2013/07/10 - 2013/07/10
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belleduneさん
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2006年に日本100名城の29番に選定された松本城。5時までには来られなかったので、内部の見学は次回にして、じっくりとお城の姿を見ることにしました。
安土桃山時代末期から江戸時代初期に建てられた天守は国宝に指定されています。現存している天守で唯一の平城です。
- 旅行の満足度
- 4.5
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以前は深志城と呼ばれていました。
梯郭式と輪郭式の平城の城郭となっています。 -
天守は連結式望楼型(1593 - 1615) 、複合連結式層塔5重6階(1633)に改築。最上階に華頭窓があります。
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1504年(永正元年)に築城され、築城主は、小笠原長棟、石川数正、康長父子。
主な改修者は、松平直政。
城主は、小笠原氏、石川氏、松平氏、堀田氏、水野氏、松平(戸田氏)。
1871年(明治4)に廃城。 -
現存しているのは、天守、石垣、土塁、堀、二ノ丸、土蔵。再建されたものは、黒門、太鼓門。
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旧開智学校から戻って来た、午後6時過ぎのお城の景色です。7時過ぎるとライトアップでまた違った景色が見られるでしょう。
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明治維新後、1872年(明治5)に天守が競売に掛けられ、一時は解体かと思われましたが、市川量造ら地元の有力者によって、買い戻されました。
天守の基礎工法として採用された天守大の中に埋め込まれた16本の支持柱が老朽化し、軟弱な地盤に、建物の自重で沈み、明治30年から天守が大きく傾きました。
天守保存会が設立され、1903年(明治36)から1913年(大正2)まで明治の大修理が行われました。 -
2011年6月30日の長野中部地震で、天守の壁等25箇所にひびが入る被害がありました。また埋門の石垣がずれたため、埋橋からの入場が停止されています。
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再建された黒門
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再建された太鼓門。松本城には、大手門、黒門、太鼓門の3つの枡形門がありました。太鼓門は、天守築城後の1595年(文禄4)頃、石川康長によって築造されましたが、約230年後の明治4年11月、旧物破壊の風潮の中で取り壊されたままになっていました。
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松本城国宝保存工事、黒門の再建を経て、平成11年3月、128年振りに太鼓門枡形が復元されました。
この門の由来となった太鼓楼は、門台北石垣上に置かれ、太鼓や鐘で様々な合図を送っていました。また櫓門の脇には、重さ22,5トンの巨石「元蕃石」が置かれていたそうです。 -
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石川康長の時代には、天守を中心にして本丸、二ノ丸(内曲輪)を御本城として整備拡張し、三の丸(外曲輪)には、武士を集住させるために、武家屋敷を建設中でした。5箇所の城戸(柵門)は、いずれも櫓門に造り替えられましたが、大手門が枡形門に整備されたのひゃ、小笠原秀政の時代と考えられているそうです。
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枡形門は、石垣、土塀を四角に囲って、外と内を二重に構えたものです。
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二ノ丸御殿跡
1876年(明治9)不審火で当時筑摩県庁となっていた二ノ丸御殿が全焼しました。 -
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