2013/02/18 - 2013/02/18
1064位(同エリア1238件中)
滝山氏照さん
流山自動車免許センター近くのバス通りの公園内に前ヶ崎(まえがさきじょう、千葉県流山市前ケ崎)があります。城主は誰だったのか定かではありませんが、戦国時代は松戸の小金城の支城という立場にあったので城主の高城氏の重臣が城代として勤めていたと思われます。
地勢的には城域復元図によりますと公園入口部分が主郭、そして空堀を隔てて二郭、更に空堀を越えて三郭との説明になっていますが実際はかなり状況が変わっており勝手に想像するばかりです。
これら城郭の周囲については説明板では北・東・西を坂川支谷に囲まれており標高16mの細内台地上に城郭が建てられているとのことです。
天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原北条氏討伐には、小金城主の高城氏は小田原方として小田原城に籠城、留守の将兵らは秀吉が派遣した浅野長政軍の攻撃を受け開城、小金城の支城である前ヶ崎城もこれに従ったと思われます。
2023年8月23日追記
現地の縄張り図とともに描かれた説明板には下記の通り記されています。
「 前 ケ 崎 城 跡
前ケ崎城は16世紀中葉から1590(天正18)年頃まで、松戸市小金城を本拠とする高城氏の支城として機能していたと考えられます。
西・北・東側の三方を坂川とその支谷に囲まれた、標高16mの細長い台地上に立地し、水田面とは11mの比高があります。現在地から南160mと350mの二箇所に、かつて堀切が存在したといわれており、このことから3つの郭を直線状に配置した城と想定されます。付近には刑部郭・追手橋・馬場といった地名も伝承されていますが、城の施設と直接関連するかは不明です。
公園として整備した範囲は城の中心となる主郭の部分で、西側は過去の道路建設によって失われていますが、東・南側には高さ3m~4mの土塁が、東側に一部と南側には深さ約3mの空堀が見られます。また、南サブエントランスは以前から土塁が途切れており、この部分を郭の出入口である虎口に、その西側の最も高い土塁を櫓跡とする考えもありますが、郭の構造や建物配置は明らかになっていません。
平 成 9 年 3 月
流 山 市
流 山 教 育 委 員 会 」
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
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