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翌日、旅の仲間と二人だけで観光に出かけることにした。<br /><br />その最初が西漢南越王博物館南西に位置する”中山記念堂”。<br /><br />「天下為公」の文字が目につく、中国宮殿様相の建物の上に八角形の塔を載せている。<br /><br />その前にすくっと前方を見据える孫文の銅像。<br /><br />この建物は秦代の督練公所であったが、辛亥革命後に孫中山によって督軍署として使用され、1912年に彼が中華民国非常大総統に就任すると、ここに総統府とが置かれたらしい。<br /><br />建物の中に入ると、正面に孫文の肖像があり、その肖像の右に「革命尚未成功」、左に「同志仍湏努力」と大書してある。<br /><br />部屋の中は八角形の塔の下で講堂。<br /><br />中国では”孫文”よりも”孫中山”が一般的だが、”中山”は孫文の号で、孫文が日本滞在中に日比谷公園近くにあった中山忠能公爵(明治天皇のご生母・中山慶子の父)邸に掲げてあった苗字が気に入り、号としというエピソードが残る。<br /><br />かように”孫文”は革命途上に於いても、革命後も日本とのかかわりが強く、その意図はいろいろあったろうが、ともかく多くの日本人が”孫文”に助言し、援護した。<br /><br />その一人に宮崎寅蔵(号は滔天)とその兄弟(民蔵、弥蔵)がいる。<br /><br />私の手元に一枚の写真がある。<br /><br />私の中学時代に社会科の教師から教わったのが”孫文”の名を知ったはじめであったろう。<br /><br />1911年”孫文”は辛亥革命を起こし、翌1912年、孫文を臨時大総統とする中華民国が南京に設立される。<br /><br />この写真は”孫文”が中華民国を設立した翌年の1913年、”孫文”が日本での協力者に報告とお礼を兼ねて来日し、九州熊本の北端の田舎、荒尾の宮崎兄弟の家を訪れた時の貴重な写真。<br /><br />この写真には中国側も、日本側も政治家や名だたる人物は殆ど居ない。<br /><br />写真に映っているのは孫文の来訪を歓迎する、”孫文”の右隣に肩を並べる滔天と大半が滔天の一族郎党。<br /><br />私の祖母が滔天の姉であったことから、祖父母やわが父、父の兄弟の顔もある。<br /><br />”孫文”は滔天との初対面の印象を「他人の急を救わんとのこころざしやみがたき…現代の侠客」と評したという。<br /><br />私はこのような環境で育ち、割と小さい頃から、当たり前の様に”孫文”の名前を耳にしており、広州の旅で”中山記念堂”を訪れるのが楽しみの一つであった。<br /><br />小さい事かも知れないが、これも紛れもない日中の歴史上の一齣。<br /><br />中国の学校の教科書にあるのだろうか。<br /><br /><br />

第33回”世界アマチュア囲碁選手権大会”in 広州の旅10,広州散策その4中山記念堂

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2012/05/16 - 2012/05/16

1029位(同エリア1287件中)

WT信

WT信さん

翌日、旅の仲間と二人だけで観光に出かけることにした。

その最初が西漢南越王博物館南西に位置する”中山記念堂”。

「天下為公」の文字が目につく、中国宮殿様相の建物の上に八角形の塔を載せている。

その前にすくっと前方を見据える孫文の銅像。

この建物は秦代の督練公所であったが、辛亥革命後に孫中山によって督軍署として使用され、1912年に彼が中華民国非常大総統に就任すると、ここに総統府とが置かれたらしい。

建物の中に入ると、正面に孫文の肖像があり、その肖像の右に「革命尚未成功」、左に「同志仍湏努力」と大書してある。

部屋の中は八角形の塔の下で講堂。

中国では”孫文”よりも”孫中山”が一般的だが、”中山”は孫文の号で、孫文が日本滞在中に日比谷公園近くにあった中山忠能公爵(明治天皇のご生母・中山慶子の父)邸に掲げてあった苗字が気に入り、号としというエピソードが残る。

かように”孫文”は革命途上に於いても、革命後も日本とのかかわりが強く、その意図はいろいろあったろうが、ともかく多くの日本人が”孫文”に助言し、援護した。

その一人に宮崎寅蔵(号は滔天)とその兄弟(民蔵、弥蔵)がいる。

私の手元に一枚の写真がある。

私の中学時代に社会科の教師から教わったのが”孫文”の名を知ったはじめであったろう。

1911年”孫文”は辛亥革命を起こし、翌1912年、孫文を臨時大総統とする中華民国が南京に設立される。

この写真は”孫文”が中華民国を設立した翌年の1913年、”孫文”が日本での協力者に報告とお礼を兼ねて来日し、九州熊本の北端の田舎、荒尾の宮崎兄弟の家を訪れた時の貴重な写真。

この写真には中国側も、日本側も政治家や名だたる人物は殆ど居ない。

写真に映っているのは孫文の来訪を歓迎する、”孫文”の右隣に肩を並べる滔天と大半が滔天の一族郎党。

私の祖母が滔天の姉であったことから、祖父母やわが父、父の兄弟の顔もある。

”孫文”は滔天との初対面の印象を「他人の急を救わんとのこころざしやみがたき…現代の侠客」と評したという。

私はこのような環境で育ち、割と小さい頃から、当たり前の様に”孫文”の名前を耳にしており、広州の旅で”中山記念堂”を訪れるのが楽しみの一つであった。

小さい事かも知れないが、これも紛れもない日中の歴史上の一齣。

中国の学校の教科書にあるのだろうか。


同行者
友人
交通手段
鉄道 観光バス タクシー
旅行の手配内容
個別手配

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