2007/06/30 - 2007/07/01
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Miyatanさん
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2007年6月27日〜7月1日
四泊五日、人生初沖縄。30歳のバースデー記念旅行。
日本全国47都道府県中唯一行った事のなかった沖縄県、これをもって全都道府県足を踏み入れたことに。
ちなみに46番目の秋田県が1998年でした。
小浜島、沖縄本島を巡る旅です。
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6月30日(土)
本当はひめゆりの塔と首里城と両方行きたいのだが、位置関係が全く逆のこと、バスの本数が限られていること、もあり、時間的な関係もあってかなり微妙である。とりあえず今泊まっている所がバスターミナルに近いというのは幸運であった。
那覇バスターミナルから、糸満(いとまん)バスターミナル行きのバスに乗る。沖縄はゆいレール以外の鉄道は無いので、公共交通機関といえばバスに自然となってくる。市街地を抜け、丘陵地帯を越えて一時間近く、糸満バスターミナルに到着した。沖縄県南部の都市、糸満市。ターミナルの人に乗り換えるバスを聞いて、ひめゆりの塔方面に向かうバスに乗る。ひめゆりの塔の近辺はお土産屋が数多く、観光バスがかなり止まっていて、各地からのツアー客が集まっていた。かなり観光地化されているイメージ。周辺には何も無くて、そこだけ浮いている印象も受ける。朝食を食べていなかったので、とりあえずお土産屋を回って、「ちんすこう」の試食コーナーに行って、かなり食べまくる。ちんすこうはかなりお気に入りのお菓子である。最近、やたら会社で「ちんすこう」のお土産が回ってきている気がする。鬱蒼とした森の奥に「ひめゆりの塔」は静かに佇んでいた。有名な割にはこじんまりとした、塔の割には、塔のイメージとはかけ離れた印象。激しい戦闘でほぼ全滅した沖縄陸軍病院第三外科壕の跡に立つ慰霊碑。
奥にある記念館に入る。「ひめゆり」は学徒隊員の母校、沖縄県立第一高等女学校の校誌名「乙姫」と沖縄師範学校女子部の校誌名「白百合」とを組み合わせた言葉である。いわゆる、「教師の卵」といった女生徒達で、年齢は十代後半であった。両校の女子生徒222人と引率教師18名の合計240名からなる学徒隊は沖縄陸軍病院の看護要員として動員された。敗色濃厚となった時期に解散命令が出され、最終的には教師・学徒240人のうち136人が尊い命を落とした。正直、展示内容にものすごい衝撃を受けた。今はどんなに失業率が高かろうが平和な雰囲気の沖縄にも、こんなに悲惨な時代があったのかと。もともと日本(朝廷・幕府)の政治力から離れた場所であった島々が、日本政府に併合され、いざ戦争となると盾のようにされ…。沖縄の地上戦での死者は、沖縄県民の四人に一人というくらい。家族によっては全滅ということもあったようである。自分の友人、親戚、家族、同僚のうちの、四分の一が亡くなる状況を想像すると、本当に恐ろしい。亡くなったひめゆり学徒隊の方々の顔写真と、亡くなった時の状況が書き記されている。逃げ切れられないと家族で自決した人、爆発に巻き込まれた人、避難中に行方不明になって、亡くなったと考えられている人。沖縄南部には、たまたま「がま」と呼ばれる自然にできた洞穴が多かった。そこに避難していて難を逃れていた人もいたと思えば、隣のがまに隠れていた人が手榴弾で攻撃されて亡くなったとか言うこともあったようである。館内では、運良く生き延びることができた元学徒隊の女性(七十代後半くらい)とお会いしてお話を聞く機会があった。生き延びた方の一部はこの記念館でお話をすることがあるが、最初にこの記念館が開設された頃は、自分だけ生き残ってしまって申し訳ないといったような罪悪感に悩んでいる方も多かったらしい。戦争で危険地帯で、生き残れるかどうかというのは、本当に紙一重の差らしく、数メートルの差が分けることがあるという。この記念館も、実際の体験者の方々がかなり高齢になってきているので、今後どのように運営していくかが課題になっているという。 -
その後更にバスに乗って、平和祈念公園に向かう。通称摩文仁(まぶに)の丘。平和祈念資料館、沖縄平和祈念堂、国立沖縄戦没者墓苑、平和の礎が並ぶ。平和資料記念館は、沖縄戦の様子が詳細に記されていた。それこそ戦争で黒焦げになった遺体の写真やら…。見るに耐えない痛々しさ。沖縄戦自体は、本当をまず南北に分断して、当時本拠のあった首里に攻め込み、それから南部に攻め込んだので、南部に犠牲者が多かった。
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(平和祈念公園)
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平和の礎は、戦争でなくなった方々の名前が刻み込まれている。
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周囲の海岸は、激戦地だったとは思えないくらい平和な空気が今では流れている。
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そこから、とりあえず糸満バスターミナルに戻り、那覇バスターミナルを目指す。時間短縮の為に、運転手からショートカットするバスを教えてもらう。豊見城市を経由するバス。最近まで村だったらしく、日本で一、二位を争う人口の多い村だったらしい。ゆいレールの赤嶺駅に到着、日本で一番南端にある駅という事になる。そこから首里駅を目指す。疲れていたのか、途中からうとうとしてしまった。おもろまち駅を過ぎて、首里駅に近づくに連れて、山が多い地形になってきたような気がする。
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首里城の敷地は、戦後は琉球大学が設置されたが、復興の声が高まり、琉球大学移転後当時の姿を復興するプロジェクトが結成され、1992年に復興した「首里城公園」が開設された。
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近くにある「首里城守礼門」は、あのもはや幻とも言われる「二千円札」のイラストにも起用された。
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中は博物館になっていて、最近再建されただけあって、車椅子でもスムーズに見学できるように「バリアフリー」に力を入れた構造となっていた。琉球王国自体が中国文化の影響を強く受けているので、戦国時代の影響を受けた日本の城郭建築とは趣が異なっている。内部も外部も、赤塗りが基本である。
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復元された内部は博物館になっていて、琉球王朝の歴史を知ることができる。また、当時の衣装をまとったガイドもその辺にいた。なお2000年には、世界遺産に指定されている。
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近くで夕食をとった後で、また首里城に行く。ライトアップされた守礼門、城郭が美しかった。デジタルカメラでの撮影も大分使い勝手がわかってきたらしく、幻想的な写真が撮れた。
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(夜の首里城)
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(夜の首里城)
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7月1日(日)
予想に反して、昨日一日で沖縄南部戦線跡と首里城一体をまわれたので、今日一日はお土産屋巡り。職場向けのお土産「ちんすこう」は予め大量に買い込んだあったので、泡盛、さんぴん茶、お約束の「シーサーの置物」、ゴーヤの漬物、ラフティー、などなど。ちなみに実家の居間は、国内外あちこちのお土産の置物で、インターナショナルな不思議な空間になっています。モアイもあるし、あかべご(福島県)もあるし、仏教とキリスト教とそのほかの宗教が並んでいます。(笑)
那覇空港からANA1736便の関西空港行きに乗り込む。伊丹空港行きが満席だったので、やむなし。二時間程度のフライトであっという間に関空に到着。なぜか伊丹空港に着いたときよりも疲れがどっと出る。大日行きのバスに乗ろうとも思ったけど、タイミングが悪くてなかった。京阪守口市駅行きのバスの一部が大日駅に寄る形になっているが、どうせだったら全便寄って欲しい。南海線で帰ろうとも思ったけど、乗り換えの回数が一回少ないからという理由でJR阪和線の関空快速で帰る。快速のくせに、途中で特急に抜かれたり、時間調整が多かったりで、ありえないほど遅くて、大阪駅に着くまでで疲れた。南海線が市街地の中央を通っているのに対して、JR阪和線は市街地の東のはずれを通っているので、やたら「東」とつく駅名が多く、かなりのどかな風景であった。
初めて行った場所だけど、すごくよかった。また行きたいと思える場所だった。日本離れした光景が、ものすごく印象的だった。何も無い小浜島の自然に癒されながら、居合わせた宿泊客や宿の人、地元の人と泡盛を飲みながら語りあった事、ひめゆりの塔や記念館、平和祈念館の資料を見て戦争の残酷さを目の当たりにして凹んだこと、青い海、強い日差し、独特の音楽、食文化、復活した首里城、どれもこれも印象的であった。
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