2012/12/18 - 2012/12/18
214位(同エリア335件中)
経堂薫さん
現在の日本は47都道府県に分かれてますが、江戸時代までは六十余の州に別れてました。
各州ごとに筆頭の神社があり、これらは「一之宮」と呼ばれています。
その「諸国一之宮」を公共交通機関(鉄道/バス/船舶)と自分の足だけで巡礼する旅。
2カ所目は常陸国(茨城県)の鹿島神宮を訪ねました。
☆鹿島神宮☆
[御祭神]武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)
[鎮座地]茨城県鹿嶋市宮中
[創建]神武天皇元年(紀元前660年)
【追記】
「諸国一之宮“公共交通”巡礼記[常陸国]鹿島神宮」を全面改稿し、ブログ「Ramble Japan」にて「一巡せしもの〜常陸國一之宮[鹿島神社]」のタイトルで連載しております。
ブログ「Ramble Japan」
http://ramblejapan.blog.jp/archives/33360460.html
http://ramblejapan.seesaa.net/article/378228870.html
(上記のURLの内容は、どちらも同じです)
ご訪問、お待ちしております!
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
-
09時20分、東京駅から鹿島神宮駅行き高速バスに乗車。車内はほぼ満席。
かつては東京駅と鹿島神宮駅を結ぶ特急列車も運行されていたのですが、現在ではすっかり高速バスに取って替わられた格好です。 -
バスは鹿島製鉄所などを経由し、11時16分に鹿島神宮バス亭へ到着。
ただ、国道50号線沿いにあるバス停から参道の入り口までは遠いので少々歩きます。 -
表参道入り口。何かが違うと思ったら……そう、大鳥居がありません。
昔から無かったわけではなく、2011年3月の東日本大震災で倒壊したのです。
だがしかし、本来の姿である木製鹿島鳥居型の大鳥居を、境内の杉材を用いて再建することが決定しており、2014年に完成の予定です。 -
本来あるはずの“エアー鳥居”を潜って境内へ。
奥から壮麗な朱塗りの楼門が姿を現します。 -
楼門は国の重要文化財に指定されています。
寛永11(1634)年に水戸藩初代藩主の徳川頼房(よりふさ)公が奉納されたもの。
ちなみに頼房公は「水戸黄門」こと徳川光圀公の父親です。 -
楼門に掲げられている扁額は東郷平八郎元帥の揮毫。
ちなみに筥崎宮(筑前国一宮)、阿蘇神社(肥後国一宮)とともに「日本三大楼門」に数えられています。 -
楼門を潜ると右手に社殿が姿を現します。
参道を東に向かって歩いている自分から社殿が右手に見えるということは、社殿が北を向いていることになります。
鹿島神宮は大和朝廷が北方(蝦夷)からの脅威に対する防衛拠点として築いたもの。
そのため本殿は北を向いているのだと伝えられています。 -
社殿は本殿、拝殿、石間(いしのま)、幣殿の4棟で構成されています。
現在の社殿は元和5(1615)年に徳川二代将軍秀忠公が奉納されたもの。
社殿4棟もまた楼門と同様、国の重要文化財に指定されています。 -
拝殿の後ろにある本殿は補修工事中。
残念ながらその姿を拝むことは叶いませんでした。
参道を挟んだ反対側に社務所と宝物館があります。 -
楼門から120メートルの場所に鹿園があります。
「鹿島神宮」である以上、神の使いである鹿の存在は欠かせません。
ではなぜ鹿が神の使いなのか?
大国主神から鹿島神宮の祭神である武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)の元へ、天照大御神の「葦原中国(あしはらのなかつくに)を譲り受けるように」との命令を伝えに来たのが「鹿の神様」である天迦久神(あめのかくのかみ)だったからだそうな。 -
鹿園を更に奥へと進み、神門から300メートルの所にあるのが「奥宮(おくのみや)」。
こちらも国の重要文化財です。 -
徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利した御礼として慶長10(1605)年に奉納したもの。
当初は本殿として奉納されましたが、現在の社殿が造営された元和5年に現在の場所に引移され、奥宮となりました。 -
奥宮前に佇む茶店。
トタンの看板建築が景観的にミスマッチで惜しい!
できれば屋根を茅葺きか藁葺きにして欲しいところですが、それは贅沢というものなんでしょうね。 -
奥宮から要石(かなめいし)へと続く参道。静謐の深淵。
-
要石。
地震を起こす地底の大鯰の頭を押さえているから、鹿島地方では大きな地震がないと伝えられてきました。
東日本大震災では大鳥居など石造りの構造物が被害を受けましたが、国宝や重要文化財などは概ね無傷で済みました。
これもまた、要石の御神徳なのでしょうか? -
要石は見かけこそ小さいものの、実際は地中深くまで続いている巨岩。地上の部分は氷山の一角です。
水戸光圀公が要石の大きさを確かめるため七日七晩この石の周りを掘るよう命じたものの、翌朝には掘った穴が元に戻ってしまい確かめることできなかったそう。
しかもケガ人が続出し、掘ることをあきらめた…という話が伝わっています。 -
要石の前に立つ石灯籠。竿の部分に「太々御神楽」と刻字されてますが、奉納神楽と関係あるのでしょうか?
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要石から再び奥宮へ。その前を抜けて逆方向を直進すると、そこにあるのは御手洗池(みたらしのいけ)。
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昔は御手洗池で禊をした後、参拝したと伝えられています。
しかし、大人が入っても子供が入っても水面は乳の高さを超えることがないそうです。 -
この、池の深さが変わらない謎は「鹿島の七不思議」のひとつに数えられています。
でも、これなら黄門様の要石掘り出しと違って、誰でも簡単に確認できそうです。 -
御手洗池の水は神代より枯れることなかった…とは、鹿島の古老による言い伝え。
その水は清く、今なお「お茶を立てる水に」と汲みに来る人が絶えないそう。 -
御手洗池の霊泉(れいせん)は、旱魃(かんばつ)にも絶えることなくコンコンと湧き続けています。
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御手洗池の前には茶店が2軒。
「一休(ひとやすみ)」と「みたらし亭」。
でも、この日営業していたのは「一休」のみ。
名物は「みたらし焼きだんご」。
というか鹿島神宮はみたらし団子発祥の地であり、みたらし団子の名称もここ御手洗池(みたらしのいけ)に由来するそうな。
また、茨城県産の蕎麦粉を湧水で打った二八蕎麦「湧水そば」も美味そうでした。 -
御手洗池を北に向かうと公園が広がり、その先に出入口。
両側に立砂が盛られた、ちょっと不思議な光景。
これは何だろう? とは思いましたが。
震災で鳥居が倒壊した跡に盛られたものではなかろうか?
確認したわけじゃありませんが。 -
来た道を大鳥居(のあった場所)まで引き返し、境内を出ます。
食事をとりたいのですが午後2時過ぎということもあって、開いてる店がなかなかありません。
さっきの「一休」で「湧水そば」を食べておけばよかったなぁ…後悔。 -
一軒の蕎麦屋の前でショーウィンドウを眺めていたら、いきなり扉が開いて「いらっしゃいませ〜」と中に引きずりこまれてしまいました。
-
蕎麦屋「よしのや」は昔、宿屋だったそう。
幕末の「天狗党事件」縁の店との手書きの由緒書きが店内に掲げられていました。
蕎麦は普通の蕎麦でしたが、店の由来を聞けば、また格別の味わいが感じられる…気がします。 -
「よしのや」を出て鹿島神宮駅の方角に歩いていくと、鹿島アントラーズのモニュメントが。
「アントラー(antler)」とは英語で「鹿の角」という意味。
チーム名も鹿島神宮に由来しているわけですね。
ちなみにアントラーズはJ1リーグ最多優勝チームであると同時に、一度もJ2に降格していないチームでもあります。
このあたりも“武神”鹿島神宮の御神徳なのでしょうか? -
駅へ続く緩やかな坂道を下っていく途中、一体の像が目に止まりました。
鹿島が生んだ剣聖「塚原卜伝」。
折しもNHKがドラマ化したので、街中PRだらけでした。 -
鹿島神宮駅に到着。
かつては東京駅との間に特急列車が運行するなど鹿島の交通の拠点で、駅舎の規模からもその重要性が伺えます。
しかし高速バスが主流となった現在では、各駅停車が1時間に1〜2本程度発着するだけのローカル駅となってしまいました。
とはいえ、クルマがひしめき合い排ガスが充満する国道124号線沿いに比べたら、閑散としている駅舎周辺のほうがよほど心が落ち着き、神宮に相応しい空間だと思えます。
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