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JR立川駅乗り換え多摩モノレール終点上北台(かみきただい)から八幡通を北上、奈良橋周辺を散歩しました。<br /><br />今回はまず東大和市郷土博物館で情報収集した後に雲性寺ー八幡神社の順路で散歩します。<br /><br /><br />最初の散歩先は天王山観音院・雲性寺(うんしょうじ、東京都東大和市奈良橋)です。<br /><br />郷土博物館で入手した「ひがしやまと文化財ガイド」では下記のような紹介があります。<br /><br />『 雲性寺(うんしょうじ)<br /><br />永享11(1439)年の創建という言い伝えがあります。その後何度か立て直しを繰りかえしたそうですが、元禄年間には、地頭の石川太郎右衛門(4台目忠英)が大きな寺にしたといわれ、墓地には石川家7代の墓があります。<br /><br />文久2(1862)年には火災により焼失し、古い記録は全て失ったそうです。<br /><br />また、狭山三十三観音霊場の第十八番札所(市旧跡)となっているほか、山門の下には、新青梅街道拡張工事の際に奈良橋庚申塚から移設した庚申塔や、馬頭観音があります。さらに、本堂には「阿宇庚申」と呼ばれる珍しい庚申塔もあります。』<br /><br /><br />次は八幡神社(はちまんじんじゃ、東京都東大和市奈良橋)の散歩となります。<br /><br />同様に郷土博物館で入手のガイドブックには次のように記載されています。<br /><br />『 八 幡 神 社<br /><br />いつ頃創建されたのかはっきりしたことはわかりませんが、言い伝えによれば江戸時代以前に既に社殿が建てられていたといいます。境内には、かつて参道の入口にそびえていた樹齢270年の大形の根株があり、これが地域の人々の祈願成就のために植樹されたと伝えられることからも、古くからの神社であることがわかります。<br /><br />明治6(1873)年に奈良橋村の村社となり、現在の拝殿は昭和7(1932)年に建てられたものです。それまでの社は倉庫として使われています。<br /><br />富士浅間社、神明社などいくつかの末寺がまつられ、やはり地域の信仰を集めた地であることがうかがわれます。』<br />

武蔵東大和 15世紀中頃創建とも伝えられ元禄期に旗本の石川氏の中興により発展の『雲性寺』及び『八幡神社』散歩

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2013/05/19 - 2013/05/19

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR立川駅乗り換え多摩モノレール終点上北台(かみきただい)から八幡通を北上、奈良橋周辺を散歩しました。

今回はまず東大和市郷土博物館で情報収集した後に雲性寺ー八幡神社の順路で散歩します。


最初の散歩先は天王山観音院・雲性寺(うんしょうじ、東京都東大和市奈良橋)です。

郷土博物館で入手した「ひがしやまと文化財ガイド」では下記のような紹介があります。

『 雲性寺(うんしょうじ)

永享11(1439)年の創建という言い伝えがあります。その後何度か立て直しを繰りかえしたそうですが、元禄年間には、地頭の石川太郎右衛門(4台目忠英)が大きな寺にしたといわれ、墓地には石川家7代の墓があります。

文久2(1862)年には火災により焼失し、古い記録は全て失ったそうです。

また、狭山三十三観音霊場の第十八番札所(市旧跡)となっているほか、山門の下には、新青梅街道拡張工事の際に奈良橋庚申塚から移設した庚申塔や、馬頭観音があります。さらに、本堂には「阿宇庚申」と呼ばれる珍しい庚申塔もあります。』


次は八幡神社(はちまんじんじゃ、東京都東大和市奈良橋)の散歩となります。

同様に郷土博物館で入手のガイドブックには次のように記載されています。

『 八 幡 神 社

いつ頃創建されたのかはっきりしたことはわかりませんが、言い伝えによれば江戸時代以前に既に社殿が建てられていたといいます。境内には、かつて参道の入口にそびえていた樹齢270年の大形の根株があり、これが地域の人々の祈願成就のために植樹されたと伝えられることからも、古くからの神社であることがわかります。

明治6(1873)年に奈良橋村の村社となり、現在の拝殿は昭和7(1932)年に建てられたものです。それまでの社は倉庫として使われています。

富士浅間社、神明社などいくつかの末寺がまつられ、やはり地域の信仰を集めた地であることがうかがわれます。』

交通手段
私鉄 徒歩
  • 上北台駅<br /><br />多摩モノレール終点上北台(かみきただい)駅周辺はよく整備されています。

    上北台駅

    多摩モノレール終点上北台(かみきただい)駅周辺はよく整備されています。

  • 上北台駅<br /><br />終点ですが今後延伸計画もあるようです。<br /><br />

    上北台駅

    終点ですが今後延伸計画もあるようです。

  • 東大和市観光マップ

    東大和市観光マップ

  • 東大和全図

    東大和全図

  • 東大和郷土博物館<br /><br />まず情報収集ということで郷土博物館に入館してみました。入館は無料ですが常設のプラネタリウムは有料との事で目的外のため関係の資料を入手しました。<br />

    東大和郷土博物館

    まず情報収集ということで郷土博物館に入館してみました。入館は無料ですが常設のプラネタリウムは有料との事で目的外のため関係の資料を入手しました。

  • 雲性寺<br /><br />

    雲性寺

  • 雲性寺由緒 下記の通り紹介されています。<br />『 東やまと20景  雲 性 寺<br />永享11(1439)年に堂宇建立と伝えられています。山門は箱根本陣の一の門として使われていたのをもらい受けて、昭和26(1951)年に設置したものです。<br /><br />山門の下の庚申塔は、昭和42(1967)年に奈良橋庚申塚から移転されました。また、本堂の中にも正徳6(1716)年の年号のある、珍しい形の庚申塔が安置されており、阿宇庚申と呼ばれています。秋には、境内にある2本のいちょうの大木が美しく色づきます。   (ふるさとふれあい振興事業) 』

    雲性寺由緒 下記の通り紹介されています。
    『 東やまと20景  雲 性 寺
    永享11(1439)年に堂宇建立と伝えられています。山門は箱根本陣の一の門として使われていたのをもらい受けて、昭和26(1951)年に設置したものです。

    山門の下の庚申塔は、昭和42(1967)年に奈良橋庚申塚から移転されました。また、本堂の中にも正徳6(1716)年の年号のある、珍しい形の庚申塔が安置されており、阿宇庚申と呼ばれています。秋には、境内にある2本のいちょうの大木が美しく色づきます。   (ふるさとふれあい振興事業) 』

  • 庚申塔全景

    庚申塔全景

  • 庚申塔

    庚申塔

  • 庚申塔説明板

    庚申塔説明板

  • 雲性寺山標<br /><br />「天王山 雲性寺」とあります。

    雲性寺山標

    「天王山 雲性寺」とあります。

  • 雲性寺本堂

    雲性寺本堂

  • 雲性寺扁額<br /><br />「天王山」と刻されています。

    雲性寺扁額

    「天王山」と刻されています。

  • 雲性寺境内

    雲性寺境内

  • 「十八番札所 雲性寺」説明板

    「十八番札所 雲性寺」説明板

  • 「雲性寺」扁額

    「雲性寺」扁額

  • 「八幡神社」参道<br /><br />道路から階段となっています。

    「八幡神社」参道

    道路から階段となっています。

  • 「八幡神社」第一の鳥居

    「八幡神社」第一の鳥居

  • 「八幡神社」第二の鳥居

    「八幡神社」第二の鳥居

  • 「八幡神社」全景

    「八幡神社」全景

  • 「八幡神社」境内

    「八幡神社」境内

  • 「八幡神社」由緒 内容は下記の通りです。<br /><br />『 神明社 八 幡 社<br />主祭神名  誉田別之命<br /><br />     由 緒<br />当社は創立年暦不詳、太古より鎮守と公称しきて、何神と言うことはわからない。<br /><br />宮がこわれようとする頃、いつの戦いか、武士が逃げてきて、この森に露営しようと、四方から見ると、くらい中より宮のあるのがわかり、宮の中にねむると、その人に告げるに神の夢に「吾は八幡の神なり」当社によく宿ってくれた、宮が破損しようとしているので村人に建て替えることを知らせて欲しいと言った。夢さめて翌朝地頭に行き、箕の理由を告げる。天正3年(1575)11月、領主石川太郎右衛門氏の寄付により、社殿が再興され、其の後百十四年を経て、元禄2年(1689)9月旧領主石川太郎右衛門並岸隼人の尽力に依り拝殿が建てられ、其の後昭和7年に本殿幣殿拝殿が改築された。   北多摩神道青年会 』

    「八幡神社」由緒 内容は下記の通りです。

    『 神明社 八 幡 社
    主祭神名  誉田別之命

         由 緒
    当社は創立年暦不詳、太古より鎮守と公称しきて、何神と言うことはわからない。

    宮がこわれようとする頃、いつの戦いか、武士が逃げてきて、この森に露営しようと、四方から見ると、くらい中より宮のあるのがわかり、宮の中にねむると、その人に告げるに神の夢に「吾は八幡の神なり」当社によく宿ってくれた、宮が破損しようとしているので村人に建て替えることを知らせて欲しいと言った。夢さめて翌朝地頭に行き、箕の理由を告げる。天正3年(1575)11月、領主石川太郎右衛門氏の寄付により、社殿が再興され、其の後百十四年を経て、元禄2年(1689)9月旧領主石川太郎右衛門並岸隼人の尽力に依り拝殿が建てられ、其の後昭和7年に本殿幣殿拝殿が改築された。   北多摩神道青年会 』

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