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暑い日が続き、出掛けるのも億劫になりますが、この日は所用があり浅草橋まで出掛けたついでに両国まで散歩してきました。<br />両国(墨田区)には、史跡などの解説が多くあり、いろいろ知ることが出来ました。<br /><br />この日、東京の最高気温は28℃と少し楽でした。

真夏の散歩:浅草橋~両国

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2013/07/16 - 2013/07/16

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morino296

morino296さん

暑い日が続き、出掛けるのも億劫になりますが、この日は所用があり浅草橋まで出掛けたついでに両国まで散歩してきました。
両国(墨田区)には、史跡などの解説が多くあり、いろいろ知ることが出来ました。

この日、東京の最高気温は28℃と少し楽でした。

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  • 浅草橋の上から 神田川に並ぶ屋形船 (用事を済ませて、11:20頃)<br /><br />浅草は良く知られているが、浅草橋と言われてもピンと来ない方も多いと思いますので、少し調べてみました。<br /><br />神田川にかかる浅草橋は、江戸36門の一つの浅草御門で見附門といわれます(寛永13年(1636)完成)。<br />江戸幕府は、江戸城警護のため主要交通路の重要な拠点に櫓、橋、門などを築きました。<br />奥州.日光街道(現在の江戸通り)が通るこの地は、浅草観音への道筋にあたることから門は浅草御門と呼ばれ、また警護の人を配置したことから浅草見附と言われました。<br />浅草御門のほかに小石川門、牛込門、市ヶ谷門、四谷門、赤坂門、虎ノ門等36ケ所の見附がありました。

    浅草橋の上から 神田川に並ぶ屋形船 (用事を済ませて、11:20頃)

    浅草は良く知られているが、浅草橋と言われてもピンと来ない方も多いと思いますので、少し調べてみました。

    神田川にかかる浅草橋は、江戸36門の一つの浅草御門で見附門といわれます(寛永13年(1636)完成)。
    江戸幕府は、江戸城警護のため主要交通路の重要な拠点に櫓、橋、門などを築きました。
    奥州.日光街道(現在の江戸通り)が通るこの地は、浅草観音への道筋にあたることから門は浅草御門と呼ばれ、また警護の人を配置したことから浅草見附と言われました。
    浅草御門のほかに小石川門、牛込門、市ヶ谷門、四谷門、赤坂門、虎ノ門等36ケ所の見附がありました。

  • 浅草橋の袂にある浅草見附跡の碑<br /><br />明暦の大火後、浅草の奥に新吉原が出来てからは、観音参りに加え吉原通いの人でこの往還はさらに賑わい、この辺りから柳橋にかけては船宿ができ、吉原通いの基地となり、猪牙(ちょき)舟(*)が行き来したそうです。<br /><br />*この話は、前作「真夏の浅草散歩」の中でも紹介していますが、山谷堀まで猪牙舟で行ったとのこと。

    浅草橋の袂にある浅草見附跡の碑

    明暦の大火後、浅草の奥に新吉原が出来てからは、観音参りに加え吉原通いの人でこの往還はさらに賑わい、この辺りから柳橋にかけては船宿ができ、吉原通いの基地となり、猪牙(ちょき)舟(*)が行き来したそうです。

    *この話は、前作「真夏の浅草散歩」の中でも紹介していますが、山谷堀まで猪牙舟で行ったとのこと。

  • 柳橋の隣にある料亭亀清楼(かめせいろう)<br /><br />かつて多数あった「柳橋の料亭」も、現在はここ1軒です。<br />安政元年(1854)創業、創業者・亀屋清兵衛が人気料亭「万八楼」を買い取って改名したものだとか。<br />

    柳橋の隣にある料亭亀清楼(かめせいろう)

    かつて多数あった「柳橋の料亭」も、現在はここ1軒です。
    安政元年(1854)創業、創業者・亀屋清兵衛が人気料亭「万八楼」を買い取って改名したものだとか。

  • 旧浅草柳橋の解説<br /><br />柳橋は、江戸中期の頃から花街として知られ、橋のほとりには船宿が並び、料亭や芸者衆も多く隆盛を誇っていました。<br />柳橋は、元禄11年(1698)に架けられ、神田川が大川(隅田川)に注ぐ所にあったことから、川口出口之橋と呼ばれたが、橋のほとりに柳が植えられたことから、いつしか柳橋と呼ばれるようになったそうです。<br />

    旧浅草柳橋の解説

    柳橋は、江戸中期の頃から花街として知られ、橋のほとりには船宿が並び、料亭や芸者衆も多く隆盛を誇っていました。
    柳橋は、元禄11年(1698)に架けられ、神田川が大川(隅田川)に注ぐ所にあったことから、川口出口之橋と呼ばれたが、橋のほとりに柳が植えられたことから、いつしか柳橋と呼ばれるようになったそうです。

  • 柳橋<br /><br />現在の橋は、昭和4年に架けられたローゼ型。<br />ドイツ・ライン川の橋を基にした永代橋のデザインを取り入れているそうです。<br />完成から70年以上が経過し、貴重な近代の土木遺産として平成3年に整備され、平成11年に中央区の有形文化財に登録されています。

    柳橋

    現在の橋は、昭和4年に架けられたローゼ型。
    ドイツ・ライン川の橋を基にした永代橋のデザインを取り入れているそうです。
    完成から70年以上が経過し、貴重な近代の土木遺産として平成3年に整備され、平成11年に中央区の有形文化財に登録されています。

  • 柳橋 欄干にある簪のレリーフ<br /><br />花柳界の街にちなみ芸者衆をイメージした簪が並んでいます。

    柳橋 欄干にある簪のレリーフ

    花柳界の街にちなみ芸者衆をイメージした簪が並んでいます。

  • 柳橋から隅田川へ合流する方向を見たところ<br /><br />隅田川に架かるのは両国橋(後ほど渡ります)。

    柳橋から隅田川へ合流する方向を見たところ

    隅田川に架かるのは両国橋(後ほど渡ります)。

  • 銀杏岡八幡神社<br /><br />JR浅草橋駅の北側、すぐ近くにあります。

    銀杏岡八幡神社

    JR浅草橋駅の北側、すぐ近くにあります。

  • 銀杏岡八幡神社<br /><br />創建年代は不詳ですが、源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中、小高い丘だった所に銀杏の枝を差して戦勝祈願し、その帰途、康平5年(1062)に当社を創建したと伝えられます。<br />祭神は、誉田別命。

    銀杏岡八幡神社

    創建年代は不詳ですが、源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中、小高い丘だった所に銀杏の枝を差して戦勝祈願し、その帰途、康平5年(1062)に当社を創建したと伝えられます。
    祭神は、誉田別命。

  • 銀杏岡八幡神社のお守り<br /><br />やはり銀杏のデザインです。

    銀杏岡八幡神社のお守り

    やはり銀杏のデザインです。

  • 金太郎寿司<br /><br />銀杏岡八幡神社の近くにあるこちらでランチにしました。<br /><br />柳橋にある老舗(文化5年創業)のお寿司屋さんの前まで行ったのですが、どうも入りにくい雰囲気だったので止めて、大衆向きのこちらにしました。

    金太郎寿司

    銀杏岡八幡神社の近くにあるこちらでランチにしました。

    柳橋にある老舗(文化5年創業)のお寿司屋さんの前まで行ったのですが、どうも入りにくい雰囲気だったので止めて、大衆向きのこちらにしました。

  • 金太郎寿司のランチ握り1.5人前(800円)<br /><br />この辺りは、お寿司屋さんの激戦地区だそうで、握り1人前(茶碗蒸し、お椀月)600円で食べられます。<br /><br />お腹も膨らんだところで、散歩の続きへ。

    金太郎寿司のランチ握り1.5人前(800円)

    この辺りは、お寿司屋さんの激戦地区だそうで、握り1人前(茶碗蒸し、お椀月)600円で食べられます。

    お腹も膨らんだところで、散歩の続きへ。

  • 浅草橋から下流方向(柳橋方向)に並ぶ屋形船<br /><br />隅田川から東京湾の船遊びに使われるのだと思います。 

    浅草橋から下流方向(柳橋方向)に並ぶ屋形船

    隅田川から東京湾の船遊びに使われるのだと思います。 

  • 両国橋(修理中でした)<br /><br />江戸通りから靖国通りを左折し、両国橋を渡ります。<br />両国橋から先は、京葉道路となります。<br /><br />現在の両国橋は、昭和7年(1932)竣工、柱部には両国国技館の屋根を模った飾りがあります。<br /><br />明暦3年(1657)の大火が大災害となったため、幕府が防災上の理由から橋を架け(万治元年(1659)完成)、武蔵と下総の国を結ぶことから両国橋と呼ばれました。<br />旧両国橋は現在よりも約50m下流にあったそうですが、橋の上は四方を眺望できる絶景の場所で、近くは浅草観音堂、遠くは筑波山まで見えたとのこと。

    両国橋(修理中でした)

    江戸通りから靖国通りを左折し、両国橋を渡ります。
    両国橋から先は、京葉道路となります。

    現在の両国橋は、昭和7年(1932)竣工、柱部には両国国技館の屋根を模った飾りがあります。

    明暦3年(1657)の大火が大災害となったため、幕府が防災上の理由から橋を架け(万治元年(1659)完成)、武蔵と下総の国を結ぶことから両国橋と呼ばれました。
    旧両国橋は現在よりも約50m下流にあったそうですが、橋の上は四方を眺望できる絶景の場所で、近くは浅草観音堂、遠くは筑波山まで見えたとのこと。

  • 両国橋の上から隅田川の上流方向<br /><br />左側から神田川が合流します。<br />目の前の橋は、JR総武線の橋梁。

    両国橋の上から隅田川の上流方向

    左側から神田川が合流します。
    目の前の橋は、JR総武線の橋梁。

  • 両国橋を渡ったところにある地図<br /><br />この後に歩いたルートを入れてみました。

    両国橋を渡ったところにある地図

    この後に歩いたルートを入れてみました。

  • 両国橋の袂にある碑<br /><br />「表忠碑」(中央)<br />日露戦争の戦病没者追悼碑で、陸軍総司令官であった大山巌侯爵の筆(明治40年建立)。<br /><br />大高源吾の句碑(左側)<br />向島の俳諧師、宝井其角の弟子であったい赤穂浪士・大高源吾の句<br />「日の恩やたちまちくだく厚氷」が刻まれています。(昭和3年建立)<br />この句は、討ち入りの夜、師匠宝井其角に両国橋で出会い、詠んだといわれます。

    両国橋の袂にある碑

    「表忠碑」(中央)
    日露戦争の戦病没者追悼碑で、陸軍総司令官であった大山巌侯爵の筆(明治40年建立)。

    大高源吾の句碑(左側)
    向島の俳諧師、宝井其角の弟子であったい赤穂浪士・大高源吾の句
    「日の恩やたちまちくだく厚氷」が刻まれています。(昭和3年建立)
    この句は、討ち入りの夜、師匠宝井其角に両国橋で出会い、詠んだといわれます。

  • ももんじや(墨田区両国1−10−2)<br /><br />両国橋のたもと(東側)にあるビルに巨大な金色のイノシシが目を引きます。<br />享保3年(1718)創業の猪料理店。<br />ももんじとは百獣のことで4つ足の動物の肉を扱う店のことを「ももんじ屋」と総称。<br />ももんじやを店名にしていますが、正式には「ももんじやの豊田屋」で、もともとは漢方の薬屋でしたが、薬の一種として出した猪が人気商品となり、料理店へ転身したそうです。(店頭の解説より)<br />

    ももんじや(墨田区両国1−10−2)

    両国橋のたもと(東側)にあるビルに巨大な金色のイノシシが目を引きます。
    享保3年(1718)創業の猪料理店。
    ももんじとは百獣のことで4つ足の動物の肉を扱う店のことを「ももんじ屋」と総称。
    ももんじやを店名にしていますが、正式には「ももんじやの豊田屋」で、もともとは漢方の薬屋でしたが、薬の一種として出した猪が人気商品となり、料理店へ転身したそうです。(店頭の解説より)

  • この駐車場の前に3つの解説がありました。<br />「旧両国橋・広小路跡」<br />「赤穂浪士休息の地」<br />「石尊垢離場(せきそんこりば)」

    この駐車場の前に3つの解説がありました。
    「旧両国橋・広小路跡」
    「赤穂浪士休息の地」
    「石尊垢離場(せきそんこりば)」

  • 「旧両国橋・広小路跡」<br />橋の袂には火除け地として広小路が設けられ、西側(日本橋側)は両国広小路と呼ばれ、芝居小屋、寄席、腰掛茶屋が並び、東側は向う両国と呼ばれ、見世物小屋、食べ物屋の屋台が軒を連ねる繁華街となったそうです。<br /><br />「赤穂浪士休息の地」<br />吉良邸へ討ち入った後、赤穂浪士がこの辺りで休息したそうです。<br /><br />「石尊垢離場(せきそんこりば)」<br />石尊とは神奈川県の大山のことで、大山阿夫利神社は商売繁盛と勝負事に御利益があることから、江戸っ子が講を組んでお参りに出掛けたそうです。<br />その出発前に、両国橋の南隣の隅田川で水垢離を取り、体を清めたそうです。

    「旧両国橋・広小路跡」
    橋の袂には火除け地として広小路が設けられ、西側(日本橋側)は両国広小路と呼ばれ、芝居小屋、寄席、腰掛茶屋が並び、東側は向う両国と呼ばれ、見世物小屋、食べ物屋の屋台が軒を連ねる繁華街となったそうです。

    「赤穂浪士休息の地」
    吉良邸へ討ち入った後、赤穂浪士がこの辺りで休息したそうです。

    「石尊垢離場(せきそんこりば)」
    石尊とは神奈川県の大山のことで、大山阿夫利神社は商売繁盛と勝負事に御利益があることから、江戸っ子が講を組んでお参りに出掛けたそうです。
    その出発前に、両国橋の南隣の隅田川で水垢離を取り、体を清めたそうです。

  • 春日野部屋(墨田区両国1−7−11)<br /><br />この辺りには相撲部屋が多くありますが、春日野部屋は巨大なマンションのようです。(道路の反対側から撮っても収まらないくらいです)<br />今どきの力士は、こんな凄い部屋で生活しているのですね。<br />この日は、名古屋場所の最中でしたので、力士の姿は見掛けませんでした。<br /><br />春日野部屋は、大正14年(1925)、第27代横綱・栃木山が出羽の海部屋から分離独立し、創設。<br />現在の師匠は、元関脇・栃乃和歌。

    春日野部屋(墨田区両国1−7−11)

    この辺りには相撲部屋が多くありますが、春日野部屋は巨大なマンションのようです。(道路の反対側から撮っても収まらないくらいです)
    今どきの力士は、こんな凄い部屋で生活しているのですね。
    この日は、名古屋場所の最中でしたので、力士の姿は見掛けませんでした。

    春日野部屋は、大正14年(1925)、第27代横綱・栃木山が出羽の海部屋から分離独立し、創設。
    現在の師匠は、元関脇・栃乃和歌。

  • 与兵衛鮨発祥の地(墨田区両国1−8)<br /><br />この説明があっただけです。<br />この横町の左手に、江戸にぎり寿司の発祥といわれる与兵衛鮨があったそうです。<br />文政の初めに、初代小泉与兵衛が、ここで店を開き繁盛しましたが、昭和5年に惜しまれながら廃業したそうです。

    与兵衛鮨発祥の地(墨田区両国1−8)

    この説明があっただけです。
    この横町の左手に、江戸にぎり寿司の発祥といわれる与兵衛鮨があったそうです。
    文政の初めに、初代小泉与兵衛が、ここで店を開き繁盛しましたが、昭和5年に惜しまれながら廃業したそうです。

  • 吉良邸跡(本所松坂町公園)墨田区両国3−13−9<br /><br />元禄15年(1702)の旧暦12月14日(正確には翌日未明)、大石内蔵助良雄をはじめとする赤穂藩の旧藩士47人(赤穂四十七士)が討入りした吉良上野介義央の上屋敷、現在は、本所松坂町公園となっています。<br />その昔、吉良邸は、松坂町1、2丁目(現在の両国2、3丁目)の内、8400?を占める広大な屋敷でしたが、年を経て民家が立ち並び、面影もなくなってしまったので、昭和9年に地元の町会有志が、遺跡を後世に伝えようと、旧邸の一角を購入し史跡公園として東京市に寄付したものだそうです。(解説より)

    吉良邸跡(本所松坂町公園)墨田区両国3−13−9

    元禄15年(1702)の旧暦12月14日(正確には翌日未明)、大石内蔵助良雄をはじめとする赤穂藩の旧藩士47人(赤穂四十七士)が討入りした吉良上野介義央の上屋敷、現在は、本所松坂町公園となっています。
    その昔、吉良邸は、松坂町1、2丁目(現在の両国2、3丁目)の内、8400?を占める広大な屋敷でしたが、年を経て民家が立ち並び、面影もなくなってしまったので、昭和9年に地元の町会有志が、遺跡を後世に伝えようと、旧邸の一角を購入し史跡公園として東京市に寄付したものだそうです。(解説より)

  • 吉良邸跡(本所松坂町公園)<br /><br />園内には、吉良上野介追慕碑、吉良上野介坐像、吉良家家臣二十士碑、首洗い井戸などがあります。

    吉良邸跡(本所松坂町公園)

    園内には、吉良上野介追慕碑、吉良上野介坐像、吉良家家臣二十士碑、首洗い井戸などがあります。

  • 吉良邸跡(本所松坂町公園)<br /><br />壁面には義士関係の記録や絵画の銅版が埋め込まれています。<br />毎年12月14日には地元の人々によって「義士祭」が行われ、12月の第2、または第3土曜日・日曜日には「吉良祭」が催されます。

    吉良邸跡(本所松坂町公園)

    壁面には義士関係の記録や絵画の銅版が埋め込まれています。
    毎年12月14日には地元の人々によって「義士祭」が行われ、12月の第2、または第3土曜日・日曜日には「吉良祭」が催されます。

  • 吉良邸跡(本所松坂町公園) 吉良上野介坐像<br /><br />優しい顔をしていますね。<br />

    吉良邸跡(本所松坂町公園) 吉良上野介坐像

    優しい顔をしていますね。

  • 芥川龍之介文学碑(両国小学校の角にあります)<br /><br />芥川が学んだ両国小学校の創立115周年記念として平成2年に建立されたもの。<br />芥川の代表作の一つ「杜子春」の一節が引用されています。

    芥川龍之介文学碑(両国小学校の角にあります)

    芥川が学んだ両国小学校の創立115周年記念として平成2年に建立されたもの。
    芥川の代表作の一つ「杜子春」の一節が引用されています。

  • 両国公園にある勝海舟生誕の地碑<br /><br />勝海舟は、文政6年(1823)、ここ(本所亀沢町)にあった父・小吉の実家である男谷家で誕生、7歳まで過ごしたそうです。<br />父・小吉は三男であったため、男谷家から勝家に婿養子に出され、勝家の娘のぶと結婚し、男谷邸内に新居を構えたことから、男谷家で誕生したものと考えられるそうです。

    両国公園にある勝海舟生誕の地碑

    勝海舟は、文政6年(1823)、ここ(本所亀沢町)にあった父・小吉の実家である男谷家で誕生、7歳まで過ごしたそうです。
    父・小吉は三男であったため、男谷家から勝家に婿養子に出され、勝家の娘のぶと結婚し、男谷邸内に新居を構えたことから、男谷家で誕生したものと考えられるそうです。

  • 吉良邸の正門跡<br /><br />旧吉良邸から2ブロックほど離れたところに解説があり、吉良邸が広大な屋敷であったことが窺えます。<br />赤穂浪士は、正門と裏門の二手に分かれて討ち入り、100人以上の大勢が討ち入ったように装ったそうです。<br />正門からは、大石内蔵助以下23名が、用意した梯子で邸内に入り、内側から門を開け、「浅野内匠家来口上」を玄関前に打ち立てて乱入したそうです。

    吉良邸の正門跡

    旧吉良邸から2ブロックほど離れたところに解説があり、吉良邸が広大な屋敷であったことが窺えます。
    赤穂浪士は、正門と裏門の二手に分かれて討ち入り、100人以上の大勢が討ち入ったように装ったそうです。
    正門からは、大石内蔵助以下23名が、用意した梯子で邸内に入り、内側から門を開け、「浅野内匠家来口上」を玄関前に打ち立てて乱入したそうです。

  • 時津風部屋(墨田区両国3−15−4)<br /><br />こちらも立派なビルです。<br />時津風部屋は、昭和17年(1942)、当時現役であった第35代横綱・双葉山が、その実績を評価され、二枚鑑札の形で現役力士のまま弟子の育成を許され、双葉山道場を開いたのが、創設につながっています。<br />現在の師匠は、元前頭・時津海。

    時津風部屋(墨田区両国3−15−4)

    こちらも立派なビルです。
    時津風部屋は、昭和17年(1942)、当時現役であった第35代横綱・双葉山が、その実績を評価され、二枚鑑札の形で現役力士のまま弟子の育成を許され、双葉山道場を開いたのが、創設につながっています。
    現在の師匠は、元前頭・時津海。

  • 旧国技館跡(回向院の東隣)<br /><br />旧国技館は、天保4年(1833)から回向院で相撲興行が行われたことから、明治42年(1909)に、その境内に建設されました。<br />ドーム型屋根の洋風建築で、終戦後は米軍に接収され、返還後は日大講堂として利用され、昭和58年(1983)に解体されました。<br />

    旧国技館跡(回向院の東隣)

    旧国技館は、天保4年(1833)から回向院で相撲興行が行われたことから、明治42年(1909)に、その境内に建設されました。
    ドーム型屋根の洋風建築で、終戦後は米軍に接収され、返還後は日大講堂として利用され、昭和58年(1983)に解体されました。

  • 回向院の入口(墨田区両国2−8−10)<br /><br />(回向院の解説は、HPを参照しています。)<br />回向院は、明暦3年(1657)に開かれた浄土宗の寺院で本尊は阿弥陀如来。<br /><br />明暦の大火で、江戸市街の6割以上が燃え焼けてしまい、10万人以上が亡くなったそうです。当時の将軍家綱が、無縁の人々を手厚く葬るようにと隅田川の東岸に土地を与え、「万人塚」を設け、大法要を行ったのが回向院の始まりだそうです。

    回向院の入口(墨田区両国2−8−10)

    (回向院の解説は、HPを参照しています。)
    回向院は、明暦3年(1657)に開かれた浄土宗の寺院で本尊は阿弥陀如来。

    明暦の大火で、江戸市街の6割以上が燃え焼けてしまい、10万人以上が亡くなったそうです。当時の将軍家綱が、無縁の人々を手厚く葬るようにと隅田川の東岸に土地を与え、「万人塚」を設け、大法要を行ったのが回向院の始まりだそうです。

  • 回向院 力塚の碑<br /><br />昭和11年に相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊の為に建立したもの。<br /><br />相撲は、江戸時代は主として公共社会事業の資金集めのために勧進相撲興行の形態をとっていました。明和5年(1768)に回向院境内で勧進相撲が初めて行われた後、寛政年間から文政年間にいたるまで、勧進相撲興行の中心は回向院とされていたそうです。<br />天保4年(1833)より春秋2回の興行の定場所となり、明治42年に旧両国国技館が完成するまで「回向院相撲の時代」が続いたそうです。

    回向院 力塚の碑

    昭和11年に相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊の為に建立したもの。

    相撲は、江戸時代は主として公共社会事業の資金集めのために勧進相撲興行の形態をとっていました。明和5年(1768)に回向院境内で勧進相撲が初めて行われた後、寛政年間から文政年間にいたるまで、勧進相撲興行の中心は回向院とされていたそうです。
    天保4年(1833)より春秋2回の興行の定場所となり、明治42年に旧両国国技館が完成するまで「回向院相撲の時代」が続いたそうです。

  • 回向院 万霊供養塚の上に立つ聖観音菩薩像(平成14年安置)<br /><br />新しい風をイメージしたものだそうです。

    回向院 万霊供養塚の上に立つ聖観音菩薩像(平成14年安置)

    新しい風をイメージしたものだそうです。

  • 回向院 塩地蔵<br /><br />願い事が成就すると塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれるそうです。<br /><br />腐食がひどく年代などは不詳ですが古いもので、江戸東方四十八ヶ所地蔵尊参りの四十二番目だそうです。<br />

    回向院 塩地蔵

    願い事が成就すると塩を供えたことから「塩地蔵」と呼ばれるそうです。

    腐食がひどく年代などは不詳ですが古いもので、江戸東方四十八ヶ所地蔵尊参りの四十二番目だそうです。

  • 回向院 鼠小僧次郎吉の墓<br /><br />時代劇で義賊として活躍する鼠小僧の信仰は江戸時代より盛んで、長年捕まらなかった運にあやかろうと、墓石を削りお守りに持つ風習があるそうです。<br /><br />白っぽい石は、削られて小さくなっています。<br />この日も、千葉から来られたというご婦人が、石を削っていました。<br /><br />

    回向院 鼠小僧次郎吉の墓

    時代劇で義賊として活躍する鼠小僧の信仰は江戸時代より盛んで、長年捕まらなかった運にあやかろうと、墓石を削りお守りに持つ風習があるそうです。

    白っぽい石は、削られて小さくなっています。
    この日も、千葉から来られたというご婦人が、石を削っていました。

  • 回向院 猫の恩返しの解説<br /><br />猫を可愛がっていた魚屋が病気で商売ができなくなり、生活が困窮してします。<br />すると猫がどこからともなく二両のお金をくわえてきて、魚屋を助けます。<br />ある日、猫は姿を消して戻って来ません。ある商家で二両をくわえて逃げようとしたところを発見され、奉公人に殴り殺されたのです。それを知った魚屋は、商家の主人に事情を話したところ、主人も猫の恩に感銘を受け、魚屋とともに猫を回向院に葬りました。<br />江戸時代の本に紹介されている話で、江戸っ子の間に広まった昔話です。<br />

    回向院 猫の恩返しの解説

    猫を可愛がっていた魚屋が病気で商売ができなくなり、生活が困窮してします。
    すると猫がどこからともなく二両のお金をくわえてきて、魚屋を助けます。
    ある日、猫は姿を消して戻って来ません。ある商家で二両をくわえて逃げようとしたところを発見され、奉公人に殴り殺されたのです。それを知った魚屋は、商家の主人に事情を話したところ、主人も猫の恩に感銘を受け、魚屋とともに猫を回向院に葬りました。
    江戸時代の本に紹介されている話で、江戸っ子の間に広まった昔話です。

  • 回向院 猫塚 文化13年(1816)<br /><br />猫の報恩伝説で知られる「猫塚」、実在した猫の墓だそうです。

    回向院 猫塚 文化13年(1816)

    猫の報恩伝説で知られる「猫塚」、実在した猫の墓だそうです。

  • 回向院 馬頭観音堂<br /><br />回向院の境内には、「猫塚」のほかにもさまざまな動物の慰霊碑、供養碑があります。<br />馬頭観音は、将軍家綱の愛馬が死亡し、その骸を回向院に葬ることになり、その供養をする為、回向院二世信誉貞存上人が馬頭堂を建て自らが鑿をとって刻した馬頭観世音菩薩像を安置したそうです。

    回向院 馬頭観音堂

    回向院の境内には、「猫塚」のほかにもさまざまな動物の慰霊碑、供養碑があります。
    馬頭観音は、将軍家綱の愛馬が死亡し、その骸を回向院に葬ることになり、その供養をする為、回向院二世信誉貞存上人が馬頭堂を建て自らが鑿をとって刻した馬頭観世音菩薩像を安置したそうです。

  • 回向院 暑さにのびる猫 13:15頃<br /><br />よくわかりませんが有名な猫のようです。<br />近づいても、全く無視されました。

    回向院 暑さにのびる猫 13:15頃

    よくわかりませんが有名な猫のようです。
    近づいても、全く無視されました。

  • 芥川龍之介生育の地碑(墨田区両国3−21−4)<br /><br />京葉道路(国道14号)に面したところに立っています。<br />芥川は、明治25年に東京市京橋区入船町で生まれ、辰の年、辰の日、辰の刻に生まれたことから龍之介と名付けられ、生後7か月の時に、母が病気となり、本所区小泉町に住む母の長兄芥川道章に引き取られ、13歳で芥川の養子になったそうです。

    芥川龍之介生育の地碑(墨田区両国3−21−4)

    京葉道路(国道14号)に面したところに立っています。
    芥川は、明治25年に東京市京橋区入船町で生まれ、辰の年、辰の日、辰の刻に生まれたことから龍之介と名付けられ、生後7か月の時に、母が病気となり、本所区小泉町に住む母の長兄芥川道章に引き取られ、13歳で芥川の養子になったそうです。

  • JR両国駅 西口

    JR両国駅 西口

  • 両国国技館(墨田区横網1−3−28)<br /><br />両国駅西口のすぐ横に両国国技館があります。<br />また、少し歩くと江戸東京博物館があります。

    両国国技館(墨田区横網1−3−28)

    両国駅西口のすぐ横に両国国技館があります。
    また、少し歩くと江戸東京博物館があります。

  • 両国国技館<br /><br />1984年に竣工した大相撲興行施設。<br />地上2階、地下1階で、地下には焼き鳥工場があり、大相撲のお土産用の焼き鳥を調理・製造しているそうです。<br />焼き鳥は、材料である鶏が「二本足で立ち、手を着かない」ことから、相撲界で縁起物とされているとのこと。(Wikipediaより)

    両国国技館

    1984年に竣工した大相撲興行施設。
    地上2階、地下1階で、地下には焼き鳥工場があり、大相撲のお土産用の焼き鳥を調理・製造しているそうです。
    焼き鳥は、材料である鶏が「二本足で立ち、手を着かない」ことから、相撲界で縁起物とされているとのこと。(Wikipediaより)

  • 両国国技館<br /><br />相撲博物館(写真の右側)は、本場所やイベントがない日には無料で観られます。<br />また、相撲診療所は一般の患者も受け付けています。

    両国国技館

    相撲博物館(写真の右側)は、本場所やイベントがない日には無料で観られます。
    また、相撲診療所は一般の患者も受け付けています。

  • 旧安田庭園(墨田区横網1−12−1)<br /><br />両国国技館の北側にあります。<br /><br />

    旧安田庭園(墨田区横網1−12−1)

    両国国技館の北側にあります。

  • 旧安田庭園の入り口<br /><br />元禄4年(1701)、後の常陸国笠間藩5万石の藩主・本庄因幡守宗資が下屋敷として拝領し、この庭園は宗資が築造したと伝えられる。<br />

    旧安田庭園の入り口

    元禄4年(1701)、後の常陸国笠間藩5万石の藩主・本庄因幡守宗資が下屋敷として拝領し、この庭園は宗資が築造したと伝えられる。

  • 旧安田庭園<br /><br />入口を入ると正面にスカイツリーが見えます。<br />(写真ではコントラストが強く、はっきり見えません)

    旧安田庭園

    入口を入ると正面にスカイツリーが見えます。
    (写真ではコントラストが強く、はっきり見えません)

  • 旧安田庭園<br /><br />心字池の向こうは両国公会堂とスカイツリーが見えます。<br /><br />「心」字をかたどり、隅田川の水を引き入れた池を配し、潮の干満によって変化する景観を楽しむ潮入り池泉回遊式庭園。<br />明治維新後は、旧備前岡山藩主池田章政邸となり、明治24年(1891)に安田財閥の創始者・安田善次郎氏の所有となりました。<br />安田氏の没後、大正11年東京市に寄附され、関東大震災で壊滅的な被害を受けたが、残った地割り石組みを基にして復元工事を行い、旧安田庭園と命名。<br />昭和42年、東京都から墨田区に移管されたのを機に、全面的改修を行い、昭和46年に名園と言われた時の姿に復元。平成8年に東京都の名勝に指定されています。(解説より)

    旧安田庭園

    心字池の向こうは両国公会堂とスカイツリーが見えます。

    「心」字をかたどり、隅田川の水を引き入れた池を配し、潮の干満によって変化する景観を楽しむ潮入り池泉回遊式庭園。
    明治維新後は、旧備前岡山藩主池田章政邸となり、明治24年(1891)に安田財閥の創始者・安田善次郎氏の所有となりました。
    安田氏の没後、大正11年東京市に寄附され、関東大震災で壊滅的な被害を受けたが、残った地割り石組みを基にして復元工事を行い、旧安田庭園と命名。
    昭和42年、東京都から墨田区に移管されたのを機に、全面的改修を行い、昭和46年に名園と言われた時の姿に復元。平成8年に東京都の名勝に指定されています。(解説より)

  • 旧安田庭園の心字池<br /><br />現在は、水門は閉じられていて隅田川の水は取り込んでいないそうです。

    旧安田庭園の心字池

    現在は、水門は閉じられていて隅田川の水は取り込んでいないそうです。

  • 都立横網町公園<br /><br />旧安田庭園の北東側の出入り口の目の前にあります。<br />(余談ですが、巨人の阿部捕手(中大卒)が学んだ安田学園高校は、この公園の隣にあります。)

    都立横網町公園

    旧安田庭園の北東側の出入り口の目の前にあります。
    (余談ですが、巨人の阿部捕手(中大卒)が学んだ安田学園高校は、この公園の隣にあります。)

  • 都立横網町公園にある東京都慰霊堂(裏側から)<br /><br />大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災による遭難者(約5万8千人)の遺骨を納めるための霊堂として、東京市内で最も被害の大きかった被服廠跡(現在東京都横網町公園)に昭和5年に建てられました。<br />慰霊堂の設計は、築地本願寺や湯島聖堂を手がけた伊東忠太氏によるもの。<br /><br />当初は「震災記念堂」と名付けられましたが、昭和20年3月10日の東京大空襲などによる犠牲者(約10万5千人)の遺骨も併せてこの霊堂に奉安し、昭和26年9月に名称を「東京都慰霊堂」と改め、現在約16万3千の遺骨が安置されています。(HP参照)<br />

    都立横網町公園にある東京都慰霊堂(裏側から)

    大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災による遭難者(約5万8千人)の遺骨を納めるための霊堂として、東京市内で最も被害の大きかった被服廠跡(現在東京都横網町公園)に昭和5年に建てられました。
    慰霊堂の設計は、築地本願寺や湯島聖堂を手がけた伊東忠太氏によるもの。

    当初は「震災記念堂」と名付けられましたが、昭和20年3月10日の東京大空襲などによる犠牲者(約10万5千人)の遺骨も併せてこの霊堂に奉安し、昭和26年9月に名称を「東京都慰霊堂」と改め、現在約16万3千の遺骨が安置されています。(HP参照)

  • 都立横網町公園の花壇

    都立横網町公園の花壇

  • 都立横網町公園から望むスカイツリー<br /><br />申し訳ありませんが、これまで横網町公園の存在すら知りませんでした。

    都立横網町公園から望むスカイツリー

    申し訳ありませんが、これまで横網町公園の存在すら知りませんでした。

  • 都立横網町公園 東(清澄通り)側の門から失礼しました。 14:20頃<br /><br />両国国技館までは、よく知られていると思いますが、その直ぐ北側に新たな発見の場がありました。<br /><br />平和であることに感謝して。<br /><br />(おしまい)<br />

    都立横網町公園 東(清澄通り)側の門から失礼しました。 14:20頃

    両国国技館までは、よく知られていると思いますが、その直ぐ北側に新たな発見の場がありました。

    平和であることに感謝して。

    (おしまい)

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この旅行記へのコメント (14)

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  • Ritaさん 2013/08/13 21:12:28
    お疲れ様でした!
    morino296さん、こんばんは♪
    今日も暑かったですね。
    高知では連日の40度超えだから、30度台の東京はまだマシかと思ってしまいます。

    両国と聞くと相撲好きの血が騒ぎます(笑)
    でも実際にじっくりと散策したことはなく…。
    相撲部屋も今はマンションなんだなぁと少しガッカリしたり。
    (いや、お家事情なのでいいんですけど風情を感じたいんですよ〜)

    浅草橋付近も歩いてみると趣があっていいですね。
    お寿司がこんなにあって800円ですって!?
    ランチは狙い目かも。

    私も暑さにのびる猫ちゃん状態です…。
    涼しくなったら両国散策&ちゃんこ鍋行ってみようかな。

    Rita

    morino296

    morino296さん からの返信 2013/08/13 22:09:57
    RE: お疲れ様でした!
    Ritaさん

    こんばんは。
    いつも有難うございます。

    本当に暑いですね。
    体温よりも高くなるのですから大変ですね。
    四万十川の鮎が、昨年の10分の1くらいに減っているとか。

    東京も、道路の照り返しがあって、暑くなりますね。

    両国といえば、お相撲さんですね。
    残念ながら、名古屋場所中で、皆さん出払っていましたが。
    久しぶりに行って、相撲部屋が様変わりしているのに驚きでした。

    浅草橋、割とお馴染みがないのではないでしょうか?
    浅草、日本橋にも直ぐですし、いろいろ見どころもありますので、
    涼しくなったらお出掛けになってみてください。

    早く涼しくなるといいですね。

    morino296
  • 夏への扉さん 2013/08/11 18:19:58
    よく歩きますね!
    morino296さん、こんにちは。

    一つ前の旅行記の7月14日は猛暑で、私は外に出たら危険だと
    家にこもっていたのに・・morino296さん、すごいです!
    16日は、すこしは涼しかったと記憶していますが、それでも良く歩いていらっしゃいますね。

    両国橋なんですが、おそらく7月27日の花火が近いので、
    欄干から川に落っこちないための工事用の壁だと思います。
    7月30日に蔵前橋を通った時、撤去作業していました。
    花火は中止と残念なことになりましたが。

    昨日、「終戦のエンペラー」という映画見てきたんですが、
    東京が焼け野原になっている場面がありました。
    作り物にしても映像で見るとインパクト大きいです。
    東京都慰霊堂・・震災と戦災、2度もこのあたりが焦土と化したなんて
    恐ろしい! 

    ところで、まさか昨日今日の猛暑の中は散歩されていないでしょうね???

    なつ

    morino296

    morino296さん からの返信 2013/08/11 18:58:09
    RE: よく歩きますね!
    夏への扉さん

    こんにちは。
    いつも有難うございます。

    いや〜、本当に暑い日が続きますね。
    流石に、昨日今日は、歩き回っていませんよ(笑)。

    最近は、友人のS君と連れ立って歩くことが多いのですが、
    この日は、単独で歩いていました。

    > 両国橋なんですが、おそらく7月27日の花火が近いので、
    > 欄干から川に落っこちないための工事用の壁だと思います。
    > 7月30日に蔵前橋を通った時、撤去作業していました。

    そういうことですか、納得です。

    > 花火は中止と残念なことになりましたが。

    そうでしたね、S君、言問橋辺りで花火を見ていて、
    ずぶ濡れになったと言っていました。
    雨宿りに入った浅草のおでん屋が美味しかったそうですが。

    > 昨日、「終戦のエンペラー」という映画見てきたんですが、
    > 東京が焼け野原になっている場面がありました。
    > 作り物にしても映像で見るとインパクト大きいです。
    > 東京都慰霊堂・・震災と戦災、2度もこのあたりが焦土と化したなんて
    > 恐ろしい! 

    この暑さの中、映画館に逃げ込むのも妙案ですね。
    東京都慰霊堂、知りませんでしたが、この辺りは大変な状態だったのですね。

    この後も、真夏の散歩シリーズ2編ほどUPするつもりです。

    まだまだ暑い日が続きそうですが、気を付けて下さい。

    morino296
  • CANさん 2013/08/11 08:36:50
    ようこそ!私の地元へ
    morino296さん

    おはようございます。CANです。
    毎日暑い日が続いていますが、ようこそ私の地元へ!
    このあたりは吉良邸跡とか震災記念堂とか結構知られていない見どころが
    多いところなんですよ。グルメも楽しめます。

    金太郎鮨はお鮨を食べたことはないんですが、
    正月のおせち料理は金太郎ですよ!
    金額のわりにとっても凝っていて美味しいんです。

    寺尾のお兄さんがやっているちゃんこやとか、
    おせんべい入りのソフトクリーム屋さんとか
    他にもあるので、また涼しくなったらまたお越しください。

    morino296

    morino296さん からの返信 2013/08/11 10:09:59
    RE: ようこそ!私の地元へ
    CANさん

    こんにちは。
    本当に暑いですね。

    CANさんの地元へお邪魔しました。
    両国を歩いたのは、久々でしたが、いろいろあって楽しめますね。

    随分前に、大相撲を観て、ちゃんこやさんに行ったことがありましたが、
    また行ってみたいです。

    金太郎のおせち料理ですか、良いですね。

    > 寺尾のお兄さんがやっているちゃんこやとか、
    > おせんべい入りのソフトクリーム屋さんとか
    > 他にもあるので、また涼しくなったらまたお越しください。

    また、いろいろ教えてください。

    morino296
  • 川岸 町子さん 2013/08/10 21:40:04
    お江戸
    morino296さん

     さすがお江戸ですね!
     morino296さんの旅行記を拝見していると、歴史や文化、文学を感じるコースが沢山あります。

     一つの旅行記に、討ち入りから、相撲部屋、お寿司、芥川龍之介まで登場(*^^)v
     見ごたえありました〜!!

     最初の緑色の橋は、ドラマに使われる所ですか?

     28℃で、歩きやすかったとのことですが、どうぞお気をつけ下さいませ。
     こちらは今日は、26℃ほどでしょうか?
     申し訳ないようですね・・・。
     でも、ビールがおいしい季節ですo(^▽^)o

                     町子

     

    morino296

    morino296さん からの返信 2013/08/11 10:03:41
    RE: お江戸
    川岸 町子さん

    こんにちは。
    いつも有難うございます。

    東京、知っているつもりでも、結構知らないことが多いです。
    旅行記にUPすることで、いろいろ調べてわかることも多く、
    私自身、勉強になっています。

    >  最初の緑色の橋は、ドラマに使われる所ですか?

    そうかも知れませんね。

    >  28℃で、歩きやすかったとのことですが、どうぞお気をつけ下さいませ。

    有難うございます。
    昨日は、37℃くらいまでいったみたいです。

    >  こちらは今日は、26℃ほどでしょうか?
    >  申し訳ないようですね・・・。
    >  でも、ビールがおいしい季節ですo(^▽^)o

    いいですね!
    ビールも、最高ですね。

    morino296
  • こあひるさん 2013/08/10 17:00:43
    意外〜〜!
    morino296さん、こんにちは〜。

    相撲部屋・・・というイメージとは全く違うんで、びっくり〜〜!

    こんなマンションみたいなビルになってるんですね〜ぇ・・・。部屋にもよるんでしょうが、ここはずいぶん羽振りがいいんですね・・・。

    意外で面白い情報・・・でした〜。

    こあひる

    morino296

    morino296さん からの返信 2013/08/11 09:57:09
    RE: 意外〜〜!
    こあひるさん

    こんにちは。
    いつも有難うございます。

    相撲部屋、立派なビルになっていて驚きました。
    相撲部屋と書かれていなかったら、分かりませんよね。

    morino296
  • ひゅうひゅうさん 2013/08/09 22:22:04
    今度歩いてみます
    morino296さん、こんばんは〜

    この日は猛暑から少し開放された日だったでしょうか?

    毎月、母と叔母の送迎のために浅草橋まで行っています。
    用事が済むまでの数時間、主人とスカイツリーへ行ったり、浅草まで歩いたり。
    この間は暑いので歩くのは辞めましたが、涼しくなったらこのコースを歩いてみようと思いました。
    浅草橋は買い物に来たことはありますが、なかなか歩かないので、参考になりました。

       ひゅうひゅう

    morino296

    morino296さん からの返信 2013/08/09 22:43:00
    RE: 今度歩いてみます
    ひゅうひゅうさん

    こんばんは。
    いつも有難うございます。

    今日も暑い日でしたね。

    浅草橋、よく行かれていらっしゃるのですね。
    結構、安くて美味しいお店も多いようですね。

    両国は、回向院と旧吉良邸くらいしか知りませんでしたが、
    いろいろ史跡もあって楽しめますね。

    この暑さの中、歩き回るのはちょっと無謀ですので、
    涼しくなったら行ってみてください。

    明日は、35℃を超えるとか、気を付けて下さい。

    morino296
  • のーとくんさん 2013/08/09 21:33:47
    おいしそうですね
    morino296さん

    こんばんは。

    お寿司、おいしそうですね。

    量的にも、価格的にも、リーズナブルをこえて、お安く食べれそう。

    こういう、おすし屋さんに、行ってみたいです。

     のーとくん

    morino296

    morino296さん からの返信 2013/08/09 22:38:04
    RE: おいしそうですね
    のーとくんさん

    こんばんは。
    いつも有難うございます。

    今日も暑かったですね。

    浅草橋は寿司屋の激戦地区だそうで、
    ランチはこの値段で十分満足できます。

    大阪の天満の寿司屋通りと似ているかも知れませんね。
    天満でしたら、すぐ行けそうですね。

    morino296

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