2008/08/16 - 2008/08/19
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ktomomaさん
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家族旅行としては初めてヨーロッパに行きました。友人がOslo に海外勤務で住んでいて、居る間に一度行ってみようと考えていました。来年の夏はもう帰って来てしまうかもしれないので、今年の夏休みの旅行はまず Oslo に行って、さらにそこからどこかに行く事にしました。 ヨーロッパは自分は仕事でアイルランド、イギリス、オランダに行った事があるものの、それらを点で知っているだけで他にどこに行くべきかまったく判りません。そんな中で家族共通で行きたいと思っていたのがアウシュビッツでした。アウシュビッツに行くには Poland の クラクフ (Krakow) という街に行きます。Krakowってどうやって行くんだ?すべてはここから始まりました。
これはその後半のポーランド編です。
旅行記そのものは写真のコメントにありますので、写真の方をご覧ください。
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 高速・路線バス
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夕方 Oslo から Krakowへ飛ぶ。Norwegenという格安航空会社である。
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Krakowではアパートを借りた。
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泊まったアパートの前は朝になったら市場になっていた。
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クラクフ 旧市街
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映画「シンドラーのリスト」に出てくるシンドラーの工場跡。現在は使われていないが、買い手がついたらしく近くまた工場かオフィスで使われるらしい。
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KrakowからAuschwitzまでの移動。
KrakowからAuschwitzまではバスを使うか列車を使うかの2つの手段がある。列車の場合はAuschwitz Museum の最寄り駅のOswiecim で降りてそこから歩くかタクシーを使うことになっている。バスの方が20分置きくらいで出ていてまたMuseum の前まで行くので便利である。時間もバスの方が30分くらい短かいようだ。
バスはKrakow中央駅の東側にあるバスターミナルから出る。バスの中で朝食とするため、駅の売店でパンを買い込む。プレッチェルのようなパンをどこでも売っている。それ以外に日本で言う菓子パンを沢山の種類扱っている店で思い思いのものを買った。
バスは観光バスのような大型のものもあれば写真のようなマイクロバスのものもある。だいたい半々なようだ。マイクロバスタイプは片道で9zl。(大型は10zl )往復の値段も出ていたが、帰りも同じマイクロバスになるかわからなかったので片道だけ買った。
このバスは途中の街に行く住民も使っているようで、途中から乗ってくる人も降りる人もいた。Krakowを出発した時点で満員であったのに、さらに途中で乗って来て3、4人は立っていた。 -
Auschwitzまでは写真のような田園風景がずっと続いた。牧草地か畑がずっと続いていた。収穫直前のトウモロコシが多く見られた。
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アウシュビッツ博物館では午後、ガイドをお願いしてあり、それまでの午前はFreeで見学する。唯一の日本人ガイドの中谷さんには事前に電話で午前中にどこをまわれば良いかを聞いてあった。午後はまわらない、入ってすぐの映画と各国の展示をまず見ることになった。
最初に見た映画は約20分でホロコーストのまずは概要である。英語で全部を聞き取れた訳ではないが、自分としては大体今まで本で読んで知っている内容であり、逆にこのくらいは大人としては知っていなければならないことであろうと思う。
アウシュビッツ博物館はガイドをお願いしない限りは無料である。入り口の建物を抜け左に少し歩くと、いろいろな資料で紹介されているゲートに出くわす。装飾のようにARBEIT MACHT FREI と書かれたゲートを見上げるとその先は雲一つない明るい空であるが、今まで自分が本で見て来たアウシュビッツの風景とあまりにかけ離れていて、うまく想像力が働かない。 -
さっきのゲートを入った所。ARBEIT MACHT FREI のBの文字が逆になっていることは有名だが、ゲートを出る方向で見た時に裏に見えるというのも気になる。外に働きにでる収容者に向けてのメッセージだと思うのだが、これを逆につけたのも反抗の一部なのだろうか。
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ゲートを入った所を右に向くと管理棟が見え、そことの間に鉄条網があり、さらに鉄条網の内側にはもう一つの柵が見える。内側の柵と鉄条網の間に入ることイコール銃殺であった。精神的におかしくなりふらふらと立ち入ってここで殺された収容者も少なくないとの事である。このあたりの精神面の分析は V E フランクルの有名な夜と霧に詳しく書かれている。
この後、各国の展示を見る。これは、フランス、ハンガリー、オランダなど、ナチスドイツに当時占領され、自国からアウシュビッツ等へ収容されて行った人たちの記録を残している展示である。各々の国がそれぞれの考えで展示している。何月何日の輸送で何人送り出され、アウシュビッツに何人到着し、何人収容されたかがほとんどの国の展示に細かく示されている。これらの数字に差があり、その差は移動途中で亡くなった人数、収容所に到着したがその場で殺され収容されなかった人数になる。正確な犠牲者の数はもろもろ議論されてこれまでも数字が変わっているが、最後の方はこれら記録も曖昧になっているのだと思う。
各国展示を見て一旦昼食。 -
午後は管理棟の受付のところで集合してそこからガイドの中谷さんに率いられての見学となる。今回は全部で15人。その人数だと離れて声が聞きにくくなるので、全員、無線のヘッドセットをつけて話を聞く事になった。このヘッドセット込みで一人30zl という金額であった。だいたい1500円。
まず、午前と同じようにゲートを抜けて右側に行き収容棟の間を抜けてゆく。この写真の10号棟は人体実験が行われていた場所でもあり、またコルベ神父が殺された場所でもある。
この写真の1階と2階のレンガの色が違うのがわかるだろうか。もともとアウシュビッツ収容所はポーランド軍の駐屯地であり、その時にはこの建物は平屋だった。アウシュビッツになり、収容者の強制労働でこれをみな2階建てにした。午後に行くアウシュビッツ第2収容所(ビルケナウ)も解放された時も実際にはまだ拡張段階であり、収容者をより多く収容するために収容者に強制労働をさせていたという図式である。強制労働の中でこれら建築に関わる仕事はもっとも過酷で、これらに従事した収容者は長くて3ヶ月の命であったと聞く。 -
コルベ神父の追悼の碑が10号棟の壁に埋め込まれていた。
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10号棟と11号棟の間は処刑の庭と呼ばれ、主に政治犯の銃殺が行われていた場所である。復元でされた壁であるが、多くの花が供えられていた。昨日、日本から来た小学校の先生が捧げていったという千羽鶴があった。
この右の11号棟は見落とすまいと思っていたのだが、案内のルートからははずれ、また夕方にはそれも忘れてしまって、結局見ないまま帰って来てしまった。もう一度来るために、行かねばならないところを残して来たとしておこう。11号棟が何であったかは一番下に書いた中谷氏のガイドを読んでもらいたい。 -
10号棟、11号棟からまた来た道を戻る。この鉄棒のようなものは、容易に想像できるように絞首刑のための設備である。今はこの前に建物が建っているが、当時はこの前が点呼用の広場になっていた。脱走が見つかった場合、そのグループの中から誰かが犠牲になった。
建物内部の写真は撮ることができないので、写真は無いが、途中4号棟でアウシュビッツで行われていた行為全体の展示を見た。
連行、選別、ガス室での殺戮は誰もが知っていることであるが、さらに到着とともに剥奪したすべての財産、死体から搾取した貴金属、髪の毛から製造していた繊維製品、人体の脂肪から石けんを製造しようとしていたことなど、この場所が人間を材料とした工場であったことはあらためて驚きを感じる。 -
さらに進むと第一クレマトリウム(ガス室)がある。実際には撤退の際に爆破されたため展示されているのは複製である。ビルケナウが建設される前に使用されていたガス室であり、ビルケナウが作られた後はSSのための防空壕として使われていた。これ以外にもあちこちでかまくらのような入り口を持つ防空壕をたくさん見かけた。しかし実際にはここが爆撃される事はなかった。
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後半はビルケナウへ。アウシュビッツからビルケナウへはシャトルバスが出ているが、2時間くらいの間隔なので、ツアーもそれにあわせて移動することになる。
ビルケナウはシンドラーのリストの映画の中にも出て来るが、映画ではそのシーンは夜だった。バスはそのシンドラーのリストのシーンにある貨車の引き込み線のすぐ外に止まり、そこから当時は貨車がくぐって行ったゲートを抜けて中に入る。
引き込み線の線路には誰が供えたかバラの花が一輪立っていた。その写真の線路の両側は芝生で穏やかな風景だが、ここにはいつも銃を持ったドイツ兵と連れてこられた多くの人たちで溢れていたはずである。奥に見える森に5つのクラマトリウムと呼ばれるガス室から死体の焼却までが合体した施設があった。 -
少し中に進んで振り返るとこの収容所のゲートがある。このゲートとそこから延びる線路を見るとここビルケナウは人間を材料とした工場として作られたのがはっきりとわかる。ここに殺されるために人が乗せられた来た貨車は出てゆく時には彼らからの搾取品さらには人体から作った工業製品を載せて出て行った。
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引込み線の丁度中央あたりに2枚の写真がある。これは到着した人々を選別している風景である。子供は人体実験で必要な双子などを除いてほぼ即ガス室、他も体調、顔色で選別し、実際に収容されたのは4分の1程度であったそうである。この2枚の写真はSSが上層部への報告の一部として撮影したものが、たまたま机の中に忘れられていたものが発見されたものである。本来は完全に隠蔽されて表に出ることはなかったものがわずかに漏れ出てしまったものなのだ。
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引込み線の先端から振り返る。3本に分かれた降車場部分でも400mはある。これは日本で一番長い新幹線の列車が停まれる長さである。ここに寿司詰め状態の貨車が入ってきたわけである。シンドラーのリストに多くの人が運ばれてゆく貨車が停車したときにオスカーシンドラーが上から水をかけるシーンがある。屋根から滴る水をできるかぎり受けようと口をあける人の姿が描かれている。自分はの線路を見た際、その後の収容所のひどさもさることながら、ここまで来る際、何日も閉じ込められて、水も食料も与えられなかった、そのことだけでも思い浮かべると頭がおかしくなりそうになる。
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線路の先端まで歩く間、右にも左にも暖炉の煙突がけが残る収容棟の跡が延々と続いている。クレマトリムなど戦争犯罪の証拠となる建物は開放直前にSSが破壊していったが、これら収容棟は木造であったために長い年月とともに朽ちてしまい、レンガでできた暖炉と煙突だけが残った。
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第3クレマトリウムの跡である。これは開放の前にSSにより爆破された。写真はちょうど地下に降りる階段の部分から地下を見下ろす方向で撮っている。ここから入っていったら出口は煙突であった。どこも瓦礫でどの位置で待たされ、どの位置がガスが投げ込まれて殺された場所なのか、自分ではわからなかった。
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同じく第3クレマトリウムの跡。
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遺体を焼いた跡の灰を捨てた場所には、4ヶ国語で書かれた慰霊碑が立っている。
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この慰霊碑の前にイスラエル軍の兵士のグループがあった。聞くとイスラエル軍は新兵訓練の中でこのアウシュビッツを訪問するのだそうだ。だた、気になるのはわれわれのほとんどは、二度とこんなことを起こしてはならないという意識を新たにして帰るのに対して、彼らはユダヤ民へ降りかかった悲劇の過去を、だからこそイスラエルの土地を守らねばならないという自分の中の原動力にするために来ているのではないだろうかという点である。
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戻る方向で、保存されている宿舎の中を見学する。今は芝生がきれいだが、かつてはここに10万人以上が収容されていて、地面は絶えず踏まれていてまったく草など生えず、いつもぬかるんでいたと言う。この写真の穏やかさからは想像できない。
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居住棟内。見かけは2段ベッドだが、床の面にも人は寝ていて3段なのである。さらに人はベッドの通路側を頭にしてびっしりと寝ていたわけだが、どんな劣悪な環境でも対応してしまってぐっすりとねてしまうようになるというのも驚く。
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洗面所のある棟に書かれていた絵。書かれている絵は、髭剃りとか歯ブラシなのだが、収容者がそこから出られたらまずしたいことととして髭剃りや歯磨きなど本当に些細なことを書いているのだった。
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これはトイレである。シンドラーのリストの映画の中にも子供がこの中に隠れるシーンがあるので、わかる人も多いかもしれない。用を足す時間も制限され、長く座っていると次の順番の人からどかされるのが日常だったらしい
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収容棟は基本的に木造のため、保存してある以外の収容棟はレンガで造られていた暖炉を残して朽ちてきている。暖炉の後のレンガのかたまりだけだただただ数え切れないほど並ぶ。
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ビルケナウの入り口の建物の2階の監視塔からビルケナウ収容所全体を見渡した写真。を最後に2枚。長く伸びる線路の先が見えない。この3倍くらいまで広げる計画があった。もちろん建設するのは収容者である。
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最後に今日のガイド、中谷氏による解説書を2冊揚げておきます。
「アウシュビッツ博物館案内」
「ホロコーストを次世代に伝える―アウシュヴィッツ・ミュージアムのガイドとして」
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