2013/05/30 - 2013/05/30
40位(同エリア88件中)
ベームさん
8日目、5/30(木)。
ミュールハウゼンからアルンシュタットに行き泊まります。今日も1日曇りでした。
アルンシュタット:人口2万5千人。エアフルトの南15キロ、チューリンゲンヴァルトの北縁に位置する。704年文献に出ておりチューリンゲン地方で最も古い町と謂われる。1266年都市権獲得。
バッハ一族が1687~1732年のあいだ住んだ町で、ヨハン・セバスチャン・バッハも1703~1707年ここの新教会でオルガニストを務めていました。18歳から22歳でまさに彼の奔放な青春時代を送った町です。
写真はマルクト広場にある若き日のバッハ像。ライプチヒのトーマス教会のバッハ像と比べるとなんと若々しいことか。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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地図中央。
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ミュールハウゼン11:59発のREでゴータに寄りロッカーから荷物を取出しアルンシュタットに向かいました。
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ゴータからアルンシュタットへは路線バスを利用しました。時間は鉄道よりかかりますが気分転換になります。バスでは空いていればいつも先頭に座ります。見晴らしが良いのと、バス停などを運転手に訊きやすいからです。バスの運転手は煙草を吸いながらの運転です。
このバス通常の路線バスですが、これから先洪水による急な鉄道のバス代替輸送に振り回されることになります。 -
ゴータ12:48発のバスはアルンシュタット駅前13:40着。
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駅に入り駅名の看板だけ撮りました。
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駅前風景。
乗ってきたバスが停まっています。 -
駅前にある今日の宿ホテルクローネ。
一泊朝食付き51ユーロ。 -
市街地に続くバーンホフ通り。
通りすがりのケーキ屋でケーキとコーヒーの昼食、1.8ユーロ。 -
大きな墓地があり角に聖母被昇天教会/マリア・ヒンメルファートが建っています。
1743年建築。8角形をしていて十字架もなく教会とは分かりません。 -
ヒンメルファーツ・キルヒェ。
1743年墓地教会として8角形の形に建てられた。
1987年来カトリック教区教会。 -
聖母被昇天教会。
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聖母被昇天教会。
管理人らしい人がなにやら説明してくれます。なにか言わなければいけないと思い、テアーター/劇場のようですね、と言うが通じない。何回もテアーター、テアーターと繰り返すが頭を傾げている。色々身振りを加えていると、ああテアーターのことかとようやく分かってくれた。
私の発音するテアーターと管理人の発音するテアーターは同じに聞こえる。どこが違うのだろう。 -
聖母被昇天教会。
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アルター・フリードホーフ。
教会の裏は古い墓地です。 -
この墓地にはバッハ一族の墓があります。
「音楽一家バッハ一族この墓地に眠る」。
バッハ一族はこの地に1732年まで住んでいました。 -
ハインリヒ・バッハ、エヴァ・バッハ、ヨハン・クリストフ・バッハ、マリア・エリザベート・バッハなどの名前があります。
下から2人目、ヨハン・クリストフ・バッハにはJ・S・バッハの伯父と彫られています。 -
リッター通り。
ナイデック城の塔。 -
郵便局。
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リッター通りのネプチューンの泉。
1736年。 -
ナイデック城の廃墟。
1560年。塔は65m。 -
ナイデック城。
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ナイデック城。
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ナイデック城。
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ナイデック城の模型。
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ナイデック城。
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ナイデック城。
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ナイデックギムナジウム。
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ギムナジウムの前のカトリーネン記念碑。
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ギムナジウムの向かいに新宮殿。
1735年。
1919年より城博物館。 -
城博物館。
アルンシュタット候妃アウグステ・ドロテアが蒐集した400体のバロック人形による人形の町”モン・プレジール(私の喜び)”が有名。
写真撮影不可でした。 -
博物館の壁面。
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城博物館。
窓から人が沢山外を覗いています。 -
と思ったら絵でした。だまし絵のようです。
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城博物館・アルンシュタット。
人形蒐集”モン・プレジール/私の喜び” -
人形の町モン・プレジール。
パンフレットからです。 -
歓談の夕べ。
人形です。 -
磁器陳列室。
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シュロス通り。
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シュロス通り。
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ホルツマルクトブルンネン。
1545年。 -
リートマオアー通りを下ります。
マオアー塔。
1429年。 -
リート塔。
1369年。
旧市街地のほぼ南端。 -
リート塔。
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ヤーコプ塔。
1369年。グロッケンシュピール/カリヨンがあります。 -
左リート塔。右ヤーコプ塔。
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ランケ通り。
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ツム・グローセン・クリストフ。
巨大なクリストフォロスの壁画です。1574年。 -
何に見えます?
想像力の乏しい私にはうずくまった兎に見えます。 -
マルクト広場に来ました。
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市庁舎。
1586年。 -
マルクト広場。
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バッハ像がありました。
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マルクト広場の若き日のバッハ像。20歳ころでしょう。
1985年、生誕300年記念。 -
広場のウンター・デア・ガレリー薬局。
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童話蒐集家ルートヴィヒ・ベヒシュタイン。
1818~1824年、ここに薬局見習い兼手伝いとして住んだ。
マイニンゲンの英国庭園に銅像があったベヒシュタインです。結構有名だったのですね。 -
マルクト広場の端にバッハ教会。
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バッハ教会。
起源は1333年。1676年新教会として再建される。
バッハ1703年(18歳)~1707年ここのオルガン奏者でした。この間にブクステフーデのオルガンを聴きに400キロの道を歩いてリューベックに行っています。 -
バッハ教会。ボニファチウス教会1581年の町の火災で焼失。
1676~1683年、新教会として再建。
1703~1707年、ヨハン・セバスチャン・バッハはここで初めてオルガン奏者として働いた。 -
以下バッハ教会。
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バッハ教会。
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ホップヘンの泉。
バッハ教会の裏にあります。 -
ホップヘンの泉。1520年。
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コールガッセのバッハハウス。
1581年。 -
バッハハウス。
バッハ一族が住んだ家。現バッハ博物館。 -
プリンツェンホーフ。
現図書館。 -
パピアミューレ。
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パピアーミューレ。
1325年。 -
パピアーミューレ(製紙工場)。
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聖母教会。
町一番の教会ですが開いていなかったです。 -
アムプラン通り。
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アムプラン通り。
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ノイトーア塔。
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ノイトーア塔。。
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オーバー教会。
1539年。 -
オーバー教会。
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泉が街のあちこちに有ります。
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ホテルゴールデネ・ゾンネ。
18世紀、バッハ一族がよくここに集まり食事したという。 -
18世紀、音楽一家バッハ家の会合場所。
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マルクト通り。
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もう一度市庁舎を見てホテルに帰りました。
夕食はホテルのレストランで。メモを見ると夕食20ユーロとありますが、昼が1.8ユーロだったので今日の食事代は21.8ユーロ。
今日はミュンツァーの町ミュールハウゼン、バッハの町アルンシュタットを訪れました。明日はルードルシュタット、ザールフェルトです。
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