2010/12/01 - 2010/12/07
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1983年の秋に、夫は社用(?)で16日間の米国東海岸ツアーに行ったことがありますが、この時は<ニューヨーク ⇒ アトランタ ⇒ ボストン ⇒ ハートフォード>という行程でした。
私もアメリカに行くなら、最初は絶対ニューヨークと、高校生のころから決めていました。
『George Washington was the first president of the United States of America. He was born 1732 in Virginia・・・』
これは、英語の教科書で覚えた、私の好きなフレーズです。
どうせ行くなら12月のクリスマスの時期が良いと思って、2010年12月の上旬に、夫婦で行って来ました。
予想通り、どの街もクリスマスモードに入っており、ニューヨーク以外は観光客も少なくて、ゆったりとアメリカの歴史や文化に触れることが出来ました。
新興国と違い、街の印象は27年前と大きく変わってないようでした。
ただ、ニューヨークは9.11の後遺症がまだあり、複雑な気持ちになりました。
また今年の4月15日には、ボストンマラソンで爆破事件もありました。
でも、アメリカはアメリカ、エキサイティングな国・・・街並みも美術館も素晴らしい!
まだの方は、ニューヨークなどアメリカの東海岸にお出かけ下さい。
写真は、ワシントンの「リンカーン記念館」にあるリンカーンの大理石像。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
楽しみにしていたアメリカ旅行なのに、今回は2~3日前から体調が悪く、キャンセルしようかと悩んでいました。
夫は「行けば気分も変わって元気になるさ」と、全く気にしていません。
腹痛がひどく、旅行の用意をするのも辛かったのです。
行きたい気持ちと、もっとひどくなったらどうしようか、という気持ちの両方を引きずりながら成田に向かいました。
出国審査も手荷物検査も全て終え、最終搭乗案内を待っていました。
「パパ、やっぱり、おなか痛いわ。行くの止めるから、一人で行ってきて。」 「何、言ってんだ。行くぞ」・・・さっさと搭乗口の方へ行ってしまいました。
もう、こうなったら覚悟決めるしかありません、夫について飛行機に乗り込みました。
万一の時は、乗客の中に一人ぐらいお医者様がいるだろうと開き直り、成田発11時10分のANA直行便でワシントンへ。
不思議なことに、この後の旅行中、全く腹痛は起こりませんでした。
機内食はカルビ丼とイタリアンのチョイス・・・万一のこと(腹痛)を考え、ビールもワインも飲みませんでした・・・残念! -
12時間半のフライトで、やっと東海岸へ・・・やっぱり、アメリカは遠かった!
-
アメリカの首都・ワシントンD.C.のダレス国際空港へ到着。
アメリカへの第一歩は小雨模様・・・気温も4℃と、結構、寒い! -
このレストランで昼食・・・地元のお客さんが沢山入っている店でした。
皆、大きなハンバーグを頬張っています。
「すごーい!!」・・・アメリカの第一印象は、大きなハンバーグを食べる大きな人達です。
コーヒーもマグカップ・・・ヨーロッパのような、品の良いコーヒーカップなど、この後も出てきませんでした。 -
私達にも、いきなり、アメリカンサイズのクラブサンドが・・・「ウワーッ!! 大き過ぎ!」・・・当然、私は半分しか食べられませんでした。
メンバーの中にはテイクアウトしている人もいましたが、どうせ食べないだろうと、そのままにして席を立ちました。 -
ワシントンの観光スタート。
これは「海兵隊戦争記念碑」・・・激戦の末、占領した硫黄島に、兵士たちが星条旗を押し立てているモニュメントです。 -
ポトマック川を渡って、ワシントンD.C.の中心部に位置する国立公園「ナショナル・モール」へ・・・ここにはスミソニアン博物館や美術館などがあり、庭園と緑地が広がるワシントン一番の観光地。
国会議事堂からポトマック河畔にあるリンカーン記念堂まで、西にまっすぐ伸びる全長が約4kmの、美しい大きな公園が続きます。 -
ナショナル・モールの中心にそびえ立つ「ワシントン記念塔」・・・1776年の独立戦争時に、アメリカ大陸軍を率いてイギリス軍との戦いを勝利へと導いた合衆国初代大統領、ジョージ・ワシントンの名誉ある功績を称えて建造されました。
記念塔が着工されたのは1848年でしたが、完成したのは1884年です。
1889年にフランスのパリにエッフェル塔が完成するまで、169メートルという世界で最も高い建築物でした。
手前は、南北戦争で北軍を勝利に導いたグラント将軍の像。 -
塔の周りは星条旗で囲まれています。
手前の木は、ポトマック河畔に植えられている桜の木・・・1912年に東京市長であった尾崎行雄からワシントンに贈られました。
満開の桜を見てみたいものです。 -
ナショナル・モールの東端にある「国会議事堂(連邦議会議事堂)」。
高さ88m、直径29mの巨大なドームが特徴的で、アメリカ合衆国議会の議事堂としては正確には4代目です。
現在、メリーランド州アナポリスの州議会議事堂として使用されている建物が最初の議事堂(1783~84)で、二代目はニューヨークのフェデラル・ホール、三代目として、1790~1800年はフィラデルフィアの独立記念館が使用されました。
左側が上院、右側が下院で議員数は上・下院合わせて535人。 -
1866年に完成したドームの上には、「フリーダム」と名づけられた、高さ6mもあるブロンズの巨大な「自由の女神像」があります。
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ワシントン記念塔と国会議事堂。
ワシントン記念塔は無料で内部に入れ、エレベーターでオベリスクの先まで登って市街を見渡すことが出来る人気のスポットです。 -
ナショナルモールから見たワシントンの街並み。
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「ゼロマイル ストーン」・・・ホワイトハウスの南側に置かれた道路標識。
アメリカ全土の道路の起点として建てられましたが、現在ではワシントン地区のみの道標になっています。 -
「ホワイトハウス」は、アメリカ合衆国大統領が居住し、執務を行う官公邸・・・部屋数は132、地上3階・地下1階で延床面積は5100平方m 、竣工は1800年です。
建物の中央(エグゼクティヴ・レジデンス)は、大統領とその家族が2階で暮らす公邸であるほか、要人との会談や、条約や重要法案の調印式、重要な記者会見、晩餐会やレセプション、その他の公的な行事が行われる場所でもあります。
オバマ大統領夫人がこの公邸の裏庭で家庭菜園をやっているとガイドさんが教えてくれました。
これは、南側(裏)から見たレジデンス。 -
ホワイトハウスの広場にある、大きなクリスマスツリー。
近いうちにオバマ大統領が点灯式を行うことになっているそうです。 -
広場で見かけたリス。
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ホワイトハウスから南に進んで、ポトマック河畔にある「トーマス・ジェファーソン記念館」へ・・・これは、第3代大統領・トーマス・ジェファーソン(1743~1826)の生誕200年を記念して、1943年に建てられた記念館で、ジェファーソンは「アメリカ合衆国建国の父の一人」と称され、アメリカ独立宣言を起草した人物です。
内部中央に立つジェファーソン像は、58mのブロンズ製。 -
ナショナル・モールの一番西に位置するのが、第16代大統領 エイブラハム・リンカーン の偉業を讃えるために建てられた「リンカーン記念堂」。
1922年に完成した神殿のようなデザインで、巨大な建物を支える柱の高さは10mもあります。
また記念堂から下に伸びる階段は 56段・・・これは、リンカーンが亡くなった年齢を表しているそう。 -
36本の大理石の円柱で支えられたギリシャ神殿風の建物・・・36という数字は、リンカーンが暗殺された1865年当時、合衆国に加盟していた州の数を表しています。
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高さが5.8mのリンカーン像は28個の大理石で作られ、左手は握られており、右手は開いています。
これは、この像の作者であるフレンチには、耳に障害を抱えていた娘がおり、アメリカ手話で大統領のイニシャルを表す「A」(左手)と「L」(右手)の文字を表したのではないか、と言われています。 -
壁には、ゲティスバーグの演説 ” the government of the people by the people for the people ” (人民の人民による人民のための政治)などの言葉が刻まれています。
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「リフレクティング・プール」・・・リンカーン記念堂からワシントン記念塔に向かって伸びる、長さ618mの長方形の池です。
“ Reflecting=反射 ” という名の通り、風が穏やかな日は、ワシントン記念塔やリンカーン記念堂が綺麗に映えるそうです。 -
リフレクティング・プールの少し北側にある「ベトナム戦争戦没者慰霊碑」。
ベトナム戦争で犠牲になった5万8261人の名前が刻まれた長さ151mの碑には、故人を偲んで常に花や飲み物が供えられ、訪れる人が後を絶ちません。 -
石碑の近くにある「3人の兵士像」・・・疲れた虚ろな表情が、ベトナム戦争の空しさを象徴しています。
星条旗と晩秋の紅葉が、霊を慰めているようでした。 -
ポトマック川を渡って「アーリントン国立墓地」へ・・・南北戦争(1861~1865)の戦没者のための墓地として、1864年に南軍のロバート・E・リー将軍の住居周辺の土地に築かれたこの墓地は、広さが250万平方mもあります。
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ここには第一次・第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争等の戦没者が祀られ、現在でも戦没者やテロ犠牲者など、アメリカのために尽くしたアメリカ建国以来の30万以上の人がここに埋葬されています。
これは、朝鮮戦争で亡くなった無名戦士の墓。 -
1963年に遊説中のダラスで46歳の若さで暗殺された、第35代大統領ジョン・F・ケネディの墓・・・アーリントン国立墓地墓地のほぼ中央にあります。
質素な墓石の後方には、永遠の炎が燃え続け、右にはジャクリーン夫人、左には弟のロバート・ケネディが眠っています。
ケネディの死後、常に暗殺の影におびえるようになったジャクリーンは、オナシスと再婚しましたが、彼の死後、1994年にニューヨークで静かに死を迎えました。
再婚した夫人ですが、ここに眠ることは約束されていたとか・・・再婚にも、裏に深い意味があったということです。 -
永遠の炎の先の丘の上にある「アーリントンハウス」・・・南北戦争で南軍の総司令官だったリー将軍の住居を復元しています。
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ケネディの墓の前にある石碑には、1961年1月20日の就任演説で語った『祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません、あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい』などの言葉が刻まれています。
” And so my fellow Americans
Ask not what your country can do for you
Ask what you can do for your country
My fellow citizens of the world
Also not what America will do for you
But what together we can do for the freedom of man ” -
広い墓地の中に、ムクドリのように群れを成している鳥。
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墓地の紅葉の先に「ワシントン記念塔が」見えます。
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墓地の近くを走るバスには、オバマ大統領の絵が・・・
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リンカーン記念堂を見ながらフィラデルフィアへ移動。
ペンシルバニア州で最大の都市・フィラデルフィアは、ワシントン D.C.とニューヨークの中間という便利なロケーションです。 -
フィラデルフィアに到着し、このレストランで夕食。
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前菜はアメリカ東海岸名物のクラブケーキ、メインは本場アメリカのフィレ肉のステーキです。
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今日は、レストラン中央のホールでダンスのレッスン日。
食事の終わった夫に、「パパ、ほら踊っていらっしゃいよ?」
” ここは、こういうターンで踊ってネ ” ・・・親切に教えてもらって、楽しかったでしょ? -
今日のホテルは、フィラデルフィアの「ベスト・ウェスタン・センターシティ・ホテル」です。(写真は翌朝撮ったもの)
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327号室からは、フィラデルフィアの中心街が見えました。
手前の超高層ビルは、CATVなどを手掛けるコムキャスト・センター(57階建、高さ:297m)、その奥の2棟は「リバティ・プレイス」(63階建、高さ:288m)。 -
夜中にお手洗いに起きましたが、しばらくすると、何だか「ジーン」という、低い音が聞こえるのです。
お隣のお部屋の人の水を流す音かな?と、しばらく聞いていましたが、どうも違う・・・私がしっかり水を止めなかったかなと、バスルームにも行ってみました。
音はどうも廊下から聞こえているようです・・・ドアを開けると、何と非常ベルでした。
廊下にいた黒人のお客さんが「火事だよ?! 逃げろー!」・・・慌てて夫を起こしましたが、起きそうにありません。
「パスポートと靴だけは」と頭の中がぐるぐる動きます・・・「そうだ、寒いから、上着も靴下も」・・・その間も夫を起こしますが、起きません。
添乗員さんが「逃げてくださーい!」と廊下を走っています。
「パパ知らないよ! 置いて行くからねー」・・・寝ぼけ眼の夫も、やっと起きてついて来ました。 -
廊下に出ても、エレベータには乗れない、非常口は分からない、どこから下に降りれば良いのか困りました。
先ほどの黒人のお兄さんが、「こっちこっち」と階段を教えてくれ、一緒にロビーに走りました。
ロビーには、パジャマのままの人や、スリッパのまま寒そうにしている若い女の子等、不安そうな顔で集まっていました。
消防隊が来ましたが、手には大きな斧などを持ち、みんなプロレスラーのように体が大きく、すごく頼もしく見えました。
このような人たちがあの9.11の時も活躍したんだろうな、と妙に感心して見ていました。
すべて点検しましたが、火元はわからず、結局、非常ベルの誤作動ということで、一件落着・・・思わぬ避難訓練を経験しました。
今回のツアーは、成田の腹痛の件といい、この火事騒ぎといい、これからの行程が楽しみ(?)です。 -
2日目の朝。
ホテルの前の水溜りには、氷が張っていました。 -
フィラデルフィアは、152万人(全米5位)の大都市です。
先ずは、映画「ロッキー」で有名になった「フィラデルフィア美術館」からスタート。
美術館の中には入りませんでしたが、立派な建物です。 -
1976年の名作映画「ロッキー」で、シルベスター・スタローン演じるロッキーが美術館の階段を駆け上がり、拳をあげてフィラデルフィアの街を見下ろすシーンがありました。
上の写真が、その「ロッキーの足跡」・・・ロッキーの真似をして、階段を駆け下りている人がおり、私も『女ロッキー』になり、駆け下りました。 -
ロッキーの像もありました。
映画のイメージとは少し違う感じがしました。 -
美術館の前の広場にあるワシントンの像。
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1682年に、イギリスから渡来したウィリアム・ペンがこの地に居住区を建設したのがフィラデルフィアの起源・・・18世紀に入り、フィラデルフィアは交易の要地として発展してボストンを上回る北米最大の都市となり、イギリスの領土内でもロンドンに次ぐ第二位の都市でした。
このため独立戦争(1775~1783)の頃はアメリカの中心都市として独立宣言の起草などが行われ、古い街並みも残っています。 -
モナコ王妃になったグレース・ケリーが通った教会。
1929年にフィラデルフィアの裕福な家に生まれた彼女は、ハリウッド女優になってカデミー主演女優賞を受賞するなどトップ・スターになりましたが、1956年にモナコ大公レーニエ3世と結婚し、1982年に自動車事故で死亡(52歳)。 -
市街の中心にあるルネッサンス風の市庁舎。
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1901年に建てられた「市庁舎タワー」は、石造りの塔としては全米で最も高い166m・・・展望台からの眺望は素晴らしいそうです。
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尖塔の頂上に佇むのは、仲間達と共にイングランド植民地時代にペンシルバニア州を整備し、首都としてフィラデルフィアの町を設立したウイリアム・ペン。
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次は「インディペンデンス国立歴史公園」の見学です。
ここは『合衆国誕生の地』として、「独立記念館」や「リバティ・ベル・センター」など重要な史跡がまとまっており、アメリカ人にとっては、まさに聖地的な存在。 -
「独立記念館」・・・1776年7月4日に、イギリス植民地下にあった13州の代表者がこの建物の広間に集り、トーマス・ジェファーソンが起草したアメリカ独立宣言に署名し、この時以来、独立記念館と呼ばれるようになりました。
1787年には、アメリカ合衆国憲法が制定された場所でもあり、まさに合衆国誕生の場所です。 -
丁度、改修工事中でした。(上の写真は、看板を撮ったもの)
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小学生の社会科見学は、当時の服装をした人が案内。
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第3代の国会議事堂を見学・・・ここが入口です。
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1階の下院。
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2階の上院。
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上院の部屋の前には、アメリカの独立を支援したフランスのルイ16世と・・・
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マリー・アントワネットの絵を飾った部屋があります。
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フランスはイギリスなどとの戦いに負け、1763年のパリ条約でカナダだけでなくアメリカの植民地も手放すことになり、世界の覇権はイギリスが握ります。
そこで彼女は、アメリカ独立戦争の際に、かなりの寄付をアメリカにしたそうです・・・アメリカがイギリスから独立すれば、仇敵・イギリスの弱体化につながる、との思いもあったようですが、その通りにはなりませんでした。 -
歴史地区を回る観光馬車。
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リバティ・ベル・センターの前の広場で、鳥が木の実を食べていました。
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リバティ・ベル・センターにある、アメリカの自由の象徴である「リバティ・ベル」・・・1753年3月、ロンドンで鋳造された最初の鐘は、広場に吊り下げられ、鳴らされた途端にひびが入りました。
アメリカ人によって造られた3番目となるこの鐘は、1753年に議事堂(現、独立記念館)の尖塔に掛けられ、1846年2月22日、ジョージ・ワシントンの誕生日を祝って鳴らされた際、鐘の冠の部分まで亀裂が広がってしまい、使用不能になりました。
1852年、鐘はそれまで吊り下げられていた尖塔から移動され、独立記念館内の「独立宣言室」(現、リバティ・ベル・センター)に展示されました。 -
次は、「エルフレス小径」・・・1713~1836年に建設されたアメリカ最古の住宅街(約30軒)。
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鉢植えの花が飾られ、可愛らしい家が立ち並び、石畳の小径が続きます。
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可愛いクリスマスの飾り・・・
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300年前の古い建物でも、1軒5千万円程するそうです。
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街の入り口の近くには、プレスリーやチャップリンなどの人形が・・・
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フィラデルフィアの中心街に戻り、昨夜、ホテルの部屋から見えた超高層ビル「リバティ・プレイス」(写真:奥のガラスビル)で昼食。
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カフェテリアで自由昼食。
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昼食後はショッピング。
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フィラデルフィアのデラウェア川にかかる「ベンジャミン・フランクリン橋」を通り、これからボストンまで約6時間のロングドライブ。
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デラウェア川に停泊中の軍艦・・・デラウェア川には、アメリカ独立戦争にまつわる歴史があります。
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この絵は、ニューヨーク・メトロポリタン美術館に収蔵されている『デラウェア川を渡るワシントン』・・・アメリカ独立戦争中の1776年12月25日に、ジョージ・ワシントンがアメリカ大陸軍を率いてデラウェア川を渡っている情景です。
この渡河によって、それまで劣勢だった大陸軍はニュージャージーの「トレントンの戦い」で、ドイツ人傭兵が中心の英軍を急襲して勝利し、独立に弾みを付けました。 -
途中、マンハッタン島の左側を通過・・・24倍ズームのカメラのおかげで、エンパイアもよく撮れました。
ニューヨークに行ったら、あそこに登りたい!! (私は、おのぼりさんです。) -
21時頃、やっとボストンに到着し、ホテルで遅い夕食。
ボストン名物のクラムチャウダーと・・・ -
ボストンの地ビールと・・・魚料理も美味しかった!!
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3日目はボストン観光。
宿泊した「クラウン・プラザ・ホテル」の下は、何と、道路です。 -
1004号室から見たボストンの住宅街・・・初冬のニューイングランド地方は、味のある風景が沢山見れます。
人口が62万(全米22位)のボストンは、京都と姉妹都市です。 -
最初に、チャールズ川を渡り、ハーバード大学へ。
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1636年に創立されたハーバード大学は米国最古の高等教育機関であり、世界を幅広い分野でリードしています。
現在に至るまで、オバマ大統領を含め8人のアメリカ合衆国大統領や、ケンブリッジ・MITに次ぐ75人のノーベル賞受賞者(内卒業生が55人)を輩出しています。
これは、キャンパスで見かけたリス。 -
「ハーバード大学記念教会」・・・キャンパスに最初の教会が建てられたのは1744年で、その後、狭隘化のため数回建て替えられ、この教会は1932年に建てられました。
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教会内部の壁には、第一次・第二次世界大戦や朝鮮戦争、ヴェトナム戦争で戦死したハーバード出身者を悼む記念碑が設置されています。
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「ワイドナー記念図書館」・・・1530万冊の蔵書を持ち、大学図書館として世界最大級の規模を誇っています。
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丁寧な説明のガイドさん。
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「メモリアルホール」・・・南北戦争の戦死者を祈念して作られたゴシック風建築で、1年生用の食堂もあります。
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建物の中には、卒業生が贈った見事なティファニーのステンドが・・・
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本当に素晴らしいステンドグラスです。
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教会ではなく、大学の食堂にこんなステンドグラスがあるなんて、驚きです。
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こちらのステンドやシャンデリアも見事!
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勉強に励む1年生。
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ステンドグラスが趣味の私にとって、メモリアルホールのティファニーは、今回のツアーの一つの楽しみでした。
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あのケネディも住んでいた寄宿舎。
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「ジョン・ハーバード像」・・・ハーバードの学校名は、1638年に死去した際に、遺言で蔵書と所有不動産の半分をカレッジに遺贈した、最初の寄付者で清教徒派の牧師ジョン・ハーバードに由来します。
しかし、ユニバシティーホールの前にあるこの像は「3つの嘘の像」と呼ばれています。
①銘版には、「John Harvard Founder 1638」と書かれていますが、ジョン・ハーバードは、ハーバード大学創設者ではなく、寄贈者です。
②ハーバードカレッジの創設は、1638年ではなく1636年。
③モデルが、1884年作製当時の学生。
但し、像の足先に触れると幸運が訪れるそうです。 -
広々としたキャンパスです。
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これは、ハーバードで1番古い建物。
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正門から外に出ます。
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ジョンストン・ゲイト(ハーバードの正門)にあるレリーフ。
” VERI TAS = 真実を知る ” -
「ハーバード大学生協」・・・ここも楽しみにしていた場所です。
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書籍とハーバードグッズを扱う店があります。
以前、夫がここを訪れた際、お土産に大学のロゴ入りのトレーナーを買ってきてくれたことを思い出します。 -
大学名入りのボールペンがないかなと探しましたが、見つかりません。
うろうろしていたら、「ボールペン、あそこにありますよ!」
日本語が聞こえました。
「えっ!あなた、ここの学生さん?」「いえ、僕は東大です」「あらっ、日本のために頑張ってね」・・・何だか意味のないことを口走ってしまいました。 -
生協を出て、バスが停まっているところまで歩きます。
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12月なので、クリスマスグッズの店も沢山ありました。
可愛いな~!・・・孫たちに買ってってあげたいな~ -
街を歩いていると、デモ隊と警察官に出会いました。
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” ゲイにも参政権を!! ” ・・・意味も分からず一緒に写真を撮り、気炎をあげてしまいました(汗)。
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ユニークなMIT(マサチューセッツ工科大学)の建物・・・ハーバード出身のビル・ゲイツが寄付したそうです。
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これも、MIT。
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約10,000人の富裕層が居住しているボストンの高級住宅地「ビーコン・ヒル」へ来ました。
ボストンは1630年にイギリスの清教徒によって開拓された所なので、イギリスの面影が多数残っていますが、1800年代半ば頃にイギリスから来た上流階級の人達が住宅を建て始めたビーコンヒルは、特にイギリスを感じる地区です。 -
レンガ造りの歩道と建物、石畳、街路樹・・・
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そして、365日・24時間、消えないガス灯。
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これは「若草物語」を書いたオルコットが住んでいた家。
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綺麗なフラワーボックス・・・おしゃれですね~
イギリス人は植物を愛する人が多いというのは有名な話ですが、植物好きの住民は玄関先や窓辺の花壇、中庭を持つお宅は手入れの行き届いた植物の数々を、思い思いに育てています。 -
家の玄関先にある『靴の泥落とし』。
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ビーコンヒルは、すべてが絵になる美しい街でした。
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セブンイレブンもビーコンヒルの雰囲気に合わせてレンガ造り。
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「マサチューセッツ州会議事堂」・・・ビーコンヒルの丘の頂上に建てられ、1798年に完成した、周辺で最も古い建物です。
建物のシンボルである金色のドームは木製で、1874年に金箔が貼られました。 -
庁舎の入り口にある「ジョン・F・ケネディの像」・・・大統領になる前は、マサチューセッツ州議会議員でした。
いつも忙しそうに走り回っていたケネディをイメージして、この像は小走りに走っています。 -
「ボストンコモン」・・・議事堂の前にあるアメリカ最古の公園で、冬にはスケートを楽しむ市民で賑わっています。
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議事堂の向かいにある、黒人部隊のレリーフ・・・南北戦争の際、黒人部隊を率いた奴隷解放論者のロバート・グールド・ショー大佐を讃えるものです。
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「フリーダム・トレイル」・・・全長3.4kmの赤いレンガで造られた線を辿って歩くと、約3時間で市内の主要な史跡16ヶ所を巡ることが出来ます。
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「ファニュエル・ホール」・・・ボストンの豪商ピーター・ファニュエルの出資によって、1740年に市場として建てられ、その2年後に集会場に転用され、独立派の有力者が演説を行った場所でもあります。
現在は、隣接するクインシー・マーケットと共に、ショッピングセンターの一部になっています。 -
「クインシー・マーケット」・・・1824年から2年の歳月を費やして建設されました。
ここでは、お土産物・食品・玩具・インテリアなど、何でも揃います。 -
先ずは空腹を満たすため、フードコートでランチ・・・ラージロブスターロールとクラムチャウダー、それにコーラのセットを注文。
パンには、ロブスターをほぐしたのが一杯入っていました。
クラムチャウダーには、大きな貝の身が沢山入っており、クラッカーもついていました・・・この店の人気商品みたいです。
美味しい!! 本当においしかった・・・また食べたいと、今でも思い出します。 -
広い建物の中にあるお店は活気に溢れ、だんだん私もショッピングモードに突入です。
この「COACH」の店でバッグを買いましたが、クリスマス・シーズンということもあり、とにかく安い!
この後は、ニューヨークに移動し、第2編へ続きます。
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