2013/04/15 - 2013/04/17
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kenichi291さん
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東日本大震災を岩手で経験。小一時間の場所で大津波。何故その人達は津波に遭い、私は免れたのか。あれ以来自問自答する毎日でした。仏教の教えが何かを示唆してくれる様に思い。五木先生のテレビを見た影響かもしれませんが、単純な頭の構造ですから。先年、愛媛松山でお遍路さんの姿を見かけました。空海と最澄訪ねてみる価値がありそうです。
数多の高僧の修行の地、比叡山延暦寺を一度訪ねて見たいと思っておりましたので延暦寺と、併せて琵琶湖を周遊して来ました。まもなく古希に成る事もあり、車で行くのも今が限界でしょうとマイカーで東京から往復してみました。2泊3日はちょっときついかも。この年では、もう1日余裕を見れば楽勝だったかもしれません。
写真は延暦寺横川の本堂にあたる横川中堂です。舞台造りで全体的に見て船が浮かんでいる姿に見えるのが特徴です。お堂の中央部が2メートル程下がっていて、そこに本尊として慈覚大師作と伝えられる聖観音菩薩が祀られています。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 船 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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4月15日 大津の義仲寺を訪ねる。朝6時に東京を出て、500キロ橋って、11時30分大津西武(デパート)に到着。義仲寺は繁華街の中にあるので駐車場を利用する。徒歩で義仲寺に。
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松尾芭蕉の墓。元禄7年10月12日大阪で息を引き取った松尾芭蕉の遺骸は13日、陸路で近江義仲寺に運ばれ、翌日には遺言に従って木曾義仲の墓の隣に葬られた。この寺に芭蕉の墓があると言うのがやって来た理由です。
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芭蕉の杖。芭蕉が実際に使用していたものだそうです。
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翁堂天井の伊藤若沖の天井画(複製)
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芭蕉の句碑 「古池や 蛙飛こむ 水の音」
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芭蕉句碑 「旅に病で 夢は枯野を かけ廻る」
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木曽義仲のお墓。
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巴塚。巴御前の塚。お墓ではありません。
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境内の様子。小さなお寺です。
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池に亀さんがいます。外人の観光客がカメラを向けて興味深深の様子。つられて写しちゃいました。
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次いで三井寺に。仁王門(重要文化財) 三井寺中院の表門で、東面して建ち、両脇の仁王像が山内を守護しています。記録によると、天台宗の古刹常楽寺(湖南市石部町)の門で、後に秀吉によって伏見に移され、慶長六年(1601)に家康によって現在地に建てられたとしています。
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釈迦堂(食堂)。
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鐘楼(三井の晩鐘)。近江八景のひとつ三井の晩鐘で有名な巨大な梵鐘を吊る鐘楼で、金堂の南東に建てられています。
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一突き300円。有名な鐘だけに料金は破格の高値。この鐘の音に惹かれてやって来たのです。誰でも何時でも突けるんですね。
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金堂 現在の金堂は、豊臣秀吉の正室北政所によって再建されたもので、三井寺境内でもひときわ大きく威容を誇っています。また本尊弥勒菩薩もここに安置されています。内部は外陣・中陣・後陣に別れ、中陣は中心となる内陣の両側に脇陣を設けています。
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閼伽井屋。金堂の西に接して建つ小堂で、慶長5年(1600年)、金堂と同じく北政所によって建立された。堂内には三井寺の名の起こりとなった霊泉が湧出している。
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内部には井泉が湧き、天智・天武・持統天皇の 産湯に使われたことが三井寺の名前の由来になっています。
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伝 左甚五郎作の龍。彩色や壁画が認められ、桧皮葺の屋根は丸いカーブを描いています。
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梵鐘(弁慶鐘)
・重要文化財 奈良時代
・銅鋳造 一口 総高199.0cm
・身高156.0cm 口径123.2cm
龍頭と直角で、しかも比較的高い位置に撞座があります。
謂われは「寺初代の梵鐘で、奈良時代の作とされています。 むかし、承平年間(十世紀前半)に田原藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に 琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進したと伝えられています。
その後、山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると ”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、 弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。 鐘にはその時のものと思われる傷痕や破目などが残っています。」 -
一切経蔵、八角輪蔵 山内には珍しい禅宗様の堂ですが、もとは国清寺の経蔵で、慶長七年(1602)に毛利輝元によって移築されたものです。輪蔵には、高麗版一切経が納められており、また天井から円空仏七体が発見されています。
※国清寺:山口市内にあった禅宗寺院。毛利氏との縁の深いお寺でした。 -
一切経蔵は一切経を安置するための堂で、内部には一切経を納める回転式の巨大な八角輪蔵が備えられています。
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三重塔 慶長二年(1597)、豊臣秀吉によって伏見城に移築された大和の比蘇寺の塔を慶長五年に徳川家康が三井寺に寄進したものです。
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唐院潅頂堂
・重要文化財 桃山時代
・五面五間 側面五間 一重 入母屋造 桧皮葺
大師堂と四脚門にはさまれて建ち、大師堂の拝殿としての役割を備えています。内部は前室と後室に分けられ、伝法潅頂を行うプランを備えています。仁寿殿下賜の伝えそのままに、縁を廻らせ、蔀戸などをしつらえており、装飾の少ない堂です。 -
唐院四脚門(重文)。
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村雲橋。
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微妙寺
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毘沙門堂は、もともと園城寺五別所のひとつ尾蔵寺の南勝坊境内に元和二年(1616)に建立され、明治以降に三尾社の下に移築、戦後の修復。
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観音堂 西国三十三箇所観音霊場の第十四番礼所として、篤く信仰されています。本尊は如意輪観音。貞享三年(1686)に火災にあい、元禄二年に再建された大きな堂です。礼堂・合の間・正堂からなり、内部には多くの絵馬が奉納されています。その中には観音堂再建の様子を描いた「石突きの図」や、その「落慶図」も残されています。
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観月舞台。
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琵琶湖展望台からの眺め。
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4月15日夕刻が迫ってきました。行きたかった 浮御堂にお参り。
駐車場の向かいに魚冨商店という琵琶湖産の佃煮屋さんがあります。
親切なご主人夫婦が試食を勧めてくれます。
ネットの書き込みでフナ寿司のお試しセット525円があると聞いていたのですが、シーズンが終わってもう無いとの事。フナ寿司のうんちくを伺い、稚鮎と海老豆の佃煮をお土産に買いました。
ネットの評判どおり、親切ないい店でした。ご主人夫婦は予想していたよりも若い方でした。浮御堂の前だけしかお店が無いらしいですから是非立ち寄ってみてください。 -
芭蕉の句「鎖あけて 月さし入れよ 浮御堂」。この句に誘われてやって参りました。
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エクシブ琵琶湖駐車場の桜。遠くに見える山は伊吹山。小倉百人一首に収録された和歌で「かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」と詠んだ所。
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本日の夕食は和食。先ずは前菜から。
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吸物 焼きパイ仕立 蟹真丈、新キャベツ、木耳。
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左 別盛 鰆藁炙り、いぶりがっこ卸し
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和牛の鉄板焼き。
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4月16日の日の出。
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本日のお目当て。
比叡山延暦寺東塔 東塔は延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂を中心とする区域です。
伝教大師最澄が延暦寺を開いた場所であり、総本堂根本中堂をはじめ各宗各派の宗祖を祀っている大講堂、先祖回向のお堂である阿弥陀堂など重要な堂宇が集まっています。
東塔地域には、延暦寺バスセンターがあり、比叡山山頂、西塔、横川地域へのシャトルバスや京都市内行きの路線バスに乗車することができ、また坂本ケーブルを利用して門前町坂本へ降りることもできます。
境内には、宿坊延暦寺会館があり、食事や宿泊、修行体験をすることもできます。 -
大講堂 昭和39年(1964)に山麓坂本の讃仏堂を移築したものです。本尊は大日如来で、その左右には比叡山で修行した各宗派の宗祖の木像が祭られています。
また、外陣には釈迦を始めとして仏教・天台宗ゆかりの高僧の肖像画がかかっています。国重要文化財に指定されています。 -
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鐘楼 一突き50円。
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巳講坂。
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根本中堂 延暦寺では三塔即ち東塔・西塔・横川にそれぞれ中心となる仏堂があり、これを「中堂」と呼んでいますが、東塔の根本中堂はその最大の仏堂であり、延暦寺の総本堂となります。本尊は薬師如来です。
延暦寺を開いた伝教大師最澄が延暦7年(788)に創建した一乗止観院(いちじょうしかんいん)が元であり、その後何回も災害に遭いましたが、復興の度に規模も大きくなりました。現在の姿は徳川家光公の命で寛永19年(1642)に竣工したものです。ご本尊の前には、千二百年間灯り続けている「不滅の法灯」も安置されています。 建物は国宝に指定されています。廻廊は国重要文化財に指定されています。 -
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国宝で撮影禁止。不滅の法灯があります。
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阿弥陀堂 昭和12年(1937)に建立された、壇信徒の先祖回向の道場です。本尊は丈六の阿弥陀如来です。またお堂の前には、水琴窟があり、美しい響きを聞くことができます。
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法華総持院東塔 昭和55年に阿弥陀堂の横に再興されました。伝教大師最澄は日本全国に6か所の宝塔を建て、日本を護る計画をされましたが、その中心の役割をするのがこの東塔になります。
本尊は大日如来をはじめとする五智如来が祀られており、塔の上層部には仏舎利と法華経が安置されています。 -
ここを下れば京都の八瀬まで30分。次は上洛したいもの。天下取りの戦国武将の心境が分かるような氣がします。
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戒壇院.
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西塔は本堂にあたる釈迦堂を中心とする区域です。
東塔から北へ1キロメートルほどのところにあり、第2世天台座主寂光大師円澄によって開かれました。本堂は釈迦堂(転法輪堂)です。他に修行のお堂であるにない堂や伝教大師最澄上人の御廟所である浄土院などがあります。
また、一般の方々の研修道場である居士林もあり、修行体験をすることができます. -
比叡山で修行した僧侶達。
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親鸞聖人が修行した場所。
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同じ形をしたお堂が廊下によって繋がっています。正面向かって左が、四種三昧のうち、常行三昧を修す阿弥陀如来を本尊とする常行堂、右が法華三昧を修す普賢菩薩を本尊とする法華堂です。弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担ったとの言い伝えから、にない堂とも呼ばれています。国重要文化財に指定されています。
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法華堂。
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常行堂。
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釈迦堂 転法輪堂(重文) - 西塔の中心堂宇で、釈迦堂ともいう。信長による焼き討ちの後、文禄4年(1595年)、当時の園城寺弥勒堂(金堂に相当し、南北朝時代の1347年の建立)を豊臣秀吉が無理やり移築させたものである。現存する延暦寺の建築では最古のもので本尊は釈迦如来立像(重文)。
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法然上人修行の地。
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横川は本堂にあたる横川中堂を中心とする区域です。
西塔から北へ4キロメートルほどのところにあり、第3世天台座主慈覚大師円仁によって開かれました。本堂は、遣唐使船をモデルとした舞台造りの横川中堂です。他に往生要集著者の源信僧都が隠居していた恵心堂やおみくじ・魔除けの角大師で有名な元三慈恵大師良源を祀っている四季講堂(元三大師堂)などがあります。 -
横川の本堂にあたるのが、この横川中堂です。舞台造りで全体的に見て船が浮かんでいる姿に見えるのが特徴です。お堂の中央部が2メートル程下がっていて、そこに本尊として慈覚大師作と伝えられる聖観音菩薩が祀られています。
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横川中堂。
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慈恵大師(良源)(元三大師)の住居跡と伝えられる元三大師堂は、康保4年(967年)、村上天皇の勅命によって四季に法華経が論議されたことから四季講堂とも呼ばれています。
現代のおみくじの形は、元三慈恵大師良源が考え出したと言われており、この元三大師堂はおみくじ発祥の地となります。 ここでは、角大師(つのだいし)のお姿を授与していて、魔除けの護符になっています。 -
横川中堂の入口。
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虚子の塔。
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横川から下ると展望台があります。展望台の裏手の山中に横川の定光院が見えます。「南無妙法蓮華経」と僧侶が読経する声が響いてきます。日蓮上人修行の地だそうです。
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本日の夕食も和食
前菜 串焼きの先の赤いこんにゃくが近江こんにゃく。 -
椀盛。
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お造り。
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赤独活。
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のど黒の煎り米焼き。
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ご飯。鯛のあら炊き。
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デザート いちごの蕨もち。
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4月17日朝。長浜を臨む。今日は竹生島観光の後、東京に500キロの旅。
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彦根港 オーミマリン琵琶湖観光船。
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竹生島が霧の中に見えて来た。
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左上 船廊下 右上 都久夫須麻神社本殿。
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お馴染みの歌「琵琶湖就航の歌」の歌碑。観光船の中でよく似た曲を流していました。「琵琶湖哀歌」と言う歌だそうです。こちらも素敵な曲ですね。七里ヶ浜哀歌と琵琶湖就航の歌のミックスです。第四高等学校(金沢)ボート部員11名の琵琶湖での遭難事故を歌ったものだそうです。
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宝厳寺本堂(弁才天堂)。平安時代末から弁才天が祀られ、弁才天を本地仏として「竹生島権現」「竹生島弁才天社」と称されるようになった。現在も「日本三大弁才天」の1つに数えられており、中でも当社は「日本最古の弁才天」「弁才天の発祥地」ともいわれる。宝厳寺との習合状態は江戸時代まで続いたそうです。
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石造五重塔。
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お遍路さんの姿が目立ちます。
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唐門(国宝)は唐破風をもつ門を意味します。豪華絢爛な桃山様式の唐門の代表的遺構で、もとは京都東山の豊国廟の正門に使用されていた極門が移築されたものといわれています。
この移築工事は慶長8年(1603)、豊臣秀頼により、片桐且元を普請奉行としておこなわれました -
宝厳寺唐門(国宝)
年代 慶長8年(1603) 唐門正面 指定年月日 昭和28年(1953)3月31日 -
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この観音堂、唐門ともに豊臣秀頼の名を受け普請奉行の片桐且元が1603年に移築したと伝わります。観音堂唐門に続いて千手観世音菩薩を納めたお御堂があります。西国三十三所の第三十番の札所で、重要文化財に指定されています。このお堂は傾城地に建てられた掛造りで、お参りする仏間は2階にあたります。天井裏にも昔の絵天井の名残が見て取れると思います。
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都久夫須麻神社本殿(国宝) 宝厳寺観音堂から舟廊下を渡ると都久夫須麻神社本殿(国宝)の横に出ます。この本殿は、伏見城の遺構とされ襖や柱、欄間の絢爛豪華さに桃山美術を見ることができます。 特に、襖絵、天井画は、桃山時代後期、日本画壇の中心的存在であった狩野光信(1564〜1608)の筆と伝えられています。本殿は創建以来数度の火災で焼失し、永禄10年(1567)に建されました。その後、慶長7年(1602)に豊臣秀頼が、片桐且元を普請奉行として伏見城殿舎を移築したものが現在の本殿です。内装は華絢爛で、内部の壁貼付、襖・折上格天井の鏡板には、金地著色の花木・草花が極彩色で華麗に描かれています。また、内部の柱・床・長押などには、黒漆地に花鳥の文様による蒔絵が、外部と内部との欄間、桟唐戸にも造形装飾されており、桃山時代を表する建造物です。中でも襖絵・天井画は、桃山時代後期の日本画壇の中心的存在であった狩野光信(1564〜1608)の作品と伝えられており、四季の草花花卉が金地の濃淡で描かれ、華やかな空間を演出しています。
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観音堂を進んでいくと舟廊下(重要文化財)といわれる渡廊が都久夫須麻神社まで続きます。舟廊下は豊臣秀吉の御座船日本丸を利用して作られたといわれています。
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本殿を出て石段を下りると都久夫須麻神社の拝殿があります。(修理中で拝観出来ない)
平家物語 平経正伝の中には、この拝殿で経正が琵琶を奏でるシーンが書かれています。
この拝殿のかわらけ投げは、素焼きの小皿に願いを書き岩場に立つ鳥居に向かって投げ、鳥居をくぐれば願い事が叶うといわれています。 -
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多景島。
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彦根城。
名神、東名を乗り継ぎ一路東京に。
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