2013/05/29 - 2013/05/29
344位(同エリア2525件中)
ottoさん
昨日ベルリン到着が大幅に遅れたため午後の半日観光を取止めて
「ブランデンブルク門」を皮切りに「ベルリンの壁」「ベルガモン博物館」を見学し、ポツダムの古城ホテルでランチの後 午後は世界遺産「ポツダム」市内観光というハードスケジュール。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- ANAセールス
-
気温17℃、薄曇 コート、マフラーを準備する。
ホテルを出てまもなく Unter den Linden 大通を
進むと向うに見えてきたのがベルリンの正門
「ブランデンブルク門」. -
1789年アテネのアクロポリスを模して建てられたもので
6本の列柱に支えられ、高さは26m、幅は65.5m、奥行きは
11mの砂岩でできた古典主義様式の門である -
頂上には.4頭立ての戦車に乗った古代ローマの勝利の女神「ミネルバ像」
-
この像はベルリンの歴史の盛衰に伴い、はじめ東に向いていたのがナポレオンによってパリへ持ち去られ、戻ってきた折は西に向けられ大戦後は再び東を向くという有為転変の運命を辿った。
-
イチオシ
ブランデンブルク門を先程とは反対側から見たところ。
徴税門として嘗ては四方に伸びた通の中で唯一残った。
東の方に進むと昔のプロイセン王宮がある。 -
敗戦による分割統治で西ベルリン側は米・英・仏の自由都市であったため、旧ソ連側の東ベルリンからの流出が絶えず遂に忌まわしい壁が建設され分断の象徴となった。
-
当時、東側の厳しいチェックを受けるベルリン市民の様子が残る写真。
-
パリ広場はベルリンの「応接間」と呼ばれ、
この首都では有数の美しさを誇る. -
熊が背を向けている門の前は米、英、仏、など列強の大使館や
-
昨今警備が厳重になった公邸。公館
-
銀行や
-
スタジオなど瀟洒な建物、
-
ホテル・アドロンなどの壮麗な建築群が並ぶベルリンの中心地のひとつとなった。
-
マリリンモンローがあでやかに微笑む平和な街頭風景
-
ツアー貸切のバスに乗る。添乗員さんを入れて9人がゆったりと席を占められる。
只、ステップが高いのでジャングルジムに登る感じ。 -
運河を渡り
-
車窓からロダンの彫刻を思わせる彫像を撮り
-
チャーミングなとんがり屋根の塔をよぎり
-
彼方の建物群に近づいてきた。
モダンな官邸、公邸が集まっていそうな... -
芸術的なな首相官邸。
近年ガラス張りの建物が好まれるらしい。 -
「連邦議会議場」の外観とガラス張りドーム 。 -
戦勝記念塔(独: Siegess?・ule, ジーゲスゾイレ)は
ベルリンのティーアガルテンの中央部に聳え立つ高さ67メートルの石造の塔である。塔の頂上に金色の勝利の女神ヴィクトリアが立っている。 -
塔の基壇部
デンマーク戦争勝利を記念して1864年に建設が始められ1872年に完成した。この間、普墺戦争(1866年)、普仏戦争(1870年-1871年)にも勝利し、これら戦勝をも顕彰する建造物となった。
第二次世界大戦の際、ベルリンの市街戦で兵士たちがここに篭って戦った。広場の石には大きな焦げ跡が残り、塔自体にもあちこちに大小様々な銃撃や砲撃による弾痕がある。 -
「菩提樹の下通り」周辺は主要な建造物が多く、
-
各国意匠を凝らしたデザインの近代建築が
-
次々と立ち現れシャッターを切るのが忙しい。
-
「Haus der Kulturen der Weit」
Hause of World Culyures
ワイドで超モダンなビル。 -
ここらでバスを降りて「壁」の遺跡を見学することに
-
コレがベルリンの「壁」の跡....以外に分厚くない。
-
二重の壁の間を無人地帯にして監視を厳重にしていたと聞く。
-
この建物のファサードに置かれた彫像も爆撃を蒙ったようだ。
-
壁の名残が保存されている数箇所のうちの一つ。
-
1961年に建設されて以来20年以上にわたって東西冷戦の象徴となっていた「ベルリンの壁」が崩壊したのは1989年11月9日のこと。
-
東欧諸国に民主化の嵐が吹き荒れ、1991年には共産主義圏の盟主たるソビエト連邦も解体されてしまった。
-
20分ほど走ったろうか?
美術館が集まった「博物館島」 にやってきた。 -
元は東ベルリン地区にあったのだが
-
今はドイツの首都ベルリンの観光スポット。南北に流れるシュプレー川の中州にて、ブランデンブルク門から東に伸びるウンター・デン・リンデン街を境とする北半分の地区を指す。 -
5つの博物館・美術館が集まっている事より「博物館島」と呼ばれる。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
-
「ペルガモン博物館」
5館の中で最も新しく1930年に開館。古代ローマおよび古代オリエント美術を中心に、古代美術および近世までの中東美術を扱う。小アジアの古代都市ペルガモンから「ペルガモンの大祭壇」を館内に移築したことから、館名の由来にもなっている。 -
「バビロンのイシュタル門」や「ミレトスの市場の門」など遺跡の発掘品を所蔵および復元展示するほか、近世までの中東工芸および絵画を展示する。
-
トルコの丘で見た「ベルガモン神殿址」ごっそりと持ってきた詳しい経緯は知る由もないが風雨にさらされて廃墟と化すよりは此処で保管される方が良かったのかも
-
「ゼウスの神殿」の階段を踏みしめ上の部屋に進む。
-
階段の左右に飾られたレリーフは筋骨隆々の男性に
-
ふくよかな女性像が特徴のギリシャ彫刻が全盛期の頃の作。
-
衣の流れるような襞、肢体の動きがリアル。
-
「ミネトスノ市場門」 これもトルコが原籍。
-
「ミネトス」はヨーロッパとアジアを繋ぐ交易で栄えた町。
原寸大で幅29m、高さは中央部が17m、大理石造。 -
天然石が組み合わさった床のモザイクにも感嘆。
-
流麗なライン、生活を描写したモダンなデザイン。
-
イタリアの「ポンペイの遺跡」で見た裕福な商人の家の玄関にもこんな感じのモザイク画があったような気がする。
-
修復が終わったばかりの威厳に満ちたローマの皇帝「トライアヌス」
-
レバノンから運んだというエジプト産・一刀彫の大きな赤い石英の柱....どのようにして運んだのか?
-
見上げるようなバビロニアの宮殿の門は
女神の名を冠した「イシタルノ門」と呼ばれる。 -
鮮やかなラピスラズリの石を用いた装飾は圧巻。
オリジナルな石は紀元前600年の故に欠けて薄くなりかけていて上部は後から修復で彩色されて色が濃い。 -
描かれた馬のような動物はユニコーン「一角獣」
-
蛇の頭と首を持ち脚がライオン尾が蠍と言う想像上の動物。
-
此処から250mライオンの行進が続いていたそうである。
日本にもライオンが貸し出されてきたことがあるそうだ。 -
威厳と気品溢れるライオン。
有色・彩色レンガに釉薬がかかっているので艶がある。 -
こんな巨大な石像をどうやって?
-
チグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミア南部・バビロニア文明を示す古地図
今のイラン地域。 -
時間調整を兼ねて庭にて休憩。
-
ブロンズが木々の緑に映えて美しい。
再びバスで町に出る。 -
塔に大時計が架かっているシャルロッテンブルク区庁舎。
中々の建物である。 -
国旗が揚がってないということは主が留守?
-
ソビエト戦争記念碑,
旧ソ連占領地区には公園や戦勝記念のモニュメントが残されているが、統治に不満の東ベルリン市民を戦車で鎮圧した曰くあり。
此処から進む「6月17日通」は統一ドイツに成るまでの旗日として名づけられた通。 -
「ブランデンブルグ門」から遥か西方に合理的なドイツの建築にしては優美なドームが見えてきた。
フリードリッヒ三世にして自らプロイセン初代王を名乗る王の奥方のために建てられた。
丁度元禄時代に当たるそうで、畑の真ん中にぽつんと建っていた宮殿を中心にプロイセン文化が花開き今に至る町を形成していったと。 -
嘗て夏の離宮であった「シャルロッテンブルク宮殿」をキャッチ!
この辺りは「ベルリン工科大学」など学生街である。
コンサートホールなどもあるが東側のような観光資源は少ない。 -
ITCセンター (国際会議センター)
まだ新しい。 -
大きなベルリンのマスコット「熊」が立ってっている。
(ピンボケ)
脅かしているのではなさそうだが... -
Sバーンのマーク。(city railway)
(ベルリンから縦横に張り巡らされた鉄道網を利用して旅すれば、又違ったドイツを見聞できるだろうと思う。)
バスは一路ポツダムへ向かう。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
70