2013/08/10 - 2013/08/18
399位(同エリア522件中)
ぐっさんさん
インド北部のラダック地方へ行ってきました。文章込ではじめてまともな旅行記書きます。
- 旅行の満足度
- 4.5
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北インドのラダック地方に向かうため関空からまずは上海へと飛び立った。上海はこれまで何度か訪れているが、今回はトランジットに結構時間がある。せっかくなので一度街まで出てみることにした。どこに行こうかと思案していると「人民広場」という駅名が目に付いた。なんとも中国らしいネーミングだ。どうらやここが上海の繁華街のようだ。よし いってみよう。一時間ほど地下鉄にのり地上へ上がってみるとそこには目もくらむ大都会が広がっていた。正直言うと僕は都会が苦手だ。日本だったらせいぜい京都が限界。大阪や東京なんかは正直苦手だ。東アジアの都会はなんという無味乾燥としたのっぺりとした高層ビル群が乱立しているだけのように思える。その国その地域の匂いや人間臭さが感じられないように思えるからだ。東南アジアや南アジア、欧州ではそれが顕著に感じられるが上海ではそれが感じられない。これを僕は「田舎っぺ症候群」と読んでいる。そうそうに大都会に見切りを付け空港へ戻った。
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インドらしくないピッカピカの空港で仮眠を取ったあと、国内線でラダックへと向かった。地図をお持ちの人は是非とも調べて欲しい。他人から教えられるだけでは知識であって知恵ではない。大事なのは自分で調べることだ。インド北方、インド、中国、パキスタンの国境が接近する一帯にカシミール地方と書かれているはずだ。ここは平均標高3500mの山岳地帯であり三核保有国の利害がぶつかる最前線だ。飛行機が高度を下げるとラダックの風景が目に飛び込んできた。茶色い大地に所々インダス川沿いに緑が見える。まるでスターウォーズep1の惑星タートウィーンみたいだ。飛行機を降りラダック地方の中心都市であるレーへ向かうため日本人4人でタクシーをシェアし市街地へ。旧市街の安宿に荷物を降ろしその辺をうろちょろしようと宿を出ると、背後にはレーの王宮と抜けるような青空が広がっていた。空港についた時点では朝霧でわからなかったが、とにかく空が綺麗で雲が近い。よく手をのばせば届きそうというが本当にその通りだ。標高が高いからか雲が近い。これが本当の青空なんだろう。じゃあ僕が今まで見てきた青空はなんだったんだ?偽物? それが偽物とは気づかないで・・・今回の写真のテーマは青空かもしれない。
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ええか バイクあったら陸地ならどこでもいけんねんで」18歳の僕に京都のバイク屋のお兄さんが熱く語ってくれた一言だ。当時の谷口青年は非常に感銘をうけたが、よく考えればこれは奥田民生の受け売りだったのだろう。僕は行く先々で可能な限りバイクを借りている。アジアなら一日3〜4ドルと結構安く借りることができる。ラダックの中心都市であるレーにはいたるところに外国人相手のレンタルバイク屋が軒を連ねており、ハイシーズンの今稼いでしまおうとするインド人から150ccのバイクを1日600ルピーで借りることができた。インドでばいくって・・・と思うかもしれないが、これまでの経験からするとレーでのバイクの運転はそれほど難しいものではない。交通量はそれほど多くないし、日本と同じ左側通行だし、ノーヘルでも問題ない。しかし、ここは標高3600mである。正直高山病で頭が痛い。ちょっと歩いただけで息が切れてしまう。今日は市街地へは出ないでレー周辺をプラプラすることにしよう。たのむぞ相棒。
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レーの後背地にある王宮へとりあえず行ってみることに。ここラダックはインドの小チベットと言われるようにインド系だけでなくチベット系も多く住んでいる。街のいたるところにマニ車を回すチベット人を見ることができるし、そこらじゅうにタルチョといわれる五色の旗が風にはためいたいる。マニ車は中にお経が書かれており回すだけでお経を読んだことになる。タルチョは風にはためいただけでお経を読んだことになるのだ。なんとも便利だ。2秒でお経が読めてしまう。王宮にももちろんタルチョがはためいたいたので、接近して写真をとる。(写真4枚目) タルチョに接近して写真を撮っていると後ろにいたドイツ人のおじさんが不思議そうに僕を見ていた。おじさんの首にはシュナイダークロイツナッハのカメラがぶら下がっていた。僕も負けていられない。Nikonの底力を、日本の技術力を見せつけねば。アジアとヨーロッパを代表する技術大国同士負けられない戦いがそこにある。おじさん「なぜそんなものをとっているんだ?せっかくなんだから景色を撮ればいいじゃないか」 僕「いや このタルチョが青空に映えると思いまして・・ホラ見てください」 おじさん「うーむ なかなかいいじゃないか」 僕「あなたの写真はどうですか? おー いいですね。F値はどれくらいですか?」 おじさん「F値かね? ・・・だな。シャッタースピードはどうしてる?」 僕「この天気だから・・・」日独カメラ会議はしばらく続いた
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ここ一年ほど東ティモールやバングラデシュといったあまり旅行者が行かないであろう国を回っていたためか日本人の旅人とい話し込むといことがあまりなかった。そりゃそうだ東ティモールやバングラデシュなんか何をしにいくのかホントにわからない。じゃあお前は何しにいったんだと聞かれれば困ってしまうがわかる人にはわかるのだ。違いのわかる旅人がそこにはいたのだ。それでいいのだ。
頼りない相棒にまたがり、レー市街地を抜け、インダス川沿いの道を下っていく。基本的には一本道で信号もない。緑のおばちゃんもいなければ車道を二三人で併走する中高生もいない。いるのは目の前の動くものを全て抜かないときがすまないスピード狂のインド人ドライバーと牛とロバだ。特にインド人のドライバーはけたたましクラクションをならしながらおってくるので、坂道に負ける我が相棒では太刀打ちできない。なるべく道の左側を走るようにした。
ここラダックはレーの周辺にいくつものゴンパつまりはチベット仏教の寺院が点在しておりそこをめぐるのが定番だ。僕のその定番にならいこの日はレーよりもインダス川の下流にあるゴンパをめぐることにした。チベット本土ではすべに見ることができない壮麗なゴンパが無数にあり歴史の専門家としては非常に興味深く回ることができた。しかし、ここにも様々な旅人がいる。ある時、道を走っていると前には僕のバイクよりもさらに貧弱そうなバイクに二人乗りのイタリア人が前を走っていた。追い抜く時に気づいたのだが、運転しているのはおじいちゃん、うしろにはなぜか20歳そこらのお姉ちゃん・・・一体どーゆー関係なんだろう。これが愛の国イタリアのなせる技なのか? 次のゴンパでたまたま一緒になった。僕「すいません。あのー お二人さんってどーゆー関係なんすか? イタリアじいさん「うーん 孫とじいちゃんじゃあ・・ねぇなあ」 僕「え? ってことは・・・」 イタリアじいさん「まぁ 野暮なことはいいじゃないか。それよりゴンパみようぜ!」・・・年をとったらこうありたい・・ そのあと道に迷った際、ストゥーパに腰掛けてマニ車を回すチベット人老人に道を聞いた。英語はできないがゴンパの場所を教えてもらい、走りだそうとしたがさっきのイタリアじいさんとこのおじいちゃんを比べたらなんだかおもしろい。ラダックにくらすチベット人と陽気で愛に生きるイタリア人。すくなくともこのチベット人のじいちゃんには20歳そこらの・・・・・な人はいないだろう。いたら僕がショックすぎる。
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稲刈り田植え・・・やったことあるひとは日本人のどれくらいになるんだろう?「いつか田舎でくらしたーい」とか言っている大都会の市民諸君よ 本気か? 田舎は辛いよ・・・いろいろ大変よ。
ラダック三日目は前日とは反対にインダス川をさかのぼってみることにした。途中、舗装はされているものの「土地たら死ぬなー」的な道を進む。途中にはいくつかの集落が点在しておりゴンパもその周辺にあることが多い。しかし三日目にして僕はゴンパに飽きつつあった。そんな折、道を頼りない相棒で走っていると前には大きな草を担ごうとしてなかなか立ち上がれないチベット人青年がいた。これは面白そうだ。僕はバイクを止め畑へ突入していった。意外にもこの青年は英語が結構達者だった。僕「ジュレー(おうよう こんにちわ こんばんわ ありがとう 全てを含んだ便利な挨拶) 何してるんですか?」青年「ジュレー!もうすぐ麦の収穫だから畑の草取りしてんだよ。」 僕「ちょっと見てていいですか?」青年「いいけど・・・多分面白くないよ」 青年はそうは言っていたが、田舎育ちの僕にはなんだか懐かしい光景だった。ようは草むしりだかおそらく僕が中学生ぐらいの反抗期全開のころは絶対にくだらないと思っただろう。しかしこの土地の人々がどのように暮らしているのかを考えるにはもってこいだ。子どもから老人までみんなが大きな鎌をもってせっせと草取りに励んでいる。そんな光景を外国人が写真にとっているんだから村人からすればなんだかおかしな光景だろう。するとばあちゃんが僕に鎌を差し出し「若いのや・・・やってみるかい?」みたいな感じで話かけてきた。よっしゃ!やったろうやないかい!能登の田舎もんなめんなよ!と奮起して久しぶりに草刈に全力投球だ。すると周りの村人から声があがる。どうやら僕の草刈力はチベット人にも認められたらしい。しかし・・忘れていた。あえて言おう。ここは標高3800mだということを。調子にのって草刈ってたら息が切れていきた・・・しまいにダウンしてしまった。ばあちゃんは笑いながら僕と同じペースでせっせと草を刈り続けていた。あとでさっきの青年が話かけてきた。青年「いやー以外だな」僕「何がですか?」青年「いやだって君は日本人だろ。日本っていえば車とか精密機械とか作ってる工業の国のはずだ。だからその日本人が草刈なんてやらないと思ってさ」どうやら彼の中の日本は国土すべてがハイテク工業地帯で農業なんか全くしていない国と思っているようだ。僕「日本でも麦とか作ってますよ。農業もそれなりにやってるんですよ。まぁ輸入がかなり多いですが。」青年「ほぉーそれは知らなかっな。いやいやありがとう」 ラダックの農村における日本のイメージを覆した一日だった -
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こらー! そこ!動くなぁ!」学生時代に京都に住んでいた折、京都駅でよく見た光景だ。そういえば僕はこのころからそうなのだがほかの人と何かを一緒にやるということに苦手だ。修学旅行生の一部の生徒が団体行動の規律を乱すように、28歳のおじさんもプライベートな場では集団の統制をみだしがちであるかほとんど喋らないかどちらかである。だから一人で旅にでるんだろうし、一人映画も全然苦ではない。
ラダック四日目、実は僕にはこの度の具体的なプランはあまりなかった。まぁバイクでプラプラすりゃいいやぐらいだったが、初日の空港から市街地への移動のタクシーの際、「ラマユル行きましょ」とか「パンゴンツォ行きません?」と声をかけられたときは「よく調べてきてんなぁ」と感心してしまった。持参したガイドブックには二つとも記載されていたが、ラダック東部にはパンゴンツォという細長い湖があり、この湖の向こう側はすでに中華人民共和国の領土であることを知った。これは面白そうだ。どうやらすでに車とドライバーをチャーターしているらしくそれに参加させていただくことになった。朝5時20分とかなり早い時間に集合がかけられおよそ160キロほど離れたパンゴンツォへ向かって出発した。途中ゴンパによってもらう。朝早くということもありチベット人僧侶の朝の勤行を見学させていただいた。小さい子からおじいちゃんまで年齢層が幅広い寺院という世界だが、なんのことはない。勤行が始まると、まず地裁子が先にお経を唱える。しばらくしたら大人の先輩僧侶が入ってくる。そしてじいちゃん僧侶が入ってきて・・という流れなのだが、どこの国でも民族でもあまり変わらない。大人の僧侶は仏の崇高なる教えを実践しているのだが、子どもの、それも5、6歳ぐらいの子ども僧侶は退屈そうでしまいに周りの子にちょっかいをかけはじめじゃれはじめている。しまいには目の前のバター茶がはいったコップを派手にこぼして大人の僧侶に怒られていた。本人には悪いがみてるこっちはなんだかほっこりした。そのあと別のゴンパにもいったのだが、正直ゴンパは結構あきている。ほかの皆さんがゴンパをじっくり見学している最中、僕は犬と遊んだり、タバコを一服したりとすでに団体行動を乱しつつあった。
パンゴンツォへ行くためには途中標高5380mの山を超えなければならない。地図では知っており前日にはバイクで挑んだが坂道に負ける僕の相棒では太刀打ちできない相手だった。しかし今日は違う。日本車という心強い味方を得た今となってはたいした相手ではない。あっというまに5380mだ。やはり酸素が薄くて今まで以上に息がきれる。そんな僕だが「ここでタバコすったらどーねるげんろ?」などということを思ってしまった。思った以上はやってみよう・・・・・頭がクラクラする・・・
その後はしばらくは舗装された道を所々インド軍の駐留所を横目にひたすら突き進みようやくパンゴンツォへ到着した。しかし・・・問題は今日の宿だ。ホームステイということは聞いていたがそれらしい場所は見当たらない。すると年齢不詳のドライバーは道なき道をさらに突き進み突き進み突き進んで行く。いくつかの村を通り過ぎたあと、ようやく今日のお宿に到着だ。ホントに人ん家だ。中印国境付近の村の人の家で一泊だ。 -
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パンゴンツォからレーに戻った翌日、僕はラダックに別れをつげインドの首都デリーへ戻る予定だった。さらに言えばデリーで一泊して日本へ帰国するという予定だったのだ。つまり、まず第一としてここラダックという天界からデリーという下界に降りる必要がある。現在レーとデリーを結ぶ航空会社は3社あり、僕はこの中で一番信頼がおけるであろう航空会社を選んでいた。陸路で移動することもできるのだが、前回のバングラデシュで9時間の移動で根をあげたぼくにとって2、3日バスに乗り続けることは少々つらい。朝早くに無駄に警備が厳しい空港へ行き、チケット発券をすませしばらくまつ。待つ。マツ、まつ、MATU、・・・・フライトがキャンセルされた。どうも悪天候で今日は飛ばないらしい。実は昨日も飛んでいないらしい。実はここ数日乾燥気候であるラダックのこの時期にしてはめずらしく雨がふっていた。昨日のパンゴンツォの帰り道の標高が高い場所では雪すら降っていた。仕方がないのでレーに戻り、下界に降りれない日本人難民で会議をする。僕は要するに明日飛んでくれれば実害はない。しかし、この日の夜の便でデリーから日本に帰国する方々は喧々諤々、ネットがダウンして使えないので連絡すらとれない。しかしレーにはとある日本人女性が経営する旅行会社が存在し、あちこちに電話攻撃をしてもらい帰国は遅れるがなんとかしてもらえたようだ。この方には滞在中本当にいろいろお世話になった。
さて・・・ということはあと一日はレーにいなければならない。バイクも返してしまったし何をしたらいいのか・・・ここはラダックだし普通の観光地でできそうなことはほとんどできない。とりあえず・・昼寝をしよう。本を読もう。無駄に飯を食おう。・・・うーん全部やってしまった・・ホントにどうしよう?ネットが使えない現代人とはいかに手持ち無沙汰なことか。しょーがない。宿のギシギシうるさいベットから重い腰をあげ、カメラを持って街へ出てみた。といっても既に何日も滞在したレーだ。いまいち何をしていいのかわからない。すると今まで素通りしていた路地の奥にゴンパを発見した。こんなところにゴンパがあったんか・・レーにいる僧侶はシティーボーイ的な性格が強いように思える。おじさん僧侶はトム・クルーズみたいなサングラスをしているし、かぶっている帽子もなんとなくおしゃれで、トラックに荷台に乗る仕草もどことなくスタイリッシュだ。ほかのゴンパならおそらくのっそりとのるんだろうが、レーではさくっと乗ってる。そういえば高校生の頃、能登の田舎者の僕が遠征とか試合で金沢あたりにいた時も「なめられてはイカン!」とかなんとか思ってへんにスカしたことをしていたなぁ。ちょうどそのころの僕と同じ年のころなんだろう。僧侶もThe 思春期だ。
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