2012/09/06 - 2012/09/16
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2012/09/06〜2012/09/16にてドイツ・チェコを訪問してきました。数都市訪問したので、各訪問地ごとに旅行記を起こしたいと思います。こちらは旅行記2(チェコ:テレジェーン編)となります。ここには第2次大戦中ナチスドイツの収容所がありました。
写真は強制収容所ではお決まりの「働けば自由になる」門です。
-訪独旅行記2012(フランクフルト)
-訪捷旅行記2012(プラハ)
-訪捷旅行記2012(テレジェーン) ←本編
-訪独旅行記2012(ドレスデン)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
テレジェーンへの往路はプラハ中央駅から電車で行きました。
途中乗り換えが必要です。乗換駅は忘れました。
ちなみにプラハ駅からはR1140(TURNOV)行きに乗ります。 -
6番ホームから出発です。
ちなみに出発ホームは20分前にならないと分からないです。 -
こちらが列車。
せっかく1等席に乗れるユーレイルパスを持っているのに、この列車2等席のみの2両編成です。 -
テレジェーン最寄り駅のLitomerice駅。
え、なんで最寄り駅の名称がテレジェーンじゃないのかって?
確かテレジェーン駅もあったような気がするのですが、プラハ中央駅からの接続が果てしなく悪かったので、この駅を起点にしました。
ちなみに途中乗り換えが1回あったのですが、かなり肝を冷やす目に遭いました。乗換駅に降り立ち、そこのホームで時刻表を見たのですが、なんと時刻表に乗り換え予定の列車が無いのです。これはまじで焦りました。乗り換え列車の到着時刻も過ぎていたし。諦めて戻ることも考えたのですが、冷静になって見回していると、構内には別の時刻表が有り、無事列車を見つけることが出来ました。そして程なくするとその乗り換え予定の列車が定刻から15分くらい遅れて到着しました。ホームに張り出されている時刻表はそのホームに止まるもののみなので気をつけないかんですね。
焦ったついでにもう一つ。
Litomerice駅で小便しようと思ったのですが、トイレの借り方が特殊というか何というか、駅の中に売店があってそこで鍵を借りて入るシステムなんですね。親切な人が鍵は売店で借りられることを教えてくれたのですが、売店のおばちゃん英語が全くしゃべれず、両手を広げてジェスチャーしてきます。最初は意味が分からなかったのですが、これ、トイレの使用料10コロナを指していたんですねー。いやー、いい経験しました。 -
最寄り駅からテレジェーンまでは約3キロの道のりです。
こんな歩行者に冷たい道をてくてく歩きます。 -
こんなチェコの片田舎にYAMAHAのバイク屋があります。
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HONDAのショップもある模様
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なんと、燃えるブランドMITSUBISHIまであります。(ちなみにTOYOTAはありませんでした。)
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そんなこんなでテレジェーン到着です。
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歴史建造物の修復支援に感謝の意を表します。
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テレジェーンは町そのものが要塞といった感じです。
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テレジェーンの概略図。
左側の星形っぽいのが大要塞で、右側の星形っぽいのが小要塞です。
第2次大戦時は左側がユダヤ人のゲットーで右側がドイツ軍の収容所(自軍向けの刑務所?)だったようです。 -
大要塞の紹介。
きれいに区分けされています。 -
大要塞の中にあるゲットー博物館。
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ゲットー博物館内部
当時の人々の手紙や鞄が飾られています。 -
ゲットー博物館内部
これは食料配給券です。 -
ゲットー博物館内部
鍋ですな・・・ -
ゲットー博物館内部
手紙発信の為の承認スタンプとその申請フォーム -
ゲットー博物館内部
よく働いた人には少量配給券が支給された模様。 -
ゲットー博物館内部
無線受信機。違法な用途に使われたものです。 -
ゲットー博物館内部
レオさんの労働証明書 -
ゲットー博物館内部
言わずと知れたチクロンB。ここにもありました。 -
ゲットー博物館内部
盲目者様のアームバンド -
ゲットー博物館内部
囚人の遺灰入れ。 -
ゲットー博物館内部
第三帝国のゲットー収容所リスト -
ゲットー博物館内部
マークの見方も一応納めておきます。 -
ゲットー博物館内部
チェコはここテレジェーンが一番多いようです。 -
ゲットー博物館内部
お次はポーランド
アウシュビッツが一番大きいです。
その右にクラクフゲットーの記載もあります。 -
ゲットー博物館内部
引き続きポーランド
真ん中にワルシャワゲットーが有り、右下にルブリン強制収容所、右上にトレブリンカ強制収容所があります。尚、トレブリンカ強制収容所はドイツ軍撤退時にきれいに破壊され、今は何も無いそうです。
左の方にもう一つ収容所があるのですが、国境を跨いでいるので恐らくドイツの強制収容所ですね -
ゲットー博物館内部
次はドイツ。
ベルリンの上にザクセンハウゼン強制収容所があります。 -
ゲットー博物館内部
続いてドイツ。
ドイツ東南部にダッハウ強制収容所があります。 -
ゲットー博物館内部
まだまだドイツです。
チェコとの国境付近にフロッセンビュルク強制収容所があります。 -
ゲットー博物館内部
まだまだまだドイツです。
ライプツィヒの西の方にミッテルバウ=ドーラ強制収容所があります。 -
ゲットー博物館内部
続いてオーストリアです。
オーストリアにはマウトハウゼン強制収容所があったそうです。 -
ゲットー博物館内部
続いてリトアニアです。
カウナスやリガに収容所がありました。 -
ゲットー博物館内
続いてエストニアです。
地名をgoogleで検索しても出てきません。。。。 -
ゲットー博物館内
最後に記帳コーナーがあったので、記帳して帰ります。
なんだかんだ言って平和が一番です。 -
小要塞前。
犠牲者の墓が広まっています。 -
小要塞入り口
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毎度おなじみ、「働けば自由になる」の門
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「働けば自由になる」の門の先の棟
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棟には入れるようです。
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棟の前の石碑。ゲシュタポの収容所と聞いていましたが、1940-1945年の5年間の間で1500人のユダヤ人が収容され、500人ほど亡くなったと言うことが、イスラエル大使館名で記述されています。
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棟の内部
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ところ変わって一見何も無い建屋の内部。
後ほどガイドブックを見たところ、遺体の一時保管場所らしいです。 -
要塞外に通じる通路の入り口。
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中の通路は500メートルほどあるようです。
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(ガイドブックの記載)
This connecting corridor, an example of Terezin's original fortifications, was not in use during the Nazi occupation. The corridor leads to the execution ground. -
500メートル歩き続け、ついに出口です。
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ちなみに出口はこんな感じです。
立て看板には"No Entry"と。
ま、つまりは出口です。
中ですれ違うと苦しいからね・・・。 -
周りは広場みたいな感じです。
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何かの後のようです。
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花が置かれています。
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献花台をズームしてみる。
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大体この広場が何なのかわかってきました。
処刑場ですなこれは。。。 -
(ガイドブックの記載)
Execution of prisoners in the Small Fortress began in 1943. A total of 250 to 300 prisoners were shot dead without a court sentence. The biggest execution took place on May 2, 1945. As many as 52 people, mostly members of the Czech resistance groups (e.g.Predvoj or Vanguard) were used just once for the hanging of 3 prisoners. A passageway through the embankment leads to the mass graves. -
主にチェコのレジスタンスとかがここで処刑されたんですね。
名も無き方々の像 -
死の門
(ガイドブックの記載)
The death gate through which prisoners were taken to the execution ground. -
死の門の先にプールの跡があります。
(ガイドブックの記載)
The pool, built in 1942 as a reservoir for fire-fighting purposes, served the families of the local guards for bathing. It was constructed by students from Roundnice and Jewish inmates, who were tortured and beaten to death during work. -
「第4ヤード」の建物
(ガイドブックの記載)
Construction of the Forth yard got underway in 1943. The first prisoners arrived in the fall of 1944. At the end of the Nazi rule, more than 3,000 inmates were languishing and dying in this yard. -
「第4ヤード」管理センター跡
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処刑された囚人達の陰の像
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先に出ると広い感じの通りが。
いやな予感がします。
ガイドブックによると一番奥が処刑場です。
両サイドが収容施設です。
一応左が一般房で右が独居房です。 -
通りの左側の建物(一般房)。この建物に大体400〜600名くらいの囚人が収容されていたようです。
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建物の中。広いような気がしますが、当時は恐らく限界まで人が詰められていたのでしょう。
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壁沿いにベッドが列んでいます。
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暖房器具・・・?
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多分処刑場です。下記ガイドブックの記載
Cells in the raised section of the yard and the execution ground. -
多分慰霊の言葉が書かれています。
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弾丸の跡っぽいです。怖くて触れませんでした。
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通りの右側の建物(独居房)。
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中は狭いです。ここを一人で使えれば良いのですが、恐らく当時はいっぱいに詰められていたのでしょう。
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当時のSS警備隊の詰め所。現在は博物館(無料では入れました)です。
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管理棟エリア入り口です。
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レセプションオフィス。連行された囚人をここで登録します。
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中も意外に忠実に残っています。
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警備隊詰め所。囚人の郵送物の検閲等も実施していました。
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収容所所長のオフィス。
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衣料倉庫
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囚人が連行時に着ていたり持っていたりした服は全て取り上げられ、ここに保管されていたようです。
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最初見たとき、裁判所だと思っていました。特にこの木のゲートっぽいところが・・・・
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立派な本棚と机もあるし・・・・
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初期に出来た収容施設。最大1500人収容です。
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病院棟です。
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中はきれいです。
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収容所スタッフの食堂
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女性収容棟
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小要塞出口。小という割にかなり盛りだくさんだった機が・・・・
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大要塞に戻り、レストランで食事をとります。オニオンスープとカツレツとビール(ガンブリヌス)を注文し、遅い昼食をエンジョイしました。
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オニオンスープ
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カツレツ
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プラハ間を結ぶバスがゲットー博物館の近くから出ています。
帰りはバスで帰りました。所要時間約60分なので、列車よりも速いです。 -
きれいなバスでした。
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バスはプラハ行きですが、終着はプラハ中央駅では無く、メトロで数駅北にある駅となります。
この後土産の調達でTESCOに向かいました。 -
テスコのレシート
500mlのビールが13.7コロナ(約70円)でした。
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