2013/05/24 - 2013/05/24
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TAKEおじさん
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本編は四日目前半 岡山後楽園、岡山城
岡山に宿泊したが、四日目に初めてホテル近くの岡山後楽園、岡山城を訪れた。
岡山後楽園は、水戸偕楽園、金沢兼六園と並ぶ日本3名園の一つである。
典型的な回遊式庭園で、13万㎡の大きな庭園だが、綺麗に整った落ち着いた庭園だった。
岡山城は、残念ながら戦災で焼けて再建した城だが、岡山後楽園から見るお城は庭園とマッチして美しかった。
4日間、岡山を拠点に山陽から四国に渡って瀬戸内海沿岸をぐるっと回った。
山陽は、岡山を始め、倉敷、尾道の美しい風景を見られた。
瀬戸内海の島は、訪れるのは初めてで、しまなみ海道を渡り、瀬戸内海に点在する小島の美しさに魅了された。
また、四国観光は高校生の頃以来で、果たせなかった道後温泉本館にも入れ、美味しい香川のうどんも食べられた。。
それにしても、連日の30度近い暑さには驚かされた。
日程
5月21日(火) 横浜ー岡山ー直島ー岡山泊
① http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10778264/
5月22日(水) 岡山ー尾道ーしまなみ海道ー道後温泉泊
② 前半 http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10779333
③ 後半 http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10779903
5月23日(木) 道後温泉ー松山城ー屋島ー瀬戸大橋ー岡山泊
④ 前半 http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10781387
⑤ 後半 http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10782915
5月24日(金) 後楽園ー岡山城ー倉敷ー岡山ー横浜
⑥ 前半 http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10784199
⑦ 後半 http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10785230
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
-
四日目は「しろちか」からスタート
ホテルからすぐ近くの岡山後楽園を訪ねる。
その前に、ホテルを出ると地下広場が有った。
ちょっと,覗いてみた。
岡山市城下(しろした)地下広場で、路面電車「城下駅」にも通じる地下にある。
地下駐車場にもつながっている。
昨夜は、若者がガラスの前でダンスの練習をしていた。 -
噴水が
髪の毛の長い少女像は? -
なぞの植物?
地上にある太陽光自動集光伝送照射システム「ひまわり」で育った植物だった。
太陽光を集めて光ファイバーで植物を照らしている。 -
この虹も「ひまわり」の光
壁面には虹が。
噴水の水が偶然反射しているのかと思った。 -
これが「ひまわり」
ホテルの部屋から撮った写真があった。
シンボルタワーの上部に乗っている。 -
「ひまわり」をアップで
378個のレンズを取り付けた面は、コンピューターと光センサーでいつも太陽に向かっている。夜は東を向いて休む。
ひまわりの名の通りである。 -
岡山後楽園 パノラマ写真
5分も歩かずに岡山後楽園が見えてきた。
大きな川を左回りに進んでいく。 -
大きな橋が後楽園に行っている
鶴見橋。 -
出石町案内図
この辺は出石町。後楽園の門前町でいろいろ古い町並みが残っているようだ。 -
鶴見橋を渡って
大きな橋で、車道と歩道が別れている。
朝8時過ぎ、自転車が多く目に付いた。 -
欄干は和風
後楽園に合わせている。 -
みどりのリズム 清水多嘉示 作
後楽園の入り口に朝日の中で踊っていた。 -
岡山後楽園
日本三名園のひとつである。
江戸時代初期に岡山藩主・池田綱政によって造営された、元禄文化を代表する庭園で、国の特別名勝に指定されている。 -
広い
総面積は13万ha。
江戸時代には後園または御後園と呼んでいた。1871年(明治4年)、園内を一般開放するにあたって、これを後楽園と改めた。
東京の小石川後楽園の方が、後楽園の先輩である。 -
岡山城を配し
300年の歴史が息づく。 -
岡山城をアップで
後楽園から見る岡山城は美しい。 -
鶴鳴館
江戸時代から伝わっていた建物は残念ながら戦災で焼失し、その後昭和24年、山口県岩国市の吉川邸を移築した。
園内をゆっくり見て回る。朝早いので、人影がほとんど無い。 -
延養亭
藩主が後楽園を訪れた時の居間として使われた建物。
これも、戦災で焼失したが昭和35年復元された。 -
唯心山
園内を見渡せる築山。
唯心山は池田綱政(いけだつなまさ)の子、継政(つぐまさ)の時に築かれ、平面的だった庭園が立体的な景観へと変化した。
眺望が良さそうで登ってみた。 -
唯心山から鶴鳴館方面
園内を見渡せた。昔もここから景色を楽しんだ。 -
唯心山から沢の池方面
-
山腹には唯心堂
斜面には石垣に合わせてツツジやサツキが植えられている。
季節には紅白の花で彩られる。 -
中の島
沢の池にある中の島にかかる橋。 -
井田(せいでん)
昔は園内に広く田畑が作られていた。
井田とは中国周時代の田租法で、後楽園では幕末に田畑の一部を井田の形に作った。 -
沢の池 パノラマ画像
園内中央にある池で、左から島茶屋のある中の島、釣殿のある御野島、白砂青松が美しい砂利島がある。 -
縦表示
大名庭園はどこも池がキーポイント。 -
慈眼堂(じげんどう)
池田綱政が元禄十年(1697年)に池田家と領民の繁栄を願って建立し、観音像を祀った。 -
慈眼堂から中の島
バックに岡山城、唯心山が見える。 -
五十三次腰掛茶屋
幕末から明治初期に出来た建物で、東海道五十三次を描いた扁額が掲げられていた。
今は無かった。 -
五十三次腰掛茶屋の連子窓(れんじまど)から
ここから見る城や唯心山の景色は格別の趣があるとの説明。
格子が邪魔だが。 -
能舞台・栄唱の間(のうぶたい・えいしょうのま)
舞台の周囲の座敷は、能の見所(けんしょ)や接待の場として使われた。築庭した池田綱政は、家臣や領民にも能を見せた。
文化的だ。 -
花葉の池(かようのいけ)
この池には、大輪の白い花を咲かせる蓮の「一天四海(いってんしかい)」(通称・大名蓮)が夏に見頃となる。
少し時期が早かった。 -
大縦石(おおだていし)
強大な花崗岩を90数個に割り、元の形に組み上げた。池田綱政が運ばせた。
本当に石のブロックを組み合わせたみたいだ。
奥の林の中を入っていく。 -
二色が岡
この一帯は二色が岡と呼ばれ昔は山桜と楓が季節ごとに彩りを変える趣向の林だった。
野鳥の飛来する静かな林となっている。 -
茂松庵(もしょうあん)
歴代藩主は、ここで茶の湯を楽しんだ。
この辺は、木が生い茂っている。 -
地蔵堂
園内の六鎮守の一つ。 二色が岡の中に、静かにまつられている。 -
御舟入跡(おふないりあと)
藩主が城から舟で渡ってきた時の舟着場の跡で藩主が入る御成御門(おなりごもん)もあった。
大正時代に入口の大部分を閉じ、今は水が入ることはない。
城は目の前だが、舟で渡ってきたのか。 -
廉池軒(れんちけん)
戦災をまぬがれた数少ない建物の一つ。
静かな池に緑が写っている。鯉もゆっくり泳いでいる。 -
蘇鉄畑(そてつばたけ)
蘇鉄は桃山時代から異国情緒豊かな庭園樹として珍重されていた。
築庭当時から取り入れている。
大名庭園では今まで見たことが無かったが。 -
花交の滝
築庭当時は、この一帯は山桜と榎の並木道だったが、幕末の頃には深山を思わせる林となった。
この先、曲水が狭くなり、石組みの滝から勢いよく池へと流れる。
小さな滝だが趣がある。 -
花交の池
築庭当時は各種の花木が混交していた。それで、花交の池。 -
梅林
梅林は幕末近くなってできた。今は紅白あわせて約百本の木が春を告げる。
梅の実もなっていた。
小石川後楽園にも立派な梅林があった。 -
流店(りゅうてん)
中央に水路を通し、色彩に富んだ奇石六個を配した全国的にも珍しい建物。藩主の庭廻りや賓客の接待などで、休憩所として使われた。 戦災をまぬがれた建物の一。 -
流店(りゅうてん)の水路
本当に家の中に水路があった。足湯みたいだが。
水路に置いてある石が何とも良い。 -
後楽園から岡山城へ
後楽園の木々の間から見る岡山城は美しい。
黒い外観から「烏城(うじょう)」と呼ばれる。
黒は烏(からす)色。
南門を出て岡山城に向かう。 -
月見橋を渡って
月見橋は、三角形をつないだカンチレバートラス構造の人道橋。
がっちりした鉄橋で、300年の歴史を持つ後楽園とは似合わない。 -
月見橋から岡山城
この橋から見る岡山城も格別。
岡山城は、石山城に宇喜多直家が入城・改築し、後に子の宇喜多秀家が隣接する岡山に新たに本丸を設け、石山城を取り込む形で城郭が建造された。(1590年 - 1597年) -
廊下門(ろうかもん)から入っていく
天守には近いが、裏口みたいだ。
この廊下門、表書院(中段)から本殿(上段)に渡した長廊下の下手に設けられた門。 -
築城時の石垣
お城はどこも石垣が面白い。
石垣を見ると時代が分かる。
この石垣は、築城時の宇喜多秀家の頃の荒い石垣で切り込みハギか。
この石垣の角の角度は70度でこれほど尖った石垣は珍しい。 -
発掘された石垣
随分と荒い仕上げ。
これも、宇喜多秀家の頃で野面積み。 -
月見櫓
岡山城でえ戦火を逃れた貴重な月見櫓。5代藩主、池田忠雄(ただかつ)によって、寛永年間(1615〜1632)に建てられた。
この櫓で月をお見たのか。 -
不明門(あかずのもん)
この門をくぐると、天守がある本段。
城主の平素の出入りは北端の渡り廊下を通っており、この門はほとんど開かれることがなかったのでこの呼び名がある。 昭和41年、鉄筋コンクリートで復元。
今は開いている。 -
天守の礎石
天守は昭和20年6月に戦災で焼けたが、昔の礎石をここに配置している。 -
岡山城 天守
外壁に黒塗りの下見板を張っているため全体的に黒色が強調された姿をしており、それに金箔瓦が彩を添えていた。「烏城(うじょう)」「金烏城(きんうじょう)」という異称はこれに由来する。
熊本城も黒かったが、黒塗りのお城は風格がある。 -
岡山城 天守
天守の左に「塩蔵」がある(渡り廊下なしで櫓が天守閣に直結している構造)、このような天守閣を「複合天守」という。 -
天守へ入る
外観は当時の復元をしたが内部はエレベータもあり昔の面影も無い。
松山城の昔のままの城を見たばかりだったので残念。 -
最上階
最上階からの眺めは良い。岡山市街を360度見られる。 -
西 岡山駅方面
先ほど通った月見橋も見える。 -
北 岡山後楽園方面
-
東 操山方面
-
南 瀬戸内海、金甲山方面
-
屋根には金色シャチホコ
昭和41年再建時に作られた。名古屋城に負けない金のシャチホコ。
土製の瓦の上に、金箔を貼り付けた。 -
正面から
黒いお城には金色のシャチホコがよく似合う。 -
古い鯱瓦
階下に下りていくと、いろいろな展示物が。
この鯱は隅櫓や城門に使われていたもの。
昔は金色? -
乗ってみた
何度か駕籠には乗ったが、担いで貰ったらどういう感じなのだろう。 -
二階には城主の間
立派な部屋が再現されていた。 -
天守閣付属の塩蔵
これで、岡山城とはお別れする; -
岡山城二の丸跡
岡山城本丸を後にしてホテルに戻る丸の内地区には当時の石垣が残っている。見るからに古そうな石垣。 -
岡山駅へ路面電車で
ホテルで荷物を貰い、岡山駅へはホテル前「城下」から路面電車で行く。
この後、今回の旅行最後の訪問地である倉敷に向かう。
続きは以下の旅行記で
http://4travel.jp/traveler/stakeshima/album/10785230
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