2013/05/19 - 2013/05/19
1498位(同エリア1580件中)
滝山氏照さん
狭山丘陵の南斜面は蔵敷地区で東西に青梅街道に面しており、今回は当該街道を西進して(1)蔵敷太子堂跡(2)蔵敷太子堂地蔵尊(3)熊野神社(4)蔵敷高札場(5)厳島神社(6)光明真言一千二百萬遍供養塔(7)蔵敷庚申塚の順路で散歩をしました。
2022年8月25日追記
「北多摩神社誌」による蔵敷熊野神社由緒については下記の通りです。
『 熊野神社(蔵敷419)
縁起創立ともに不詳であるが、蔵敷の鎮守である。一説によると蔵敷一の素封家、内野家の祖秀勝が同家の鬼門除けに勧請したともいわれている。又内野家の伝えによると、同市蔵敷三六七に鎮座する厳島神社が永禄年間前後の創建といわれるところから、同一時期に創建されたものとも考えられる。
村山丘陵の南面、頂近くにあって静寂幽遠で、大正時代までは参道の階段は土段に桟を打って土留めをしてあったが、昭和9年にコンクリート造りに改めた。』
更に厳島神社についても次の紹介があります。
『 厳島神社 (蔵敷367)
内野家の伝承によると、永禄年中宗春という人が、私有地に祠を建て奉斎し、天正度の検地に貢租を免じられたという。後代の秀勝が新規に祠を造り替えしたのが宝暦8年4月25日であった。じ来内野家一統の守護神として尊んだ。更に天保6年11月18日、重秦一族と謀り、祠としてはあまりに勿体ないと今度は本建築の相談がまとまった。
つまり現存の本殿で間口二間半、奥行二間の神社建築としては小規模であるが、美事な彫刻まで施されている。天保9年4月1日遷座式を挙行。旧称弁財天。今もって土俗の信仰厚く、時には遠来の報賽人があると聞く。明治になって、村の神社として移管され蔵敷村に二社存在することになった。』
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
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蔵敷太子堂跡
蔵敷地域の集会所となっています。別資料から類推すると享保年間(1716~1735)に建立されたようです。 -
蔵敷太子堂跡 詳細は下記の通りです。
『東大和市史跡
蔵敷太子堂跡
所在 東大和市蔵敷1丁目436番地
指定 昭和58年3月1日
この地は、江戸時代に太子堂が置かれた場所である。
「新編武蔵風土記稿」によれば、旧多摩郡山口領(現東大和市・武蔵村山市・東村山市一帯及び清瀬市・小平市・立川市・瑞穂町の一部)に存在した太子堂は、寺院に付属するものを除けば、蔵敷の一堂のみであった。
また明治5年(1872年)の学制発布に伴ない、汎衆学舎と呼ばれる蔵敷村の学校が置かれた場所でもあり、その後も蔵敷村青年団活動の拠点となった。
現在の建造物は当時の面影はないが、厨子(空殿)が安置されており、太子像が祀られている。
昭和58年7月
穂がし大和市教育委員会 』 -
蔵敷太子堂地蔵尊堂
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熊野神社・鳥居
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熊野神社石段
急峻な石段を登り、途中で振り返ります。 -
熊野神社拝殿(所在地:東大和市蔵敷)
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熊野神社扁額
「熊野宮」と刻されています。 -
伊勢神宮献燈と力石
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力石・説明板
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熊野神社境内
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蔵敷高札場(ぞうしきこうさつば・東大和市蔵敷)
「ひがしやまと文化財ガイド」には次のように紹介されています。
『江戸時代、お上のお触れを庶民に知らせるのに、村の辻々に高札を立てました。高札場は、本来どこの村にもあった決して珍しいものではないのですが、明治時代になり、無用のものとなると次々に取り壊され、市内ではすでにここだけとなり、東京都の旧跡に指定されています。又、ここに掛けられた高札のいくつかは、蔵敷村の名主であったお宅に保管されています。』 -
石碑
中央部に「史蹟 蔵敷高札場」と刻されています。 -
厳島神社・鳥居 (所在地:東大和市蔵敷)
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厳島神社・石段
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厳島神社・拝殿
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厳島神社・本殿
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厳島神社・境内
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光明真言一千二百萬遍供養塔
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蔵敷庚申塚
「ひがしやまと文化財ガイド」では次のように説明されています。
『もともとはその名の通り小さな丘のような塚でしたが、道路の改修や宅地造成によって周りが削られてしまい、『塚」という雰囲気はすっかりなくなってしまいましたが、市史跡に指定されています。』 -
蔵敷庚申塚の石造物・近景
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蔵敷庚申塚・説明板
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塚前墓地
「ひがしやまと文化財ガイド」には次の説明があります。
『雲性寺と蓮華寺の共同墓地で、古くからの墓地です。今でこそ住宅地に囲まれた場所ですが、もともとは人家から離れた場所でした。
墓地の一角はもと「埋め墓」で、他につくられる「参り墓」とあわせ、両墓制と呼ばれる風習の名残です。土葬が禁止されてからは、供養塔が立てられた空地になっていましたが、現在は墓地として整備されています。
西側の入口のところには、六地蔵や古い墓標があります。』 -
塚前墓地・近景
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蔵敷調練場跡
「ひがしやまと文化財ガイド」には次の紹介があります。
『幕末、農民の一揆を鎮圧するため、各地で豪農の子息が「農兵」として組織されました。そして蔵敷村を中心とするこの地域の農兵の訓練をしたのがこのあたり(芝中団地周辺)だといわれています。市旧跡に指定されています。
訓練の総指揮は韮山代官の江川太郎左衛門(英敏)、責任者は蔵敷村の名主内野杢左衛門でした。内野家には当時の銃や陣笠、作戦会議用の「駒」などが残されています。
調練場跡の文化財の看板が立ててあるところは、日枝神社です。フェンスに囲まれた三角地の中の小さなお社で、地域の人々からは山王様と呼ばれています。』 -
日枝神社
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蔵敷調練場・説明板
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