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5月4日(水)<br /> フランスのリヨンは,食の街と呼ばれている。位置は行ってみたいと思っていたが,今回チャンスが訪れた。<br /> 今,家内の姉と家内の3人でスイスのチェルマットにいる。これから電車でジュネーブに行き,息子と合流して,フランスのリヨンに向かう。<br /> ホテルのレストランで,バイキング方式の朝食,オレンジジュース,コーヒー,パン,ハムで軽く済ませる。このホテルCamparile8階の窓からもバルセロナと同じように教会が見えた。偶然と言えばかな? <br />今日1日リヨン市内を観光するため,ホテルを出てベルクール広場を通り,ボナバルト橋を渡り,リヨン・サン・ジャン教会に向かう。サン・ジャン教会は,外装修復工事のため絵にならない。<br />シャッターをきるのをあきらめて教会内を拝見,同じような光景であるが,一つ違ったのは,14世紀の天文時計があり,正面の右側に分針のみあり,60分で1回転する。正面が時針時計でその周りに月,年とある変わった時計,正面で時,側面で分を見なければならない。<br />教会を出て,フルヴィエールの丘へ登るロープウェイに乗るため,駅に向かうここで3.8&#8364;の1日券を購入し,急斜面を上るケーブルカーに乗る。<br />途中はトンネルになっておりなにも見えない。2〜3分で頂上に着き,エレベータで地上に上がると両側に二つの<br />塔を持った勇壮なノートルダム・ド・フルヴィエールバジリカ聖堂が目に入る。左側へ向かう。展望台のような石でできた柵の眼下にはリヨンの街を一望できる場所がある。<br />若干霞んでいたが,リヨンの街全体が見渡せる。<br />高層ビルは2〜3本しかなく,フランス特有の赤い屋根のビルがマッチ箱をギッシリと敷き詰めたような街並みで<br />ある。<br />左右にローヌ川とソーヌ川が流れ川岸には緑の樹木,公園の樹木,赤い屋根と緑がマッチングしたきれいな街である。<br />右側の方へ行くとそんなに広くはないがここからでもリヨンの街並みが同じようにみられる。この場所から後ろを向き,見上げると金色のマリア像が見える。えらく高い位置にあり何とも言えない姿で立っている。聖堂の中は,19世紀にフランスの近年の侵略とプルシアによる打破に応えて私費で建設されたもので,非常に凝ったきらびやか<br />な装飾で,モザイク模様のビザンチンバシリカで,大理石と金は,衰退しつつあるものの,カソリックの長年の富と<br />忍耐力を告げている。<br /> 聖堂のからロジェ・ラティソン通りの緩やかな道を下ると,ローマ劇場が目に入る。半月方の劇場はフランスの最<br />も特筆すべき遺跡の一つで,毎年9月にはリヨンの国際芸術際がここで開かれるそうで,2つの劇場のうち大劇場は紀元前15世紀に収容人数約一万人で,フランスの最も古いローマ劇場である。小劇場のオデオンは,芸術,詩,音楽会のために特別にデザインものである。斜面にあるこの劇場を一人で下まで降りる。上から見るのと下から見るのではイメージがずいぶんと違う。帰りの階段は息が切れる。11時過ぎになってしまった。<br />再びロープウェイで降り,テロー広場まで乗換1回で3駅,Hotel de Ville Louis Prradel駅で下車し,地上に出ると半円筒屋根のリヨン国立オペラ座が目に入る。これを右手にビュイガイヨ通りを150mほど歩むとテロー広場に出る。<br />105m×65mほどの広場は,リヨン市庁舎に向かって右側の長手方左側の真ん中にフランスの彫刻家フレデリ・バルトルディの噴水がある。彫刻家フレデリック・バルトルディは,アメリカ・ニューヨークのリバティ島の『自由の女神像』の製作者でもある。この噴水の左側にはレストラン「66Road」,右側には,レストラン「L Eetage」<br />のパラソルが広場幅いっぱい,広場全体の1/4ほどに並ぶ。右側にはリヨン美術館がある。<br />レストラン66Road(ルート66の意味だろうか?)で,角切りチーズ,ベーコン,クルトンと野菜たっぷりを和えた大盛りに目玉焼きが載っているリヨンサラダが有名らしい,天気も良く少し汗ばむ陽気につられて男二人はビールと摘みにピザを注文する。私だけトマトサラダ,ヨーロッパの食事は時間をかけ,おしゃべりをしながら食事をすることが多い。これとは反対にお昼時はハンバーガーのようなものをどこでもお構いなく立ったまま食べている人も良く見かける。昼食はビールが一番食事をすませて,広場の前,市庁舎に向かって右側にARTの文字だけが刻まれている建物の中に入る。<br />Mus&#353;e des beaux-arts de Lyon美術館で1時間ほど鑑賞する。ロ型の建物の1階〜3階を3周り役1km位の距離を歩き,彫刻と絵画を鑑賞する。<br />ハナ子さんを大分歩かせてしまった。最初エレベータがあるのを気づかずに無理に階段の上り下り,さぞきつかっただろう。終わりに近づくころの絵は処刑のシーンが多く,美術館特有の臭気で気分が悪いというので,外に出てベンチで20分ほど横になっていた。少し元気になったころ,ラ・パール・デュショッピングセンターに向かうことにした。<br />地下鉄で3つ目の駅,大きなショッピングセンターであったが,お土産を買えるようなお店は見つけられず,人ごみの中をブラリと散策する。<br />ハナ子さんも相当に疲れているようだ,コーラが飲みたいというのでコーラを買って,政光との待ち合わせ場所に行く。ハナ子さんを一人置いて静江と見て回ったがやはりお土産を買うような店はなかった。<br />待ち合わせ時間になり,4人が合流し,ホテルまでは地下鉄でなくトラムに乗ることにした。ショッピングセンターのGare Part Dieu駅からマリウス・ヴィヴィエメル通りをすぐ右に曲りセルヴィアン通りをローヌ川の方へ走る。<br />3つ目の駅を過ぎて,右にリベルテ広場の通りに入り二つ目の駅で下車,ホテルまでは2分ほどである。ホテルで暫し休息を取る。<br />日本を出国して7日目,ハナ子さんは夕食をいらないという。しばらく休ませて無理やり夕食に誘う。<br />ホテルからギヨティエール橋を渡り,ベルクール広場の一つ手前の路地マロニエ通りに入ると<br />120mの通りに10軒ほど両側にレストランが立ち並ぶ,日本食のお店もあり,寿司が人気のようだ。<br />行ったり来たり,Le BON BOURGEOSに入り,個々でもそれぞれにサラダ,ソーセージのコースでワイン,静江は野菜サラダ,花子さんはエスカルゴ,この店のエスカルゴは殻ごと焼いたものでエスカルゴと言えばサザエのつぼ焼きのイメージをしていたが,今まで食べたエスカルゴはたこ焼き鍋のような器にバターとスパイスの中にエスカルゴの身だけ入れてオーブンで焼いたものであったが,エスカルゴが殻ごと焼いて出てきたのは初めてであった。<br />リヨン最後の夜食事を満喫し,ライトアップされた街並みを歩きホテルに戻る。<br /><br />5月5日(木) リヨンからジュネーブ・モルジュ〜アパート<br /> 朝の朝食は,3人でとしきりに言う政光,3人でバイキングの朝食をとる。僕は後で一人で行くから,後で聞くと「僕がいなくても食事位できるように教育をしているんだ!」それもそうかと思った。<br />9時にリヨンを離れ一路高速道路を通ってジュネーブに向かう。2時間余りでジュネーブにつき地下の駐車場へ,地上に出てレマン湖のほとりのイギリス公園を散策,レマン湖は3,4回目かな,ジェット噴水を眺めながら,花時計の前で記念写真,1時間ほどぶらぶらする。<br />なぜかスイスに戻るとホッとする。お土産を買い,モルジュへ向かう。インターを降り,モルジュの1km手前のトロシュナ村へ入り,リュウ道路を西に行きブランテ通りのロータリーを右に入り,スタッド通りと交わるところにオードリー・ヘップバーン記念館(閉館中)がある。記念館とスタッド通りを挟んだ村の共同墓地にお墓がある。<br />本名は、オードリー・キャスリーン・ファン・ヘームストラ・ヘプバーンイングランド人でイギリスの保険会社に勤める父ジョゼフ・アンソニー・ヘプバーン=ラストンとオランダ人の母エッラ・ファン・ヘームストラ(バロネスBaronessの爵位を持ち、男性の男爵に相当する。)のもとに、ベルギーの首都ブリュッセルで生まれる。生後3週間で百日咳にかかり、発作のために心臓停止状態となるも母親の必死の心臓マッサージにより蘇生する。<br />5歳でイギリス・ケント州にある寄宿学校に入学。その頃、両親は離婚し、ファシズムに共鳴した父親は家族から去った。10歳のときに祖父のいるオランダへ移住し、6年間アーネム・コンセルヴァトリーでバレエの特訓を受ける。15歳には有能なバレリーナになった。代表作として1953年アカデミー主演女優賞を取った『ローマの休日』 がある。1993年1月20日、このトロシュナ村で大腸癌のため64歳で亡くなる。<br /> お墓の周りは,畑と民家のみで何もない静かなところである。ここを後にしてモルジュに行く,この時期はチューリップ祭りが行われているはずだが,もう終わったようだ,3年前に来た時よりも今回は1週間遅く,チューリップの盛りは過ぎていたが,まだだいぶ残っている。昼時なので,出店で軽い昼食をとる。ハンバーグ,トーストetc各自すきな飲み物,意外といい味がして美味しかった。<br />モルジュを後にしてBruggまで200kmはあるが,政光もリヨンから走りっぱなしで疲れているだろうが,頑張ってもらうしかない。Bruggのスーパーで夕飯の材料を買い込みアパートに着いたのは午後の5時くらいだった。よく走ってくれたと感謝している。<br />夕飯の支度は,ハナ子さんと静江の担当,豚汁,サラダ,ばら肉の串焼き,トマトの卵焼きでビールとワインで夕飯を済ませ一段落した。<br />

食の街リヨンを満喫

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2011/05/03 - 2011/05/05

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19

だぼはぜさん

5月4日(水)
 フランスのリヨンは,食の街と呼ばれている。位置は行ってみたいと思っていたが,今回チャンスが訪れた。
 今,家内の姉と家内の3人でスイスのチェルマットにいる。これから電車でジュネーブに行き,息子と合流して,フランスのリヨンに向かう。
 ホテルのレストランで,バイキング方式の朝食,オレンジジュース,コーヒー,パン,ハムで軽く済ませる。このホテルCamparile8階の窓からもバルセロナと同じように教会が見えた。偶然と言えばかな? 
今日1日リヨン市内を観光するため,ホテルを出てベルクール広場を通り,ボナバルト橋を渡り,リヨン・サン・ジャン教会に向かう。サン・ジャン教会は,外装修復工事のため絵にならない。
シャッターをきるのをあきらめて教会内を拝見,同じような光景であるが,一つ違ったのは,14世紀の天文時計があり,正面の右側に分針のみあり,60分で1回転する。正面が時針時計でその周りに月,年とある変わった時計,正面で時,側面で分を見なければならない。
教会を出て,フルヴィエールの丘へ登るロープウェイに乗るため,駅に向かうここで3.8€の1日券を購入し,急斜面を上るケーブルカーに乗る。
途中はトンネルになっておりなにも見えない。2〜3分で頂上に着き,エレベータで地上に上がると両側に二つの
塔を持った勇壮なノートルダム・ド・フルヴィエールバジリカ聖堂が目に入る。左側へ向かう。展望台のような石でできた柵の眼下にはリヨンの街を一望できる場所がある。
若干霞んでいたが,リヨンの街全体が見渡せる。
高層ビルは2〜3本しかなく,フランス特有の赤い屋根のビルがマッチ箱をギッシリと敷き詰めたような街並みで
ある。
左右にローヌ川とソーヌ川が流れ川岸には緑の樹木,公園の樹木,赤い屋根と緑がマッチングしたきれいな街である。
右側の方へ行くとそんなに広くはないがここからでもリヨンの街並みが同じようにみられる。この場所から後ろを向き,見上げると金色のマリア像が見える。えらく高い位置にあり何とも言えない姿で立っている。聖堂の中は,19世紀にフランスの近年の侵略とプルシアによる打破に応えて私費で建設されたもので,非常に凝ったきらびやか
な装飾で,モザイク模様のビザンチンバシリカで,大理石と金は,衰退しつつあるものの,カソリックの長年の富と
忍耐力を告げている。
 聖堂のからロジェ・ラティソン通りの緩やかな道を下ると,ローマ劇場が目に入る。半月方の劇場はフランスの最
も特筆すべき遺跡の一つで,毎年9月にはリヨンの国際芸術際がここで開かれるそうで,2つの劇場のうち大劇場は紀元前15世紀に収容人数約一万人で,フランスの最も古いローマ劇場である。小劇場のオデオンは,芸術,詩,音楽会のために特別にデザインものである。斜面にあるこの劇場を一人で下まで降りる。上から見るのと下から見るのではイメージがずいぶんと違う。帰りの階段は息が切れる。11時過ぎになってしまった。
再びロープウェイで降り,テロー広場まで乗換1回で3駅,Hotel de Ville Louis Prradel駅で下車し,地上に出ると半円筒屋根のリヨン国立オペラ座が目に入る。これを右手にビュイガイヨ通りを150mほど歩むとテロー広場に出る。
105m×65mほどの広場は,リヨン市庁舎に向かって右側の長手方左側の真ん中にフランスの彫刻家フレデリ・バルトルディの噴水がある。彫刻家フレデリック・バルトルディは,アメリカ・ニューヨークのリバティ島の『自由の女神像』の製作者でもある。この噴水の左側にはレストラン「66Road」,右側には,レストラン「L Eetage」
のパラソルが広場幅いっぱい,広場全体の1/4ほどに並ぶ。右側にはリヨン美術館がある。
レストラン66Road(ルート66の意味だろうか?)で,角切りチーズ,ベーコン,クルトンと野菜たっぷりを和えた大盛りに目玉焼きが載っているリヨンサラダが有名らしい,天気も良く少し汗ばむ陽気につられて男二人はビールと摘みにピザを注文する。私だけトマトサラダ,ヨーロッパの食事は時間をかけ,おしゃべりをしながら食事をすることが多い。これとは反対にお昼時はハンバーガーのようなものをどこでもお構いなく立ったまま食べている人も良く見かける。昼食はビールが一番食事をすませて,広場の前,市庁舎に向かって右側にARTの文字だけが刻まれている建物の中に入る。
Musše des beaux-arts de Lyon美術館で1時間ほど鑑賞する。ロ型の建物の1階〜3階を3周り役1km位の距離を歩き,彫刻と絵画を鑑賞する。
ハナ子さんを大分歩かせてしまった。最初エレベータがあるのを気づかずに無理に階段の上り下り,さぞきつかっただろう。終わりに近づくころの絵は処刑のシーンが多く,美術館特有の臭気で気分が悪いというので,外に出てベンチで20分ほど横になっていた。少し元気になったころ,ラ・パール・デュショッピングセンターに向かうことにした。
地下鉄で3つ目の駅,大きなショッピングセンターであったが,お土産を買えるようなお店は見つけられず,人ごみの中をブラリと散策する。
ハナ子さんも相当に疲れているようだ,コーラが飲みたいというのでコーラを買って,政光との待ち合わせ場所に行く。ハナ子さんを一人置いて静江と見て回ったがやはりお土産を買うような店はなかった。
待ち合わせ時間になり,4人が合流し,ホテルまでは地下鉄でなくトラムに乗ることにした。ショッピングセンターのGare Part Dieu駅からマリウス・ヴィヴィエメル通りをすぐ右に曲りセルヴィアン通りをローヌ川の方へ走る。
3つ目の駅を過ぎて,右にリベルテ広場の通りに入り二つ目の駅で下車,ホテルまでは2分ほどである。ホテルで暫し休息を取る。
日本を出国して7日目,ハナ子さんは夕食をいらないという。しばらく休ませて無理やり夕食に誘う。
ホテルからギヨティエール橋を渡り,ベルクール広場の一つ手前の路地マロニエ通りに入ると
120mの通りに10軒ほど両側にレストランが立ち並ぶ,日本食のお店もあり,寿司が人気のようだ。
行ったり来たり,Le BON BOURGEOSに入り,個々でもそれぞれにサラダ,ソーセージのコースでワイン,静江は野菜サラダ,花子さんはエスカルゴ,この店のエスカルゴは殻ごと焼いたものでエスカルゴと言えばサザエのつぼ焼きのイメージをしていたが,今まで食べたエスカルゴはたこ焼き鍋のような器にバターとスパイスの中にエスカルゴの身だけ入れてオーブンで焼いたものであったが,エスカルゴが殻ごと焼いて出てきたのは初めてであった。
リヨン最後の夜食事を満喫し,ライトアップされた街並みを歩きホテルに戻る。

5月5日(木) リヨンからジュネーブ・モルジュ〜アパート
 朝の朝食は,3人でとしきりに言う政光,3人でバイキングの朝食をとる。僕は後で一人で行くから,後で聞くと「僕がいなくても食事位できるように教育をしているんだ!」それもそうかと思った。
9時にリヨンを離れ一路高速道路を通ってジュネーブに向かう。2時間余りでジュネーブにつき地下の駐車場へ,地上に出てレマン湖のほとりのイギリス公園を散策,レマン湖は3,4回目かな,ジェット噴水を眺めながら,花時計の前で記念写真,1時間ほどぶらぶらする。
なぜかスイスに戻るとホッとする。お土産を買い,モルジュへ向かう。インターを降り,モルジュの1km手前のトロシュナ村へ入り,リュウ道路を西に行きブランテ通りのロータリーを右に入り,スタッド通りと交わるところにオードリー・ヘップバーン記念館(閉館中)がある。記念館とスタッド通りを挟んだ村の共同墓地にお墓がある。
本名は、オードリー・キャスリーン・ファン・ヘームストラ・ヘプバーンイングランド人でイギリスの保険会社に勤める父ジョゼフ・アンソニー・ヘプバーン=ラストンとオランダ人の母エッラ・ファン・ヘームストラ(バロネスBaronessの爵位を持ち、男性の男爵に相当する。)のもとに、ベルギーの首都ブリュッセルで生まれる。生後3週間で百日咳にかかり、発作のために心臓停止状態となるも母親の必死の心臓マッサージにより蘇生する。
5歳でイギリス・ケント州にある寄宿学校に入学。その頃、両親は離婚し、ファシズムに共鳴した父親は家族から去った。10歳のときに祖父のいるオランダへ移住し、6年間アーネム・コンセルヴァトリーでバレエの特訓を受ける。15歳には有能なバレリーナになった。代表作として1953年アカデミー主演女優賞を取った『ローマの休日』 がある。1993年1月20日、このトロシュナ村で大腸癌のため64歳で亡くなる。
 お墓の周りは,畑と民家のみで何もない静かなところである。ここを後にしてモルジュに行く,この時期はチューリップ祭りが行われているはずだが,もう終わったようだ,3年前に来た時よりも今回は1週間遅く,チューリップの盛りは過ぎていたが,まだだいぶ残っている。昼時なので,出店で軽い昼食をとる。ハンバーグ,トーストetc各自すきな飲み物,意外といい味がして美味しかった。
モルジュを後にしてBruggまで200kmはあるが,政光もリヨンから走りっぱなしで疲れているだろうが,頑張ってもらうしかない。Bruggのスーパーで夕飯の材料を買い込みアパートに着いたのは午後の5時くらいだった。よく走ってくれたと感謝している。
夕飯の支度は,ハナ子さんと静江の担当,豚汁,サラダ,ばら肉の串焼き,トマトの卵焼きでビールとワインで夕飯を済ませ一段落した。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
3.5
グルメ
5.0
ショッピング
4.0
交通
4.0
同行者
家族旅行
交通手段
鉄道 徒歩
航空会社
フィンランド航空
旅行の手配内容
個別手配

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  • ノートルダム大聖堂からリヨンの街を望む

    ノートルダム大聖堂からリヨンの街を望む

  • フルヴィエールの丘に聳えるサン・ジャン大聖堂

    フルヴィエールの丘に聳えるサン・ジャン大聖堂

  • ローヌ川沿いのホテル Beiiecordiere

    ローヌ川沿いのホテル Beiiecordiere

  • ベルクール広場のルイ14世像の下の彫像

    ベルクール広場のルイ14世像の下の彫像

  • ベルクール広場のルイ14世

    ベルクール広場のルイ14世

  • ベルクール広場

    ベルクール広場

  • レストラン LE SUD

    レストラン LE SUD

  • イチオシ

  • エスカルゴ

    エスカルゴ

  • ローマ劇場

    ローマ劇場

  • 通りの両側にレストランが並ぶ<br />

    通りの両側にレストランが並ぶ

  • リヨンから車でチューリッヒに向かう途中スイスレマン湖による

    リヨンから車でチューリッヒに向かう途中スイスレマン湖による

  • レマン湖の湖畔モルジュの近くのとロシュ名村により,オード―リーヘップバーンの墓を見る。

    レマン湖の湖畔モルジュの近くのとロシュ名村により,オード―リーヘップバーンの墓を見る。

  • レマン湖湖畔の街モルジュ,この時期チューリップ祭りが開催される。

    レマン湖湖畔の街モルジュ,この時期チューリップ祭りが開催される。

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