2008/07/25 - 2008/07/27
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sansakoさん
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「東地中海クルーズ」シリーズで、毎回ここで同じ事書いていますが。。。
この年、結婚19年目を20年目だと大勘違いした私たちは、東地中海の船旅をする事に決めた。「東地中海クルーズ①=出発からローマ到着篇」で綴ったように、出発1週間に空いているクルーズを探し、出港は約10日後と言うギリギリの予約を果たした。
何とか滑り込んで予約できたのは、ロイヤルカリビアン社のナビゲーター・オブ・ザ・シーズと言うカジュアル船だ。
クルーズの前後にはローマとフィレンツェに3泊ずつでサンドウィッチすると言う欲張り旅行を決行した。
さてこの日は、家を出発してから11日目だ。
これまで書いて来た「クルーズ料金海外振込立ち往生事件」「搭乗間近のパソコン紛失事件」「ローマ、ホテルダブルブッキング事件」など相次ぐハプニングももはや過去のこと。
ここではクルーズ6日目のギリシャのクレタ島寄港から下船までをまとめた。
7月7日 クルーズ空き状況調べ
7月9日 クルーズ費用振込
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7月13日 シドニー出発
7月14日 クルーズ代理店にて最終書類受け取り
7月16日 実家
7月17日 成田出発~ローマ着
7月18日 ローマ
7月19日 ローマ
7月20日 チヴィタヴェキア(ローマ)より乗船
7月21日 シシリー島 メッシーナ
7月22日 終日クルーズ
7月23日 ピレウス アテネ
7月24日 クサダシ トルコ
7月25日 イラクリオン クレタ島
7月26日 終日クルーズ
7月27日 チヴィタヴェキア(ローマ)にて下船~フィレンツエ
7月28日 フィレンツェ
7月29日 フィレンツェ
7月30日 ミラノ出発
7月31日 成田着
8月2日 実家
8月3日 成田出発
8月4日 やれやれ家に到着
メッシーナ出港、アテネへ向けてクルーズ。
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7月25日(クルーズ6日目)
最後の寄港地、クレタ島のイラクリオンの港に到着した。
イラクリオンはクレタ島の商業の中心地で一番有名な観光地だそうだ。
観光のハイライトはミノア文明のクノッソス宮殿と言う事で、遠足に出かけた。
他にも、港から20分のところのCreta Maris Hotel and Resortで、宿泊客と同じようにプールやビーチで寛ぐツアーや、Lasithi Plateauと言う標高800mのところにある山や谷間の景観ドライブや村を訪れたりする遠足もあった。
(リゾートは多分こちら、http://www.maris.gr/creta.aspx) -
クレタ島のミノア文明は「紀元前2600年から前110年迄の1500年間続き、紀元前18〜16世紀にかけて繁栄の絶頂に達した」と、現地で買ったガイドブックに書いてある。その絶頂期がこのクノッソスの新宮殿と言うわけだ。
ここは一辺が160m位の中庭が特徴的な宮殿遺跡。それも3600年前の規模の大きい遺跡なのだが、一部復元にコンクリートが使われていて違和を感じた。
ここを発掘した英国の考古学者、エヴァンズが復元したとき、当時になかった建材を使用していることに批判も有ったと言うことだけれども。。。 -
でも、ところどころに見えるフレスコや壁画は、レプリカと言えども興味深い。
イルカ、スフィンクスもどき、「青の夫人たち」「ユリの王子」、壁を飾る渦巻きや入り口を飾る模様など。
この「王妃の間」のイルカ、アロハシャツに使ったら可愛いと思うけど、どうでしょう。子供の夏のふとんカバーもいいかな。 -
こちらは「王座の間」のスフィンクスもどき。
突如ごみ袋を持ち室内を歩く人が現れた。おまけに撮った写真は暗い。。。 -
なのでもうひとつ。
(http://66south.com/ArthurEvans/より) -
「ユリの王子」
(http://66south.com/ArthurEvans/)
他にも、首輪をして飼われていると思われる猿とか、百合の花などのフレスコ画があるようだ。なかなかのデザイン。 -
とても素敵で、今にでも動き出しそうな「青の夫人たち」。
こんな髪飾りを付けてお洒落している。
(http://66south.com/ArthurEvans/)
人物画では正面を向いているものは見当たらず、横向きで連なっているのもあったりで、エジプトの壁画が思い出された。近いからね。
でも顔つきは違う。地中海人の中ででもやはりギリシャ人ぽい。。。
ミノア人は中背で縮れた黒髪、茶色の目なんだそうだ。
私の住んでいる街でギリシャ系の若い綺麗な女性、それも自然カーリ−ヘアの人を見かけると、髪飾りを付けた姿を想像してこの「青の夫人達」を思い出してしまうのだ。 -
そしてロマンをかきたてられるのは、神話が実在した宮殿だと判明した事だ。
この辺りに住居地があったらしいと分かってはいても、長い長い間、単なる神話又は物語と受け止められていた「クノッソス宮殿の迷宮と牛頭人身の怪物ミノタウロス」。ところが、1900年頃の発掘により、実在した宮殿だった事がわかった。
こちらがその宮殿全景!
直線的な建物でなんだかモダンだこと。現代の低層階集合住宅にいかがでしょう。
(http://66south.com/ArthurEvans/』 -
数階建ての新宮殿の構造は複雑で、中庭、柱廊、大階段、王家の住まい、広間、王座、家臣や来賓のための長椅子、浴室、採光の設備、礼拝堂、貯蔵室、地下室、集会や儀式の間、優れた給水・排水設備もあり、面積22,000平方メートルに1500室以上あったとさ。
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このように大規模かつ複雑な建物だったので、ギリシャ人の想像力により「迷宮(ラビリンス)と怪物ミノタウロス」の神話が創出されたのであろう。。。。と、現地購入のガイドブックに書いてある。
この神話、何かで読んだのだけれど、確か怪物退治にやって来たアテネの勇者が迷宮から出て来れるようにするために、糸玉を垂らして使ったんだな。なかなか面白いのだ。
こちらはその遺跡俯瞰写真。
(http://66south.com/ArthurEvans/) -
ここにもいたぞ。戯れ走り回る3匹の犬が。
ギリシャの遺跡に住む犬はほんと、憎めない。 -
出土された貯蔵土器。
発掘は続いていて、立ち入り禁止の地階で数人が働いていた。
(写真不足のクノッソスなので、写真一部は、http://66south.com/ArthurEvans/からお借りした。発掘した英国人考古学者エヴァンズも紹介されている) -
さてクノッソスの後は、引き続きイラクリオンの街の徒歩観光だ。
こちらは繁華街のメインストリート。
25アウグストウ通りという、発音しにくい名前が付いている。 -
メインストリートには、こんなバルコニーを持つ建物が並び、
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また犬もいる。
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そのお向かえには、おじさんカフェ。
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ベニゼル広場へ出れば、モロシニの噴水があって、周りにはカフェバー等が軒を連ねている。
クレタ島は地理的に古代から地中海の海洋交易に重要な島だったので、長い歴史の間で支配者が度々変わっている。
このモロシニの噴水は16世紀にベネチア人によって作られた。
ヴェネチア共和国の支配下の時のもなんだろう。
ライオンの飾りは14世紀のものだそう。 -
メインストリートを海に向って行ってみると、
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ここにもベネチア時代の対オスマン・トルコの胸壁要塞がある。
ここも観てみたかったな。
この日の出港は昼過ぎだったので、両方を見る事はかなわなかった。 -
さて、バスの集合時間まで少し時間があったので、エレフテリアス広場のカフェで一休み。
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アイスコーヒー
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船に戻り、船室のバルコニーから、ぞくぞく船に戻って来る人々の列を眺める。
この日は12時半出港だ。
明日は終日洋上。チヴィタヴェキアまで戻るのだ。 -
この晩はフォーマルナイトだった。
食後のデッキ。のんびりしていていいね。 -
7月26日(クルーズ7日目)
終日クルーズの日。船はイオニアからティレニア海域をローマに向けて、ひたすら航海中。
プールサイドは甲羅干しする人々で一杯。
この日の終日クルーズは有り難い。
明日は、ローマに戻ったらフィレンツェへ移動だ。
家から少量持って来た洗濯剤で、靴下や下着を洗濯した後は、なるべく体を休める。
やわらかく揺れるカーテンの間から、船が大海原を進む風を切る音だけを聞いて読書したり、そのまま居眠りしたり。静かで幸せな時間だ。
洗濯だけれど、洗濯バサミも3〜4個持って行ってはみたが、シャワールームのタオル掛けとか、バルコニーの椅子に引っ掛けておけばすぐ乾いた。バルコニーに干しても不思議と潮の匂いは付かない。
例の3回セットの、最後のデトックスにも行って来た。
担当してくれる、ルーマニアのビューティシャンは、船の仕事仲間にイタリアを拠点にしている日本人がいるとか、彼女のベスト寄港地はアラスカのジュノーだとか、乗組員の持ち込み荷物の重さ制限の話しとか、季節を渡り歩くときには寄港地から郵便物をルーマニアの家に送るだとか、成人した一人息子のことなど、いといろ話してくれた。 -
最後のディナーも、メインダイニングは歓送会ムードで盛り上がった。
航行中のチップをまとめて、ぽち袋ならぬチップ封筒に入れて、各ウエイターに渡す。お部屋を毎日整えてくれた人へも。
シーパスに付けて来た料金の最終清算書が、夜20時から深夜頃までの間に部屋に届くはずだ。 -
クルーズ最後の晩の、ゲストリレーションズやプロムナードのあるデッキ5は、用事のある人や最後まで楽しもうとするのか、人の往来が多い。
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夫がカジノへ行っている間、船内を一人うろうろ。
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シアターをのぞくと丁度、厨房、客室、ゲストリレーションズ、ウエイター、ジムやスパ、各アクティビティー等、各部のクルーの代表、そしてキャプテンが勢揃いしての歓送会が展開していた。
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部屋へ戻ると、
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最後の晩はお猿さんが待っていてくれた。
シーパスに付けておいた料金明細書も届いていた。
これは自動的にクレジットカードにチャージされるので、もし内容に何かあれば明朝8時半迄に申し出ることになっている。
明日は朝5時半頃にチヴィタヴェキア港に到着予定だ。
8時迄に部屋を空けなければならないので、荷物は再び色付き荷札を付けて、深夜迄に廊下に出しておく。私たちは8時半から9時の間に出発するローマの街までのバスを予約したので、荷札の色はピンクの1番。
他にもチヴィタヴェキア駅行き、空港行き、ツアーで来ている人達の下船時間、迎えが来ているのだろう、独自に帰路に付く人達の下船時間を、早めと遅めの時間帯で色付き荷札と番号で上手い事分類している。
ということで、今夜一晩と明日下船後荷物を受け取る迄に必要なものは、またまた手荷物にまとめておく。
以上が下船前夜の準備だ。
この荷造りっていうのが、がああでもない、こうでもないと、意外に時間のかかる作業で、時として夫婦間に紛争をおこしかねない。出張の時等はパターン化しているので、いたって簡単なのにおかしなものだ。 -
7月27日(クルーズ8日目、下船日)
早朝チヴィタヴェキア港に到着。
下船は6時45分から9時半の間に、6ブロックの時間帯で順次始まる。 -
朝食ダイニングは6時から9時迄開いている。
食事を済ませて部屋へ戻り、お部屋を空ける時間までごろごろして、ピンクの1番の出発時間も近いので、低いデッキにあるラウンジでアナウンスを待つことにした。
手持ち無沙汰で表のデッキに出てうろうろ。
皆遊び疲れた表情で、自分の下船アナウンスを待っている。
我らも疲れてきているが、まだまだ旅は続くので気は抜けない。 -
お、あそこに見えるはプリンセスクルーズ。
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あのカマボコテントに再び戻り荷物を受け取るのだ。
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こうして私たちは、ローマの街のオスティエンセ駅(Ostiense)行きのバスに乗った。
街の中心地というのなら、テルミニ中央駅行きがあればいいのにと思ったが、あいにく無い。
このオスティエンセ駅は、地下鉄の接続もある地上鉄道駅で、テルミニ(Termini) 中央駅とローマの空港 (フィウミチーノ空港とチャンピーノ空港) との接続も良い駅なのだそうだ。
午後のフライトであれば船からの送迎バスは出ていないので、ここから空港へ移動する人や帰路に付く人も多いのだろう。
バスから降りると皆それぞれに散って行く。
私たちはと言えば、ガイドさんが「タクシーつかまえましょうか?」と言うお言葉もなぜかお断りして電車に乗った。それも重いスーツケースを引きずりながらだ。
切符の自動販売機前でもたもたしてから、テルミニ中央駅までの数駅をがらがらに空いている車両を立ちながら移動した。
行きはメルセデスのハイヤーで、帰りがこれだ。まあ、私たちはこんなものだ。
さて、テルミニ中央駅に行ったらもうもたもたしないぞ。
だって、下調べしたからね。
疲れている場合ではありませんことよ。
ではいざフィレンツェへ!
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