2013/05/26 - 2013/05/27
250位(同エリア402件中)
natto9さん
- natto9さんTOP
- 旅行記156冊
- クチコミ26件
- Q&A回答0件
- 367,997アクセス
- フォロワー11人
九州より少し広い程度の面積で、人口は静岡県くらい・・・すなわち約400万人くらいの人口の国。この小さな国は、民族浄化を進め凄惨な争いを続けてきました。イスラム教徒中心のボシャニャク人、ローマ・カトリック主体のクロアチア人、それに反対したセルビア人、多数派を占めるボシャニャク人とクロアチア人が独立を宣言し、しかしクロアチア人も多数派のボシャニャク人による支配を好まず、3つの人種が独自の議会を持ち、武装を整え、常に民族間で争っていました。
首都・サラエボは、第一次世界大戦の引き金を引いた都市として良く知られています。
-
国境の税関を経て、ボスニア・ヘルツェゴビナへ入る。
-
経済状態もあまりよくないこの国の農家の風景も、クロアチアとは格段の差。
-
-
この町も、ほんの少し前まで戦闘を続けていたのであろう。
-
イスラム寺院の尖塔が見られる。
-
-
長い間オスマン朝の支配下にあったため、トルコの文化的影響が強い。
-
川端康成風に言うならば・・・「トンネルを越えるとそこは・・・」雪国の中でも戦ったボスニア軍がいた・・・
-
多民族、多宗教、複雑な文化背景と歴史をもつ旧ユーゴスラビア連邦1)の1 共和国
-
ブドウ畑。
-
5月とはいえ、まだ山には雪が・・・。
-
-
国内の南西部を占めるヘルツェゴビナの首都、モスタル。
モスタルとはボスニア語で「橋の守り人」の意味。 -
なぜか・・この地のワインは DRY、DRY HOCK、HOCKが多かった。炭酸や水で割るという意味が分かった。
-
-
そのモスタルの橋近くには、まだまだ多くの建物に銃弾の跡が見られる。
-
1992〜1995年、第2 次世界大戦後の欧州最大の紛争を経験した。
-
いかに激しい戦いであったか・・・
-
世界遺産と認定され、多くの観光客が押し寄せても、この国の人の心からその時の悲惨であった悲しい思い出は消えない。
-
その意味もあるのだろうか、それともその時の「悲しい想い」を忘れるな・・・という意図もあるのか…この町には数多くの銃撃の激しさを物語る建物が残されている。
よく見ると窓のガラスの代わりに、ブロックが敷き詰められている。 -
トルコの影響を受けたこの地方の人々の暮らしからも伺えるが、イスラム寺院があちこちにみられる。
-
水量は豊富で水力から電力を・・・は理解できるが、配電の金属があまりにも腐食していた。メンテにあまりまだお金が注げないのだろう。
-
この地方の独特な染め。
-
橋に向かう両側の土産店、そしてその向こうのイスラム寺院。
-
-
石畳の歩きにくいPebble。川の流れで丸く洗われた小石が豊富にあるだろうことはわかるが、歩きにくいこと!この上ない。その意図が分からない。敵も侵入してくるのに…歩きにくい・・とそう読んでいるのだろうか?
-
-
-
橋の入り口には、観光客でごった返していた。
-
首都モスタルを象徴する橋の全景。その下を美しいネレトヴァ川が流れる。
-
この川沿いに建つ家屋はオスマン朝時代に建てられた伝統的なもので、中には当時使われていた生活家具が展示されていた。
-
美しい景色を今は見ることができるが、ここが20世紀末に悲惨な戦闘を繰り返していたとは・・・!
-
民族がそれぞれ陣取り合戦を繰り返しての戦争ではあったが、所詮、民族、人種・・・といっても同じ人間。殺しあうことが「悲しい」ことには違いない。
-
クロアチア同様、失業率が超・高く半数近くの人の職がない。この若者は橋の上で「あと5Kuna 出してくれ!」とお金を集めていた。
-
そのお金は・・・この青年が「この橋から飛び込むショーを見せる」からというもの。
-
わがグループの添乗員がそれを払い・・・「いざっ!」。水は冷たく…この川はかなり深く急流・・・だがそれには変えられない! 1500円位の仕事も、日に何度できるかわからない・・・いつまでできるかわからない・・・。
-
この橋は橋台を用いず、両岸からアーチ状にかけてきた造形的にも美しい橋。歩行者が滑らないように・・と止めもあり、工夫されている。
-
モスタルの橋を形どった飾りの土産品。
-
「包囲されていた期間は1992−1995」・・とこの町の状況を伝えている絵。
-
ほんのこの間まで使われていたナイフや、銃砲に使われたの空の薬きょうが、ボールペンやほかの土産品に使っている。
-
この町の橋界隈では、町の雰囲気はかなり明るいものであったが、すぐ近くの Old Town のマーケットに並ぶ品数、質の乏しく、また貧しいさまは、まだまだ戦争のつめあとを見る思いだ。
-
冬季オリンピックも開催されたこの国そして首都。
-
トルコの影響を残す品々が多い。
-
屋根瓦も厚いスレート。
-
Pebble. 丸い小石が路面に飛び出ており、歩きにくい!
-
この橋を見て思い出すのは、当時ボスニアを統治していたオーストリアの皇太子が、ボスニア党の青年に狙撃され・・・これが第一次世界大戦のきっかけとなった・・・と、世界史の授業で聞いたなあ。
-
対岸に見えるのはイスラム寺院。
-
-
サラエボ
-
この地のパン。これもトルコ風。
-
「ツルゴヴィナ・マーケット」Old Town はこちらへ。
-
Old Town のマーケット。土産店の端のほうにあり、地元民しかいなかった。
-
開店閉業のようなマーケット。
-
種類も少ない。
-
イスラムーセンター
-
トルコ・イスタンブールでみたあの煌びやかなモスクとは雲泥の差。
-
近くに墓地があった。
-
オスマン風の伝統的な家屋
-
お土産店が林立
-
-
戦争の爪痕を今も残す建物。
安価(¥300/個)に大量生産できる対人地雷が頻用され、現在も四国・九州を併せた面積の国土(人口220万人)に130万個の地雷が敷設されている。 -
この歩きにくい路地を行く清掃車(?!)
-
トルコ風の出で立ち
-
レストラン内のワインラック。おしゃれなインテリアとしてもいいが・・・。
-
チェバプチチ
-
あ〜あ、お腹すいた〜。森夫妻、一色、青木夫妻
-
タバスコを所望したら、この地のHot Sauce がだされた。これもなかなか辛くておいしかった。
-
デザートのこの甘いもの! 運転手のゾラン君にあげてしまった。
-
レストランからモスタルの町を望む。
-
-
-
この地のそこかしこに見られる墓地。戦争の被害者がいかに多かったか・・・。
-
人影ひとつ見られない…寂しい時間・・と言ったら、シエスタの時間です・・と添乗員の声。
-
ボスニアの国境。もう一つの団体さんは、二三人の人がスーツケースを開けていた。
-
ここはオーストリア
-
-
なぜか陽の光までが、華やいで見えた。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
サラエヴォ(ボスニア・ヘルツェゴビナ) の人気ホテル
ボスニア・ヘルツェゴビナで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ボスニア・ヘルツェゴビナ最安
766円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
77