バルセロナ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
バルセロナ・チェッルマット・リヨンの旅<br />  平成23年4月28日〜5月8日<br /><br />バルセロナ編<br /><br />まえがき<br /> 今回3回目となるスイスの旅は,静江との二人旅から静江の姉のハナ子さんとの三人旅となった。<br /> 1月に福岡空港〜ヘルシンキ経由のチューリッヒ往復航空券の予約が取れ,出発までの3か月余りを情報収集と計画に日々費やした。それというのも例年は,現地に行っていつも次男の政光と同行しており全てを頼り切っていたが,今回は政光の同行なしの3人で政光のアパートから列車に乗り,チェルマットまで行き,チェルマットからまた列車に乗ってジュネーブまで行かなくてはならない。スイスの車両は行き先表示器はなくはないが列車ダイヤは正確で,ホームの列車案内で確認を取れば,間違いなく行き先につくことができる。しかし,乗換が発生するためホーム番線を前もって確認しておき,乗換時に構内の時刻表で確認して次の列車に乗る。乗務員が検察に来た時や乗客に,「今列車はどこ,どこに行きますか?」と尋ね確認しておく必要がある。間違えると見知らぬ土地なのでどこにいるのかわからなくなる。<br /> もう一つ気になることがあった。それは,スイス国内鉄道乗り放題のスイスパスである。情報収集の段階でどこの駅でも購入できず,窓口の発売時間が18時までとかスイスで購入するのが難しいようで,殆どの人が国内で旅行会社を通じて購入している。チューリッヒの空港駅では必ず購入できると自信があったので現地で購入すること決めていた。4日間,8日間などがあり,スイスセーバーパスは,2人以上が行動をともにすればセーバーパスよりさらに 15%の割引となる。また,美術館,博物館など無料で入れ,ゴルナーグラッド鉄道やロープウェイが半額となる。列車の旅を計画し,乗車料金を計算し,セーバーパスとの価格比較を検討した結果,4日間のセーバーパスが一番安価であるとの結論に達し,チューリッヒ空港駅の窓口で一人226S.F,日本円にして換金レート換算役21,100円,日本で購入すると29,800円,8,700円得した額で購入することができる。<br /> チューリッヒまでは,例年,関西空港から出国していたが今回は初めて成田からの出国で3月11日に7東日本大震災が発生し,併せて津波による福島の原発事故による成田発の航空機会社が関西に変更となったりして先行きが心配であったが,様子を見るほかない。出発が近づくにつれ,落ち着きを取り戻し予定通り成田からの出発となった。昨年の4月14日はアイスランドの火山噴火で出発が危ぶまれたが,今回は東日本の地震,こうも毎年心配事が続くことだろうか?兎にも角にも出発できたことは幸いだった。<br /><br />フライトスケジュール<br />往路 1. フィンランド航空 AY5822便 復路 4. フィンランド航空 AY 858便<br />  2011年04月28日(木) 07:15 福岡発   2011年05月07日(土) 10:55 チューリッヒ発<br />  2011年04月28日(木) 08:50 東京(成田)着   2011年05月07日(土) 14:40 ヘルシンキ着<br />   <br />2. フィンランド航空 AY 74便 5. フィンランド航空 AY 73便<br />  2011年04月28日(木) 11:30 東京(成田)発   2011年05月07日(土) 17:15 ヘルシンキ発<br />  2011年04月28日(木) 15:50 ヘルシンキ着   2011年05月08日(日) 08:55 東京(成田)着<br />   <br />3. フィンランド航空 AY 863便 6. フィンランド航空 AY5823便<br />  2011年04月28日(木) 16:30 ヘルシンキ発   2011年05月08日(日) 15:20 東京(成田)発<br />  2011年04月28日(木) 18:15 チューリッヒ着   2011年05月08日(日) 17:25 福岡着<br />   <br />今回の観光目標<br /> 1 バルセロナ<br />・ サグラダファミリア<br />・ グエル公園のトカゲ<br /> 2 リヨン<br />・ レストランでの食事<br />・ ノ不ヴィエールの丘ノートルダム・ド・フルヴィエールバジリカ聖堂<br /><br />3 チェルマット<br />・ ベルナーグラッドからのマッターホルン<br /><br /> 4 モルジュ<br />・ トロシュナ村(モルジュ)のオードリー・ヘップバーンの墓地<br /><br /> 4月28日(木)いよいよ出発<br /> ハナ子さんは,前日から自宅に泊まり,朝4時半に起床,5時半出発,今回は他空港までのタクシー代,荷物のことを考え車で前もって御予約しておいた空港の駐車場に向かう。ゴールデンウイークは混雑しており,安い駐車場は,とれず800円/1日のところ11日間泊めることをにした。<br /> 7時15分発の成田行き,成田到着,フィンランド航空AY73便ヘルシンキ行きに搭乗,予定通りである。<br /> 成田に着く途中天気に恵まれ富士山が見えた。飛行機から見る富士山は何年振りだろう,これまでに何回か見た<br />が,今日の富士山は,頂上に雪が残ってお<br />り絵葉書を見ているように美しかった。幸先のいいスタートである。<br /> ヘルシンキまでの10時間,3人旅であったが,座席は二人と一人席が離れており,当然女性二人と私一人で話し相手もいないため,2回の食事あとはいつものようにワイン・ビールを飲んでできるだけ寝ることにしたが,今回3人旅となるので清算が簡単にできるようパソコンを持っていくことにした。<br />使ったお金の記録,清算が容易にできるようプログラム作成していたが,機能追加のために機内でプログラミングを2時間ほど行い漸くプログラムが完成した。成田出発が20分ほど遅れて出発日本をだんだんと離れていく。最初の機内食は,チキンかホウレンソウのパスタ。私はチキン,静江とハナ子さん達は後部座席で選択できずホウレンソウになった。<br />ヘルシンキからジュネーブへの空路は,雲の上で窓から眺めるとまるで氷山のように見えた。<br />ヘルシンキ着は10分ほどの遅れで到着,入国審査を終えチューリッヒ行のゲートへ向かう。ここで審査を受けるとチューリッヒでは荷物を受け取りそのまま審査なしで出られる。ヘルシンキから16時30分AY863便のチューリッヒ行に搭乗する。<br />時差7時間(夏時間で実際は8時間)の関係から,朝方成田11時30分発,夕刻16時30分ヘルシンキ発(7時間),<br />チューリッヒ着18時15分で時刻上では1時間45分であるが,ヘルシンキとチューリッヒ(パリ時間)では1時間の時差があるため,実際の飛行時間は2時間45分である。ここでも若干の遅れがあっ たが,チューリッヒ到着はほぼ予定通りで荷物を受け取り,地下の電車乗り場へ向かう。<br />ここからは,日本語は通じない。チューリッヒはドイツに近く,この地方ではドイツ語である。しかし,レストランや窓口,インフォメーションなどは英語で大丈夫である。<br />列車の切符売り場で空港駅から政光のアパートがあるBRUGG AGまで約50km18.6スイスフラン(以下SF)日本円で1,740円日本より高い。スイスの物価は,日本の2〜3倍,鉄道は,スイス国民やスイス在住の外国人は,1/2の制度(ただし,証明書が必要)があり観光客の半分で乗車券が購入できる。券売機で購入するときには1/2の選択ボタンと1/1の選択ボタンがある。改札機はなく,ホームに自由に出入りできる。<br />切符がなくても乗れるが,検札に来たとき切符がないと日本円で5万円ほどの罰金が科せられる。<br />BRUGG AGまでの乗車券を窓口で購入した後,スイスセーバーパスが購入できるか問い合わせて処「できます」との回答であった。予想通り日本で購入しおかなくてよかった。<br />4日間で一人226SF,バルセロナの帰りに購入することとした。19時06分の電車に乗ることにした。これも予定通りである。BRUGG AGまで40分ほど,列車によって35分から45分である。フランスからのTGVも走っているらしい。<br /> BRUGG AGに着くと政光が車で迎えに来ていた。半年ぶりの再会である。駅から5分ほでアパートに着く。<br />アパートベランダから見る風景が懐かしい。<br />朝起きて,日本を出発して23時間かかったことになる。明日は早い軽い食事とビールを飲んで就寝。         <br />4月29日(金)スペイン バルセロナへ<br /> 朝,5時ころに目が覚める。ベッドの中で6時半ころまで眠れないまま過ごす。皆もまだ寝ている。6時半に起き少しずつ準備をし,7時40分のバスでBRUGG AGまで5分8時の電車でチューリッヒの空港に向かう。政光も同行し4人でスペインのバルセロナに向かう。9時55分発,バルセロナ到着11時30分順調に着した。情<br />報では,空港から都心まで30ユーロ(以下&#8364;)とあったが19&#8364;弱で地下鉄SantAntoni駅の傍のホテルに着いた。8階の部屋は,アパートホテルで,台所,寝室が2部屋,狭いリビングであったが,十分である。市民も住んでおり,空き部屋を否テル代わりにしているらしい。(ホテル代格安)ベランダに出ると,建物の屋根越しに鐘が二つ下がった左のほうに古い教会が見え,右側の遠くには近代的な高層ビル(ショッピングセンターがあるところ)が見えた。<br />建物はパリと若干イメージが違い,華麗さというかそういうものはなく庶民的な建物が多い屋上にはテレビアンテナが5〜6mほどのパイプで部屋の数だけのアンテナが部造作に取り付けられている。今日からここで2泊する。身軽な格好で,ホテル前のとおりの角のレストランで昼食をとる。ビールにチーズクリームで和えたパスタ,サラダ,サンドイッチもちろん屋外で飲み物だけの注文ではテーブルはそのままであるが,食事となると<br />テーブルクロスをかけてくれる。食事を済ませ街にでる。<br />レストランELS・TRES・TMBS<br />バルセロナの目的は,サグラダファミリアとグエル公園のトカゲの噴水,SantAntoni地下鉄駅からSaggradaFamilia駅まで5駅あるが,明日も地下での移動となるので券売機で2日券を購入する。<br /> 地下鉄改札時は,改札機に乗車券を入れると乗車券が挿入口とは別のところから出てくる。この乗車券を抜き取ると扉が開く。降車のときは出口の改札機に進むと扉が自動的に開く。日本のように集札はない。不正乗車や乗車券がないと罰金50&#8364;が科せられる。このことは車内にも表示されている。<br />バルセロナの地下鉄は,路線と駅構内の案内が色分けされ,初めての利用でもわかりやすい。乗換駅では,違うホームを<br />通って,別のホームへ行くこともあるのでラインカラーを確かめて乗る必要があるが,案内に従って進めば間違いなく目的地に行ける。ホームは,相対式となっているので,行き先の駅又は終点の駅を確認してホームに降りる。<br /> 駅に着くと日本のように扉は開かない。降りる人が扉の釦を押すと扉は開く。乗るときも同じで釦を押す。釦ではなくレバーの場合もある。扉の内側と外側に釦がついている。<br />SagradaFamiliano地下鉄駅の階段を上り地上に出たところで後ろに振り向くと目の前に聳えたつサグラダファミリアがどーんと目に入った。壮大で威厳があって圧倒されそうであった。サグラダ・ファミリアは聖家族贖罪教会(カタルーニャ語:Temple Expiatori de la Sagrada Fam&amp;iacute;lia)という正式名称を持つバルセロナにあるカトリックのバシリカである。<br />日本語では聖家族教会と呼ばれることも多い。カタロニア・モダニズムの最も良く知られた作品例であり,バルセロナ市のシンボルでもある。<br />カタロニアの建築家アントニ・ガウディの未完作品であり,拡張市街地域に建てられている。綿密に構成された<br />象徴詩的なシンボロジーと共に,パラボリックな(放物線状の)構造のアーチや,鐘楼に据えられた自然主義と抽象主義の混在する彫刻などで,大胆な建築様式を誇っている。<br />民間カトリック団体「サン・ホセ協会」が,すべて個人の寄付に依って建設される贖罪教会として計画し,初代建築家フランシスコ・ビリャールが無償で設計を引き受けた。1882年3月19日に着工したが意見の対立から翌年にビリャールは辞任。その後を引き継いで2代目建築家に任命されたのが,当時は未だ無名だったアントニ・ガウディである。以降,ガウディは設計を一から練り直し,1926年に亡くなるまでライフワークとしてサグラダ・ファミリアの設計・建築に取り組んだ。<br />ガウディは仔細な設計図を残しておらず,大型模型や,紐と錘を用いた実験道具を使って,構造を検討したとされる。スペイン内戦でそれらの模型は破片となり,ガウディの構想に基づき弟子たちが作成した資料などは大部分が消失した。ガウディの死後,もはや忠実にガウディの構想通りとはならないこの建築物の建造を続けるべきかという議論があったが,職人による伝承や大まかな外観のデッサンなど残されたわずかな資料を元に,時代毎の建築家がガウディの設計構想を推測するといった形で現在も建設が行われている。<br />北ファサード,イエスの誕生を表す東ファサード,イエスの受難を表す西ファサードや内陣,身廊などはほぼ完成したがイエスの栄光を表すメインファサード,18本建てられる内の10本の塔が未完成である。<br />これらの塔の12本が12使徒,4本が福音記者,1本が聖母マリア,1本がイエス・キリストを象徴するものとされている。<br /> 東側の生誕のファサードでは,キリストの誕生から初めての説教を行うまでの逸話が彫刻によって表現されている。3つの門によって構成され,左門が父ヨセフ,中央門がイエス,右門が母マリアを象徴する。<br />中央の門を構成する柱の土台には変わらないものの象徴として亀が彫刻され,中央の柱の土台には林檎をくわえた蛇が彫刻されている。また,門の両脇には変化するものの象徴としてカメレオンが配置されている。中央門では,受胎告知,キリストの降誕,祝福をする天使,東方の三博士や羊飼い達などが彫られている。左門ではローマ兵による嬰児虐殺,家族のエジプトへの逃避,父ヨセフの大工道具などが彫られ,右門には母マリア,イエスの洗礼,父ヨセフの大工仕事を手伝うイエスなどが彫られている。<br /> 西側の受難のファサードには,イエスの最後の晩餐からキリストの磔刑,キリストの昇天までの有名な場面が彫刻されている。<br />東側とは全く異なり,現代彫刻でイエスの受難が表現されており,左下の最後の晩餐から右上のイエスの埋葬まで「S」の字を逆になぞるように彫刻が配置されている。<br />最後の晩餐→ペテロとローマ兵たち→ユダの接吻と裏切り→鞭打ちの刑→ペテロの否認→イエスの捕縛→ポンティウス・ピラトゥスと裁判→十字架を担ぐシモン→ゴルゴタの丘への道を行くイエスとイエスの顔を拭った聖布を持つヴェロニカ→イエスの脇腹を突くことになる槍を持つ騎兵ロンギヌス→賭博をするローマ兵→イエスの磔刑→イエスの埋葬と復活の象徴,そして鐘楼を渡す橋の中央に昇天するイエスが配置されている。<br />完成まで300年はかかるとかつては予想されていた工事だが,スペインの経済成長や入場料収入などに支えられて進捗は加速しており,公式発表ではガウディ没後100周年目の2026年に完成するとされている。<br />建設開始から長い年月が経っているため,建築と並行して修復も行われている。 2005年には建設途中ながら,生誕のファサードの部分がアントニ・ガウディの作品群としてユネスコの世界遺産に登録された。<br /> 2006年,直下に高速鉄道AVEのトンネルを掘削する計画が持ち上がり,建設側は地元自治体などにトンネル掘削中止の働きかけたが拒否された。一連のやり取りの中で,サグラダファミリア建設が行政に届け出を出していない工事であることが明らかになり話題を呼んだつまり,サグラダファミリアは違法建築だったのだが,結局は調整が行われてバルセロナ市の行政当局がサグラダファミリアの建築を超法規的に認めた上で,徹底した地盤強化対策を行って掘削工事が行われた。<br />この世界遺産にシャッターを押しているうちに4×4=16個の升に数字が刻まれているのを見つけけた。この数字は何を意味するのだろうと暫し考えているうちに謎が解けた,縦・横・斜めに数字を合計するとすべて33になる。33が何を意味するのか分からないがサグラダ・ファミリアご受難の門の秘数は33で,また,キリストがなくなった年でもある。入館の切符を買うのに長い列が続く,待つ時間がもったいないのと,疲れもあったのか<br />ハナ子さんの具合が悪くなり,「係員にトイレはあるか」と聞く。最初の対応は悪かったが,お腹を押さえて,「a state of emergency」と叫ぶと中に入れてくれトイレまで案内してくれた。<br />明日の朝もう一度来ることにしてホテルに戻った。<br />ハナ子さんは,ベッドで休む,日本を出発してバルセロナまで15時間の飛行と移動で疲れが出たのであろう。3時間ほどまでぐっすりと眠っており,夜8時ころに目を覚ます。<br />夕食にはちょうどいい時間である。ホテルから地下鉄二駅分くらい歩き,フラメンコショーを見せてくれるところを探し求め,街並み少し散策する。<br />左の写真は,銅像 いいえ生の人間,突然動き出す皆びっくりしている。入場時間の関係から先に食事を済ませた。<br />夕食は,日本でいう居酒屋みたいなものでタパスバーと呼ばれている店「COLON」で,自分の好きなものを単品で注文する。ビールを飲みながら,おつまみと言った方がよいかもしれない揚げ物やサラダを注文して時間を過ごす。<br /> 食事後,「TARANTOS」というショー劇場で1時間のフラメンコショーをみる。<br />フラメンコショーは,最初の30分は,女性の歌でその後ダンスが始まった。たっぷり1時間のショーでフラ<br />メンコが見れてよかったと思った。ホテルのへ帰りも夜の街並みを日本を出発して飛行機に乗った時間が長く疲れもあったので,今日は寝ることにした。<br /><br /> 4月30日(土)再びサグラダファミリアに朝市で向かったが,土曜日のせいもあって,9時過ぎなのに昨日と同じようにもう長い列ができている。政光の判断で昼食時の時間帯がすいているかもしれないということで,先にグエル公園に行くことにし,グエル公園と向かった。<br />SaggradaFamilia駅からDiagonalekiで乗り換えて,Vallcarcaekimade 5駅である。地下鉄の話を少しする。路線図は乗換駅,乗換号線は一目でわかる。ホームの列車案内LED掲示板は,到着までの時間を秒端子で示している。後4分26秒で到着という意味である。<br />改札機は,乗車券を入れ,乗車券を抜き取ると扉が開く。集札はなし,出口のゲートに行くと扉が開く。駅から地上に上がり,急な坂道一部エスカレータを使いながら一番高いところまで上る。坂道には狭い道路に車と車の間が1m程しかないようにギッシリ駐車している。展望台からはバルセロナの街並みが一望できる。サグラダファミリアも薄らと霞んだ眼下に見えた。<br />そこから来た道とは反対側に降りると広場にでる。露店や大道芸人,観光客で一杯である。<br />グエル公園(カタルーニャ語:Parc G&amp;uuml;ell, 英語:Park Guell)1984年にユネスコの世界遺産に登録された。<br />アントニ・ガウディの作品群の1つである。施主のエウゼビ・グエイ伯爵(スペイン語読みではグエルとなる)とアントニ・ガウディの夢が作り上げた分譲住宅で,1900年から1914年の間に建造された。彼らが最も傾注していた芸術はリヒャルト・ワーグナーの「楽劇」で,ガウディは同じ芸術センスを持つグエル伯爵の下で,自然と調和を目指した総合芸術を作り上げようとした。<br />この頃,バルセロナでは工業化が急速に進んでいた。<br />それに対してガウディとグエルはこの場所に,人々が自然と芸術に囲まれて暮らせる,新しい住宅地を作ろうとした。しかし,ふたりの進みすぎた発想と自然の中で暮らす価値観は,当時理解されなかった。<br />広場,道路などのインフラが作られ,60軒が計画されていたが買い手がつかず,結局売れたのは2軒で,買い手はガウディ本人とグエイ伯爵だけであったという。<br />グエイ伯爵の没後に工事は中断し市の公園として寄付される。現在はガウディが一時住んだこともある家が,ガウ<br />ディ記念館として公開されている。中にはガウディがデザインした家具なども集められて展示されている。<br />我々の一行は,個人ツアーであるから時間に縛られないが,日本のツアー団体が到着した時,12時ころで12時30分集合だという。30分しかないこの短い時間ではトカゲの噴水を見てお土産を買って終わりのような感じがする。次に行っても同じような感じだろう。ただ行った,見ただけのツアーでかわいそうになった。<br /> お土産のコーヒーカップ,Tシャツ,コースター,シングルグラスを買って,サグラダファミリアに再びもどり,ケンタッキーでフライドチキンの昼食を済ませた。この時トラブルが発生その処理に追われ,あっという間に時間が過ぎて,ホテルに戻る。<br />バルセロナ2日目の夕食は,少し豪華にと地下鉄で,Verdaguer駅まで行き,地下鉄から地上に出ると広場にた。<br />この広場から,ランブラス通り(La Rambla)を海の方へ歩くと,昨日いったところに出る。通りは人が多く賑やかであった。二駅分くらい歩いた通りの右側にレストランを見つけ,夕食にありついた。<br />スペイン料理とワインと二時間ほどの時間をかけて食事を楽しむ。<br />バルセロナ最後の夜である。帰る途中で,ビールを買いホテルに戻る。明日午前中の時間を過ごすための計画を練る。明日見るところはたくさん有りそうだが,時間の都合を見て,取りあえずピカソ美術館に行くことでビールを飲んで寝る。<br /><br />5月1日(日)<br />3日目のバルセロナ,昨日買っておいたパンとバナナを朝食にして軽く済ます。帰り支度をしてホテルを出る。地下鉄は,ホテル前のSantAntoni駅から3つ目で乗換,さらに2駅のJaumelで下車,頭で描いていた場所に歩いたが,狭い路地,でなかなか見つからない,通りの女性に聞くと美術館まで案内してくれた。<br />10時前であったのでまだ開館していない。20人ほど並んでいた後方に並んでいると,一人の男性が「ホリデイ」と言って通り過ぎた。<br />何のことだろうと思って,小さな案内版に開館10時,10時を過ぎている。もう一度よく見ると右下に<br />小さな字で休館日の説明。3月○日か忘れたが,次に1.Mayと書かれている。今日は5月1にメーデーの日で休刊日と分かった。他の人たちは知らずまだ並んでいる。「今日は5月1日メーデーの日で休館日」と大きな声で言うと皆がっかりした様子で,去って行った。ピカソの美術館が見られないのであれば,ピカソの壁画でも見に行くことにし,そこを離れる。方角がよくわからないが,その方向へ行く途中,サンタ・マリア・ダル・マル教会の裏側に出る。数人が扉を開け中に入っていたのでそれにつられてはいった。<br />外壁も古くきれいな教会ではなかったが,中に入るとやはり教会らしく,火のついた蝋燭とステンドグラスが目に入った。暫しの時間中を探索する。<br />サンタ・マリア・ダル・マル教会をでて,ピカソの壁画を目指す途中「カプチーノ」という名の喫茶店でコー<br />ヒーを飲む。<br />カプチーノというだけあって,アメリカンコーヒーのようなものはなく,ノーマルなコーヒーを頼んだが味は酷く,普段飲んでいるようなコーヒーは,ヨーロッパではなかなか飲むことができない。皆はカプチーノを飲んだ。休息も終わりにして,ピカソの壁画を見つける。<br />バルセロナ大聖堂の前に2階建て2階が会議室のようになっているガラス張りの上に全面と左右の3か所にピカソの絵があった。一見幼稚な筆遣いでピカソ独特の表現である。美術館は見ることができなかったが,一応ピカソが残した絵は見れた。<br />スペインが生んだ天才画家,パブロピカソは,父親の仕事で14歳の時にバルセロナへ移ってきました。<br />それ以来パリに移り住むまでの約10年間,ピカソはバルセロナで美術学校に通い,青年時代過ごしたらしい。<br />大聖堂の前は広場になっており,メーデーの祭典で多くの人が集まり,20人ほどの人が手をつなぎ輪になってゆっくりとした速さで覆っていた。バルセロナ大聖堂(CATEDRAL)は,13世紀末に建築が開始され,15世紀にほとんど出来上がり,正面ファサードだけがようやく19世紀に完成しました。<br />内部はカタルーニャ・ゴシック様式でまとめられ,中央祭壇下にはバルセロナの守護聖母サンタ・エウラリアが眠る白い大理石の墓があります。カテドラルの中庭は,裏の路地から直接出入りできる気軽さも手伝って,バルセロナ人に親しまれています。<br />土曜夕方と日曜正午,カテドラル前広場に集まった人々は,カタルーニャの民族舞踊「サルダーナ」を踊ります。<br />ここを後にして,次に向かったのは,カタルーニャ音楽堂,ここも世界遺産に登録されている。中には入館料と時間の都合もあり見なかったが,外観の造りからして豪華そうである。<br />後数時間でバルセロナともお別れである。ここへ来る途中の大きな通りに出ると沢山の人が歩いているのと,何やら生演奏の音楽が流れてきた。<br />通りを見ると数万人規模の大行列でメーデーのデモ行進にであった。暫し足を止めてデモ行進を見る。<br />しばらくして,空港へ行くタクシーを拾うため路地を抜ける。デモの関係でなかなかタクシーが拾えなかったが,やっと捕まえたタクシーで空港に向かう。来たときは20分であったが,30以上。デモの関係で回り道をせざるよう得なかったようだ。に乗る。空港へ向かう途中運転手があれは「凱旋門だ」といった。パ輪P凱旋門と違って赤い色をしていた。あの凱旋門をくぐってもう一度バルセロナを探索したいと思った。空港で中華風の焼きそばのようなものを食べ,政光のアパートへ向かう。アパートに着いたのが,18時ころだった。夕飯の支度を皆でして,味噌汁,サバの塩焼き,鳥の手羽焼き,野菜サラダと日本食にありつける。ワインとビールで乾杯。就寝<br />

バルセロナ:チェルマット・リヨン

2いいね!

2011/04/28 - 2011/05/06

6096位(同エリア7245件中)

0

16

だぼはぜさん

バルセロナ・チェッルマット・リヨンの旅
  平成23年4月28日〜5月8日

バルセロナ編

まえがき
 今回3回目となるスイスの旅は,静江との二人旅から静江の姉のハナ子さんとの三人旅となった。
 1月に福岡空港〜ヘルシンキ経由のチューリッヒ往復航空券の予約が取れ,出発までの3か月余りを情報収集と計画に日々費やした。それというのも例年は,現地に行っていつも次男の政光と同行しており全てを頼り切っていたが,今回は政光の同行なしの3人で政光のアパートから列車に乗り,チェルマットまで行き,チェルマットからまた列車に乗ってジュネーブまで行かなくてはならない。スイスの車両は行き先表示器はなくはないが列車ダイヤは正確で,ホームの列車案内で確認を取れば,間違いなく行き先につくことができる。しかし,乗換が発生するためホーム番線を前もって確認しておき,乗換時に構内の時刻表で確認して次の列車に乗る。乗務員が検察に来た時や乗客に,「今列車はどこ,どこに行きますか?」と尋ね確認しておく必要がある。間違えると見知らぬ土地なのでどこにいるのかわからなくなる。
 もう一つ気になることがあった。それは,スイス国内鉄道乗り放題のスイスパスである。情報収集の段階でどこの駅でも購入できず,窓口の発売時間が18時までとかスイスで購入するのが難しいようで,殆どの人が国内で旅行会社を通じて購入している。チューリッヒの空港駅では必ず購入できると自信があったので現地で購入すること決めていた。4日間,8日間などがあり,スイスセーバーパスは,2人以上が行動をともにすればセーバーパスよりさらに 15%の割引となる。また,美術館,博物館など無料で入れ,ゴルナーグラッド鉄道やロープウェイが半額となる。列車の旅を計画し,乗車料金を計算し,セーバーパスとの価格比較を検討した結果,4日間のセーバーパスが一番安価であるとの結論に達し,チューリッヒ空港駅の窓口で一人226S.F,日本円にして換金レート換算役21,100円,日本で購入すると29,800円,8,700円得した額で購入することができる。
 チューリッヒまでは,例年,関西空港から出国していたが今回は初めて成田からの出国で3月11日に7東日本大震災が発生し,併せて津波による福島の原発事故による成田発の航空機会社が関西に変更となったりして先行きが心配であったが,様子を見るほかない。出発が近づくにつれ,落ち着きを取り戻し予定通り成田からの出発となった。昨年の4月14日はアイスランドの火山噴火で出発が危ぶまれたが,今回は東日本の地震,こうも毎年心配事が続くことだろうか?兎にも角にも出発できたことは幸いだった。

フライトスケジュール
往路 1. フィンランド航空 AY5822便 復路 4. フィンランド航空 AY 858便
  2011年04月28日(木) 07:15 福岡発   2011年05月07日(土) 10:55 チューリッヒ発
  2011年04月28日(木) 08:50 東京(成田)着   2011年05月07日(土) 14:40 ヘルシンキ着
   
2. フィンランド航空 AY 74便 5. フィンランド航空 AY 73便
  2011年04月28日(木) 11:30 東京(成田)発   2011年05月07日(土) 17:15 ヘルシンキ発
  2011年04月28日(木) 15:50 ヘルシンキ着   2011年05月08日(日) 08:55 東京(成田)着
   
3. フィンランド航空 AY 863便 6. フィンランド航空 AY5823便
  2011年04月28日(木) 16:30 ヘルシンキ発   2011年05月08日(日) 15:20 東京(成田)発
  2011年04月28日(木) 18:15 チューリッヒ着   2011年05月08日(日) 17:25 福岡着
   
今回の観光目標
 1 バルセロナ
・ サグラダファミリア
・ グエル公園のトカゲ
 2 リヨン
・ レストランでの食事
・ ノ不ヴィエールの丘ノートルダム・ド・フルヴィエールバジリカ聖堂

3 チェルマット
・ ベルナーグラッドからのマッターホルン

 4 モルジュ
・ トロシュナ村(モルジュ)のオードリー・ヘップバーンの墓地

 4月28日(木)いよいよ出発
 ハナ子さんは,前日から自宅に泊まり,朝4時半に起床,5時半出発,今回は他空港までのタクシー代,荷物のことを考え車で前もって御予約しておいた空港の駐車場に向かう。ゴールデンウイークは混雑しており,安い駐車場は,とれず800円/1日のところ11日間泊めることをにした。
 7時15分発の成田行き,成田到着,フィンランド航空AY73便ヘルシンキ行きに搭乗,予定通りである。
 成田に着く途中天気に恵まれ富士山が見えた。飛行機から見る富士山は何年振りだろう,これまでに何回か見た
が,今日の富士山は,頂上に雪が残ってお
り絵葉書を見ているように美しかった。幸先のいいスタートである。
 ヘルシンキまでの10時間,3人旅であったが,座席は二人と一人席が離れており,当然女性二人と私一人で話し相手もいないため,2回の食事あとはいつものようにワイン・ビールを飲んでできるだけ寝ることにしたが,今回3人旅となるので清算が簡単にできるようパソコンを持っていくことにした。
使ったお金の記録,清算が容易にできるようプログラム作成していたが,機能追加のために機内でプログラミングを2時間ほど行い漸くプログラムが完成した。成田出発が20分ほど遅れて出発日本をだんだんと離れていく。最初の機内食は,チキンかホウレンソウのパスタ。私はチキン,静江とハナ子さん達は後部座席で選択できずホウレンソウになった。
ヘルシンキからジュネーブへの空路は,雲の上で窓から眺めるとまるで氷山のように見えた。
ヘルシンキ着は10分ほどの遅れで到着,入国審査を終えチューリッヒ行のゲートへ向かう。ここで審査を受けるとチューリッヒでは荷物を受け取りそのまま審査なしで出られる。ヘルシンキから16時30分AY863便のチューリッヒ行に搭乗する。
時差7時間(夏時間で実際は8時間)の関係から,朝方成田11時30分発,夕刻16時30分ヘルシンキ発(7時間),
チューリッヒ着18時15分で時刻上では1時間45分であるが,ヘルシンキとチューリッヒ(パリ時間)では1時間の時差があるため,実際の飛行時間は2時間45分である。ここでも若干の遅れがあっ たが,チューリッヒ到着はほぼ予定通りで荷物を受け取り,地下の電車乗り場へ向かう。
ここからは,日本語は通じない。チューリッヒはドイツに近く,この地方ではドイツ語である。しかし,レストランや窓口,インフォメーションなどは英語で大丈夫である。
列車の切符売り場で空港駅から政光のアパートがあるBRUGG AGまで約50km18.6スイスフラン(以下SF)日本円で1,740円日本より高い。スイスの物価は,日本の2〜3倍,鉄道は,スイス国民やスイス在住の外国人は,1/2の制度(ただし,証明書が必要)があり観光客の半分で乗車券が購入できる。券売機で購入するときには1/2の選択ボタンと1/1の選択ボタンがある。改札機はなく,ホームに自由に出入りできる。
切符がなくても乗れるが,検札に来たとき切符がないと日本円で5万円ほどの罰金が科せられる。
BRUGG AGまでの乗車券を窓口で購入した後,スイスセーバーパスが購入できるか問い合わせて処「できます」との回答であった。予想通り日本で購入しおかなくてよかった。
4日間で一人226SF,バルセロナの帰りに購入することとした。19時06分の電車に乗ることにした。これも予定通りである。BRUGG AGまで40分ほど,列車によって35分から45分である。フランスからのTGVも走っているらしい。
 BRUGG AGに着くと政光が車で迎えに来ていた。半年ぶりの再会である。駅から5分ほでアパートに着く。
アパートベランダから見る風景が懐かしい。
朝起きて,日本を出発して23時間かかったことになる。明日は早い軽い食事とビールを飲んで就寝。         
4月29日(金)スペイン バルセロナへ
 朝,5時ころに目が覚める。ベッドの中で6時半ころまで眠れないまま過ごす。皆もまだ寝ている。6時半に起き少しずつ準備をし,7時40分のバスでBRUGG AGまで5分8時の電車でチューリッヒの空港に向かう。政光も同行し4人でスペインのバルセロナに向かう。9時55分発,バルセロナ到着11時30分順調に着した。情
報では,空港から都心まで30ユーロ(以下€)とあったが19€弱で地下鉄SantAntoni駅の傍のホテルに着いた。8階の部屋は,アパートホテルで,台所,寝室が2部屋,狭いリビングであったが,十分である。市民も住んでおり,空き部屋を否テル代わりにしているらしい。(ホテル代格安)ベランダに出ると,建物の屋根越しに鐘が二つ下がった左のほうに古い教会が見え,右側の遠くには近代的な高層ビル(ショッピングセンターがあるところ)が見えた。
建物はパリと若干イメージが違い,華麗さというかそういうものはなく庶民的な建物が多い屋上にはテレビアンテナが5〜6mほどのパイプで部屋の数だけのアンテナが部造作に取り付けられている。今日からここで2泊する。身軽な格好で,ホテル前のとおりの角のレストランで昼食をとる。ビールにチーズクリームで和えたパスタ,サラダ,サンドイッチもちろん屋外で飲み物だけの注文ではテーブルはそのままであるが,食事となると
テーブルクロスをかけてくれる。食事を済ませ街にでる。
レストランELS・TRES・TMBS
バルセロナの目的は,サグラダファミリアとグエル公園のトカゲの噴水,SantAntoni地下鉄駅からSaggradaFamilia駅まで5駅あるが,明日も地下での移動となるので券売機で2日券を購入する。
 地下鉄改札時は,改札機に乗車券を入れると乗車券が挿入口とは別のところから出てくる。この乗車券を抜き取ると扉が開く。降車のときは出口の改札機に進むと扉が自動的に開く。日本のように集札はない。不正乗車や乗車券がないと罰金50€が科せられる。このことは車内にも表示されている。
バルセロナの地下鉄は,路線と駅構内の案内が色分けされ,初めての利用でもわかりやすい。乗換駅では,違うホームを
通って,別のホームへ行くこともあるのでラインカラーを確かめて乗る必要があるが,案内に従って進めば間違いなく目的地に行ける。ホームは,相対式となっているので,行き先の駅又は終点の駅を確認してホームに降りる。
 駅に着くと日本のように扉は開かない。降りる人が扉の釦を押すと扉は開く。乗るときも同じで釦を押す。釦ではなくレバーの場合もある。扉の内側と外側に釦がついている。
SagradaFamiliano地下鉄駅の階段を上り地上に出たところで後ろに振り向くと目の前に聳えたつサグラダファミリアがどーんと目に入った。壮大で威厳があって圧倒されそうであった。サグラダ・ファミリアは聖家族贖罪教会(カタルーニャ語:Temple Expiatori de la Sagrada Fam&iacute;lia)という正式名称を持つバルセロナにあるカトリックのバシリカである。
日本語では聖家族教会と呼ばれることも多い。カタロニア・モダニズムの最も良く知られた作品例であり,バルセロナ市のシンボルでもある。
カタロニアの建築家アントニ・ガウディの未完作品であり,拡張市街地域に建てられている。綿密に構成された
象徴詩的なシンボロジーと共に,パラボリックな(放物線状の)構造のアーチや,鐘楼に据えられた自然主義と抽象主義の混在する彫刻などで,大胆な建築様式を誇っている。
民間カトリック団体「サン・ホセ協会」が,すべて個人の寄付に依って建設される贖罪教会として計画し,初代建築家フランシスコ・ビリャールが無償で設計を引き受けた。1882年3月19日に着工したが意見の対立から翌年にビリャールは辞任。その後を引き継いで2代目建築家に任命されたのが,当時は未だ無名だったアントニ・ガウディである。以降,ガウディは設計を一から練り直し,1926年に亡くなるまでライフワークとしてサグラダ・ファミリアの設計・建築に取り組んだ。
ガウディは仔細な設計図を残しておらず,大型模型や,紐と錘を用いた実験道具を使って,構造を検討したとされる。スペイン内戦でそれらの模型は破片となり,ガウディの構想に基づき弟子たちが作成した資料などは大部分が消失した。ガウディの死後,もはや忠実にガウディの構想通りとはならないこの建築物の建造を続けるべきかという議論があったが,職人による伝承や大まかな外観のデッサンなど残されたわずかな資料を元に,時代毎の建築家がガウディの設計構想を推測するといった形で現在も建設が行われている。
北ファサード,イエスの誕生を表す東ファサード,イエスの受難を表す西ファサードや内陣,身廊などはほぼ完成したがイエスの栄光を表すメインファサード,18本建てられる内の10本の塔が未完成である。
これらの塔の12本が12使徒,4本が福音記者,1本が聖母マリア,1本がイエス・キリストを象徴するものとされている。
 東側の生誕のファサードでは,キリストの誕生から初めての説教を行うまでの逸話が彫刻によって表現されている。3つの門によって構成され,左門が父ヨセフ,中央門がイエス,右門が母マリアを象徴する。
中央の門を構成する柱の土台には変わらないものの象徴として亀が彫刻され,中央の柱の土台には林檎をくわえた蛇が彫刻されている。また,門の両脇には変化するものの象徴としてカメレオンが配置されている。中央門では,受胎告知,キリストの降誕,祝福をする天使,東方の三博士や羊飼い達などが彫られている。左門ではローマ兵による嬰児虐殺,家族のエジプトへの逃避,父ヨセフの大工道具などが彫られ,右門には母マリア,イエスの洗礼,父ヨセフの大工仕事を手伝うイエスなどが彫られている。
 西側の受難のファサードには,イエスの最後の晩餐からキリストの磔刑,キリストの昇天までの有名な場面が彫刻されている。
東側とは全く異なり,現代彫刻でイエスの受難が表現されており,左下の最後の晩餐から右上のイエスの埋葬まで「S」の字を逆になぞるように彫刻が配置されている。
最後の晩餐→ペテロとローマ兵たち→ユダの接吻と裏切り→鞭打ちの刑→ペテロの否認→イエスの捕縛→ポンティウス・ピラトゥスと裁判→十字架を担ぐシモン→ゴルゴタの丘への道を行くイエスとイエスの顔を拭った聖布を持つヴェロニカ→イエスの脇腹を突くことになる槍を持つ騎兵ロンギヌス→賭博をするローマ兵→イエスの磔刑→イエスの埋葬と復活の象徴,そして鐘楼を渡す橋の中央に昇天するイエスが配置されている。
完成まで300年はかかるとかつては予想されていた工事だが,スペインの経済成長や入場料収入などに支えられて進捗は加速しており,公式発表ではガウディ没後100周年目の2026年に完成するとされている。
建設開始から長い年月が経っているため,建築と並行して修復も行われている。 2005年には建設途中ながら,生誕のファサードの部分がアントニ・ガウディの作品群としてユネスコの世界遺産に登録された。
 2006年,直下に高速鉄道AVEのトンネルを掘削する計画が持ち上がり,建設側は地元自治体などにトンネル掘削中止の働きかけたが拒否された。一連のやり取りの中で,サグラダファミリア建設が行政に届け出を出していない工事であることが明らかになり話題を呼んだつまり,サグラダファミリアは違法建築だったのだが,結局は調整が行われてバルセロナ市の行政当局がサグラダファミリアの建築を超法規的に認めた上で,徹底した地盤強化対策を行って掘削工事が行われた。
この世界遺産にシャッターを押しているうちに4×4=16個の升に数字が刻まれているのを見つけけた。この数字は何を意味するのだろうと暫し考えているうちに謎が解けた,縦・横・斜めに数字を合計するとすべて33になる。33が何を意味するのか分からないがサグラダ・ファミリアご受難の門の秘数は33で,また,キリストがなくなった年でもある。入館の切符を買うのに長い列が続く,待つ時間がもったいないのと,疲れもあったのか
ハナ子さんの具合が悪くなり,「係員にトイレはあるか」と聞く。最初の対応は悪かったが,お腹を押さえて,「a state of emergency」と叫ぶと中に入れてくれトイレまで案内してくれた。
明日の朝もう一度来ることにしてホテルに戻った。
ハナ子さんは,ベッドで休む,日本を出発してバルセロナまで15時間の飛行と移動で疲れが出たのであろう。3時間ほどまでぐっすりと眠っており,夜8時ころに目を覚ます。
夕食にはちょうどいい時間である。ホテルから地下鉄二駅分くらい歩き,フラメンコショーを見せてくれるところを探し求め,街並み少し散策する。
左の写真は,銅像 いいえ生の人間,突然動き出す皆びっくりしている。入場時間の関係から先に食事を済ませた。
夕食は,日本でいう居酒屋みたいなものでタパスバーと呼ばれている店「COLON」で,自分の好きなものを単品で注文する。ビールを飲みながら,おつまみと言った方がよいかもしれない揚げ物やサラダを注文して時間を過ごす。
 食事後,「TARANTOS」というショー劇場で1時間のフラメンコショーをみる。
フラメンコショーは,最初の30分は,女性の歌でその後ダンスが始まった。たっぷり1時間のショーでフラ
メンコが見れてよかったと思った。ホテルのへ帰りも夜の街並みを日本を出発して飛行機に乗った時間が長く疲れもあったので,今日は寝ることにした。

 4月30日(土)再びサグラダファミリアに朝市で向かったが,土曜日のせいもあって,9時過ぎなのに昨日と同じようにもう長い列ができている。政光の判断で昼食時の時間帯がすいているかもしれないということで,先にグエル公園に行くことにし,グエル公園と向かった。
SaggradaFamilia駅からDiagonalekiで乗り換えて,Vallcarcaekimade 5駅である。地下鉄の話を少しする。路線図は乗換駅,乗換号線は一目でわかる。ホームの列車案内LED掲示板は,到着までの時間を秒端子で示している。後4分26秒で到着という意味である。
改札機は,乗車券を入れ,乗車券を抜き取ると扉が開く。集札はなし,出口のゲートに行くと扉が開く。駅から地上に上がり,急な坂道一部エスカレータを使いながら一番高いところまで上る。坂道には狭い道路に車と車の間が1m程しかないようにギッシリ駐車している。展望台からはバルセロナの街並みが一望できる。サグラダファミリアも薄らと霞んだ眼下に見えた。
そこから来た道とは反対側に降りると広場にでる。露店や大道芸人,観光客で一杯である。
グエル公園(カタルーニャ語:Parc G&uuml;ell, 英語:Park Guell)1984年にユネスコの世界遺産に登録された。
アントニ・ガウディの作品群の1つである。施主のエウゼビ・グエイ伯爵(スペイン語読みではグエルとなる)とアントニ・ガウディの夢が作り上げた分譲住宅で,1900年から1914年の間に建造された。彼らが最も傾注していた芸術はリヒャルト・ワーグナーの「楽劇」で,ガウディは同じ芸術センスを持つグエル伯爵の下で,自然と調和を目指した総合芸術を作り上げようとした。
この頃,バルセロナでは工業化が急速に進んでいた。
それに対してガウディとグエルはこの場所に,人々が自然と芸術に囲まれて暮らせる,新しい住宅地を作ろうとした。しかし,ふたりの進みすぎた発想と自然の中で暮らす価値観は,当時理解されなかった。
広場,道路などのインフラが作られ,60軒が計画されていたが買い手がつかず,結局売れたのは2軒で,買い手はガウディ本人とグエイ伯爵だけであったという。
グエイ伯爵の没後に工事は中断し市の公園として寄付される。現在はガウディが一時住んだこともある家が,ガウ
ディ記念館として公開されている。中にはガウディがデザインした家具なども集められて展示されている。
我々の一行は,個人ツアーであるから時間に縛られないが,日本のツアー団体が到着した時,12時ころで12時30分集合だという。30分しかないこの短い時間ではトカゲの噴水を見てお土産を買って終わりのような感じがする。次に行っても同じような感じだろう。ただ行った,見ただけのツアーでかわいそうになった。
 お土産のコーヒーカップ,Tシャツ,コースター,シングルグラスを買って,サグラダファミリアに再びもどり,ケンタッキーでフライドチキンの昼食を済ませた。この時トラブルが発生その処理に追われ,あっという間に時間が過ぎて,ホテルに戻る。
バルセロナ2日目の夕食は,少し豪華にと地下鉄で,Verdaguer駅まで行き,地下鉄から地上に出ると広場にた。
この広場から,ランブラス通り(La Rambla)を海の方へ歩くと,昨日いったところに出る。通りは人が多く賑やかであった。二駅分くらい歩いた通りの右側にレストランを見つけ,夕食にありついた。
スペイン料理とワインと二時間ほどの時間をかけて食事を楽しむ。
バルセロナ最後の夜である。帰る途中で,ビールを買いホテルに戻る。明日午前中の時間を過ごすための計画を練る。明日見るところはたくさん有りそうだが,時間の都合を見て,取りあえずピカソ美術館に行くことでビールを飲んで寝る。

5月1日(日)
3日目のバルセロナ,昨日買っておいたパンとバナナを朝食にして軽く済ます。帰り支度をしてホテルを出る。地下鉄は,ホテル前のSantAntoni駅から3つ目で乗換,さらに2駅のJaumelで下車,頭で描いていた場所に歩いたが,狭い路地,でなかなか見つからない,通りの女性に聞くと美術館まで案内してくれた。
10時前であったのでまだ開館していない。20人ほど並んでいた後方に並んでいると,一人の男性が「ホリデイ」と言って通り過ぎた。
何のことだろうと思って,小さな案内版に開館10時,10時を過ぎている。もう一度よく見ると右下に
小さな字で休館日の説明。3月○日か忘れたが,次に1.Mayと書かれている。今日は5月1にメーデーの日で休刊日と分かった。他の人たちは知らずまだ並んでいる。「今日は5月1日メーデーの日で休館日」と大きな声で言うと皆がっかりした様子で,去って行った。ピカソの美術館が見られないのであれば,ピカソの壁画でも見に行くことにし,そこを離れる。方角がよくわからないが,その方向へ行く途中,サンタ・マリア・ダル・マル教会の裏側に出る。数人が扉を開け中に入っていたのでそれにつられてはいった。
外壁も古くきれいな教会ではなかったが,中に入るとやはり教会らしく,火のついた蝋燭とステンドグラスが目に入った。暫しの時間中を探索する。
サンタ・マリア・ダル・マル教会をでて,ピカソの壁画を目指す途中「カプチーノ」という名の喫茶店でコー
ヒーを飲む。
カプチーノというだけあって,アメリカンコーヒーのようなものはなく,ノーマルなコーヒーを頼んだが味は酷く,普段飲んでいるようなコーヒーは,ヨーロッパではなかなか飲むことができない。皆はカプチーノを飲んだ。休息も終わりにして,ピカソの壁画を見つける。
バルセロナ大聖堂の前に2階建て2階が会議室のようになっているガラス張りの上に全面と左右の3か所にピカソの絵があった。一見幼稚な筆遣いでピカソ独特の表現である。美術館は見ることができなかったが,一応ピカソが残した絵は見れた。
スペインが生んだ天才画家,パブロピカソは,父親の仕事で14歳の時にバルセロナへ移ってきました。
それ以来パリに移り住むまでの約10年間,ピカソはバルセロナで美術学校に通い,青年時代過ごしたらしい。
大聖堂の前は広場になっており,メーデーの祭典で多くの人が集まり,20人ほどの人が手をつなぎ輪になってゆっくりとした速さで覆っていた。バルセロナ大聖堂(CATEDRAL)は,13世紀末に建築が開始され,15世紀にほとんど出来上がり,正面ファサードだけがようやく19世紀に完成しました。
内部はカタルーニャ・ゴシック様式でまとめられ,中央祭壇下にはバルセロナの守護聖母サンタ・エウラリアが眠る白い大理石の墓があります。カテドラルの中庭は,裏の路地から直接出入りできる気軽さも手伝って,バルセロナ人に親しまれています。
土曜夕方と日曜正午,カテドラル前広場に集まった人々は,カタルーニャの民族舞踊「サルダーナ」を踊ります。
ここを後にして,次に向かったのは,カタルーニャ音楽堂,ここも世界遺産に登録されている。中には入館料と時間の都合もあり見なかったが,外観の造りからして豪華そうである。
後数時間でバルセロナともお別れである。ここへ来る途中の大きな通りに出ると沢山の人が歩いているのと,何やら生演奏の音楽が流れてきた。
通りを見ると数万人規模の大行列でメーデーのデモ行進にであった。暫し足を止めてデモ行進を見る。
しばらくして,空港へ行くタクシーを拾うため路地を抜ける。デモの関係でなかなかタクシーが拾えなかったが,やっと捕まえたタクシーで空港に向かう。来たときは20分であったが,30以上。デモの関係で回り道をせざるよう得なかったようだ。に乗る。空港へ向かう途中運転手があれは「凱旋門だ」といった。パ輪P凱旋門と違って赤い色をしていた。あの凱旋門をくぐってもう一度バルセロナを探索したいと思った。空港で中華風の焼きそばのようなものを食べ,政光のアパートへ向かう。アパートに着いたのが,18時ころだった。夕飯の支度を皆でして,味噌汁,サバの塩焼き,鳥の手羽焼き,野菜サラダと日本食にありつける。ワインとビールで乾杯。就寝

  • フィンランド航空機内食

    フィンランド航空機内食

  • サグラダファミリは,池の方から

    サグラダファミリは,池の方から

  • サグラダファミリア

    サグラダファミリア

  • ランブラス通りのモニュメントではない。パフォーマンス<br />人がこのような格好でいる。何のために,

    ランブラス通りのモニュメントではない。パフォーマンス
    人がこのような格好でいる。何のために,

  • フランメンコショー劇場 「TARANTOS」

    フランメンコショー劇場 「TARANTOS」

  • フラメンコショー 約40分 歌が多かった

    フラメンコショー 約40分 歌が多かった

  • バルセロナ地下鉄: 今回の移動はほとんど地下鉄でを利用

    バルセロナ地下鉄: 今回の移動はほとんど地下鉄でを利用

  • 車内路線図

    車内路線図

  • グエル公園

    グエル公園

  • グエル公園

    グエル公園

  • ランブラス通りの<br />レストラン「EUSKAL RESTAURANT」<br />パエリアが美味しい。

    イチオシ

    ランブラス通りの
    レストラン「EUSKAL RESTAURANT」
    パエリアが美味しい。

  • ピカソの壁画

    ピカソの壁画

  • メーデーの日:サンタ・エウラリア大聖堂前の広場

    メーデーの日:サンタ・エウラリア大聖堂前の広場

  • サンタ・エウラリア大聖堂

    サンタ・エウラリア大聖堂

  • オレラ劇場<br />

    オレラ劇場

この旅行記のタグ

関連タグ

2いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

スペインで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
スペイン最安 393円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

スペインの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP