2013/03/17 - 2013/03/17
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アルプ・グリュムさん
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東海道五十三次の24番目の宿場で大井川の川越のために賑わっていた宿場です。
普段は宿場内だけの散策ですが今回は旧金谷町の大井川河岸から掛川市の日坂宿までの旧東海道をすべて歩きました。
街の喧騒から離れた旧東海道には復元された石畳があり江戸時代の旅人と同じ気分で散策することがでました。
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江戸時代の大井川には橋は架けられていませんでしたが最寄りの県道381号の橋をスタート地点とします。
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大井川に架かる橋の歩道部分には着物姿の旅人の女性の絵が描かれいます。
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金谷宿の始まる旧東海道が地点から大井川を見ています。
前回は島田宿の紹介で大井川まで来ましたが、今回は金谷宿をすべて歩き、掛川市境まで歩きました。 -
旧東海道を歩きます。
ここからが金谷側の起点となります。 -
旧東海道と同じ道路幅がが当時を偲ばせています。
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後ろを振り返ると大井川が見えます。
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水神公園には金谷宿の川越に関する案内板があります。
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大井川の島田宿側には大井川川越遺跡が復元保存されていますが金谷側にはこの案内板だけとなっています。
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案内板の横には川越の光景が描かれてあります。
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水神公園には仲田源蔵翁碑があります。
仲田源蔵は川越制度が廃止され、職を失った人足と共に牧之原に大茶園を開墾しました。 -
新堀川に架かる八軒屋橋には川越光景が描かれています。
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街道沿いの家には屋号だけが掲げられています。
ここは九番宿跡です。
宿といっても宿泊施設ではなく、川越人足が一番宿から十番宿に50人ずつ分けれれ待機していた場所です。 -
ここは八番宿跡です。
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江戸時代の旧家の加藤家跡
平成16年に取り壊されたそうで、復元をめざしています。 -
ここは三番宿跡です。
家は新しいが屋号だけが時の歴史を感じさせてくれます。 -
新金谷駅裏には日本左衛門首領(宅円庵)があります。
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江戸時代の泥棒日本左衛門のと伝えられる「日本左衛門の首塚」があり愛人がひそかに首を持ち帰りこの宅円庵に葬りました。
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宅円庵裏には大井川鐡道の客車が見られます。
私は旧東海道を散策するのも好きですが鉄道も大好きです。
写真の車両は大井川鐡道の車両ではなく公益財団法人日本ナショナルトラストの車両です。 -
新金谷駅の前に足を延ばすと今では博物館でしか見られない蒸気機関車、旧型客車がゴロゴロしています。
転車台のC12 164は公益財団法人日本ナショナルトラスト所蔵の車両ですので普段は新金谷駅構内で休んでいます。(休んでいるといっても休車ではなくいつでも運転可能な状態です。) -
このオハニ36 7も公益財団法人日本ナショナルトラストの車両です。
荷客合造車と呼ばれるこの車両もJR東日本に一両しかない代物でもちろんいつでも動かすことができます。 -
新金谷駅前には大型バスが何台も駐車できる大駐車場があります。
以前はJR金谷駅の横にある大井川鐡道の金谷駅から蒸気機関車が発着していたのですが新金谷駅発着に変更されました。 -
旧型客車は日本各地でどこでも見られたのです。
何故か大変懐かしい日本の田舎の光景を思い出します。 -
大井川鐡道は新金谷駅だけでも旅行記が編集できそうですが旧東海道の散策を続けます。
大井川鐡道と交わる旧東海道の踏切からの写真です。
写真のC56 44はタイで活躍されていたSLで以前はタイ語の文字ままで運転されていました。 -
本題に戻って金谷宿の散策を続けます。
大井川鐡道の新金谷駅横の踏切の道路は旧東海道です。
観光客はこの道路が旧東海道と知る人は皆無だと察します。 -
佐塚本陣跡
島田市が設置した木製の碑が建てられていたのですが壊れたので撤去したそうです。
木製ではなく石碑等で設置を願いたいと思います。(後世のために)
金谷宿には山田屋、佐塚屋、柏屋の三軒の本陣と脇本陣、助郷会所がありました。 -
島田市金谷南地地区交流センター/島田市商工会前には柏屋本陣跡の碑があります。
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柏屋本陣跡
木製ですので朽ちるのも時間の問題です。 -
お七里役所跡があった河崎屋本店
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お七里役所跡
七里毎に置かれた飛脚の中継所です。 -
金谷宿の当時の地図が掲示されてあり本陣、脇本陣、旅籠が描かれています。
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金谷駅ガード下にある一里塚跡
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一里塚跡
街道の1里(約3.927キロメートル)毎に旅行者の目印として設置した塚(土盛り)で、金谷の一里塚がここにありました。 -
旧東海道、石畳への案内板が設置されています。
島田市ではなく金谷町となっていますが金谷町が島田市に編入されてずいぶんと年月が経過しています。 -
JR金谷駅
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JR金谷駅の横には大井川鐡道金谷駅があります。
地元住人の乗り換え駅となっていてひっそりとしていますがSLに乗車する観光客は大駐車場が完備されてある隣の新金谷駅が乗り換え駅です。
SLも以前はこの駅から発着していたのですが、今は隣の新金谷駅です。
大井川鐡道の「鉄」は金を失うと呼ばれるので敢えて昔の文字の「鐡」にしているそうです。 -
JR金谷駅のガードを抜けると本遠山長光寺があります。
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本遠山長光寺には芭蕉の句碑があります。
「道のべの 木槿は馬に 食はれけり」と詠われ大井川越ゆる日は、終日(ひもねす)雨降ければ、秋の日の雨江戸に指折らん大井川 ちり(千里)
馬上吟
道のべの木槿は馬にくわれ鳧 -
金谷大橋
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金谷大橋は金谷宿の西に入り口とされています。
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旧東海道は上り坂が続き古い家並みが軒を並べています。
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旧東海道を金谷駅方向を見下ろします。
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旧東海道石畳入口とすべらず地蔵の案内板が見えます。
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旧東海道石畳は復元されたといえ江戸時代の旅人気分に浸れます。
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石畳の途中にある石畳茶屋
店内には金谷宿を紹介するコーナーがあります。 -
鶏頭塚
蕉風を広めた俳人六々庵巴静(はじょう)の句「曙も夕ぐれもなし鶏頭華」が刻まれた自然石の碑。 -
庚申塔
この金谷坂の庚申堂も昔から土地の人々に信仰されたもので、江戸時代の大泥棒日本左衛門は、この庚申堂で夜盗の姿に着替えたと伝えられています -
石畳は続いて行くます。
写真では分かり難いのですが上り坂です。 -
六角堂地蔵尊 すべらず地蔵
石畳の道が「すべらない」ことから、受験や商売などの願いが叶うということからきているそうです。
祈っているのは受験生でしょうか! -
金谷宿石畳の案内板
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全長430mの石畳はここで終了です。
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明治天皇...
島田市の案内板はどれも木製が多くで文字がかすれて読み取れません。 -
旧東海道はお茶の畑の横を通ります。
牧之原台地のお茶はブランド品です。 -
諏訪城跡
建造物は一切ないので森の中に迷い込んだ感じです。
もう少し案内板が設置が充実してあればと思います。 -
再び石畳です。
こちらは菊川坂です。 -
菊川坂を下ります。
復元されたのはよいのですが石畳を下るのは疲れます。
この辺りはJRの駅、国道一号線とも離れた場所となるのでとても静かです。 -
菊川坂の案内板
161mあるそうです。 -
頂上まで0.6Km 菊川坂
東海道を下る私にとっては頂上から降りてきているのです。 -
更に下ります。
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石畳は続きます。
先には小夜の中山の標識が -
静岡県の案内板には菊川の里
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昔をしのぶ 間の宿 菊川
菊川は旅人の休憩用として便宜されていましたが、間の宿は金谷宿と日坂宿との宿で大井川の増水時に足止めのために緊急的に宿泊が許されたそうです。 -
菊川の里会館
前面は広場になっていて碑、トイレがあります。 -
徳川由来の石、詩人の碑が並んであります。
間の宿菊川は史跡とロマンの里です。 -
菊川の里会館横にはトイレがありますが籠のデザインです。
ここには路線バスも運行していますが一日の本数は5本だけです。 -
本当ここが旧東海道かと疑いたくなる道です。
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茶畑で見かける扇風機のような代物は、ずばり扇風機です。
お茶は地表の気温が氷点下に下がると枯れてしまうために上空の空気を地表に拡散させているのです。 -
周囲は見渡す限りお茶の畑です。
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島田市から掛川市の市境です。
車のナンバーも静岡ナンバーから浜松ナンバーに変わります。
金谷の旧東海道は徒歩で歩いたことになり、掛川市の日坂宿に向かいます。
日坂宿については別に記します。
旅行記ランキングには全く興味がないので投票は無意味です。。
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