2013/03/12 - 2013/03/12
140位(同エリア324件中)
うるるさん
「みんぱく梅林で梅見」↓
http://4travel.jp/traveler/uluru2951/album/10757489/
の続きです。
梅林の散策を終えた後、同じ公園内の一角に、古民家集落が移築再現されているとのことで、行ってみました。
こちらも梅林と同様、見学は無料です!
今回、私がのぞいてきたところは、正面入り口の近くだったんですが、地図を見ていると、奥(北)のほうにも別の古民家があるようでした。
また、いつか、来る機会があれば、そちらへも足を伸ばそうと思います。
一応、お断りしておきますが、古民家なので、地味~な写真ばっかりですが、久しぶりのお出かけだったせいか、意外と撮りまくってたみたいで、枚数だけは結構増えちゃいました(笑)
しかも、お腹が空いていたので、説明書きは写真に収めて後で読もうという、雑な見学で(^^ゞ
でも、せっかく行ってきたので、こんなところもあるよ、というご紹介です!
表紙写真は、「旧鹿沼家住宅」の裏庭からのぞいたもので、小さく見える白いのが「旧西川家土蔵」、隣が「旧萩原家住宅」、右端が「旧臼井家住宅」の一部です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
-
最初に向かったのが「町屋集落」で、2件のお宅があります。
※いくつかの説明板の抜粋を載せていますが、復元と復原のように、場所によって違う漢字を使われていましたが、原文のまま書かせてもらいました。 -
敷地の入口には、このような木戸があり、開門時間は、さきほどの看板にもありましたが、9時〜16時で、月曜日は閉門(月曜が祝日の場合は、翌日の平日が閉門)です。
奥に見えているのが、これから見学します「旧臼井家住宅」。 -
正面から見るとこんな感じで、「旧臼井家住宅」は重要文化財です。
説明を抜粋すると「この民家は、高市郡高取町上土佐にあった町屋で、18世紀初めの建築。
臼井尚様から寄贈を受け、民俗公園に移築復原され、昭和51年に完成。
高取町上土佐は植村藩の城下町で、半商半農的な町場でした。
この主屋は、正面左端二面を格子構えとしながら、農家風の正面・外観を持つのは、当時の城下町の性格を表している様です。
この建物は二階建てで、外部をすべて土壁で塗り固め、貴重な品物や道具を納めた建物です。」 -
3/24以降の毎週日曜日の13時〜15時に限り、旧臼井家住宅で、古民家の語り部ボランティアガイドサービスが行われるそうです。
ちょっと時期が早かったなぁ〜と思っていたら、中に入って納得。 -
かまどの塗装をされているところでした^_^;
-
なので、中の見学は簡単に済ませることに。
入口の土間から奥座敷のほうをのぞいてみると、広い…。
手前から「みせのま」、「なかのま」、「おくざしき」です。 -
そして右を向くと、隣の間は「だいどころ」。
奥の扉の向こうが「なんど」だそうです。
お釜の塗り替え(私の右側で作業中)をしていなければ、裏庭(右奥に写っている場所)にも出れそうだったのですが、またの機会に。 -
「みせのま」、「なかのま」を外から見るとこんな具合。
-
臼井家は、屋号を「伊勢屋」と称し、藩の公用伝馬の役を務めるかたわら、酒・醤油の販売を営むほか、大年寄も務めたと伝えられている。
なるほど、酒屋さんだったので杉玉なんですね。 -
次は、真向かいにある「旧鹿沼家住宅」へ。
文化9年(1812)の建築だそうです。 -
さっそく軒下に入ってみます。
説明を抜粋すると「この民家は、大和高田市にあった町屋で、鹿沼治三郎様から寄贈を受け、民俗公園に移築復原され、昭和54年に完成。
この主屋は、切妻造の二階建てで、正背面に庇を付け、屋根はすべて桟瓦で葺き、表側の角太格子や、二階の出格子、両端の袖壁など町屋特有の姿を表している。
二階の軒は高く、小屋組に登り梁を採用して空間を広く取り、正面に出格子を取り付けるこの形式は、県内で最も古い事例にあげることができる。」
先ほどの写真で、少しだけわかる部分もあるでしょうか? -
中へ入ってすぐ右側にあったのが、この計り。
-
米俵も。
鹿沼家は代々、米屋治兵衛を名乗り、米屋を営んだと伝えられているそうです。 -
こちらもお店のスペースだったようです。
手前(ほとんど写ってません)が「みせ」、奥が「おくみせ」ってそのままですね(笑) -
またまたカメラだけ右に向けると、暗くてわかりづらいですが、手前が「だいどころ」、奥が「なんど」とありました。
-
土間の間仕切りに、米屋ののれんが。
ここで、表と奥を仕切っています。
表向きは商売の場で、最初にご紹介した、計りや米俵が置かれていた「しもみせ」という場所があり、これから入る奥には、カマドや流しなどを備えた生活の場があります。
右に写っている消化器と、米俵の左にあったのは同じものです(位置関係が何となくわかります?)
左に写ってるのは、さっきの写真と同じ「だいどころ」と「なんど」です。 -
のれんをくぐって、左手のお部屋は、手前(はほとんど写ってません)が「だいどころ」、奥が「なんど」です。(さっきも違う角度から写しましたが)
フラッシュ使って撮った写真を見て初めてわかるぐらい薄暗かったのですが、良く見ると、奥に箱階段があり二階へとつながっています。
二階は物置に使われていたそうです。 -
この「だいどころ」の右端がこんな感じ。
私の後ろ側には、かまどもあったのですが、もう1軒のお宅のほうで撮ってきましたので、のちほど。 -
でも、ここが気になりました。
かまどの上を見上げると、天井が高い! -
裏口を出て裏庭から見上げると、出っ張り部分が見えたのですが、これが先ほどのかまどの上の天井です。
煙突のような感じでしょうか? -
この裏庭には、井戸もあります。
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帰りに、入口近くで、ふと天井を見上げると、つばめの巣(の跡?)を見つけました。
古民家は日中、開けっ放しにしてあるので、出入りできますもんね^O^ -
続いて、「国中(くんなか)集落」へ。
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さっきの看板のすぐ後ろにあった「旧吉川家住宅」から。
説明から抜粋すると「この民家は橿原市中町に所在していたが、昭和47年に吉川順作氏より当公園に寄贈を受け、昭和51年に復元完成したもの。
当家は元禄16年(1703年)山之坊村の吉川家より分家したとの記録もあり、その頃に建築されたと考えられる。」
中にも別の説明があり「自作農の典型的農家で、庄屋を務めたと伝えている。(略)
江戸時代中期の大和盆地の民家の模範的な内部構成や姿を表している。」 -
左手前が「みせのま」、奥が「ざしき」。
座敷の床・仏間・物入れは、後世の改造時に設けたものだそうです。
右手前が「だいどころ」、奥が「なんど」です。
各居室の中央の間仕切りに注目していただきたいんですが、良く見ると食い違ってるのがおわかりでしょうか?
奥の「ざしき」は、畳1枚分、右にずれてるんですよね。
この、梁行方向に喰い違う四間取りは、広間型三間取りからの発展した間取りで、民家の間取りの変遷を知る上で資料的価値の高い民家だそうです。 -
入口の天井を見上げると、はしごが掛けられていました。
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はしごの先には、中二階があるようです。
「しもみせ(下店)」と呼ばれる部屋で、機織りに使っていたそうです。 -
釜屋(土間)にはカメも。
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かまども。
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唐臼。
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こちらは流し。
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かまどの裏ものぞいてみました。
ちゃんと薪も置いてあり、どうやら、お湯を沸かしたりすることがあるようでした。 -
「熱湯に注意」という立て札が置いたあったので、体験学習みたいなのがあるのかも。
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こちらは「だいどころ」ですが、今でいうダイニングなのかな?
-
「だいどころ」の奥にある「なんど」を横の戸口からのぞくと、古い箪笥が。
さっきの「だいどころ」は、この写真だと左奥になります。 -
同じ部屋の対角線上に、これまた古びた箪笥が。
-
この「なんど」の天井部分です。
梁の曲線がいいですね。 -
裏側の敷地が広かったので、最後に家全体を(あくまで裏側ですが)。
現在の屋根は、当初に建築された入母屋造りで、上屋を茅葺き、下屋は四面とも瓦葺だそうです。 -
続いて、お隣にあった「旧西川家土蔵」。
天理市二階堂の西川謙二氏が所有していたもので、建築年代は19世紀中頃と推定される。
西川家はその昔「庄屋彦兵衛」と呼ばれ、この地の庄屋を務めていたそうです。 -
こちらは、中は見れないので外観だけ。
西川家には元々3棟の土蔵が建っていて、移築復原したのは「高蔵」と呼ばれているもので食器・衣類等が収納されていました。
外からはわかりにくいですが、二階建てだそうです。
蔵のあるお家、う〜ん、永遠の憧れです(笑) -
隣の敷地が、とりあえず最後の古民家「旧萩原家住宅」。
萩原と荻原ってややこしいですよね、って私だけ?(笑) -
その隣に復原されているのが「旧赤土家離座敷」。
あまりに近く(右に写ってるのが、萩原家住宅)に建てられてるので、同じお屋敷の離れかと思いきや、まったく無関係の建物のようです^_^; -
これらのお宅へ向かおうと垣根の間から敷地へ入ると、小さな可愛らしい花を付けた木を見つけました。
何の花かな?
茶色ばっかり目にし過ぎて、きれいな色が恋しくなってきたかも(笑) -
まずは、萩原家から。
もと桜井市下にあった農家で、組頭を務めたと伝え、この主屋は18世紀初期の建築。
昭和51年に萩原義一氏より当公園に寄贈を受け翌年に復元完成。
草葺で、葺降しの屋根だそうです。 -
入口の右側に、勝手口のような小さな入口が。
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入ってみると、右側には「馬屋」が。
現在は物置になってるようですが^_^; -
先ほどの馬屋の上ですが、「中二階」になっています。
-
さて、お部屋部分も見てみましょう。
うっ、どの部分を撮ったのかわからなくなってきました^_^;
多分、奥の部屋は、感じからして「なんど」かな。 -
これは「みせのま」で、奥が「だいどころ」。
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土間の奥には、臼も。
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これは、流しの横にあったので、水がめかな。
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土間の裏から外に出ると、表と違い、屋根には瓦がありました。
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こちらの住宅は、他の住宅と比べると開口部が少ないのも特徴だそうで、このような窓をいくつか見かけました。
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家の周りをぐるっとまわってみると、出窓のようなものも?
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親子連れが見学を終えて出てくるところでした。
お母さんが、小さな息子に「敷居は踏むんじゃなくて、またぐ物なんだよ」と教えてあげている声が聞こえて来て、微笑ましい^O^
右側に写ってる建物が、次に見ます「赤土家離座敷」。 -
これで一周してきたので、最後に、この手前に見える「ざしき」だけのぞいておきましょう。
-
こちらが「ざしき」。
-
さあ、これが最後です!
お腹空いてるやんな〜、お母さんゴメン(笑)
逆光ですが「旧赤土(しゃくど)家離座敷」。
この建物は香芝市に所在していた農家の離れ座敷であったが、昭和50年に赤土正智氏より当公園に寄贈を受け、昭和52年に移築完成。
外観は入母屋造りの茅葺き屋根で、周囲の庇を本瓦葺としており、小規模でありながらまとまりのある建物。
とにかく、素早く見学^_^; -
正面からのぞくと、八畳一間に「とこ」、違い棚、出書院が付けてあります。
-
座敷の三方は、このように縁で囲まれています。
離れは座敷一間だけなので、あっという間に終了(笑) -
公園内の古民家集落は、最初にも書いたとおり、まだあります。
道がはるか向こうまで続いているので、ずーっと歩いて行くと、公園の反対側の端のほうに、あるようなんですが、時間が全然足りず断念(>_<)
母親いわく「おんなじような感じやろ?もういいんちゃう」(笑) -
この右の道がそうなのかは不明なんですが、公園内には「里山散策」ができるルートがあるそうで、昼食さえ持参すれば、一日過ごせそうです。
-
春ですね〜♪
奥に見えてる屋根付きの場所は、喫煙所で、園内に何ヶ所か設置されているようでした。
ちなみに、私は嫌煙家です! -
帰り道、同じ大和郡山市内にあるショッピングセンターに立ち寄り、「清修庵」というお店で遅めの昼食を。
ここのショッピングセンター、駐車場が無料なのが魅力です(笑) -
私は「桃色山かけ御前」を注文。
桃色山かけそばがピンクなのは、明太子が使われているからです。
おぼろ豆腐には梅肉のソースがかけられています。
あとは、季節の色ごはんに香の物。
梅肉は好きなんだけど、明太子は元々あまり好きでなく、どちらも塩気の味なので、ちょっときつかったかな。
普通の山かけのほうが美味しいね、絶対に。
見た目の綺麗さにひかれて注文しましたが、元々変わったもん好きなので、悔いはありません(笑) -
それでは、店内に飾られていたお花でお開きに♪
長々と続いちゃいましたが、最後まで見ていただいた方、どうもありがとうございました!
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