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 今回は、寝屋川市にある正立寺の梵鐘と黒原の野神さんを尋ねて来ました。 <br /><br /> 正立寺梵鐘は、1707年(寳永4年)に河州(河内国)茨田郡黒原村の正立寺の鐘として鑄物師(鋳造職人)の岸本仁右衛門尉藤原寛敬によって鋳造された梵鐘なんだそうです。<br /><br /><br /> 野(農)神は、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈ったものですが、黒原の野神は元々「賽(さい)の神」であったのが、後世に野神に変わったと考えられいるそうです。<br /><br /><br /> 写真は、正立寺正門です。

関西散策 指定文化財【正立寺梵鐘】【黒原の野神さん】を尋ねて 寝屋川市

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2013/05/31 - 2013/05/31

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ねこにゃん

ねこにゃんさん

 今回は、寝屋川市にある正立寺の梵鐘と黒原の野神さんを尋ねて来ました。 

 正立寺梵鐘は、1707年(寳永4年)に河州(河内国)茨田郡黒原村の正立寺の鐘として鑄物師(鋳造職人)の岸本仁右衛門尉藤原寛敬によって鋳造された梵鐘なんだそうです。


 野(農)神は、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈ったものですが、黒原の野神は元々「賽(さい)の神」であったのが、後世に野神に変わったと考えられいるそうです。


 写真は、正立寺正門です。

旅行の満足度
3.5
交通手段
徒歩
  •  市指定有形文化財の石碑

     市指定有形文化財の石碑

  •  今回は夕方遅かったので道から鑑賞です。<br /><br /> 一回鳴らして見たいものですね・・・・<br /><br /> 正立寺の梵鐘は、山門を入って左側(南側)の奥に建っている鐘楼につるされています。<br /><br /> 鐘の大きさは、高さ125cm、口径68cmです。鐘に刻まれている銘文によると、1707年(寳永4年)に河州(河内国)茨田郡黒原村(まったぐん くろはらむら)の正立寺の鐘として鑄物師(鋳造職人)の岸本仁右衛門尉藤原寛敬によって鋳造されたことが分かります。<br /><br /> 鐘に刻まれている銘文には、陽鋳(浮き彫りに鋳出されたもの)と陰刻(彫り込まれたもの)の両者が見られます。<br /><br /> 池の間の各区には、撞座に対向するように左右一対の天人像が浮き彫りされています。<br /> 撞座に直行する縦帯には雲台をともなった日文(太陽)と月文が同様に鋳出されていて、草の間の各区には牡丹唐草文が鋳出されています。<br /><br /> 

     今回は夕方遅かったので道から鑑賞です。

     一回鳴らして見たいものですね・・・・

     正立寺の梵鐘は、山門を入って左側(南側)の奥に建っている鐘楼につるされています。

     鐘の大きさは、高さ125cm、口径68cmです。鐘に刻まれている銘文によると、1707年(寳永4年)に河州(河内国)茨田郡黒原村(まったぐん くろはらむら)の正立寺の鐘として鑄物師(鋳造職人)の岸本仁右衛門尉藤原寛敬によって鋳造されたことが分かります。

     鐘に刻まれている銘文には、陽鋳(浮き彫りに鋳出されたもの)と陰刻(彫り込まれたもの)の両者が見られます。

     池の間の各区には、撞座に対向するように左右一対の天人像が浮き彫りされています。
     撞座に直行する縦帯には雲台をともなった日文(太陽)と月文が同様に鋳出されていて、草の間の各区には牡丹唐草文が鋳出されています。

     

  •  昔の道しるべの標石が・・・・三井村の時代ですね

     昔の道しるべの標石が・・・・三井村の時代ですね

  •  寝屋川市の案内板 至る所にあるのへ道がくねっていても大丈夫です。<br />

     寝屋川市の案内板 至る所にあるのへ道がくねっていても大丈夫です。

  •  テクテクと黒原の野神さんへ到着です。

     テクテクと黒原の野神さんへ到着です。

  • 「のがみさん」(野神様・農神様)は、かつて、あちらこちらの村にまつられていました。<br /><br /> 野(農)神は、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈ったものですが、黒原の野神は元々「賽(さい)の神」であったのが、後世に野神に変わったと考えられます。<br /><br />「賽の神」は、「道祖神(どうそじん)」ともよばれますが、道路にまつわる悪霊から旅人を守ったり、村に悪病が入るのを防ぐ神でした。村から旅に出るとき、帰ったときに拝礼したといいます。この祠(ほこら)は、かつて黒原の東北隅の村境にありましたが、先年この地に移されたそうです。

    「のがみさん」(野神様・農神様)は、かつて、あちらこちらの村にまつられていました。

     野(農)神は、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈ったものですが、黒原の野神は元々「賽(さい)の神」であったのが、後世に野神に変わったと考えられます。

    「賽の神」は、「道祖神(どうそじん)」ともよばれますが、道路にまつわる悪霊から旅人を守ったり、村に悪病が入るのを防ぐ神でした。村から旅に出るとき、帰ったときに拝礼したといいます。この祠(ほこら)は、かつて黒原の東北隅の村境にありましたが、先年この地に移されたそうです。

  •  標識が無いと見過ごしてしまうほどです。<br /><br /><br /><br /><br /> 今回は以上です。

     標識が無いと見過ごしてしまうほどです。




     今回は以上です。

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