2012/10/06 - 2012/10/08
4504位(同エリア7578件中)
naoさん
2日目は、ホテルを発着点に、秋芳洞、仙崎、萩を廻ります。
秋芳洞は、秋吉台の地下100mにある日本屈指の鍾乳洞で、長い年月をかけて作り上げられた自然の造形美は、見る者を驚嘆させずにはおきません。
観光客に開放されている見学ルートは、片道約1kmなので、1時間半程度あれば往復することができます。
長門市仙崎は、童謡詩人「金子みすゞ」の生まれ故郷で、幼少期を過ごした金子文英堂跡地に「金子みすゞ記念館」があります。
大正末期、彗星のごとく一人の童謡詩人が現れます。
彼女の名は「金子みすゞ」。
自然の風物に慈愛のまなざしを向けた彼女の作品は大きな反響を巻き起こし、「若き童謡詩人の中の巨星」とまで称賛されるようになりますが、自ら26歳の短い生涯を閉じる道を選び、その作品は世に埋もれるとともに、いつしか「幻の童謡詩人」と語り継がれるようになってしまいます。
その後、彼女の作品に傾倒する児童文学者、矢崎節夫氏の懸命の努力により、昭和57年、実弟の上山雅輔さんの手元に保管されていた、みすゞ自筆の三冊の手帳が発見され、2年後には、この三冊の手帳にぎっしりと綴られた童謡詩をもとに、『金子みすゞ全集』が出版されるに至り、みすゞの作品は没後半世紀ぶりに日の目を見ることになりました。
さらに、みすゞ生誕100年目にあたる平成15年には、幼少期を過ごした金子文英堂跡地に「金子みすゞ記念館」が開館され、その生きざまとともに、彼女が残した512編の全作品が仙崎の地に甦りました。
自然の風物に題材を見いだした、優しさに溢れる彼女の作品は、没後80年を経た現在、いささかも色褪せることなく、今を生きる私たちの教訓となるメッセージを伝えています。
萩は、毛利36万石の城下町として発展した町で、江戸時代に整備された碁盤の目のような街路と、武家屋敷や町屋が軒を連ねる城下町の町並みがほとんど変わることなく残っており、今でも江戸時代の古地図をそのまま用いることができると言われています。
また、明治維新の中核となった長州藩士の故郷でもあり、吉田松陰が主宰した松下村塾など、明治維新にまつわる歴史的遺産を散見することができます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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まず、近くの市営駐車場に車を停めて、秋芳洞を訪れます。
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入場ゲートから園路伝いに杉木立を抜けると・・・
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秋芳洞の入口があります
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洞内へ入ってすぐの所にある、「青天井」です。
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振り返ると、入口の橋が見えています。
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「百枚皿」
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「傘づくし」
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「黄金柱」
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上下から伸びてきた鍾乳石が繋がりそうです。
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「岩窟王」
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ここを過ぎて少し行くと折り返し点です。
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折り返し点から「千畳敷」まで戻って来ました。
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「千町田」
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入口が見えてきました。
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次から次へと観光客がいらっしゃいます。
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洞内から流れ出る水が小さな滝となって・・・
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青い川面へ落ちています。
次は、秋吉台の地上の眺めを楽しみます。 -
秋芳洞入口から山の方へ少し走ると、カルスト展望台があります。
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カルスト台地で有名な秋吉台の遠景です。
では、美祢市秋芳町別府地区にある別府厳島神社へ向かいます。 -
別府厳島神社へ向かう途中の農家の庭先では、きれいなコスモスが咲いているので、車を停めて写真を撮らせていただきました。
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別府厳島神社に到着。
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境内には、透き通ったコバルトブルーの水が湧き出る「別府弁天池」があります。
この池は、昭和60年に「別府弁天池湧水」として名水百選に選定されています。 -
神社では、毎年秋にこの湧水に感謝する念仏踊りが奉納されます。
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近くにある美祢市養鱒場では、この湧水を利用してニジマスやアマゴを養殖しているそうです。
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本殿の前に鎮座する狛犬。
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本殿の壁には、曰くありげに鹿の角が取り付けられています。
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流れには苔むした石橋が架かっています。
では、次の目的地、仙崎を目指して走ります。 -
仙崎到着後、「金子みすゞ記念館」の駐車場に車を入れて、まずは昼食です。
JR仙崎駅に向かって仙崎みすゞ通りを歩いて行くと、家々の壁にみすゞの詩を書いた札が掲げてあるのが目に入ってきます。
その中に、2011年3月11日に発生した東日本大震災の後、ACジャパンが公共広告として頻繁にテレビで放映した『こだまでしょうか』という詩を見つけました。
子供のいさかいを題材にしたこの詩を朗読するのを聞いて、稀有な大震災に遭遇した今の日本だからこそ、人と人のつながりを大切にすることの重要性に気づかされたものです。 -
昼食は浜屋さんでウニ釜飯をいただきました。
お店の看板に「ウニ釜飯」と書いてあるので、これが売りのようです。
折しも、観光シーズンたけなわなだけあって、店の外まで行列のお客さんが溢れていましたが、たまたま私が一人だったのと、カウンター席が空いていたのですぐに席に案内してくれました。
出てきたウニ釜飯は、半生状態のウニとおこげの香ばしい香りが絡み合う、大変美味しいもので、満足できる食事ができました。 -
昼食後、仙崎駅に向かって歩いていると、見つけてしまいましたよ、長門市の汚水桝の蓋を。
図柄は、青海島周辺の岩と遊覧船がモチーフになっています。 -
仙崎駅に着くと、「みすゞ潮彩」号が停車しているではありませんか。
何というグットタイミング! -
仙崎駅はJR西日本山陰本線の支線、通称仙崎線の駅で、下関駅との間を「みすゞ潮彩」号が1日3本運行しています。
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待合室の壁は、仙崎名産のかまぼこの板を組み合わせた、みすゞのモザイク画で埋めつくされています。
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記念館に引き返す途中、まずはストリート展示を見て歩きます。
家々では、みすゞの作品の中で一番好きな作品を選んで掲示されておられるそうです。
「蛍のころ」 -
「わらい」
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「大漁」
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「大漁」と「ほしとたんぽぽ」
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みすゞ通りを歩いてくると、こんなお店があります。
これは目立ちますよね〜。 -
そのお店の目の前が「金子みすゞ記念館」です。
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この記念館は、みすゞ生誕100年目にあたる平成15年、金子文英堂跡地に開館され、没後半世紀ぶりに甦ったみすゞの足跡をたどりながら、その素晴らしい業績を全国のみすゞファンに公開しています。
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2階には、みすゞの部屋が復元されていて・・・
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みすゞが生きた時代を偲ぶことができます。
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優しさに溢れる彼女の作品は、今を生きる私たちの教訓となるメッセージを伝えています。
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「角の乾物屋の ―わがもとの家、まことにかくありき―」に出てくる乾物屋だった所。
では、仙崎はこのくらいにして、今日の最終目的地、萩へ向かいます。 -
萩では、先ず「松陰神社」へお参りです。
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おみくじがいっぱい。
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社殿の前には、稲穂が吊り下げられています。
豊作に感謝する意味が込められているのでしょうか・・・。 -
社殿内部。
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お参りの人の中には、ちらほらと着物姿の女性も見えます。
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次は、アメリカ軍艦による海外渡航に失敗して捕えられた吉田松陰が、出獄後、幽囚された実家の建物で、「吉田松陰幽囚旧宅」と呼ばれています。
この家で近親者や近隣の子弟たちに孟子の教えなどを説いたことをきっかけに、やがて松下村塾に発展して行くことになります。 -
「松下村塾」
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講義室が一般に公開されています。
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門の屋根には、苔と忍草が風情を添えています。
松陰神社をあとに、堀内地区に向かいます。 -
堀内地区で見つけた萩市の汚水桝の蓋。
堀内の鍵曲りの土塀と夏みかんがモチーフになっています。 -
「旧児玉家長屋門」の外壁は白壁となまこ壁で、出格子が1ケ所設けてあります。
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萩に来たら必ず歩くぞ〜、と思っていた「堀内の鍵曲」を訪れました。
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曲り角を曲がると・・・
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写真で見慣れた景観が現れました。
鍵曲とは、戦の際に敵を迷わせ、かつ、追いつめやすいようにとの戦略上の工夫から、両側に高い土塀を配して見通しを悪くした上に、あえて道路を鍵の手に折り曲げた辻のことで、城下町ならではのものです。
当時の堀内地区は、毛利家家臣の武家屋敷や藩の役所が並んでいた城の三の丸にあたるので、その必要性が窺い知れます。 -
これまた写真でよく見る風景、土塀越しの夏ミカンです。
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対面する土塀には瓦が塗り籠めてあります。
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もう一方の曲り角にきました。
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土塀越しに夏ミカンが顔をのぞかせるのどかさは、鍵曲りが隠し持つ戦略性など、微塵も感じさせない閑静な散策道といった風情が漂っていました。
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「口羽家住宅」は、上級武士の武家屋敷として全国的にも貴重な存在だそうです。
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表門は、白壁となまこ壁の大きな長屋門で、江戸藩邸の門を拝領して移築したものと伝えられています。
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萩に現存する武家屋敷の門は、ほとんどが門番所のある長屋門なのに対し、この「旧福原家萩屋敷門」は、門番所のない珍しい形式の門だそうです。
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「問田益田氏旧宅土塀」は、旧三の丸にあたる堀内地区でも、重臣の武家屋敷が建ち並んでいた頃の面影を最もよくとどめているそうです。
また、碁盤の目のように整備された街路のほとんどが、ほぼ江戸時代の姿と変わることなく残っていて、今でも江戸時代の古地図をそのまま用いることができると言われています。 -
「旧繁沢家長屋門」
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武器を収納する倉を総称して矢倉と言うそうですが、その中でも、見張り台を兼ねたものは物見矢倉と呼ばれていました。
「旧益田家物見矢倉」は、北の総門からの人の出入りを見張る機能を兼ね備えていたので物見矢倉と呼ばれたそうです。 -
平成16年に、萩開府400年を記念して復元された「北の総門」です。
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「北の総門」は、城下から三の丸に入るために設けられた総門の一つで、鑑札を持った者以外の通行を禁止していたそうです。
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「旧周布家長屋門」の、下見板張りと白漆喰塗の外観は江戸時代の武家屋敷長屋門の代表的な様式だそうです。
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門が開け放たれていたので、中に入ると・・・
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中庭のコスモスが今を盛りと咲き乱れていて・・・
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心が癒される思いがしました。
次は、海辺の浜崎地区へ移動します。 -
まず「旧萩藩御船倉」を訪れました。
この建物は、萩藩主毛利家の御座船などを格納した建物で、元々4棟あったものが、今はこの1棟のみ現存しているそうです。 -
側面と背面は玄武岩の石積み、前面は木造壁という構造で、大きな切妻屋根が架かっています。
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船倉という用途から、扉上部を全面竪格子にして建物内の通風と換気を図っています。
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白壁となまこ壁のコントラストが見事なこの建物は、「旧山村家住宅」といい、江戸時代後期に建てられた町屋です。
この地方には珍しい、京都や大阪の商家に見られる洗練された建築様式で建てられているそうです。 -
現在は、浜崎地区の情報発信拠点になっています。
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「旧山村家住宅」の斜め向かいにある「旧山中家住宅」です。
山中氏からこの建物の寄贈を受けた市は、町並み交流施設として整備し、一般公開しています。
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