って流した)。
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暖房は簡素なものがあったが、燃料の供給はされなかったと言われ、なぜこのような暖房設備が作られたのか、理由は不明であり、隙間風がいやおうなく吹き込み役目を果たしていなかったと言われる
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排水がままならない不衛生なトイレ。
長大な縦長の大きな桶の上にコンクリの板を置き、表面の左右に丸い穴をあけただけのもの -
トイレの使用は、午前・午後2回に制限されており、目隠しになるものもなく、一斉に使用を強制された。
非衛生的環境であったため、病原性の下痢も蔓延しており、きわめて非人間的扱いがなされた。 -
朝食:約500ccのコーヒーと呼ばれる濁った飲み物(コーヒー豆から抽出されたものではない)。
昼食:殆ど具のないスープ。
夕食:300gほどの黒パン、3グラムのマーガリン -
食料の奪い合いが個人やグループ間で日常的にあったとされる
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ビルケナウ強制収容所に咲いていた花
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当時も咲いていたのでしょうね?!
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強制収容所内は栄養失調や不衛生な環境によりチフスなどの伝染病が蔓延し、病気・栄養失調による死者はかなりの数に上ったとされる
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1944年の暮れ、ソ連軍の接近に伴い強制収容所および強制労働者の扱いが問題となる
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アウシュヴィッツの被収容者は、なおも活動を続けるドイツ本国の強制収容所に移送されるか、または処刑されるかのいずれかであった
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「強制収容所到着直後の選別で、70〜75%がなんら記録も残されないまま即刻ガス室に送り込まれた」とされており、このため正確な総数の把握は現在にいたってもできていない
現在のアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の記念碑の数字は150万人 -
2006年5月28日にはベネディクト16世が訪問している。
ベネディクト16世は「この地で未曽有の大量殺戮があったことは、キリスト教徒として、ドイツ人の教皇として耐え難いことだ」と述べた -
劣悪な住環境や食糧事情、蔓延する伝染病、過酷懲罰や解放直前に数次にわたって行われた他の収容所への移送の結果、9割以上が命を落としたとされる。
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生存は、1945年1月の第一強制収容所解放時に取り残されていた者と、解放間際に他の収容所に移送されるなどした者を合せても50,000人程度だったと言われている。
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年間を通じてイスラエル人学生の修学旅行のルートになっている。
国旗を体に巻いている人や国旗を振りながら歩いている人が印象的でした。
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この旅行記へのコメント (5)
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- ヘスさん 2015/02/04 21:37:26
- 「上下水道が完備されていないため地面は土泥化していた」とありますが・・・
- 「上下水道が完備されていないため地面は土泥化していた」とありますが、これはどういう事でしょうか?ビルケナウには浄水施設もありましたし、下水処理場などは、3ヶ所もありました。(現在でも確認できます。)
失礼ですが、ほんとうにビルケナウに行かれたのでしょうか?第2、第3焼却炉の左右に下水処理の丸いタンクが確認できるはずなのですが・・・。
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- ガブリエラさん 2013/09/23 08:59:40
- 来月、行きます。
- Yokoさん☆
はじめまして。
来月、ツアーですが、ポーランドに行きます。
アウシュヴィッツ、実は怖くて、精神的にダメージを受けそうで、その間離団することも考えましたが、やはり見ておくべきだと思い、4トラで旅行記を検索したら、Yokoさんの旅行記にたどりつきました。
とても詳しく、わかりやすい旅行記で、予習させていただきました。
きっと、現地にいったら、涙が出てしまいそうですが、頑張って事実を見てきたいと思います。
ガブリエラ
- Yo-chanさん からの返信 2013/09/23 10:53:36
- RE: 来月、行きます。
- ガブリエラさん
是非、見学してきてください。
そして、周りの人に薦めてください。
正直、中学生以下の子供には、精神的にどう影響するのか心配です。
でも高校生以上なら、日本人全員、見学してほしいです。
その流れが続けば、これからの日本に戦争は起こらないと思います。
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- とらいもんさん 2013/09/22 08:06:24
- 涙落
- お邪魔しました。
私は2011年12月8日に、見学できました。
また、有る建物から、私は、男性なのに「ギャー」と叫んで飛び出しました。
人生観が変化したことはいうまでも有りません。
失礼致しました。
- Yo-chanさん からの返信 2013/09/22 20:28:55
- RE: 涙落
- とらいもんさん
メッセージをありがとうございました。
広島や長崎の原爆資料館もそうですが、戦争は想像以上に悲惨な結果を産むと改めて認識しました。
一人でも多くの日本人、世界の人が訪れてほしいと思いました。
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