2004/09/16 - 2004/09/18
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naocomさん
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訪問国:イギリス(ロンドン)・ポーランド(ワルシャワ・クラクフ)・ベラルーシ(ミンスク)・チェコ(プラハ)・ドイツ(ドレスデン・ベルリン)・香港
テーマ:旧共産圏の現在(チェコとポーランドはEU加盟直後)
同行者:なし
旅行日数:22日間
旅費:おそらく40万円くらい(円安!)
キャリア:ブリティッシュエアウェイズ・キャセイパシフィック航空
トランスファー:成田・ロンドン・香港
旅のプロローグは「帰ってきた女子大学院生東欧ひとりぼっち旅 (1)ロンドン-1」をご覧ください。
http://4travel.jp/traveler/naocom/album/10713062/
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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Day17 ハウスボート再訪
スイス人男性は7時に出て行った。ライプツィヒに行くらしい。6時半に彼の目覚ましが2回鳴ったのに本人は起きず、結局私が声をかけた。話すときにはにかんだように笑う顔が印象的な人だった。私も9時に出ないといけないので、すぐに支度をはじめた。朝食のとき、パンを1つ余分に取って、軽食用のサンドウィッチをつくってラップに包むのを、ホステルのスタッフに見られてやや気まずかった。
昨日トラムの切符を買っておかなかったのが失敗で、アルバートプラッツまで歩くはめになった。中央駅に着くと、今度は5番ホームの場所がわかりにくくて見つけるのに時間がかかり、列車に乗り込むころには発車15分前になっていた。列車はしばらく街をはずれまで走り、車窓は見渡すかぎりの田園風景になった。ときどき風力発電の風車も見える。空には大きな雲が漂い、じんとしてしまうくらいのどかな風景。 -
ベルリンに着くと、今日泊まる水上ホステルのオーナーのエドガー氏に電話をし、いま向かっていることを伝えた。ティーアガルテン駅に着いても彼の姿が見えないのでもう一度かける。言われたとおりの場所に立っているはずなのに、彼が現れるのに時間がかかった。2年ぶりに訪れたホステルは、正直なところ前ほど良くは感じなかった。キッチンもバスもあまり清潔な感じではないし、朝食も布団も料金に含まれていない。なにより、エドガー氏は前ほど世話を焼いてくれる感じではなかった。ホステルで、日本語を話すニュージーランド人でロンドンに住んでいるという、テスという女性に会った。どうして日本語を話すのかは聞きそびれたけど、京都に来たことがあるらしかった。
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午後は、クーダムのストーリーオブベルリンに出かけた。日本語の簡単な説明書を借り、約3時間そこですごした。博物館はかなり近代的な設備で、かならずしも興味のあることばかりではなかったけれど、満足したし勉強にもなった。戦前のベルリンのことなど、ここに来るまでまったく知らなかった。
オイローパセンターに向かう途中、フィルムを買い、ツォー駅前のカフェで夕食にした。ビールと牛肉のグラーシュ。そこにサックスプレイヤーと名乗る男が近づいてきて、コンサートに招待したいなどと言い出した。適当にあしらっていたら、あとで店の人が心配して声をかけてくれた。オイローパセンター内のスーパーで買い物をし、ホステルに戻ると、そこにはどこの出身なのかよくわからない男性が2人いた。何語を話しているのかもわからない。(あとで、バルセロナから来たのだとわかった。)もう一度外に出て、ティーアガルテンを散歩した。戻ってくるとかなり眠く、上着を着込んでシーツのなかで眠った。 -
Day18 ガラス張りの国会議事堂
夜中、寒くて何度も目を覚ました。それでも、靴下をはいたりしてなんとか眠った。横着をせずに布団を頼めばよかった。朝、気分がわるく、風邪の予感がして、とうとう薬の出番となった。自分の体のためだと思って、昼まではゆっくりすることにした。
昼になってもあまり気分はすぐれなかったけれど、がんばって支度をする。ツォー駅から100番バスに乗って国会議事堂へ。これがなかなか入れず1時間以上待たされ、ボディチェックを経てやっと入ることができた。 -
最初は最上階の展望台のような円い部分へ。
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ガラスの半球のまわりは屋上になっている。
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窓際のスロープをいちばん上まで上がって降りる。写真の展示をひととおり見てから、コーヒーとプレッツェルを買った。ドイツのコーヒーは、自分がいつも飲むのと同じだから安心してしまう。
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スロープの途中から撮影。
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階下の部屋ではガラスごしに議場を見下ろせた。マイクか何かで傍聴できるのだろうか。
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こんな会議室もあった。
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出口がわからずもう一度上に上がった。人の流れに続いていくと、階段で1階に降りることができた。そこで出ることもできたけれど、私はさらに地下のほうへ進んだ。
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そこから長い通路を伝っていくと、途中でトンネルの展示があり、別の棟へ出たようだった。
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それは綺麗な建物で、外へ出るといつのまにか「壁」の東側にいた。そういうトンネルだったのか。
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近代的なつくり。
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ブランデンブルグ門を東から眺め、2年前見られなかった分何枚も写真を撮った。
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まえに来たときは修復中だったのだ。
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ここから左右に壁が連なっていた。
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京都でもよく見かけるベロタクシーたち。
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フリードリッヒシュトラーセを南下して
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チェックポイントチャーリーへ。
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うしろにはベルリンの壁博物館。
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入口はここじゃないの?
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わかりにくい入口からやっと入ると、はじめに6月17日にかかわる展示。
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どこにでもレーニン。
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プラハ事件関連。ミランクンデラ原作の映画『存在の耐えられない軽さ』の一場面(プラハからジュネーヴに亡命する場面)が放映されていた。
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壁を越えようとするさまざまな試み、東欧各国にかかわる展示というのがおもな内容だった。説明をすべて読む気力はなく、適当にとばしながら見た。
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ブレジネフとホーネッカーの名(?)場面。
ショップにはあまり気の利いたものはなく、チェックポイントの「あなたは米軍の管轄外に行こうとしています」という名物標識のキーホルダーを2つ買った。
夜7時をすぎていたのですぐにホステルに戻り、エドガー氏に布団を頼んで、隣のボートのレストランで食事をした。ウェイターはとても愛想の良い人。 -
Day19 おみやげクルーズ
寝坊をした。でも今日は気合を入れて動かないと回りきれない。毛布と布団があったおかげでよく眠れた。ほかの人たちが洗面所を占拠していてなかなか支度ができない。
やっと身じたくをして洗濯を済ませたころには11時になっていた。ティーアガルテン駅で菓子パンとコーヒーを買って、そばでやっていたフリーマーケットを冷やかし、駅に戻って切符を買おうとしたら50ユーロ札は使えなくて、しかたなくツォー駅まで歩いた。
両替をしたら小銭が手に入り、Sバーンを一駅乗って刃物の老舗、ヘンケルスを目指すことにした。駅のそばの店で家族におみやげを買い、すてきなカフスボタンも見つけたけれど高かった。ヘンケルスでは十得ナイフと栓抜きと爪の甘皮用のキューティクルニッパーを買った。
ツォー駅前にまた着いて、ごはんを食べておこうと思ってオイローパセンター地下のドイツ料理屋に行った。豚肉のステーキに山ほどのサラダ、大きなじゃがいもの上にサワークリームがたくさんかけられた一皿。 -
もう一度両替をして、100番バスでバウハウス博物館へ行った。展示はかなりあっさりしていて、目当てのみやげものも結局なにも買わなかった。併設のカフェでオレンジーナを飲み、急いでフリードリッヒシュトラーセへ。
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そこからSバーンに乗り、イーストサイドギャラリーで写真を撮った。
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駅のほうを振り返ると、解体中の廃墟。
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どこまでも続く壁。
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全部見ている暇はなく、またSバーンで折り返し、ウォールメモリアルへ。
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それがあるはずの場所に着いたのに、どこがウォールメモリアルなのかあまりわからないまま、バスにゆられてツォー駅まで戻った。
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どこかスーパーでビールを買いたかった。冷蔵庫に入れておいたビールが今朝なくなっていたからだ。ようやく見つけたスーパーで、ビール、牛乳、シリアルを買い、ホステルに戻った。牛乳パックに名前を書いて、冷蔵庫に入れた。
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エドガー氏に宿代80ユーロ(3泊分、安い!)を払い、ミンスクのおみやげのノートを渡した。日本で冷戦時代のヨーロッパを研究していること、ミンスクを訪れたことでさまざまな視点から物事を見ることができたことなど話した。エドガー氏自身のその時代の体験を聞きたいところだったけれど、ついに聞けなかった。
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建築家エドガー氏の作品。
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