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ウオーキングクラブで、ススキの大草原「箱根仙石原高原ウオーク」に行きました。<br /><br />10月27日(木)参加人員10名で、サンケイツアーズの企画で、たまプラーザをバスで8:30出発するツアーに乗りました。<br /><br />バスで箱根「湿性花園前」まで行き、「仙石原すすき草原」を見た後、芦ノ湖の湖尻をめざしました。コースは約7kmです。<br /><br />

箱根仙石原高原ウオーク

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2011/10/27 - 2011/10/27

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魅々

魅々さん

ウオーキングクラブで、ススキの大草原「箱根仙石原高原ウオーク」に行きました。

10月27日(木)参加人員10名で、サンケイツアーズの企画で、たまプラーザをバスで8:30出発するツアーに乗りました。

バスで箱根「湿性花園前」まで行き、「仙石原すすき草原」を見た後、芦ノ湖の湖尻をめざしました。コースは約7kmです。

同行者
社員・団体旅行
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • この日はお天気が良く、足柄サービスエリアでは、雲ひとつない青空に富士山がきれいに見えました。<br /><br />そして、ここでツアー会社が用意した昼食のお弁当を食べました。<br />

    この日はお天気が良く、足柄サービスエリアでは、雲ひとつない青空に富士山がきれいに見えました。

    そして、ここでツアー会社が用意した昼食のお弁当を食べました。

  • コースマップで、箱根「湿性花園前」から、芦ノ湖の湖尻まで約7kmです。

    コースマップで、箱根「湿性花園前」から、芦ノ湖の湖尻まで約7kmです。

    箱根湿生花園 公園・植物園

    箱根仙石原湿原の植物の他、日本各地の湿地帯の植物や、外国の珍しい植物などが集められています。 by 魅々さん
  • 箱根「湿性花園前」に着き、ここでバスを降りて、ウオーキングをスタートしました。<br /><br />まず台ケ岳のふもと一帯にススキが茂る「仙石原すすき草原」に着きました。<br />

    箱根「湿性花園前」に着き、ここでバスを降りて、ウオーキングをスタートしました。

    まず台ケ岳のふもと一帯にススキが茂る「仙石原すすき草原」に着きました。

    仙石原高原 自然・景勝地

    関東一のススキの名所として知られ「かながわの景勝50選」に選定されています。 by 魅々さん
  • そして、ススキを見ながら、斜面を登りました。

    そして、ススキを見ながら、斜面を登りました。

  • 登り道の終点で、折り返し来た道を戻りました。<br />

    登り道の終点で、折り返し来た道を戻りました。

  • そして、「仙石原〜湖尻自然探勝歩道」に入り、芦ノ湖をめざしました。<br />

    そして、「仙石原〜湖尻自然探勝歩道」に入り、芦ノ湖をめざしました。

  • 探勝路には一部石畳が敷いてあります。<br />

    探勝路には一部石畳が敷いてあります。

  • 芦ノ湖を源流として流れる「早川」に沿ってしばらく歩きました。<br /><br />木々は少し色づいていました。<br />

    芦ノ湖を源流として流れる「早川」に沿ってしばらく歩きました。

    木々は少し色づいていました。

  • 早川の水は、どんよりとして、綺麗な流れではありません。<br /><br />水源の芦ノ湖に近いのに、なんだか変ですね。

    早川の水は、どんよりとして、綺麗な流れではありません。

    水源の芦ノ湖に近いのに、なんだか変ですね。

  • そして、樹林地帯に入りました。林の中に写真のお墓(?)のような、四角い碑がたくさん立っています。<br /><br />いったい何でしょう・・・・

    そして、樹林地帯に入りました。林の中に写真のお墓(?)のような、四角い碑がたくさん立っています。

    いったい何でしょう・・・・

  • 写真の標識でわかりました。「町制五十周年記念植樹」とありました。<br /><br />箱根町の50周年を記念して植樹され、鹿などに食べられないように、囲いがしてあるのでした。

    写真の標識でわかりました。「町制五十周年記念植樹」とありました。

    箱根町の50周年を記念して植樹され、鹿などに食べられないように、囲いがしてあるのでした。

  • 記念植樹地を過ぎると、写真のような大きな石碑がありました。<br /><br />「須永君碑」で、長文の碑文が書いてありましたが、文語調でなかなか読めませんが、次の説明板のように<br /><br />石碑の須永伝蔵さんは、渋沢栄一の従兄弟で、「耕牧舎跡」の経営を任され、その功績を讃える碑でした。

    記念植樹地を過ぎると、写真のような大きな石碑がありました。

    「須永君碑」で、長文の碑文が書いてありましたが、文語調でなかなか読めませんが、次の説明板のように

    石碑の須永伝蔵さんは、渋沢栄一の従兄弟で、「耕牧舎跡」の経営を任され、その功績を讃える碑でした。

  • となりに、木の説明板がありました。<br /><br />これには「耕牧舎跡」として<br /><br />「明治13年、渋沢栄一、益田孝らは「耕牧舎跡」という会社をつくり、仙石原村、元箱根村の原野700ヘクタールを利用して牧場を開きました。<br />最盛期には牛200頭、馬80頭を放牧し、当時珍しかった牛乳やバター、牛肉などを販売して、避暑の箱根を訪れた外国人らに喜ばれました。」<br /><br />と書いてありました。

    となりに、木の説明板がありました。

    これには「耕牧舎跡」として

    「明治13年、渋沢栄一、益田孝らは「耕牧舎跡」という会社をつくり、仙石原村、元箱根村の原野700ヘクタールを利用して牧場を開きました。
    最盛期には牛200頭、馬80頭を放牧し、当時珍しかった牛乳やバター、牛肉などを販売して、避暑の箱根を訪れた外国人らに喜ばれました。」

    と書いてありました。

  • 探勝路からは、大涌谷の硫黄の煙が見えました。

    探勝路からは、大涌谷の硫黄の煙が見えました。

    大涌谷 自然・景勝地

  • 芦ノ湖が見えて、まず写真の「湖尻水門」に着きました。<br /><br />湖尻水門の外側です。<br /><br />水はほとんど流れていませんが、ここが先程の「早川」の源です。

    芦ノ湖が見えて、まず写真の「湖尻水門」に着きました。

    湖尻水門の外側です。

    水はほとんど流れていませんが、ここが先程の「早川」の源です。

    湖尻水門 名所・史跡

  • 湖尻水門の内側には満々と湖水がためられていますが、ここで芦ノ湖の水位がこ調節されています。

    湖尻水門の内側には満々と湖水がためられていますが、ここで芦ノ湖の水位がこ調節されています。

  • 芦ノ湖が広がってきました。<br /><br />ここが芦ノ湖の最も北の地点です。

    芦ノ湖が広がってきました。

    ここが芦ノ湖の最も北の地点です。

    芦ノ湖 自然・景勝地

  • 写真は「神奈川県立芦ノ湖キャンプ村」から、芦ノ湖を望んだところです。

    写真は「神奈川県立芦ノ湖キャンプ村」から、芦ノ湖を望んだところです。

  • 写真は芦ノ湖の桃源台の箱根海賊船の乗り場です。<br /><br /><br />

    写真は芦ノ湖の桃源台の箱根海賊船の乗り場です。


    箱根海賊船 乗り物

  • このあと、湖尻まで歩き、ゴールです。<br /><br />待っていたバスに乗り、たまプラーザに戻ってきました。<br /><br />好天に恵まれ、また気温も暖かく、快適なウオーキングでした。<br />

    このあと、湖尻まで歩き、ゴールです。

    待っていたバスに乗り、たまプラーザに戻ってきました。

    好天に恵まれ、また気温も暖かく、快適なウオーキングでした。

  • 家に帰って、芦ノ湖の水が早川に流れない理由をネットで調べました。<br />そしてわかったことは「芦ノ湖の水利権は神奈川県でなく静岡県にある!!ということでした。<br /><br />その理由は・・・・<br />江戸時代、駿河国駿東郡深良村(ふからむら)の名主・大庭源之丞さんは水不足に悩む深良村の灌漑用に芦ノ湖から箱根山の湖尻峠下を貫通するトンネルを掘ることを思いつきました。<br />芦ノ湖の水利権を持つ箱根権現社の許可を得て、江戸商人・友野与右衛門さんの資金協力を受けて、1670年(寛文10年)に用水路を完成させました。<br />この用水は「深良用水」と呼ばれ、現在は狩野川水系黄瀬川支流の深良川となっています。<br /><br />江戸時代は箱根も深良も小田原藩の領地であったので問題はありませんでしたが、両地は明治の廃藩置県で神奈川県(足柄県)と静岡県に分割され、湖尻峠が県境となりました。<br />その結果、両県で水利権をめぐる争いが起き、裁判によって静岡県に水利権が認められました。<br /><br />現在、芦ノ湖の水利権は静岡県が握っていますが、水門・水道管施設の維持の土木工事許認可権は神奈川県が握っています。<br />このため渇水などの非常時には神奈川県も芦ノ湖の水を利用できるようになっています。<br /><br />ということです。<br /><br />図は、「湖尻水門」と「深良水門」の位置です。

    家に帰って、芦ノ湖の水が早川に流れない理由をネットで調べました。
    そしてわかったことは「芦ノ湖の水利権は神奈川県でなく静岡県にある!!ということでした。

    その理由は・・・・
    江戸時代、駿河国駿東郡深良村(ふからむら)の名主・大庭源之丞さんは水不足に悩む深良村の灌漑用に芦ノ湖から箱根山の湖尻峠下を貫通するトンネルを掘ることを思いつきました。
    芦ノ湖の水利権を持つ箱根権現社の許可を得て、江戸商人・友野与右衛門さんの資金協力を受けて、1670年(寛文10年)に用水路を完成させました。
    この用水は「深良用水」と呼ばれ、現在は狩野川水系黄瀬川支流の深良川となっています。

    江戸時代は箱根も深良も小田原藩の領地であったので問題はありませんでしたが、両地は明治の廃藩置県で神奈川県(足柄県)と静岡県に分割され、湖尻峠が県境となりました。
    その結果、両県で水利権をめぐる争いが起き、裁判によって静岡県に水利権が認められました。

    現在、芦ノ湖の水利権は静岡県が握っていますが、水門・水道管施設の維持の土木工事許認可権は神奈川県が握っています。
    このため渇水などの非常時には神奈川県も芦ノ湖の水を利用できるようになっています。

    ということです。

    図は、「湖尻水門」と「深良水門」の位置です。

  • 芦ノ湖側から見た「深良水門」です。

    芦ノ湖側から見た「深良水門」です。

    深良水門 名所・史跡

  • 陸地から見た、「深良水門」で、ここから「深良用水」がスタートします。

    陸地から見た、「深良水門」で、ここから「深良用水」がスタートします。

  • 「深良用水」はここから「トンネル」を流れ、静岡県に流れていきます。

    「深良用水」はここから「トンネル」を流れ、静岡県に流れていきます。

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