2012/12/21 - 2012/12/21
412位(同エリア532件中)
経堂薫さん
現在の日本は47都道府県に分かれてますが、江戸時代までは六十余の州に別れてました。
各州ごとに筆頭の神社があり、これらは「一之宮」と呼ばれています。
その「諸国一之宮」を公共交通機関(鉄道/バス/船舶)と自分の足だけで巡礼する旅。
7カ所目は遠江国(静岡県)の事任八幡宮を訪ねました。
【事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)】
[御祭神]己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと)
[鎮座地]静岡県掛川市八坂
[創建]成務天皇年間(131〜190年頃)
[追記]
「諸国一之宮“公共交通”巡礼記[遠江國]事任八幡宮」を全面改稿し、ブログ「RAMBLE JAPAN」にて「一巡せしもの〜遠江國一之宮[事任八幡宮]」のタイトルで連載しております。
ブログ「RAMBLE JAPAN」
http://ramblejapan.blog.jp/
http://ramblejapan.seesaa.net/
(上記のURLの内容は、どちらも同じです)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
三島駅から東海道線で2時間ほどで掛川駅に到着。
ちなみに駅舎は木造…新幹線が停まる駅なのに!
建築されたのは“皇紀2600年”こと1940(昭和15)年。
初めて見る人ばビックリするのでは?
ちなみに自分も10数年前、ビックリした。
「よくぞ残してくれた」という、喜びの驚きだけど。 -
事任八幡宮へはバスで移動する。
駅北口7番バス乗り場から掛川バスサービス東山線に乗車。 -
約20分ほどで八幡宮前バス亭に到着。
場所は東海道(県道415号線)沿い。
江戸側から25番目の宿場町、日坂宿の入口に位置している。 -
東海道から小さな太鼓橋を渡って境内へ。
境内はこざっぱりしていて、古式ゆかしき神社の風情を漂わせている。 -
社号標。
その名は古くから知られており、平安時代の清少納言「枕草子」にも「ことのまま明神いとたのもし」という項がある。
江戸時代には「誉田八幡宮」と呼ばれ、明治維新後は単なる「八幡神社」に。
古来の由緒ある社号「事任」が戻って来たのは戦後のことだった。 -
一の鳥居を潜って参道を直進すると正面に手水舎があり、左手に社殿、右手に社務所という配置。
-
主祭神「己等乃麻知」の「こと」とは「事」「言」、「まち」とは「真知」のことでもある。
真を知る神、言の葉で事を取り結ぶ働きをもたれる神、言の葉を通して人々に加護を賜う神なのだ。 -
石段を登って拝殿に参拝。
虚飾を排した素朴な建物からは「己等乃麻知比売命」の御神徳である「言の葉」によって天・地・人を結ぶ「結節点」としての存在感が感じられる。
「己等乃麻知比売命」は玉主命(たまぬしのみこと)の娘神様。
枚岡神社や春日大社の祭神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)の母神様でもある。 -
本殿は慶長13(1608)年、徳川家康が大壇那として造営したという。
八幡神を武家の守護神として崇めていた家康により、徳川幕府は御朱印百石余を寄進。
また、二代将軍秀忠も寛永5(1628)年、拝殿と本殿を結ぶ中門を造営している。
このように事任八幡宮は徳川幕府との結び付きが強く、その証に本殿の扉の金具には菊と葵の両方の紋が刻まれているそうだ。 -
それにしても「八幡宮」を名乗っていながら、なぜ祭神が八幡神と異なる「己等乃麻知比売命」なのか?
それは康平5(1062)年、源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請したことから始まる。
鎌倉幕府が成立し八幡神が武家の守り神として広まったのを契機に「八幡宮」を称するように。
「八幡神に非ずば神に非ず」の世の中、異なる神を祀っていたため廃止に追い込まれた神社も多々あったとか。
そんな中「己等乃麻知比売命」を守るため、敢えて名称を「八幡宮」に変更したという。
このため「己等乃麻知比売命」が再び主祭神として認められたのは、実は平成11(1999)年8月、ごく最近のことである。 -
社殿の右側に聳立する御神木の大杉。
高さ36.5メートル、目通り(目の高さでの直径)6.3メートル、根回り11.2メートルという巨木だ。
一説によると坂上田村麻呂お手植えとも伝わっている。
樹齢1000年余と言われるが、今も樹勢は衰えていない。
現在、掛川市の天然記念物に指定されている。 -
社殿を背に直進し、南口から境内の外へ出る。
鳥居は平成21(2009)年建立という非常に新しいもの。
自動車での参拝が増えたことに伴い、駐車場の整備と相俟って新設された。 -
南口鳥居と小径を挟んだ向かい側に一軒の蕎麦屋が。
手打ち蕎麦とお茶処「陽の坂」。
近隣の宿場町「日坂」に因んだものか。
神社近辺には他に食べ物屋や土産物屋はなく、ここしかない。 -
営業時間は11時から17時まで。
昼は蕎麦、午後は静岡茶を楽しめる。
ざる蕎麦は二八と十割の二種。
天ぷら蕎麦などの種物もある。
蕎麦は瑞々しく、口当たりや喉越しも滑らか。
つゆは猪口に濃い目が少々という江戸前スタイル。
予想以上に美味かった。 -
「陽の坂」を出て境内には戻らず、東海道と反対方向へ行ってみる。
境内をグルリと取り囲む道の途中にトイレがあり、その脇に「ことどひの里 入口」と書かれた看板が立っている。
左へ続く細い道を入ると社務所の裏手に出、社家・誉田家の前を過ぎ、墓所の裏手に回ると、そこには新たに造成された社域があった。 -
「ことどいの里」は平成24(2012)年、社域の北東を流れる逆川の河畔に造成された真新しい御社。
祭神は「龍神様」である。 -
「ことどい」とは語らいを意味する古語。
造成されたばかりの境内は真新しく、河畔の梢と相俟って清冽とした空気に包まれている。
逆川に向かって伸びる一本の石段を降りてみる。 -
降りきったところが事任八幡宮の禊場。
谷の底を流れる川のほとりという、いかにも禊を行う場所に相応しい場所だ。 -
再び事任八幡宮の境内へ。
来社の際に潜った一の鳥居の左脇に「本宮遥拝所」と書かれた小さな看板があり、その奥には丘の上に向かう小道が続く。 -
登り切ったところにある「本宮遥拝所」。
事任八幡宮の本宮は東海道を挟んだ向かい側の山の上にある。
その山頂まで登ることなく本宮を遥拝できるよう整備されたものだ。 -
本宮は「ことのままの御神」が古来より鎮座されていたところ。
大同2(807)年に現在の「里宮」に遷宮され、誰でも気軽に参拝できるようになった。
本宮遥拝所の近くにある木々の根元には、小さな朱鳥居と御社がこじんまりと佇んでいる。 -
本宮遥拝所から本宮の鎮座する山へ、東海道を跨いで歩道橋が設置されている。
もともと本宮と里宮は一続きの山だったが、戦後になって東海道(県道415号線)を拡張整備するため切通しが設けられ、両宮は道を挟んで離れ離れになってしまった。 -
かつての本宮は「奥社」と名を変え、今も山頂に鎮座している。
その入口は来社時に降車したバス停の、すぐ目の前。 -
参道は急勾配で、なかなか参拝はキツい。
しかし参道の石段などがキレイに整備されているため、それほど苦難さは感じられない。
むしろ社域護持への社家の精励ぶりが、こうしたところからも忍ばれる。 -
20分ほどで山頂に到着。
境内は狭いながらも、木製の鳥居とこじんまりとした御社から、歴史ある神社としての風格が感じられる。 -
境内の雰囲気は「ことどいの里」と似ている。
御社の後背地が森林か河川かという違いはあるが。
山頂の本宮を降り、麓の里宮を経て、谷底の禊場へと続く道。
奥宮へ来て、その道が持つ「精霊線」的な意味を改めて認識した。 -
下山の途中、奥宮参拝に向かう家族連れとすれ違った。
老齢の夫婦と中年の女性という3人組。
たぶん親子だろう、聞いたわけではないが。
参道には途中、歩道橋と東海道への分岐点がある。
今度は東海道へ直接降りてみた。
本宮入口にも立派な鳥居が設えてある。 -
鳥居と道を挟んだ向かい側に駐車場。
ここから左手に東海道の旧道が延びている。
掛川行きのバスまで時間が少々あったので、散策してみる。 -
暫く普通の住宅街が続くが、次第に古錆びた古街道の雰囲気が漂い始める。
そのうち先述の逆川が見え、橋を渡ると宿場町の象徴、高札場があった。
左手へと続く緩やかな勾配を登ると、そこが日坂宿。
ただ、東海道の関宿や中仙道の妻籠宿のように、街道沿いが往時の建物で埋め尽くされているわけではなく。
現代の住宅の間に古い木造建築物が幾つか保存されているといった程度。 -
それでも各建築物の保存状態は良好で、見ていて飽きることがない。
例えば掛川市有形文化財建造物に指定されている旅籠「川坂屋」の上屋。
江戸時代中期に建てられたもので、往時の面影を今に伝えている。
あれこれ見学しているうち、掛川駅行きのバスが姿を現した。
もう少し見ていたいという思いに後ろ髪を引かれつつ日坂宿、そして事任八幡宮を後にした。
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