2013/04/06 - 2013/04/13
3959位(同エリア5386件中)
ナームさん
ならまち南の日本最古の本格的寺院 元興寺(がんこうじ)・極楽堂
奈良市の旧市街を通称「ならまち」と称され、ならまち南と、ならまち
北に分かれている。
ならまちの町屋の中に埋もれている小さなお寺、これが日本の仏教の歴史と歩んできた古刹とは知らなかった。
仏教伝来の538年以降、仏教の受け入れを巡って進歩派の蘇我氏と保守派の物部氏が対立し、仏教も迫害を受ける事になった。
587年蘇我馬子は娘婿の厩戸王(後の聖徳太子)と軍を起こし、排仏派の物部氏を打ち破り仏教受容の道を開いた。そして、翌558年に飛鳥の地に法興寺(元興寺の前身)を建立した。
710年の奈良遷都とともに、法興寺も奈良に移され元興寺と改めた。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩 Peach
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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世界遺産 元興寺
1998年に「ならまち」一帯の東大寺、興福寺、春日大社、平城京跡、春日山原始林と共に世界遺産に登録された。
しかし、東大寺周辺は修学旅行生や観光客で賑わっているが、ここは身を潜めるように、静かな佇まいだ。
自分も高校の修学旅行以来だから、60数年振りの奈良だから、元興寺を知ったのは奈良に来てから〜 -
苦難の道を歩んできた元興寺
奈良時代は仏教界の指導的な地位を担っていた。境内は二千町歩に及び、猿沢の池も含まれていたという。
平安後期頃から官寺の支えであった中央政府の権力が衰え、貴族と特別な関係のなかった元興寺は衰退の道を辿った。 -
元興寺の宿坊と極楽堂
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元興寺極楽堂の亙
この屋根瓦の一部は、建立当時の物が使われている。
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イチオシ
元興寺の仏石
この仏石は、かって二千町歩の境内を持っていた最盛期に、各所に置かれていた仏石を掘り起こしもの。 -
元興寺の仏石
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元興寺の仏石
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元興寺の仏石
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元興寺の仏石
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元興寺東門前の茶屋
茶屋と言っても「大人の贅沢!昼酒」なんていうキャッチコピー。
昨日の5時過ぎは客で賑わっていたが、さすがにこの時間帯はひっそり〜
う〜ん昼酒!いいね、という誘惑に駆られたが、これから「ならまち北」も歩かなければならないので、諦める。 -
猿沢の池
興福寺の五重塔が眺められる。 -
猿沢の池伝説
この池の伝説は沢山あるが、皇帝の寵愛が薄れてきたことを嘆き悲しんだ采女が入水したというのが一般的。 -
古い町並み
墨の製法は推古天皇18年(610年)高句麗の僧侶が伝えたといわれいる。
1577年創業の奈良墨の老舗「古梅園」 -
古い町並み
古い眼科の屋敷 -
古い町並み
軒先に奇妙な物がぶら下がっているお店発見! -
古い町並み 庚申(こうしん)信仰
ならまちの軒先に赤いぬいぐるみがぶら下がっている。魔除けを意味し、家の中に災難が入ってこないように吊るしている。災いの代わりになることから「身代り申」とよばれている。
自分が歩いた範囲では、この一軒しか見ることが出来なかった。 -
古い町並み
あしびや本舗
1,200年の伝統を誇る奈良漬けの店 -
古い町並み
あしび郷
あしびや本舗が運営する食事処 -
古い町並み
吉野葛の食べ処「佐久良」
築160年の古い屋敷 -
中将姫生誕の地
中将姫伝説
中将姫は、奈良時代の右大臣藤原豊成の娘で、幼くして継母に育てられたが「ひばり山」に捨てられてしまった。
その後父と再会するが17歳で仏門に入り、曼荼羅(仏の悟りの境地を描いた絵図)を織りはじめた。
姫が29歳の春、雲間から一丈の光明とともに、阿弥陀如来を始めとする二十五菩薩が来迎れされ、西方極楽浄土へ向かったと伝えられている。 -
古い町並み
天理教の布教活動か?
大きな旗を掲げ、男衆がお経か?歌か?分からないが唱え街を練り歩いている。 -
古い町並み
さほど古い家ではないが、庶民が住んでいる街並み。 -
古い町並み
どう言ういわれの屋敷か分からないけれど、格式のある屋敷だろう。
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