2013/05/29 - 2013/05/29
45位(同エリア88件中)
ベームさん
7日目、5/29(水)。ハレからシュマルカルデン、マイニンゲンを回りゴータに泊まります。午前中のシュマルカルデンは大雨、マイニンゲンも小雨といった一日でした。車窓の畑など冠水しているのを見かけるようになりました。あの2002年来の洪水が始まっていたのです。
シュマルカルデン:人口2万人。アイゼナハの南、チューリンゲンヴァルトの西北端にあたります。874年文献。今回初めて木組みの家の多い町でした。
1531年ここでシュマルカルデン同盟が結成され、ルター、メランヒトンが訪れるなど宗教改革時代には重要な町だったようです。
シュマルカルデン同盟:1530年のアウクスブルク帝国会議終了後神聖ローマ帝国皇帝カール5世やカトリック勢力に対抗し結成されたルター派諸侯の反皇帝同盟。主導者はヘッセン方伯フィリップ、ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ。主な諸侯、都市はザクセン・アンハルト、ブレーメン、ブラウンシュヴァイク、マグデブルク、リューベック、コンスタンツ、ウルム、シュトラースブルクなど。
シュマルカルデン戦争:1546~1547年。カトリックのカール5世派とシュマルカルデン同盟との戦争。結果一応は神聖ローマ帝国カール五世側の勝利となった。しかし皇帝側でもその後内部の反乱がおこるなど、カトリックとプロテスタントの抗争は一進一退を繰り返す。
最終的に1555年のアウクスブルク帝国会議で和議が成立し、神聖ローマ帝国内でのルター派の信仰が容認された。しかし容認されたのはルター派だけでカルヴァン派などほかのプロテスタント派は認められなかった。
シュマルカルデン戦争はルターの死後起こったが、シュマルカルデン同盟においてルターはシュマルカルデン条項を作るなど同盟の精神的支柱であった。
このようにシュマルカルデンは今ではあまり名前を聞かない小さな町ですが、宗教改革史上とても興味のある名前なのです。
権謀術数、波乱の生涯を送ったカール5世はアウクスブルクの和議の翌年1556年、神聖ローマ帝国皇帝位とスペイン王位を譲り、スペインで修道士の余生を送り、1558年58歳で亡くなった。宿敵ルターの死後12年でした。
写真はカール5世。ティチアーノ作。ミュンヘン、アルテピナコテーク蔵。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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地図左下。
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ハレ発6:23。ライプチヒ、アイゼナハ、ヴェルンスハウゼン乗換えでシュマルカルデン着10:10。
アイゼナハ駅。
ここは2009年9月、「ゲーテの足跡を辿って」の旅で2泊した懐かしい町です。今日これから行く町の駅にはロッカーが無いのでアイゼナハ駅のロッカーに荷物を預けました。ロッカーを探して入れるのに丁度いい乗り換え時間でした。 -
アイゼナハ~シュマルカルデン間を走っているのはSued-Thueringen-Bahn/南チューリンゲン鉄道。1両編成でした。
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シュマルカルデン駅。
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シュマルカルデン駅。
ベンチも何もない。激しい雨。
駅を降りたのは黒人の男性と私だけ。私は傘を持っているがその男は持っていない。その男は雨を前にして立ち止まっている。途中までも傘をさしてあげるべきかと思って躊躇しているとその男は雨の中を歩きだした。私はいささかほっとした気持ちでその後を歩きだした。その男はバスターミナルの方に消えていった。 -
市街地に向かうバーンホフ通り。
ざざ降りの雨となりました。ドイツの運転者は道を渡ろうとしている歩行者にはフレンドリーですが、横を歩く歩行者には容赦なく泥水を跳ね上げていきます。
田舎なのに車の交通量は多く気を付けて歩きました。 -
バーンホフ通り。
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アウアーガッセに入ります。
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アルトマルクト/マルクト広場です。
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マルクト広場。
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マルクト広場。
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この雨の中露店が出ています。
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多分スーパーみたいなのが無いのでしょう。田舎に行くと広場に立つ市場が住民の台所です。
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市庁舎。
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市庁舎。
1419年。 -
市庁舎。
1531年、ここでシュマルカルデン同盟が結成されました。 -
市庁舎。
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マルクト広場。
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聖ゲオルク教会。
1437~1500年。 -
聖ゲオルク教会。
マルチン・ルターが1537年説教をしています。 -
聖ゲオルク教会。
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聖ゲオルク教会。
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聖ゲオルク教会。
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聖ゲオルク教会。
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聖ゲオルク教会。
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聖ゲオルク教会。
1914~1918年と年号が書かれています。第1次世界大戦の犠牲者の慰霊碑でしょう。 -
広場の一角。
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広場の一角。
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モーレンガッセ。ツーリストインフォメーションがありました。
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シュタインガッセ。
シュマルカルデンは木組みの家の多い町です。 -
シュタインガッセ。
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ルタープラッツ。
左がルターハウス。 -
ルタープラッツのルターハウス。
1525年。 -
1537年2月、ルターは市に招かれてここで説教し宗教改革について協議している。またシュマルカルデン条項を作成し同盟の精神的支柱となった。
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ルタープラッツの通り。
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ルタープラッツ。
ヘシッシャーホーフ。
右の路地を上るとヴィルヘルムス城です。 -
ヴィルヘルムス城。
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ヴィルヘルムス城。
ヘッセン方伯の居城。1590年。 -
ヴィルヘルムス城。
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ヴィルヘルムス城。
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ヴィルヘルムス城。
見物人はこのお2人と私だけ。
この写真どうです。芸術写真に縁の無い私でもいい構図と思うのですが。 -
ヴィルヘルムス城から。
聖ゲオルク教会の塔。 -
ヴィルヘルムス城から。
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ヴィルヘルムス城から。
聖ゲオルク教会の塔が見えます。 -
旧市街地の模型。
左下マルクト広場と聖ゲオルク教会。右端ヴィルヘルムス城。 -
シュロスベルク通りを降りてきます。
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ローゼンアポテーケ/ばら薬局。
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薬局のプレート。
この家にフィリップ・メランヒトンが1540年3月1日から4月15日まで止宿した。 -
小さな旧市街地でした。アウアーガッセを駅へ向かいます。
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小さな町でした。こんな今では田舎の町で昔歴史が動いていたなんて想像できませんでした。
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雨のシュマルカルデン訪問を終え駅に戻ります。
バーンホフ通り。 -
これ駅舎です。
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修理中なのか解体中なのか。
雨は一時たりとも降りやまずびしょ濡れになりマイニンゲンに向かいました。
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