2011/06/08 - 2011/06/14
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DragonEyeさん
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JTB 旅物語 とくもり上海・江南8都市大周遊7日間という団体旅行に妻と参加したのは大震災のあった2011年。4月出発予定だったのをいったんキャンセルし、やや落ち着いてから6月に出かけたものである。29,800円という格安価格で、燃油サーチャージなどを含めても一人45,000円の支払いで済んだ。
妻は食の安全や大気の汚染のひどさから中国嫌いになっているのだが、一人で参加すると3万円高くなってしまう。そのため、無理に連れて行った。
私は団体旅行は嫌いなのであまり利用したことがないのだが、さらりと見て回るには悪くないかも知れない。一週間行動を共にしたツアー同行者たちを観察するのも面白かったし、現地ガイドがいかにあくどい事をするかも良くわかった。土産物屋を連れ回されるのには閉口したが、全体的にはなかなか面白い旅だった。
おまけに、妻が中国茶を気に入るという予想外のメリットもあった。
同様のツアーは今でもいくつかの旅行社で催行されているので、少しでも参考になれば幸いです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 1.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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-
この旅行は全6泊。蘇州・杭州・上海にそれぞれ連泊だった。
旅行代金が格安なのでホテルの質が心配だったが、実際に泊まってみてそれは杞憂に終わった。
ここは初日と2日目に泊まった蘇州の雅都大酒店。
堂々とした建物であり、グレードは最高ランクの五つ星だった。 -
室内は広くて落ち着いており、内装もシーツも清潔。カーペットにもシミ一つなく、隣室や廊下からの物音も気にならない。
妻が一番気にしていた浴室も大き目の浴槽がきちんと備わっており、日本人には有り難い。
初日は上海空港から蘇州へと移動しただけで夜になった。
この夜だけ食事が付いていなかったため、ホテル近辺のKFCで食べた。 -
2日目はバスの故障で出発が1時間遅れた。
ホテルの豪華さとは裏腹に、かなりくたびれたバスであった。
最初に向かったのは太湖湖畔にある無錫の三国城。
ここは三国志の撮影に使われたというだけの、全く新しいアミューズメント施設である。 -
初夏のこととて当日の気温は35度を超え、その強烈な日差しに立っているだけで汗が噴き出るほど。
追加料金を取られて電動カーに乗る事を半ば強要された。
赤壁の戦いを撮影したという汚い池と城壁のミニチュアを見せられ、船で短時間の太湖遊覧。その後、この寺だか宮殿だかのセットを見ただけの駆け足観光。
電動カーに乗せたのは炎天下での客の健康を心配してというよりも、次に行く真珠屋へ早く連れ込みたかったからのようだ。
何しろ出発でつまずいて1時間のロスがでている。
現地旅行社としては土産物屋で金を使ってもらわないと採算が取れないのだろう。
そもそも三国城には見るべきものがなく、真珠屋へ連れて行くためだけの日程である。
真珠屋ではまず階段教室のような部屋にツアー客を入れ、怪しげな日本語を操るおやじがプレゼンと売り込みをする。ミキモトをさかんにけなして自分たちの真珠の長所をアピールし、真珠クリームを売りつけるのだ。
60人ほどもいるから、1万円のものでも買う人が多いのには驚く。
その後は売り場に連れて行かれてほぼ軟禁状態。
店員はどれも日本語が達者で押しが強く、ちょっと断ったくらいでは離れようとしない。
バスの中で同行者を口汚く罵っていたおばさんが黒真珠を勧められ、断ってもしつこく食い下がる店員に後を付きまとわれた。
10分ほども責められているので断ってやろうかとも思ったのだがバスの中の印象が悪かったので静観していると、ついに16万円のネックレスを買わされていた。
中国人には毅然とした態度が必要である。 -
真珠店の後、杭州へ戻って獅子林へ。
蘇州四大名園の一つにして世界文化遺産である。 -
イチオシ
太湖で採れる、無数の穴を持った太湖石。
これが昔は観賞用として金持ちや貴顕の間で珍重されたらしい。
確かに奇岩である。
複雑に穴が連続してその縁が鋭いところから、水の浸食でできたとも考えにくい。
どこまで人の手が加わっているのかわからないが、一見の価値はある。 -
池を配した庭園には太湖石と花崗岩で小山やトンネルが作られて迷路ふうになっている。
ガイドの説明によると、清代の皇帝が出られなくなって面白がったという。
自由時間にはガイド無しで入ったのだが、確かになかなか出られなくなる。 -
ホテルへ戻る途中で虎丘が望める橋に立ち寄る。
ガイドによるとピサよりも古い斜塔らしいが、見物する日程ではなかった。 -
3日目は朝から雨。というか、前夜半にはかなり激しく降った。その雨の中を寒山寺へ。
専用バスでの移動だから目的地のすぐそばまで運んでもらえるのがありがたい。団体ツアーのメリットである。
寒山寺は日本とのつながりが深く、1914年には梵鐘が寄贈されているし、大晦日の除夜の鐘も30年ほど前に日本人が持ち込んだ行事という。
東日本大震災二週後の3月25日には、この寒山寺で「日本東北関東大震災犠牲者慰霊大法要」が営まれてもいる。
しかし、尖閣国有化をきっかけにした反日暴動のあおりで、寺は賽銭箱などに刻まれた寄付者名から日本という文字を消したという。 -
梁の天監年間(502年 - 519年)に創建されたといわれる寒山寺だが、戦乱や火事で何度も焼失している。
現在の堂宇は清の光緒年間である1906年以降に逐次再建されたもの。
なかなか風情のある五重の普明宝塔であるが、宋時代には七重の塔が建っていたという。 -
イチオシ
皇帝の色である黄は勅許寺でのみ使う事ができた。
寺名篆刻はいかにも取ってつけたような姿だが、清代のものらしい。
1954年の改修工事の際に土の中から発見されたというから、実際に後からはめ込んだのだろう。
字体は美しい。 -
やはり日本人。
中国人観光客たちに奇異の目で見られながら、線香の煙をせっせと髪や体にかける。 -
大雄宝殿に鎮座する、金色に輝く釈迦牟尼仏。
文字通りキンキラキンである。
寒山寺は禅宗である。
禅といえば墨絵を連想し侘び寂びに通じるものという印象があるが、中国人のイメージはずいぶんと違うようだ。
文化大革命で破壊され、1983年になって作られたきわめて新しい仏像でもある。 -
回廊。
鐘のような物がいくつも吊り下げられている。
よく見ると提灯・ランタンの類らしい。 -
寒山寺が世に広く知られるようになったのは、七言絶句「楓橋夜泊」によるところが大きいという。
これはそれを刻んだ碑である。
雨の降る中で結構時間を取って、ガイドはここで詩の意味まで説明してくれた。
日本でも有名であると信じているようだったが、日本人が漢詩・漢文を教養の一つとしていたのはもう昔話。
ほとんどの同行客は雨の方が関心事だった。 -
イチオシ
途中から土砂降りになる。
その夜のホテルで見た現地ニュースによると、かなり広範な集中豪雨だった。
長江の上流では氾濫によって洪水が発生し、死者20人ほどと報じられていた。 -
寒山寺の後、刺繍研究所という所へ連れて行かれる。
研究所とは名ばかり、刺繡製品の販売店である。
ここには入り口付近に生糸生産設備が置いてあり、我々が入っていくとおばさんたちが実演作業を始めた。 -
8個前後の繭から糸を引き出して一本にしている。
実際に湯が使われていて、湯気が立ち昇っている。 -
説明は一切なかった、というか、足を止めて見物したのは私だけだから仕方ない。
写真を撮る者さえなく、導かれるままに奥へと歩いていく。
団体ツアーとなるとどうして皆が言いなりになるのか、私は不思議で仕方ない。
自分の興味に従って動くという事を一切放棄しているとしか思えないのだ。
ガイドが急かすが、全員を集めての商品説明など聞く気はないので一人ゆっくりとこの作業や機械類を見て回った。 -
これは途中で糸が切れた物のようだ。
後でガイドに、中の蚕は食べるのかと尋ねたところ、今は食べていないと思いますとの答えだった。
ということは食べている者もいるんだな。
それにしてもここで売っている絹製品はどうみても市価の5、6倍はしようかと思われる完全な日本人向け価格である。
それでも同行の皆さんはせっせとお買い物。
おかげで私たちも低価格で旅行ができ、感謝にたえない。 -
杭州へ向かう途中で烏鎮に寄る。
その名が記録に顔を出すのは唐代の872年というから、1100年以上の昔から街として存在していた事になる。
今回の旅行で西塘と共に最も私が期待していた水郷古鎮である。
ただし、この牌坊は真新しくてげんなりする。 -
イチオシ
川に沿った街並みは世界中に見られるが、烏鎮のたたずまいは美しい。
枕水人家と呼ばれる、水面に張り出した建屋が特徴的である。
ここ逢源双橋からの眺めは特に美しく、まるで映画セットのようだ。 -
観光用手漕ぎ舟の発着場も周囲に溶け込んでいる。
-
香山堂という薬屋の跡。
今でもこれくらいの店は田舎では珍しくないから、それほど古いものでもない。 -
東大街を歩く。
観光用に修復されているとはいえ、建物には随所に傷みが見られる。
左の家は前日からの雨を避けるためか、ビニールが貼ってあった。
木造長屋のように見えるが、家と家の境はレンガ壁になっている。 -
宏源泰染坊という藍染工房が現役稼働中。
しかし自由時間が短いために、内部まで見学する余裕がない。 -
アルコール55度の三白酒、12度の白餅米酒、4度の甘白酒を昔ながらの製法で造る工場も稼働中。
面白そうなので入ってみる。 -
中庭に寝かされた甕。
その黒っぽい色と露天という条件から考えるに、真夏には直射日光によって中の酒が湯のようになるのは間違いない。 -
うへっ、汚い! と、思わず呻いてしまった。
藁と古新聞で蓋の密閉をとっているのだろうが、奥の物は紙が溶けて藁は腐っている。 -
通路に置かれた甕もある。
天日に晒された場所に置く物とは品質が全く違うだろう。
さすが中国である。 -
意外すぎるほど小さくてシンプルな醸造装置。
この横でおじさんが蒸した米を釜からあけていた。
写真を撮ろうと思っているうちに作業が終了するほど少量である。 -
おじさんの後を追って外に出る。
さすがに薪や炭ではなく、釜の燃料には石炭を使っていた。 -
百花庁とも呼ばれる徐家の豪邸跡。
木彫が素晴らしい。
この中庭など、小粒ではあるが溜息が出てしまう。 -
この中庭は一面の彫刻に囲まれていると言っても過言ではない。
それもいい加減な彫りではなく、どれも見事なものだ。
富豪ともなれば、酒、博打、女、と好きに遊べただろうが、ここの当主は屋敷に金をつぎ込んだようだ。
王や領主は領民から搾り取った金で城館を作るし、立派な寺廟も喜捨で建てられたもの。いずれも不労所得である。
徐家が何で財を成したのかは知らないが、個人でこれほどのものを作るとはよほど金が有り余っていたとみえる。 -
内部の展示品。欄間の彫り物のように思える。
精緻さも素晴らしいが、一本の木というのがまたすごい。 -
情景はちょっと不明。
商人らしい装束の人が群がっているところをみると、商売繁盛といったところか。 -
中国の金持ちが好きな縁起物。
かなりの大きさだがこれも一本の木を彫刻したものである。 -
金箔や塗料が剥げかかっているが、往時はさぞかし美しかったであろう。
-
イチオシ
運河に沿って街並みが続き、片側には屋根付きの回廊が巡らせてある。
観光客を乗せて行き来する小さな舟も水郷の趣がたっぷり。 -
屋根が波打っている。
あまり新し過ぎても興醒めするけど・・。 -
中国内でもここは人気のある観光地らしい。
若者がほとんどである。 -
修復されていない家も多い。
いずれも普通に人が暮らしており、生活の匂いがする。 -
窓辺に並べられた鉢植え。
6月だというのに花よりも葉物が多いのは食用なのか。 -
2階の窓にはガラスの代わりにビニールが張られている。
1階も相当傷んでいる。 -
この家は屋根が波打っている。
千年古鎮と銘打ってはいるが、建物はせいぜい清末のものである。
中国の建物は耐久性が低いのか、それともかなり手入れが悪いのだろう。 -
緑色に濁った運河でおばさんがお洗濯。
古鎮だからというわけではなく、中国では未だに都市部でさえ川や運河で洗い物をする。
このおばさんが洗っているのは衣類だが、食器や食材さえもこの水で洗うのが普通である。 -
暮色が濃くなってから杭州に到着。
雨はようやく上がり、西湖巡りの観光船に乗る。
我々ツアー客だけの貸し切りだった。 -
暮れなずむ中を河坊街でショッピング。
私は杭州に住んでいたのでここには一年ぶりだ。
古そうな街並みではあるが、観光用に新たに作られたものだ。
一年しか経っていないのに見覚えのある建物がいくつも消えており、周辺は映画セットのような景色が広がっていた。 -
杭州でのホテル、海外海百納大酒店。
ここもグレードは五つ星である。しかしフロント係の態度は最悪だった。
妻を置いて私一人で外に出たら部屋番号を忘れてしまい、名前を告げたのに全然違う番号を教えられた。
引き返して文句を言うと、団体だからわからないと言い始め、果ては英語がわからないふりまでする。
若いくせに典型的な旧中国的意識の女の子だった。
こういう相手には強圧的に出るしかない。
怒鳴るとようやくしぶしぶ調べたのだった。
最初からそうしていろ! -
室内はまあまあの広さで内装は真新しい。
それはいいとして、写真でわかるように浴室がガラス張りで中は丸見えである。
ラブホテルじゃあるまいし、どういう神経なんだろう。
このホテルは杭州の中心部からかなり外れた地域にあり、タクシーでかなり走らないと町には出られない。
周辺にはろくに店さえない立地である。 -
4日目は紹興。
無錫でもそうだったが、紹興に着くと現地ガイドだという女性がバスに乗り込んできた。
JTB提携の中国旅行社のガイドが全日程にわたって二人も添乗しているのにである。旅行社の縄張りでもあるのだろうか。
観光の前に、朝一番で連れて行かれたのがこの紹興酒工場だった。
「皆さんは運がいいです。いつもなら混み合って大変なんですから」と新顔ガイドがありがたがらせるが、帰るまで他のバスなど1台も入ってこなかった。 -
前日に烏鎮で見た酒造り工場とは違って規模が大きい。
酒を仕込んだ甕も屋根付きで風通しの良い場所に置かれている。
しかし工場内を見る事もなく、バスを降りるとすぐに試飲室へと導かれる。
例の紹興のガイドという女性に文句を言うと、「今は酒造りの季節じゃないから見れるわけないでしょう」とほざいたものだ。
おばさんであるが、その生意気な言い方にはひっぱたいてやりたくなった。
どっちが客だ!
完全にナメている。 -
ようやく観光に連れて行ってくれた。魯迅故里である。
紹興は魯迅が誕生から16歳までを過ごした故郷であり、ここには魯迅生家、魯迅祖居、魯迅記念館、三味書屋などの建物が集められ、その生涯を紹介する資料館が併設されている。 -
私の知る魯迅は阿Q正伝や狂人日記の著者であるが、中国では革命家・思想家と位置づけられていた。
魯迅故居とか魯迅博物館と称するものが中国各地にいくつもあるのだが、その理由にようやく合点のいく思いだ。
この場所も「全国重点文物保護単位」「全国優秀社会教育基地」「愛国主義教育モデル基地」などに指定されており、中国政府の、というか共産党の思想教育の一端を担う施設になっている。 -
魯迅祖居だから、先祖代々住んでいた建物らしい。
その客間である。 -
三味書屋といって、魯迅が12歳から17歳まで学んだ塾とされる。
紹興に住んでいたのが16歳までなのに17歳までここへ通ったというのは辻褄が合わないが、そうしている資料が多い。 -
魯迅記念館。
遺品がいくつかと情景を表す人形が何体かあるが、中心は文字と写真の展示であり、はっきり言って普通の日本人には5分で飽きる。 -
正面玄関横に置かれた藤野先生像。
魯迅が仙台医学専門学校に留学していた時の恩師だという。
この胸像に加えて館内には魯迅との2ショットの蝋人形まであり、破格ともいえる扱いである。
孫文が梅屋庄吉に恩義を受けていたのはよく知られるところだが、藤野先生のことは私も初めて知った。
日本人も昔は偉かったのだ。 -
魯迅故里観光終了後、バスに全員が戻ってもなかなか発車せずにガイドたちが外で話し合っている。
どうしたんだと思っていると、例の女ガイドが、「古い街をリンタクで回りたい人は紹介してあげます」とおためごかしを言う。
「私が手配しますから、一人100元でいいです。安いでしょう」と恩着せがましく言いながら金を集める。
リンタクは2人乗りで、料金は一台20元程のもの。
それを一人100元も取るのだから、夫婦で乗れば10倍前後も払う事になる。
当然リンタクの運転手には正規料金しか払わないから差額はこの女ガイドのポケットに入る。
超悪質ガイドだ。 -
ツアー同行の人たちは事情を知らないから、8人が応じた。
何台使ったのかは知らないが、700元程度はガイドの女が労せずして稼いだ事になる。
前年の大卒者の給料が2000元前後である事を考えれば、いかに法外な儲けかがわかる。
我々はリンタクが帰ってくるのを待つ間、周辺を歩いた。
こんな雨の中をリンタクに乗る事自体が酔狂である。 -
杭州に戻って中国茶葉博物館を見学。
この頃には雨足は一段と強くなり、途中では道路が冠水しているところさえあった。
これは昔ながらの茶揉み機。純木製である。
中国茶は茶葉の種類だけでなく、製法にもいろんな方法があって味を特徴付けている。 -
イチオシ
5日目は杭州から上海へ向かう途中で水郷古鎮の西塘に寄った。
観光地化されたのはわりと新しいという。
素朴さが漂う烏鎮を見た後だけに、観光で稼ごうという姿勢がいやに目に付く。
運河沿いの家はほとんどが宿屋か食堂だし、提燈や店の看板がごちゃごちゃとうるさい。
しかしそれを差し引いても、古い街並みが持つ懐かしさのようなものには惹かれる。 -
「煙雨長廊」と名づけられた屋根つきの運河沿いの回廊を歩く。
全長が1000メートルもあるらしい。
日曜日なので国内観光客でごった返している。 -
この日も雨模様で雲が低かった。
それが古い街にいっそうの風情を添える。 -
西塘の特徴の一つ、「弄堂」と呼ばれる狭い路地。
街全体では120本以上もあって、迷路や行き止まりになっている所もあるという。 -
環秀橋。
正面から見ると運河に映る橋と合わさって、中央が正円に見えるらしい。 -
人でごった返してなければもっといいのに。
-
クーラー室外機は覆いを付けて目立たないようにしている。
-
運河沿いもメインの道も観光客相手の店ばかり。
どこか撮影セットを歩いているような、あるいは人が多いために祭りの門前町のような気がしてくる。 -
上海に着いて、上海博物館を見学。
日曜日で、しかも無料とあって来場者が多い。
閉館が近づいていて入場制限が行われるぎりぎりの時間だったが、入り口にはまだ行列ができていた。
中国人の特性として、その列に割り込む者の多いこと。
私は慣れているが、ツアーの同行者は驚き呆れていた。
北京オリンピックや上海万博など、国際的な催しがあるたびに中国ではマナー向上が叫ばれるが、終わればまた元に戻る。
この調子で中国人観光客が世界に出かけていくのだからたまりません。 -
人が多いのと時間が限られていたので、ゆっくり見学するのは不可能。
比較的空いていた銭幣館に入る。
これは昔の銭の鋳型。 -
紙幣を印刷する版である。
説明板には「至元通行宝鈔 弐貫」とある。
元の時代のもの。 -
チベットの面。
京劇をイメージさせる中国の面とは全く違う、チベット族の独自文化であろう。
インドネシアにも似たような悪鬼の面があるのを思い出す。 -
唐三彩の馬。
館内はフラッシュ禁止である。
私も含めて外国人観光客はそれを守っているというのに、平気でフラッシュ撮影する中国人の多いこと。
中国は、やはり政府自身が言うように、先進国ではないのだ。 -
イチオシ
夕食を終えて上海のホテルにチェックイン後、妻と買い物に出る。
ツアーで連れて行かれる土産物屋はぼったくり価格なので絶対に買わない。その代わりにお土産は市中のスーパーで調達する事にしているのだ。
添乗のガイドに近くにスーパーはないかと尋ねた。
「ここは上海のど真ん中でオフィスばかりです。人が住むのは郊外だからスーパーなんかありません」
あこぎな真似をした紹興の女性ガイドよりはましだと思っていたが、こんな見え透いた嘘を言い切る。
ホテルは地下鉄東安路站から徒歩2分、周辺は下町であることくらい出発前に調べてある。
こういう仕事をしていると、日本人は馬鹿で金払いが良く何でも言いなりになると思い込んでしまうらしい。
こんな奴を相手にするのは時間の無駄なので、まだ何か言っているのを無視してホテルのフロントへ。
そうしたら英語が通じた。さすが上海、その英語もうまい。
しかも歩いて5分の所にカルフールがあった。
そのまま買い物に行き、いったんホテルへ土産物を置いてから、地下鉄で東方明珠塔へ行った。 -
地下鉄乗車券の買い方を近くにいた若者に聞いたら、またも英語が通じた。
繰り返すが、やはり上海である。
彼は我々が改札ゲートを通るのを見ていたが、妻の券がはじかれてしまうと職員のいる所を教えてくれた。そして妻が無事通り抜けるのを見てから自分も改札を通った。
嬉しいことに、見守っていてくれたのだ。
中国人は基本的に親切なのだ。
途中一回乗り換えて陸家嘴站で降り、地上へ出ると明珠塔は目の前だった。
雨上がりのために、予想を大幅に裏切って綺麗な夜景だった。
遊歩道のような造りの、6mほどもある幅広の歩道橋がぐるっと伸びて景観を堪能できるようになっている。
明珠塔の反対側には高層ビルが立ち並び、躍動する上海の勢いを感じずにはいられない。
上海環球金融中心と金茂大厦もはっきり見えた。 -
上海でのホテルは、上海徐匯国際行政公寓。
公寓とはアパートの事なのでどんな所かと心配だったが、四つ星の大きなホテルだった。
それはともかく、東方明珠塔から戻ってみると高層階のイルミが全部消えていたためにホテルがわからなくなった。
出口を間違えたのかと思って地下鉄駅に戻ったりしたが、結局は通行人に訊く羽目になった。
するとその女性は知らないと言って、犬と散歩していたランニングと短パン姿のおじさんに尋ねてくれた。
訊かれて日本人だと言うと、有り難い事にわざわざホテルまで一緒に行ってくれるのだった。
ようやくホテルがわかったので礼を言い、我々はその手前のコンビニで飲み物を買った。
出て行くとおじさんが店の前で犬と遊んでいた。
ずっと待っていてくれたのだ。
そして我々がホテルに入るまで一緒にいてくれた。
もう恐縮しまくって、ただただ謝謝を連発するしかなかった。
中国人は本当に親切である。 -
部屋はそれほど広くはないが、左手にL字形にデスクスペースがあって、写真の印象ほどには狭くない。
ここも清潔で気持ちの良いホテルだった。
ホテルに関して言えば、このツアーは非常にコストパフォーマンスが良い。 -
6日目。上海環球金融中心(森ビル)へ。
100階展望台の高さが477.96mで世界一とのギネス記録を持つ建物である。
実際に上ったのは94階の展望台。
100階は入場料が5割も高いからだろう。
展望台に上るエレベーターは日本製、東芝エレベーターと日立製が使われている。
ガイドはそれを説明もせずに無言で表示板を見上げていた。
実際に乗ったのがどちらなのかはわからないが、速くて静か、振動もほとんど感じないという優れものである。 -
94階展望台(423m)からの眺め。
300mほど先の東方明珠塔でさえようやく判別できる程に視界がきかない。
前夜にあそこまで行った時は雨が上がったばかりでこの建物もくっきり見えたものだが、それから8時間ほどで空気が淀んでしまったのだ。
いかに中国の大気汚染がひどいかがよくわかる。 -
ところで、ガイドから配られたその入場券、最下行には「団体票 (老人) 当日有効」と印字されている。
「団体」はいい。しかし(老人)とは何だ。
確かにご老人もいたが、全体としては60代以上の方が少ない人員構成だった。
気が付いたのは日本に帰ってからであったが、老人割引で入場券を一括購入して差額をガイドが稼いだのだろう。
なんとも姑息な事をするものだ。 -
南翔の古猗園へ行った後、その隣にある小龍包発祥の店で食事。
どちらも写真を撮るほどのものではなかったし、小龍包は台北の鼎泰豊の方が格段にうまい。
その後、写真の豫園商場へ。
しかし、ここまで来ながら、上海観光の目玉である豫園にも城隍廟にも寄らない。ただの散策のための自由時間であった。
それなのに、美術館のような土産物屋には時間を取って連れて行かれた。
驚いた事に、ここで壷や木彫などの100万円もする9点セットを買ったご老人夫婦がいた。
よほどぼったくり価格だよと注意しようと思ったのだが、「一個10万円くらいだから高くない。日本でならもっと高く売れるよ」と、当人が言っているのでやめておいた。
現金で払ったのにも驚いたが、本当に日本人はいいカモだ。
高くともせいぜい2、3万円というところなのに。 -
その夜、オプションツアーで雲峰劇院での上海雑技を見物。
一人270元をガイドに渡したが、後で調べると同じ座席の当日券正規料金は280元、安いところでは前売り券が140元で売られていた。
ガイドが身銭を切るはずがないから、差額を稼がれたのは間違いない。 -
雑技といえばコントーションと呼ばれる柔軟技なのだが、サーカスまがいの演目の方が多かった。
-
ようやく出ました。
真正面の席だったので満足。 -
しかし演じたのはこの二人の少女だけ。
時間も短かったのには不満が残った。
出し惜しみしないで、コントーションだけを見せて欲しかった。
他にも雑技を演ずる劇場はあるので、次回は別のものを見てみよう。 -
イチオシ
7日目は朝食後空港への移動のみ。
ガイドの悪辣さと土産物屋のぼったくりにはほとほと嫌気がさしたが、知らなければどうという事はない。
たぶん同行の他のツアー客は大満足する旅だったことだろう。
観光よりも土産物屋回りに比重が置かれているのは否めないが、料金の安さを思えばそれも許容範囲かも知れない。
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