2013/05/30 - 2013/05/30
9位(同エリア103件中)
ベームさん
8日目、5/30(木)。
今日はゴータからミュールハウゼンに行き、一旦ゴータに戻りアルンシュタットまで。
ミュールハウゼン:人口3万5千人。967年、神聖ローマ帝国皇帝オットー2世の文書に皇帝の領地として載っている。1348年帝国自由都市となり、織物、大青の栽培で栄えた。13~14世紀の面影が残る町。
1524~1525年の農民戦争ではミュンツァーの指導による農民軍のチューリンゲン地方の拠点となった。とにかくこの町はミュンツァー一色で、ミュンツァーを攻撃したルターも形無しです。
トーマス・ミュンツァー:1489~1525年。宗教改革運動家。ルターの穏健派にたいし農民などの階級闘争を指導、過激派を代表した聖職者。
1519年ルターと知り合い信奉者となるが、次第に諸侯に妥協し下層階級から離れていくルターと対立していく。ルターはミュンツァーの活動を妨げる働きかけを諸侯にすることもあった。
1524年農民戦争勃発でミュンツァーはミュールハウゼンを拠点に農民を指揮するが敗れ、1525年5月捕えられ妻と共に処刑された。最後まで農民を見捨てない一生であった。
ミュールハウゼンで今回の宗教改革ゆかりの地巡りは終わります。
写真はディヴィ・ブラジイ教会。バッハがオルガニストを務めた教会。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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地図左上。
ゴータ~ミュールハウゼン~ゴータ~アルンシュタット。 -
ミュールハウゼン(チューリンゲン)駅。
ゴータ駅のロッカーに荷物を入れ7:37のREでミュールハウゼン着7:58。 -
ミュールハウゼン駅。
今日も曇り空。 -
ミュールハウゼン駅前の風景。
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今回もタクシーで市街の一番遠い所へ。6ユーロ。
聖ペトリ教会。1250年頃。 -
聖ペトリ教会。
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市壁のあるフラオエントーア広場。
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市壁の前に建つトーマス・ミュンツァー像。
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広場の反対側に外フラオエン門。
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内フラオエン門をくぐって市壁内に入ります。
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ラーベン塔。
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ホルツ通りのアントニウスホスピタル。
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ホルツ通り。
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ホルツ通りには古い家が並んでいます。
両側に扉が大きく開く背の高い門は馬ごと馬車を邸内に引き込むためでしょう。 -
ホルツ通り。
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ミュンツァーゆかりの聖マリエン教会。
10時オープンなので後できます。 -
聖マリエン教会。
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今は外観だけ写真に撮ります。
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聖マリエン教会。
チューリンゲン地方で2番目に大きい教会だそうです。 -
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木組みの家。
これも大きな門です。 -
当初1220年。
1243年ドイツ騎士団の所有。
1525年、宗教改革者トーマス・ミュンツァーの住まい。 -
フリードリヒ・アウグスト・ステューラー、建築家、生家。1800~1865年。
建物の当初は1220年。1243年ドイツ騎士団の所有になる。
1525年、宗教改革者トーマス・ミュンツァーが住まう。
ステューラー:プロイセン王ヴィルヘルム4世に重用された建築家、ベルリン博物館島の当初の新博物館の設計者。 -
マルクトガッセ。
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人が下を見下ろしている。
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人形でした。
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銭湯?
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ユーデン通り。
ここは旧東独に属していました。こんな風景もあちこちに。 -
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左市庁舎です。
通常市庁舎は町の真ん中のマルクト広場にでんと立っているのですがここの市庁舎は路地の奥の分かりにくい所にひっそりとたたずんでいました。 -
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市庁舎。
13世紀末。 -
演説するミュンツァー。
ここで暇そうな職員につかまり市庁舎内をぐるぐる連れまわされました。暇を持て余していた彼にとって私は格好の獲物だったのでしょう。 -
でも私は博物館でも美術館でもガイド付のツアーとか係員に付きまとわれるのを好みません。早口で説明されても分かりません。一人で想像しながらゆっくり見て回るのが好きなのです。
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しかし私もさるもの、分かったようなふりしてオー!、ソー!とジェスチャーするのも上手になりました。
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天井の装飾です。
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職員は、この扉は五つの鍵が付いていてちょっとやそっとでは開けられないのだと自慢していました。
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市庁舎内。
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この古い絵も大層自慢のようでした。
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親切な職員に、(よく分からなかったのに)よく分かりました、といささかじくじたる気持ちでお礼を言って出ました。小さいながらも由緒ある市庁舎でした。
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コルンマルクト教会。
現在農民戦争博物館。
ドイツ農民戦争:1524~1525年。ドイツ中南部を中心に起こった農民の大規模な反乱。賦役、貢納の軽減、農奴制の廃止など「12か条の要求」を掲げて蜂起し、初めのうちは各地で優勢だったが体制を立て直したカール5世や諸侯により打ち破られる。1525年、ミュンツァー軍が敗れ戦争は終結した。農民側の死者は10万ともいわれる。
ミュールハウゼンを本拠にチューリンゲン地方の反乱を指導したミュンツァーは捕えられ妻ともども処刑された。
ルターは最初は農民側に付いたが、反乱が暴動化するにつれ諸侯側に立ち、むしろ狂人たち(農民)を打ち殺せとまで諸侯側を扇動するようになった。以降南ドイツの農民はルターを離れ、南ドイツはカトリックの牙城となる。
彫刻家ティールマン・リーメンシュナイダーは農民側につき投獄されている。鉄腕ゲッツことゲーテの戯曲で有名なゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンも農民側に立ったそうだが生きながらえてホルンベルク城で余生を終えている。(戯曲では英雄的な死を遂げる)。 -
コルンマルクト教会。
ルターの後半生は学究と翻訳、説教に打ち込みあまり華々しい活動は無いように思いますが(私の独断です)、世故にたけて、結婚し6人もの子供をもうけ生活が安定したルターはあまり表立つと自分の身が危なくなると思ったのではないでしょうか。事実反乱の指導者などは敗れると妻子ともども殺されています。 -
コルンマルクト教会。
ドイツ農民戦争記念の地。 -
コルンマルクト教会。
現農民戦争博物館。 -
ブラオハウス・ツム・レーヴェン。
有名な酒場のようです。 -
ショーウインドー。
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バッハゆかりのディヴィ・ブラジイ教会。
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ディヴィ・ブラジイ教会。
13~14世紀、ドイツ騎士団により創設。 -
小さな町なのに聖マリエン教会といいこの教会といい大きな教会です。かってはさぞ繁栄したのでしょう。
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ディヴィ・ブラジイ教会。
1707~1708年、23歳のバッハがここのオルガン奏者として働きました。そのあとヴァイマールの宮廷オルガニストになります。 -
要塞みたい。
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教会の前のバッハ像。
後年のバッハ像に比べなんと若々しいことか。若きバッハ像は後日アルンシュタットでも見ました。 -
以下ディヴィ・ブラジイ教会。
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バッハが弾いたかどうか。
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天井。
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ミュンツァーでしょう。
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バッハ。
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バッハ教会 ディヴィ・ブラジイ
ミュールハウゼン/チューリンゲン
オルガンによる祈り
聖霊降臨祭から収穫祭の間
毎水曜日 12時 -
10時近くなったので聖マリエン教会の方に戻ります。
建物の奥にさらに住宅とか庭とか生活空間があります。
リューベックのガンクとホーフを思い出しました。 -
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ウンターマルクト。
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ウンターマルクト。
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ウンターマルクト。
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ウンターマルクト。
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左は裁判所。
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広場の西に聖マリエン教会があります。
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ぼちぼち10時です。中に入ります。
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トーマス・ミュンツァー記念の地、マリエンキルヒェ。
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聖マリエン教会。
中央柱とタンパン。 -
聖マリエン教会。
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聖マリエン教会。
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聖マリエン教会。
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祭壇。
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聖マリエン教会。
説明:トーマス・ミュンツァーとミュールハウゼン。
1489年ハルツ地方のシュトルベルクで生まれる。ライプチヒとフランクフルト(オーダー)で学ぶ。聖職者叙任のあとツヴィカウ、アルシュテットなどで聖職者として働く。その言動によりアルシュテットを逃げ出さねばならなくなった。
などなど。 -
トーマス・ミュンツァー記念マリエン教会。
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ミュンツァー。
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聖マリエン教会。
ミュンツァーの生涯が絵で描かれています。 -
説教するミュンツァー。
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聖マリエン教会。
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ユーデン通り。
ぼちぼち駅の方に向かいます。 -
ユーデン通り。
右側の建物にローマ字の小文字aの看板があります。Apotheke/アポテーケ、薬局です。ドイツの街では実にこの看板をよく見かけます。 -
マグダレーネン通り。
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石畳の路地。
真中の窪みは汚水を流すところ。糞尿でも何でもここを流れました。風が吹いて乾燥すると、それらが舞い上がったそうです。下水設備を作ったり、糞尿をくみ取ったりしていた日本の街はは世界一清潔でした。 -
毎日の新鮮なジュースとサラダ、果物と野菜。
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アラーハイリゲ教会。
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教会の前のハインリヒ・プファイファー像。
ミュールハウゼンの宗教改革者。ミュンツァーと共に処刑された。 -
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キリアン教会。
駅に戻る途中です。 -
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キリアン教会付近。
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キリアンスグラーベン。
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聖ヨゼフ教会。
カール・マルクス通り。 -
聖ヨゼフ教会。
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聖ヨゼフ教会。
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聖ヨゼフ教会。
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ピエタ。
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聖ヨゼフ教会。
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聖ヨゼフ教会。
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トーマス・ミュンツァー学校。
これでミュールハウゼンを終わります。正にミュンツァー一色の町でした。ミュンツァーさん、もって瞑すべし。
ゴータに寄りロッカーから荷物を取り出しアルンシュタットに行きます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- bergkristerさん 2013/07/12 10:40:58
- 半世紀の昔へ
- ベームさま
前メールの「シュマルカルデン」
今回の「トマス・ミュンツァー」
共に半世紀の昔、歴史が好きだった高校生の私の脳に刻まれていた言葉です。
「シュマルカルデン」は地名だったのですね。
中世が未だに残るテューリンゲンの街の風景。有難く拝見しました。
bergkrister
- ベームさん からの返信 2013/07/12 15:40:46
- RE: 半世紀の昔へ
- メッセージならびにご投票有難うございました。
シュマルカルデンという名前、私もなにか郷愁を感じます。
天気が良ければもう少しましな写真をご覧いただけるのに残念です。
旅行記はまだだらだらと続きそうです。お気が向かれましたら覗いてください。
ベーム
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