2013/04/29 - 2013/04/29
149位(同エリア358件中)
SUR SHANGHAIさん
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岩手県宮古市は、陸中海岸国立公園の観光の拠点ともなる街ですが、東日本大震災では沿岸地域の他の町や村同様、大きな被害を受けました。
今回はお見舞いに加えて、震災前に行ってみた本州最東端のトドヶ崎を再訪してみます。
前回はバス+徒歩の一人旅でしたが、今回は同行者が二人。
トドヶ崎灯台への上り口がある姉吉海岸(あねよし・かいがん)まではレンタカーで、姉吉海岸からは小型漁船のサッパ船を出してもらうことにして出発!
トドヶ崎からからは、徒歩で姉吉海岸へと戻って来ようと思います。
●注: サッパ船というのは、小型の漁船。
トドヶ崎のトドは、魚ヘンに毛。
宮古市街地から姉吉海岸までは車だと50分程度。
宮古駅前を出た後は、岩手県北バスの≪宮古駅前⇔重茂⇔石浜⇔川代≫の路線バスと同じく、磯鶏(そけい)→高浜(たかはま)→金浜(かねはま)→川帳場(かわちょうば)→赤前(あかまえ)→堀内(ほりない)→白浜(しらはま)→小角柄(こずのがら)→音部(おとべ)→里(さと)→姉吉(あねよし)まで行き、あとは脇道に入って姉吉海岸へ。
川帳場までは国道45号線ですが、そこから先は県道41号線になります。
この旅行記ではその道筋は省略し、姉吉海岸に到着したところから始めます。
震災前の2010年5月、上記バスでの道筋の様子+徒歩でトドヶ崎灯台を訪れた時の様子が知りたい方は、下記の旅行記をご参照ください。
★本州最東端のトドヶ崎灯台へバスと徒歩で行ってみる
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10473833/
●注: 上記の旅行記で乗ってみた宮古市街地から姉吉に向かう岩手県北バス≪宮古駅前⇔重茂⇔石浜⇔川代≫の路線バスは便数が極端に少ないので、時刻表の最新情報は必ずお確かめください。
http://www.iwate-kenpokubus.co.jp/pdf/20120116mb.pdf#search='%E5%B2%A9%E6%89%8B%E7%9C%8C%E5%8C%97%E3%83%90%E3%82%B9+%E6%99%82%E5%88%BB%E8%A1%A8'
また、震災後の2011年10月には、姉吉(あねよし)の集落がある重茂半島(おもえ・はんとう)を車で回ってみたので、その時の道筋の様子も知りたい方は下記の旅行記をご参照ください。
★車で重茂半島に行ってみる(1) −月山展望台から見た宮古市
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10609979/
★車で重茂半島に行ってみる(2、完) −姉吉再訪、そしてその周辺へ
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10611259/
さて、2013年のこの日のトドヶ崎灯台は?
表紙の画像は、サッパ船から見上げた本州最東端のトドヶ崎と、その上に立つトドヶ崎灯台。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 船 レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
表紙に書いたように、今回のトドヶ崎旅行記は、県道41号線の姉吉(あねよし)バス停留所前から枝分かれした道の先にある姉吉海岸からのスタートにします。
姉吉海岸までの道筋の様子が知りたい方は、下記の旅行記をご参照ください。
姉吉の『此処から下に家を建てるな』で有名になった津波記念碑は、この旅行記の終わりで再紹介しようと思います。
震災前2010年5月: ★本州最東端のトドヶ崎灯台へバスと徒歩で行ってみる
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10473833/
震災後2011年10月: ★車で重茂半島に行ってみる(1) −月山展望台から見た宮古市
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10609979/
震災後2011年10月: ★車で重茂半島に行ってみる(2、完) −姉吉再訪、そしてその周辺へ
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10611259/
さて、ここは姉吉海岸からトドヶ崎灯台へ行く徒歩での上り口。
上段の画像が今回2013年4月下旬の様子。
下段が、東日本大震災前年2010年5月中旬に訪れた時の画像。
今回は、トドヶ崎灯台入口への看板などが立ち始めていましたが、周りの漁業用品置き場や木々は無くなったまま。
上段の画像の左上に黄色い○を付けてありますが、そこには画像手前に見えているのと同じ浮きと魚網が木の枝に架かっています。
東日本大震災時の大津波は、少なくてもあそこまでの高さがあったのがありあり。 -
これも姉吉海岸(あねよし・かいがん)からトドヶ崎灯台への徒歩での上り口あたり。
上段の画像が今回2013年4月下旬の様子。
下段が、東日本大震災前年2010年5月中旬に訪れた時の画像。
以前は漁業用品置き場や漁業用に使われていたトラックが停めてあったりしたんですが、今ではアスファルトの舗装だけが残っていました。
この日はSUR SHANGHAIたち以外にもトドヶ崎に向かった人たちがいるようで、関東方面ナンバーの車も停めてありました。
ひょっとして、本州最東端の朝日を見に、夜明けから来ていたのかも?
周辺の山も、以前は木々が生い茂っていてトドヶ崎に上って行く遊歩道は見えなかったのに、津波が届いた高さの木々は押し流されてしまい、上段の画像では坂になった遊歩道もはっきり分かります。
黄色い○は、上掲の画像と同じく、魚網や浮きが木の枝に引っかかっている場所になります。 -
トドヶ崎灯台への上り口あたりから、姉吉海岸(あねよし・かいがん)の小さな漁港を見る。
上段の画像が今回2013年4月下旬の様子。
下段が、東日本大震災前年2010年5月中旬に訪れた時の画像。
以前は小さな湾を左右から挟み込むように造られていた防波堤も、現在はほんの一部を残して消失。
岸壁のあたりも補修は進んでいるんですが、まだ以前のように整ってはいません。
以前のこの岸壁には、≪本州最東端の蛇口≫も設置されていて、柱には≪東経142度3分11秒 本州最東端の蛇口 岩手県宮古市≫という表示もあったんですよ。 -
あ、まだ約束時間には早いのに、姉吉海岸(あねよし・かいがん)の岸壁には、これからトドヶ崎に向かってもらうサッパ船(小型漁船)がもう来ているみたい。
さっそく行ってみます。(^◇^)
その岸壁手前のフェンス周辺も、まだ東日本大震災の大津波で壊れたまま。
施設の重要度とか住民の安全保護面などで修復の優先順位が決められるんでしょうから、ここはもう少し後になるのかも。
ちなみにこの周辺の電気や交通確保のための送電施設、道路の補修は、一通り済んでいるようでした。 -
これが、今日のトドヶ崎行きのために、同行者の一人Aさんに予約してもらっていたサッパ船(小型漁船)。
●注: この船は観光用というわけではなく、漁業のお仕事の合間、船主さんのご都合がいい時に出していただけるもの。
現地にいきなり行っても、乗れるとは限りません。
この日は快晴ではありませんでしたが、まずまずのお天気。
風も波も大きくはないということで、姉吉には予定していた時間よりも早く着きましたが、すぐに船を出していただけることに。
よろしくお願いしま〜す。 <(_ _)>
SUR SHANGHAI一行3人のほかに、船主さんお二人ともご一緒します。
このサッパ船は、最大搭載人員13人なので余裕の大きさ。
東日本大震災では、元所有していた船が流されたと言うことで、これは震災後に新たに購入した船なんだそう。
船主さんは震災当日もこの岸壁にいらっしゃったそうですが、津波が来る前に姉吉の集落に戻って難を逃れたそうです。 -
甲板に座席代わりのプラスチック箱を並べてもらい、手渡されたライフジャケットを着込んだらすぐに出発。
SUR SHANGHAIの前に座ったのは、これまでにも宮古周辺を案内してもらったAさん。
もう一人の同行者は宮古は初心者のBさんで、隣り合って座って行きました。
サッパ船のエンジン音はドドドドドドドドッ!!と大きい音が響くのかと思ったら、想像よりもずっと静か。
新しいタイプなのかも?
ぐんぐん力強く姉吉(あねよし)の港を出て行きます。
東日本大震災前にはここで見える小さな湾の左右から防波堤が突き出していたんですが、今は無し。
そのうちにまた新しく出来るのかも? -
姉吉(あねよし)の小さな漁港を出ると、もう太平洋。
あとは、この崖になった海岸線に沿って北上し、トドヶ崎を目指します。
このあたりも陸中海岸国立公園の一部なので、山が急激に海に落ち込む、荒々しくも美しい景観が見られますよ〜。(*^。^*)
結論から言うと、姉吉の漁港からトドヶ崎灯台下の船着場までの船旅は10分。
あっけないほど短い船旅ですが、こんな景色が楽しめました。 -
この旅行記の出だしにご紹介した姉吉海岸(あねよし・かいがん)から徒歩でトドヶ崎を目指すと、まずあの崖のある山の上の方を通る遊歩道に出ます。
最初の数百mの上りはちょっとキツイですが、あとは林の中のほぼ平らな一本道。
3.8kmほどの道のりでトドヶ崎灯台に着きますよ。
足腰の強い人なら所要時間は1時間、ゆっくり写真も撮りながら歩くと1.5時間位です。
ただ、気を付けたいのは、姉吉にもトドヶ崎にも売店・食堂・自販機が一切無いこと。
飲み物やお弁当類は事前に準備して行くのが吉。 -
イチオシ
本州最東端のトドヶ崎のあるのは重茂半島(おもえ・はんとう)。
その崖が太平洋に落ち込むリアス式海岸の風景。
うん、いい眺め!
春は海藻が勢いよく育つ季節。
波の上に顔を出した岩の周りは海藻がびっしり。
波の間に間に、長くたなびいていたのはワカメ? -
すっかり外海に出ると、お天気はまずまずと言っても、時折ザッパンザッパンと揺れたサッパ船。
それでも、この日は波をかぶることも船酔いすることも無かったのは幸い。
お! (◎◇◎)
もうすでに、白い灯台が行く手の崖の上に見えて来た。
あれが本州最東端のトドヶ崎とトドヶ崎灯台!
●注: その東経の数字は、トドヶ崎灯台近くの本州最東端の碑には東経142度4分35秒と出ていたり、灯台の説明書きには東経142度4分16秒と出ていたり。
トドヶ崎灯台の説明に出ている数字は、本州最東端の灯台としての東経なのかもですが、他の資料でも最東端の秒の数字に違いが見られました。
徒歩だと姉吉海岸(あねよし・かいがん)からトドヶ崎灯台が見える場所まで最低1時間はかかるのに、サッパ船だとほんの数分。
う〜ん、ちょっとあっけない。
でも、このあと、サッパ船でしか見られない光景があったんですよ〜。(^◇^) -
本州最東端のトドヶ崎間近の重茂半島(おもえ・はんとう)。
太平洋に落ち込む崖に洞窟のような穴があるのは、波による浸食作用? -
さあ、いよいよトドヶ崎灯台が迫って来た!
右手に続いている崖が本州最東端のトドヶ崎。
太平洋からのこんな角度からも、この灯台が見られる日が来るなんて!
゚+。゚★感・・(ノ)゚∀゚(ヾ)・・激★゚。+゚
あれ?
本州最東端のトドヶ崎の崖にも大きな穴が開いているみたい。
サッパ船が前進するにつれて…、 -
イチオシ
…目の前に大きく広がったトドヶ崎の大きな洞窟。
わ〜! (◎◇◎) 以前、あの崖の上に立った時には、足の下にあんな洞窟があるとは気付かなかった。
お天気が最高によくて波が本当に凪いでいる時には、あの洞窟をくぐって灯台近くの崖の切れ目にも出ることが出来るんだそう。
この日はちょいと無理のよう。 残念。
で、崖の上のオレンジ色の楕円形内に何人かの姿が見えているんですが、あとで行ってみたところ、そのうちのお一人は釣客でした。
崖の下にピンク色の楕円形を付けたのは、今日の同行者の一人のAさんがずっと昔にトドらしき動物を見たという場所。
じゃ、トドヶ崎のトドって、アシカ科トド属の海獣のこと?
でも、トドヶ崎のトドって漢字で書くと魚ヘンに毛なのよね。
う〜ん、(−−〆) 不思議だ…。 -
SUR SHANGHAI一行を乗せたサッパ船は、本州最東端のトドヶ崎前を通過中。
波で揺れて画像が斜めになってしまい、失礼します〜。
トドヶ崎を過ぎて更に北上しても、周りは切り立つ崖ばかり。
一体どこに船を付けるのかとお思いでしょうが、崖の切れ目に波がとても穏やかな長磯という名の細い入り江があるんです。 -
SUR SHANGHAIたちが乗ってきたサッパ船以外にも、灯台関係者や釣り客を乗せた船が着くのは、長磯という名の入り江。
その入り江の様子は、崖の上から見た様子でお伝えすることにして、これはもう下船が済んだ後。
サッパ船は片道だけ頼んでおいたので、船主さんたちとはここでお別れです。
ありがとうございました〜! ヾ(´ー`)ノ -
SUR SHANGHAIたちがサッパ船を降りた長磯は、本州最東端のトドヶ崎からちょっと北に回り込んだ所にある細長〜い入り江。
ここも外海の太平洋に面しているのに、その水面はこんなに穏やか。
その理由はこの画像奥を見ると分かりますが、入り江の入口に大きな岩がいくかあって天然の防波堤になっているからなんです。
ただ、東日本大震災の大津波はそれらの岩も乗り越えてこの長磯の入り江にも侵入。
入り江の奥を見ると…、 -
…船着場からトドヶ崎灯台や与奈(よな)方向への遊歩道があったらしき長磯の谷間はめちゃくちゃ。
ここも崖が海に落ち込む典型的リアス式海岸で、細長いV字型の入り江だから津波の威力が増幅されたんでしょうね。
ただ、ここには民家は無かったようで、人的被害は無かったらしいのが救い。 -
SUR SHANGHAIは、この長磯は震災前にトドヶ崎灯台を訪れた時に崖の上から見下ろしただけ。
だから、震災前の状況がどんな風だったのか想像ができない。
同行者の一人Aさんは、昔はこのあたりに徒歩でもサッパ船でもよく来ていたそうですが、震災後に来るのは初めて。
「ひでぇもんだ…。」以外の言葉が無い様子。 -
長磯の入り江の奥。
今、SUR SHANGHAIが立っているのは、トドヶ崎灯台へ上って行く斜面。
向こうの斜面に見えているのは、与奈(よな)方向への遊歩道。
谷間のあたりは東日本大震災の津波で押し流された岩石や樹木、遊歩道の残骸でいっぱいですが、それでもここにも人手が入って、トドヶ崎灯台へ水を供給しているという沢の水の汲みだし施設やパイプは補修が済んでいました。
この画像でも、その設備やパイプが見えています。 -
長磯からトドヶ崎灯台へ上って行く斜面。
灯台までの距離は数百mも無い位。
傾斜もそんなに無いので、普通の体力がある方なら問題無く上って行けますよ。
画像の中央付近に見えているサッパ船の船着場から上って来る道の補修がそのうちに済めば、さらに歩きやすくなると思います。
奥に見えるのが、長磯の入り江の入口。
あんな大きな岩が天然の防波堤になっていくつもあるのに、それらも乗り越えてこの谷間を破壊して行った東日本大震災の津波の威力には唖然。
長磯の入口は、北方向に向かって開いている。
もし、津波のやって来る南東方向に開いていたとしたら、更に高い所まで波は届いたのか! -
長磯からトドヶ崎灯台へ続く遊歩道。
さすがに斜面の上の方には東日本大震災の津波も届かなかったので、この画像では道も木立も残っています。
画像左に見えているのは、ここからはトドヶ崎灯台用地であることを示す標石。 -
トドヶ崎灯台へと続く斜面の遊歩道から見下ろした長磯の入り江。
画像右手が、さっきSUR SHANGHAIたちが乗ったサッパ船が入って来た入り江の入口。
上段の画像だと、画像左手に船着場も写っています。
こうして見ると、名前のとおりずいぶん長い入り江で、その緑色を帯びた青い水の色が美しい。
あれ? 対岸の崖をよく見ると、岩を飾る松林の裾の方が灰色になっている。
枯れたのかな?
震災前に同じようなアングルで見下ろした時には、もう少し崖の下の方まで松の木があったと思うし、こんな風に灰色になった木も無かったはずなのに…。
ひょっとして、東日本大震災の津波は少なくてもあの灰色になった松のある場所と高さになってこの長磯を襲ったのかも。 -
さ、トドヶ崎灯台は目の前。
そこに立っている道標は、姉吉海岸(あねよし・かいがん)から与奈(よな)までの遊歩道のもの。
SUR SHANGHAIたちは今回は、与奈方向へちょっと下りて行った長磯の船着場からやって来ました。
灯台周辺を見終わったら、今度は徒歩で振り出しの姉吉海岸へと戻ります。
距離にして3.8km。
この遊歩道は、姉吉海岸からトドヶ崎灯台を目指すと、最初の数百mの上り坂がちょっとキツイですが、あとは林の中のほぼ平らな道。
ゆっくり歩けば、幅広い年齢層でハイキングが楽しめますよ。
気を付けたいのは、トドヶ崎灯台から与奈方向の道。
東日本大震災前でも、与奈に迎えの車を用意しておかないと、姉吉への戻りは徒歩しかないと言うことで、姉吉⇔与奈の徒歩での往復は8時間と聞きました。
元々アップダウンが激しい道らしく、さらに震災後の道の状況はどうなっているのかも不明…。
このあたりだと、携帯電話も通じない場所が多いようなのでご注意を。 -
これが、本州最東端にあるトドヶ崎灯台。
また会えたね! (^◇^)
灯台の敷地周りは石の塀で囲まれていますが、ここで見えているとおり門は取り外してあるので、誰でも入って行けます。
見学無料。
ただし、灯台の内部は、普段は公開はしていません。
特別公開の日もあるようなので、灯台マニアの方はその日を狙って行ってみては? -
本州最東端のトドヶ崎灯台の敷地入口に出ている説明。
以前来た時より、文字の色ははげていましたが、それでも読み取れました。
この画像は、クリックして元画像にすると大きく表示されます。
この説明によると、このトドヶ崎灯台に初めて点灯されたのは明治35年(1902年)。
戦時中に初代の灯台は焼失したのだそうですが、昭和25年(1950年)に再建。
職員がその家族と共にこの灯台敷地に住んでいたのは昭和41年(1966年)まで。
完全に自動化された平成8年(1996年)からは、職員が定期的に巡回しているのだそう。
トドヶ崎灯台を含めた全国の灯台での暮らしぶりを描いた灯台長夫人田中きよの手記は、1957年に映画『喜びも悲しみも幾歳月』として発表されたという歴史も書かれてありました。 -
本州最東端のトドヶ崎灯台の位置、光り方、光の強さ、光の届く距離、高さについての説明。
これは画像でも読み取れますが、位置だけここにも書いておきます。
北緯39度32分48秒
東経142度04分16秒 -
トドヶ崎灯台敷地入口。
前は観音開きの門があったらしいんですが、今では取り払われています。
右手には昔は長い表札があったようですが、それも無くなって、≪トド崎燈臺≫とだけ古風な漢字で出ていました。
●注: トドヶ崎のトドは、漢字で書くと魚ヘンに毛。
奥に見えている白い建物は、今では公衆トイレになっていますが、昔はあそこに灯台守りさんが住む木造のいえがあったそうです。
このトイレはきちんと手入れがされていて清潔。
循環式リサイクル水洗トイレ(自己完結型)で、ペーパーも置いてありましたよ。 -
トドヶ崎灯台の足元に立って見上げてみる。
地上からてっぺんまでの高さは34mらしいから、お天気がよければ上からは太平洋の大海原が見事に見えるんでしょうね。
特別公開の日に運よく行き会ったら行ってみては?
後に見えている建物は、トドヶ埼船舶気象通報送信所。
説明看板が出ているので、興味のある方は見てみては? -
トドヶ埼船舶気象通報送信所の説明看板。
この画像はクリックして元画像にすると大きく表示されます。
看板をよ〜く見ると、トドヶ崎の≪さき≫の字が、
あれ? (o'ω'o)?
…≪崎≫ではなく≪埼≫で表示されてあって、トドヶ埼になってます。
本当は≪埼≫を使うのが、トドヶ崎の本来の名なんだそうですよ。 -
トドヶ崎灯台敷地にある東屋。
ここで太平洋を眺めつつ、一休みして行きましょう。(*^。^*)
ただ、上の方でも言いましたが、姉吉にもトドヶ崎にも売店・食堂・自販機は一切ありません。飲み物やお弁当類は事前に準備して行くのが吉。
前回来た時には気付かなかったんですが、東屋には気温計と訪問者書き込みノートがありました。
薄曇だったこの日の気温は10度。ハイキングしている内に汗ばむ位でちょうどよく感じました。
東日本大震災の当日にも、ひょっとしてここまで来てノートに気付いて書き込みをして行った人がいたかも?と訪問者ノートを見てみると…、3月9日が震災前最後の書き込み。
あとは3月30日からまた書き込みが始まっていました。
赤い字で『震災 2011・3・11』と出ているのは、あとになってから書き込まれたんでしょうね。
中には、4月5日に岩手放送の記者さんの『絶対に復興する、復興させる。岩手のために…』という書き込みがあったり、震災から1ヶ月後の4月11日には『今日、灯台に電気が点いた!!』の書き込みがあったり。
本州最東端のトドヶ崎灯台も、震災の只中にあったのが分かって、目頭が熱くなりますよ。
右下の画像では、携帯にもトドヶ崎の地図を表示させてみました。
トイレマークがあるのが、このトドヶ崎灯台敷地。
画像左手(北)から伸びる細長い入り江が、サッパ船の船着場がある長磯です。
あれ? さっきSUR SHANGHAIたちを乗せて長磯まで送ってくれたサッパ船が、姉吉の方向へ走って行く。
周辺の漁場の様子を見て回っていたのかな。
船主さんもこちらに気付き、お互いに手を振りあったトドヶ崎。 -
あ、そういえば、今日の同行者のもう一人のBさんは、トドヶ崎にやって来るのは初めてなんだよね。
で、トドヶ崎灯台の東屋で一休みしたあとは、今度は本州最東端の碑を見に行ってみます。
灯台敷地前に碑への道標や小道があるので、迷うことはありません。
その小道にはもう草が芽吹いて、タンポポの花も。
太平洋も朧に霞んで春景色。 -
イチオシ
トドヶ崎灯台から本州最東端の碑へ向かう途中には、こんな崖の切れ目があって水路状になっています。
あれ? ここは前に来た時には気付かなかった。
やっぱりAさんのような人が一緒だと、いろいろ教えてもらえるなあ。
ありがたや、ありがたや。(人'∀'o)
その水路を覗き込むと…、
わ! (◎◇◎) 今日の海は荒れているわけではないのに、ここに打ち寄せる波は泡立つほど。
Aさんによると、さっきサッパ船から見たトドヶ崎の崖の大きな穴を船でくぐると、この細い水路に出るんだそう。
ただ、本当に海が凪いだ日以外は無理だそうで、これまで何度もこのあたりに来たというAさんも、サッパ船でその穴を通り抜ける事ができたのはほんの数回だそうです。 -
サッパ船から見たトドヶ崎の崖には大きな穴があった。
今はその穴のある崖の上。
遠く望む太平洋の水平線。
いくら本州最東端とは言え、アメリカまでは見えない。
…当たり前か。(。・w・。) ププッ
見えたのは沖行く船と、隊列を組んで飛んで行く鳥の群れ。
船も鳥も遠い旅をしているのかな。
同行者の一人Aさんは、以前はイルカの群れも見たことがあるそうです。
下段の画像の人は、サッパ船からも見えた釣りで来ているお客さん。
一人でいくつも釣り道具を持って来ているみたいだから、SUR SHANGHAIたちと同じようにサッパ船を出してもらったのかな。
帰りは帰りで、時間を指定して迎えに来てもらうのかも?
でも、こんな崖の上から糸を垂らして何が釣れるんだろ。
…と思ったら、トドヶ崎はアイナメやナメタの磯投げ釣りのメッカなんだそう。
さっきトドヶ崎灯台の説明には、水面から灯火までの高さ58m、地上から灯台てっぺんまでは34mって書いてあったから、トドヶ崎の崖の高さは20mちょっと位が平均かな。
そうすると、釣り糸の長さはそれ以上?
SUR SHANGHAIは釣りに関しては全く無知。
そんなに長い糸だと獲物がかかっても釣り上げるのが大変そうとしか想像できないんですが…。(;^ω^) -
2010年に続いて、再び出会えた本州最東端の碑とトドヶ崎灯台のコラボ風景。
その碑を今一度ご紹介すると、上の方に出ているプレートには≪本州最東端の碑≫とだけ出ています。
下の方に見えているプレートには、次のように出ています。
東経142度4分35秒
昭和31年“喜こびも悲しみも幾年月”の手記を世に発表して反響を呼んだトドヶ崎灯台長夫人田中きよさんの筆です
昭和42年11月1日建設
●注: “喜こびも悲しみも幾年月”の手記は、その後木下惠介監督の目に留まり、昭和32年(1957年)に♪おいら岬の灯台守りは〜♪の主題歌で知られる映画『喜びも悲しみも幾歳月』にもなっています。 -
太平洋を望むトドヶ崎。その崖の上に立つトドヶ崎灯台の姿。
灯台の説明によると、水面から灯台の灯火までの高さ58m、地上から灯台てっぺんまでは34m。
そうすると、トドヶ崎の崖の高さは20mちょっと位が平均よね。
東日本大震災の時の津波は、この崖のどの辺りまで届いたんだろう。
姉吉(あねよし)で観測された数字は40.4mらしいけど、あれは遡上高だし…。
今のこの美しい景色を前にこんなことを考えるSUR SHANGHAIは無粋者? -
トドヶ崎の崖の上から重茂半島(おもえ・はんとう)の南方向を見る。
SUR SHANGHAIたちがこの朝サッパ船で出て来た姉吉海岸(あねよし・かいがん)もこの方向。
姉吉海岸の小さな湾の入口には指を立てたような形の岩があって、それが目印になっているんですが、ここからだと太平洋に落ち込む崖がいくつも折り重なっていて見えません。
トドヶ崎のこの崖は立ち入り禁止にはなっていませんが、転落防止の柵等は無し。見て回る時には自己責任でどうぞ。
ごつごつした岩場には遊歩道も無いので、お足元には十分にご注意を。
さっきの釣り客さんはあちこち歩き回るSUR SHANGHAIが危なっかしいと思ったらしくて、「ここから落ちたら、もうおしまい。まだ(遺体が)上がっていない人もいる。]と声をかけてきましたよ。(;^ω^)
ご心配をおかけしました〜。 <(_ _)> -
さ、帰りは遊歩道で姉吉(あねよし)へ戻ろうか。
その遊歩道から見たこの日のトドヶ崎灯台。
また会える日が来るかな…。(。´Д`。)ノシ バィバ〜ィ -
トドヶ崎から姉吉海岸(あねよし・かいがん)と続く遊歩道のあちこちに出ている道標。
道は一本だけなので迷う心配はありませんが、この道標には行く方向、来た方向の距離が書いてあります。
「あと×.×kmだから、○分位かな」と見当が付けられて安心。
姉吉海岸とトドヶ崎灯台間は3.8km。
健脚の持ち主なら1時間、ゆっくり歩いても1.5時間程度です。 -
トドヶ崎と姉吉海岸(あねよし・かいがん)を結ぶ遊歩道の途中には、電気メーターが立っていて驚きます。
遊歩道沿いには電柱は立っていても街灯は無いし、付近には民家も無いから灯台専用?
それにしては、灯台からずいぶん半端な位置にあるのねえ。 -
トドヶ崎から姉吉海岸(あねよし・かいがん)への遊歩道沿いで見た、火の用心や森林の種類を示す標識。
保安林とか、魚付き保安林って出ているけど、その意味は?
次のウィキペディアのページでどうぞ。
保安林: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E5%AE%89%E6%9E%97
魚付き林(うおつきりん): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%9A%E3%81%A4%E3%81%8D%E6%9E%97
あれ? (o'ω'o)? ここは岩手県宮古市なのに、右側の標識には青森営林局って出ている。
青森営林局の管轄に、宮古営林署が含まれていると言う解釈でいいのかな〜。
無知なSUR SHANGHAIでございます。
間違いでしたら、お許しを。<(_ _)> -
4月下旬の姉吉海岸(あねよし・かいがん)⇔トドヶ崎の遊歩道は、やっと新芽の色が出始めたばかり。
前回、2010年5月中旬には新緑がきれいだったな。 -
それでも、足元には春の草花が柔らかな緑と花の色を見せていた。
4月下旬、姉吉海岸(あねよし・かいがん)⇔トドヶ崎灯台の遊歩道に咲くカタクリの花はもう色が褪せていて、写真は無し。 -
太平洋が透けて見える松林。
潮の香りに松の香りも混じる遊歩道。 -
イチオシ
姉吉海岸(あねよし・かいがん)が近づくと、遊歩道からは指を立てたような岩が見えてきます。
これは姉吉の港入口にある岩で、昔はウサギの耳のように二本の岩が立っていたのが、ある日突然一本倒れてしまって今の姿になったんだそう。
それでも、ここが姉吉だと分かるいい目印になっているんでしょうね。
遊歩道からだと、木の葉が生い茂る季節には見えなくなるのかも? -
4月下旬にはまだ萌える緑のトンネルにはなっていなかった、姉吉海岸(あねよし・かいがん)とトドヶ崎灯台を結ぶ遊歩道。
ちょっとした沢が横切る場所にはこんな橋も出来ています。
道の幅は人がすれ違えるほど。 -
あ、木々の合間から姉吉海岸(あねよし・かいがん)が見えて来た。
ゴールはもう間近。
画像奥に車がまとまって停まっているのは、姉吉キャンプ場の駐車場だった場所。
その周辺は、東日本大震災以前はきれいに緑地化されたキャンプ場だったんですよ。
今はまた補修された道沿いには、漁業用品を保管しておく物置小屋が結構あったのに、それも今は無し。
一軒白く見えている建物は、新しく設置された倉庫? -
今日の振り出しになった姉吉海岸(あねよしかいがん)。
元、物置小屋があった敷地は、今は臨時の駐車場になっていて、SUR SHANGHAIたちが乗ってきた車も見えて来た。
東日本大震災前は、この斜面には林があってこの角度からだと下の景色は見えなかった気がする。
この斜面を覆っていた木々は津波ですっかり流されたらしい。 -
イチオシ
姉吉海岸(あねよし・かいがん)へと下りて行く遊歩道。
このあたりも、東日本大震災の津波で木や斜面の土がずいぶん流されて岩がむき出し。
ふと気が付くと、今日の出だしに駐車場から見えた、津波の威力を示す木がすぐ目の前にあった。
(◎◇◎) まだ坂の途中なのに、浮きや魚網があんな所に!
姉吉海岸に侵入した津波は、少なくともあの位の高さがあったんだ!
前を行く人と比べると、その恐るべき高さが分かると思います。 -
戻って来た姉吉海岸(あねよし・かいがん)。
右手の方にその水面が見えています。
ん〜、この斜面の遊歩道、前は草木が茂っていたのに、東日本大震災後は、岩肌がむき出し。
この画像左上に、上掲の画像でも見た浮きと魚網が引っかかっているのが見えています。
遊歩道に見える赤い横断幕は、トドヶ崎方面へ向かう人たちへの≪火の用心≫の呼びかけ。最近取り付けられたようで新しい。
今日の同行者の一人のAさんは愛煙家ですが、火の用心のためにちゃんと携帯灰皿を持って来ていましたよ。 -
振り出しの姉吉海岸(あねよし・かいがん)にあるトドヶ崎への上り口を示す標識。
奥には、この日の朝サッパ船に乗った岸壁も見えてます。
以前トドヶ崎に行った時には往復徒歩。帰りのバスの時間を気にして、ちょっと落ち着かなかったっけ。
今日は往きはサッパ船で行ったからずいぶん楽だし、宮古市街地へ戻るのはレンタカー。時間を気にしなくていいのがうれしい。
ちなみに、この日のトドヶ崎→姉吉海岸の片道3.8kmの徒歩所要時間は、普段運動不足の同行者Bさんと一緒にゆっくり歩いたので1時間30分。
AさんもBさんも、お疲れ様!!
━━━(o'∀')从('∀'o)━━━!! -
姉吉海岸(あねよし・かいがん)そばの、以前は漁業用品を入れる物置小屋があった場所。
今は臨時の駐車場。
その後の岩山も、以前は木々が茂っていたのに今は岩肌がむき出し。
あ! あの黄色い○を付けた所にも青い魚網が架かっている。
その周りの木は枯れてるし、東日本大震災の大津波はこの岩山を越えて、姉吉の集落方面へ押し寄せて行ったんでしょうね。 -
姉吉海岸(あねよし・かいがん)の様子。
上段の画像が今回2013年4月下旬。
下段が、東日本大震災前年2010年5月中旬に訪れた時の画像。
以前は、この小さい湾を左右から挟みこむような防波堤があったんですが、震災後は消失しているのが分かります。
小石が敷き詰められたようだった浜辺も、今は崖の一部だったような岩がゴロゴロ。 -
姉吉海岸(あねよし・かいがん)に続いている姉吉キャンプ場だった場所。
ここが、東日本大震災以前の2010年5月中旬には、下段の画像のようにきれいに整備されて緑の多いキャンプ場だったなんて、初めて来た人にはとても想像ができないかも。
また、以前のような姿を取り戻して欲しい。 -
さ、そろそろ宮古市街地へ戻ろうか、と姉吉海岸(あねよし・かいがん)を出発。
また、姉吉の集落にある大津波記念碑を見て行こう。
…と坂になった道を上って行くと、以前は見たことの無かった碑が立っていた。
これは、東日本大震災の大津波の到達地点を示すもので、正面には、≪平成二十三年三月十一日 津波到達地点≫と出ていて、側面には碑の建立時期らしき日付が≪平成二十四年七月≫と書いてあります。
SUR SHANGHAIが直近で姉吉を訪れたのは平成23年(2011年)10月だったから、見たことが無い碑だと思ったのは無理も無い。
姉吉海岸から上って来た坂道を振り返ると、左下の画像のように、確かにこの石碑そばまで、沢沿いの道が補修されていました。
この碑を立てたのは、≪姉吉観音讃仰会 南地区自治会≫ということで、背面にその名が出ていました。
以前は、姉吉海岸に過去の津波到達地点を示す教訓看板や柱があったんですが、それらも同じ会の人々によって立てられたもののようでした。
その看板や柱も東日本大震災の津波で消滅しています。 -
上掲の画像の碑から50mほど坂道を上った所にあるのが、以前の旅行記でもご紹介したことのある、≪此処より下に家を建てるな≫の碑文で有名になった姉吉(あねよし)の大津波記念碑。
姉吉海岸からの距離は800mほどで、海抜は60mほど。
この画像奥(坂の上の方)に見えているのが、姉吉の集落の民家。
東日本大震災の津波も、この碑の僅か50mほど手前まで迫った、というのが信じられない平和な姿。
高さ130cmのこの小さな碑は姉吉の集落の守り神だったのか。 -
イチオシ
以前の旅行記でも紹介した、姉吉(あねよし)の集落の大津波記念碑。
碑では右から左に、≪碑念記浪津大≫と出ています。
姉吉の石碑の津波教訓は縦書きで書かれていて;
高き住居は
児孫に和樂
想へ惨禍の
大津浪
此処より下に
家を建てるな
更にその下にも縦書きで、姉吉(あねよし)集落を襲った過去の津波の被害が記されていました。
●注: 改行などは、原文のまま。
ここで言う≪部落≫とは、≪集落≫の意味。
碑文最後の≪要心何従≫というのは、≪用心何より≫と読むようです。
明治廿九年にも
昭和八年にも津
浪は此処まで来て
部落は全滅し生
存者僅かにも二人
後に四人のみ幾歳
経るとも要心何従
さらに、碑の左側面には別の碑文もあって、この石碑が立てられた経緯が記してありました。
短いので、全文を書いてみると次のとおり。
●注: 原文は縦書き。改行などは原文のまま。
此の碑は昭和八年津波の際東京朝日新聞社が
読者から寄託された義捐金を各町村に
分配し其の残餘を更に建碑費として
受け建設せるものなり -
姉吉(あねよし)の大津波記念碑からさらに坂の上にある姉吉の集落は、海岸周辺の様子とは打って変わって何事も無かったかのよう。
東日本大震災では、海岸周辺の施設や船、物品以外には人的被害が無かったらしい姉吉の集落。
漁業に従事する人たちにとっては本来なら海辺近くに家も建てるのが便利なはずなのに、村の人々が大津波記念碑の教訓を忘れずに守っていたことで、この集落を無事に残せたんでしょうね。
今回は、サッパ船で行ってみたトドヶ崎の旅行記。
この姉吉の集落の平和な眺めで終わりにしようと思います。
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