2013/01/19 - 2013/01/19
524位(同エリア795件中)
まみさん
笑いは心を健康にします。
せちがらく、ストレスフルな現代社会。刺激に慣れた現代人。
素朴な笑いを忘れているかもしれません。
笑ってすませてもいいんじゃないか、って冷静に考えれば思えるはずのことも、笑いを忘れたからイライラするのかもしれません。
イライラすることで福を逃すことも、すぐそばに来ていることに気付かないこともあるでしょう。
「笑う門には福来る」とはまさに言い得て妙だといえます。
新年の気分がまだ抜けない1月は、和の気分に浸り、日本文化を見直したくなります。
今年2013年は、昔の冬のように寒くて、初春の花の開花がここ数年に比べると遅れています。
花撮影ができないうちはせっせと動物園通いをするつもりですが、撮影散策を兼ねた博物館めぐりもしたくなりました。
そんなときに思い出したのが、何年も前に一度だけ特別展目当てに足を運んだ、江戸東京博物館。
いつか常設展も見たいと思っていながら、そのまま何年もたってしまいました。
その江戸東京博物館は、レッサーパンダ目当ての江戸川区自然動物園とはしごできそうだと気付きました。
だから、この1月中にぜひ行かなくちゃ!───と思ったのは、常設展示の中の企画展「笑う門には福来る」に惹かれたせいでした。
それにしても、江戸東京博物館は本当に盛りだくさんで、常設展だけでも2時間程度ではとてもとても回り切れませんでした@
※これまでの博物館旅行記はこちら。
「博物館・展示会・フェスティバル・テーマパーク紀行(国内)〜花の展示会を含む〜 目次」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10744682/
<江戸川区自然動物園のレッサーパンダ詣と江戸東京博物館をはしごした旅行記のシリーズ構成>
□(1)ブナくんとユウユウちゃんに会えた江戸川自然動物公園〜レッサーパンダ詣
□(2)無料なのにこんなに盛りだくさん!〜江戸川自然動物公園
■(3)江戸東京博物館の常設展と「笑う門には福来る」
□(4)ジオラマが楽しい江戸東京博物館
江戸東京博物館の公式サイト
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
企画展「笑う門には福来る」
平成24年12月11日〜平成25年1月27日開催
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/project/2012/12_2/index.html
<タイムメモ>
09:20頃 家を出る
11:06頃 西葛西駅に到着
11:14発 都営バスで宇喜田まで
11:30〜14:50 江戸川区自然動物園
14:55〜15:30 遅めのランチ休憩
15:35〜16:00 江戸川区自然動物園
16:50頃 両国駅に到着
17:10〜19:30 江戸東京博物館
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄
-
17時過ぎ、都営大江戸線の両国駅に到着
地上に出ると、江戸東京博物館がドーン!
今回は常設展だけ訪れます。
常設展示はいつでも見られますが、この「笑う門には福来たる」展は1月27日までなので。 -
入口は意外に遠い(苦笑)
地下鉄駅の出口は江戸東京博物館の裏手になるようです。
地下で建物とつながっていてもいいのにな、と思うのですが……。
このあたりは雨よけがあるから、まあいっか。
途中、博物館にしてはやたらとレストランやカフェがあるので、ランチを15時と遅めにとったとはいえ、食欲がそそられてしまいました(苦笑)。 -
江戸東京博物館の建物の1階ロビーエリアにある大きな熊手
高さ4メートル×横3メートル。重さ約400kg。
鷲(おおとり)神社から寄贈されたものだそうです。 -
熊手の中心のおかめ@
-
あら、東京スカイツリーもあるじゃない@
-
迎春の飾りに迎えられて
常設展のチケットは600円。
ここはまだ1階ロビーフロア。
チケット売り場も1階ロビーフロアにあり。
エスカレーター横の無料ロッカーにカメラと財布以外の荷物を預け、エスカレーターで常設展示の入口のある6階へ行きました。
ここまではコンデジのPowerShot SX 200 ISで撮影しました。 -
常設展示室に入場するとドーンと目の前に開けた光景
左手には復元された日本橋が架かっていて、なかなか圧倒的でした。
階下には、原寸大に復元された神田明神山車があります。
「当館の常設展示室は、「江戸ゾーン」「東京ゾーン」「第2企画展示室」で構成され、浮世絵や絵巻、着物、古地図など約2,500点、大型模型など約50点あまりが展示されています。5階と6階が吹き抜けになった、約9,000?の大きな展示室を生かし、綿密な調査研究を踏まえて実物大に復元した大型模型などが展示されています。また、当時の人びとが、実際に使っていた実物資料も豊富に展示しており、江戸東京の都市と文化、そこに暮らす人びとの生活を楽しみながら学ぶことができます。」
(江戸東京博物館の公式サイトの説明より引用) -
さらに階下には、原寸大に復元された芝居小屋「中村座」
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現存するものをもとに復元された唐銅製の擬宝珠
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無粋な高架道路のない日本橋を、さあ渡りましょう!
復元にあたっては、橋杭・梁・桁・親柱などにはケヤキ、高欄・床板などにはヒノキが使われているそうです。
「日本橋は、1603年(慶長8)に初めて架けられたといわれ、翌年には諸街道の基点と定められました。その後、たびたび架け替えられています。江戸博では常設展示室入口に、1806年(文化3)と1819年(文政2)の架け替え記録などをもとに日本橋を実物大で復元しました。全長28間(約51m)・幅4間2尺(約8m)のうち、北側半分14間を、当時と同じケヤキやヒノキを使って復元しています。江戸っ子になった気分で橋を渡ってみましょう。」
(江戸東京博物館の公式サイトの説明より引用) -
渡り終えて眺めた日本橋
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下から見上げた日本橋
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どんと迫ってくる中村座の正面部分
「江戸時代、芝居小屋では大名も庶民も日常を忘れて歌舞伎の世界に心を遊ばせました。この模型は代表的な歌舞伎の芝居小屋である中村座の正面部分を、原寸大(間口11間、奥行3間)で復元、芝居小屋がもっとも華やかな装いをみせる毎年11月に行われる顔見世興行を想定して作成しています。右手に掛かる絵看板は元禄期以来芝居絵を専業とする鳥居派の技を継承する九代目鳥居清光の筆によるものです。」
(江戸東京博物館の公式サイトの説明より引用) -
公許の印の櫓を見上げて
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華やかな絵看板
これは「暫(しばらく)」という歌舞伎だそうです。
江戸歌舞伎を代表する図柄なので、復元にあたって特に加えられたそうです。
「清原武衡(きよはらのたけひら)が、自分の意に従わない人々を家来に命じて斬ろうとするところに、「しばらく」という声とともに鎌倉権五郎(かまくらごんごろう)が登場し、人々の命を助けるというストーリーです。
江戸歌舞伎では、俳優は芝居小屋と1年ごとに契約を結びました。その契約のスタートする11月の興行は「顔見世(かおみせ)」とよばれ、一座する俳優の顔ぶれを披露する最も重要な年中行事でした。この「顔見世」で上演される作品には、おもな俳優が一堂に会し、「しばらく」という声とともに登場する正義感あふれる人物が、悪人に殺されかけている人々を救う場面を組込む慣習がありました。(後略)」
(「歌舞伎への誘い」より引用)
http://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/kabuki/jp/5/5_04_19.html -
原寸大で復元された「神田祭」の山車の一つ
これは江戸末期に古川長延によって改修された8番目の須田町のものだそうです。 -
横に須田町とでかでかと
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山車のてっぺんにいるのは三国志の英雄の1人、義に篤い関羽
これは復元された日本橋を渡っているときに、上から撮りました。 -
江戸時代の篭に乗ってみよう!
引き戸はしまらないのですが、中に入って記念撮影をすることができます。 -
篭の中から覗いてみたところ
-
復元された棟割(むねわり)長屋
「棟の前後で部屋を分ける棟割長屋は過密都市江戸の代表的な庶民住宅です。この模型は間口2間(約3.9m)、奥行き2間(約3.9m)の規模で、居室部分6畳の広さがある棟割長屋の一部を実物大で復元し、独身の指物職人の部屋と棒手振商人(魚や野菜を売り歩く商人)家族の部屋を原寸大で再現しました。また、家族住まいの部屋では江戸時代のお産の風俗も再現しています。」
(江戸東京博物館の公式サイトの説明より引用) -
戸口を入ると土間があって、すぐにお部屋
-
台所兼用の土間と部屋の様子
部屋には押し入れもなく、夜具は片隅に積み、衣類は風呂敷や行李にしまっていたそうです。
時代劇などで見る様子からなじみがありますが、この空間に親子3〜4人家族が住んでいました。 -
長屋の奥で指物をやっている職人にズーム
この写真だけはフラッシュをたいて撮影しました。
色味が違うのはそのためです。
「指物(さしもの)とは、板材を組み合わせて作る木工のことで、日本でも古くから技術が発達しているが、これがとくに発達したのは江戸時代である。家具製品が中心で、箪笥・机・椅子・茶棚などの大物と、硯箱・煙草盆などの小物とがあるが、超高級品から一般品まで技術の巾は大へん広い。指物にたずさわる職人は、指物師とか指物屋と呼ばれ、居職が基本である。細かな工程と正確で緻密な作業を要し、道具もノミ・キリ・カンナを中心に種類・大小さまざまある。指物は各地で発達しているが、江戸指物は簡素の中に堅牢な作りを特徴とし、伝統を引き継ぐ職人が今も制作を続けている。」
(展示の説明より) -
長屋の一室に復元された江戸庶民のお産の様子
こうやって父親も子供も新しい家族の誕生を見守っていたわけですね。
時代劇では、よく、武家の夫人が、天井から吊り下げられたひもを握りしめ、舌をかまないように布をくわえてお産している姿を見かけますが、江戸庶民のお産もああいうかんじだったのでしょう。
でも時代劇では、産婦は産後は床に横になっていることの方が多いです。
「お産の風俗
江戸時代の出産は、一般には座産で、産婦は天井から吊り下げた綱や添え人を支えにして子供を産んだ。生まれた子には産湯をつかわせるが、このとき産婆はたらいの前に腰かけ、赤児をうつ伏せにして両脚をのせ沐浴させた。これはへその緒の切り口に湯がかかるのを防ぐためと、背中は五臓を宿す大切なところであるため眼を離してはいけないという中国の説によるものだという。一方、産婦の方も、頭に血がのぼらないようになどとの俗説から、産後も産椅や積み上げた布団によりかかり、座ったまま7日7夜を過ごさなければならなかった。そのために健康をそこねることも少なくなかった。」
(展示の説明より) -
江戸時代の本屋さんともいうべき絵草紙屋の店先
「東海道名所図会」に描かれた和泉屋市兵衛の店(甘泉堂)をもとに復元されたものだそうです。
このあたりの江戸時代の出版や読書事情は興味があったので展示の方もわりときちんと見ました。
書籍は庶民には手が届かない高価なものだったので、貸本屋が発達していたというのは初めて知りました。 -
絵草紙や錦絵のほかに地図や往来物なども扱っていたという和泉屋市兵衛の甘泉堂
往来物とは、往来を行き来するための本、すなわちガイドブック、ではなく、「平安時代後期から明治時代初頭にかけて、主に往復書簡などの手紙類の形式をとって作成された初等教育用の教科書の総称」(ウィキペディアより)ですって@
教科書御用達の店でもあったわけです。 -
番台と、畳の上に積み上げられた本
-
「天下の台所」の大阪と大消費都市・江戸の間を就航した定期船「菱垣廻船」の復元
菱垣廻船の名の由来は、船の側面の菱組の格子が取り付けてあったためだそうです。
確かにあるある、菱組の格子が。 -
甲板にボートあり
菱垣廻船が運搬したのは生活物資でした。 -
後ろから眺めた「菱垣廻船」
こちらからの方が側面の菱組の格子がよく見えました。 -
中村座の内側に復元された、助六の舞台(中央部)
花魁とじじいと禿(かむろ)が並んでいました。
「江戸歌舞伎の代表的な演目「助六(すけろく)」の衣裳・大道具・小道具などを、江戸後期の古典的な舞台の上に展示しています。「助六」に登場する衣裳をまとめて展示するために架空の場面を設定したものです。江戸歌舞伎の伝統は衣裳、大道具、小道具など、その多くが今日まで受け継がれています。ここで展示した衣裳や小道具は、現在の舞台で使われているものと同じものを製作しました。」
(江戸東京博物館の公式サイトの説明より引用) -
向かって左には、市川團十郎演じる主人公
「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)
「歌舞伎十八番」の1つで、通称『助六』とよばれています。曽我五郎時致(そがのごろうときむね)は、花川戸の助六(はなかわどのすけろく)という侠客となって、源氏の宝刀友切丸(ともきりまる)を探し出すため吉原に出入りしています。三浦屋の傾城揚巻(あげまき)と恋仲になった助六は、吉原で豪遊する意休(いきゅう)という老人が、この刀を持っていることを聞きだし、奪い返すというストーリーです。
2時間近い舞台には、助六に喧嘩の稽古をつけてもらう白酒売り[実は五郎の兄の曽我十郎(そがのじゅうろう)]、助六の喧嘩を戒めて紙衣(かみこ)を渡す母の満江(まんこう)、助六に喧嘩を吹っかけて返り討ちに合う意休の子分かんぺら門兵衛(かんぺらもんべえ)・朝顔仙平(あさがおせんぺい)など多彩な役が登場し、観客を飽きさせません。」
(「歌舞伎への誘い」より引用)
http://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/kabuki/jp/5/5_04_23.html -
ここで企画展示「笑う門には福来たる」へ
実はこの次の旅行記で紹介するジオラマを夢中になって撮影していたので、だんだん時間が押してしまったのです。
この企画展が見たくて来たのに、時間配分が下手な私。
ちなみに、「忠臣蔵」展の方はほとんどスルー。
「忠臣蔵」の舞台は、歌舞伎では「元禄忠臣蔵」で一部、文楽では「仮名手本忠臣蔵」で一部、そしてバレエ版ダイジェストともいうべきバレエ「ザ・カブキ」(振付:ベジャール/東京バレエ団)の方は何回か見たことがありますが、いまのところ特別に思い入れがあるほどでもないので。
展示は、ざっと見たところ、物語の紹介と、歌川国芳による「忠臣蔵」の登場人物の浮世絵の展示が中心でした。 -
常設展特別展示「笑う門には福来たる」展プロローグ
-
<1章 笑顔があふれる>
「子供はよく遊びよく学び、時にいたずらをして大人を困らせますが、何事にも好奇心いっぱいです。江戸時代の子供たちは、四季の年中行事や季節の遊びを楽しんだり、寺子屋で学んだりして毎日を過ごしていました。子供たちの純粋な笑顔や笑い声は、周りの人々を元気にしてくれます。
また、そんな子供たちを見守る温かいまなざしには、いつの時代も変わらない幼子への深い愛情が感じられます。」
(展示の説明より)
* * *
絵本大和童 松 復刻版(原本:江戸中期)
四季折々の子供の遊びが描かれた絵本が展示されていました。
これは雪遊びですね。
無邪気に笑う子供にフォーカス。 -
風流子宝合 大からくり(喜多川歌麿・画)
子供を見守っている女性は母親かと思ったのてずが、お姉さんのようです。
お姉さんがからくりを操作し、子供たちは夢中になって覗いている場面です。
子供たちを見守るやさしい笑顔に惹かれました。 -
風俗三十二相 かわゆらしさう/明治十年以来内室の風俗
(月岡芳年・画/1888年(明治21))
江戸時代の浮世絵かと思ったら明治に制作されたものでした。
子供の無邪気な微笑みと、見守る母親のやさしい微笑みは、世界最強です。 -
<2章 福が笑う>
「おめでたい存在として知られる七福神。特に宝船に乗った七福神は、初夢の縁起物として人気を得ました。そして七福神の中の一人である恵比寿は、目を細めて笑う表情を題してえびす顔ともいうように、笑顔の神様として知られ、江戸時代では商いの神様としても人々に親しまれてきました。
その他、穏やかな笑顔を浮かべるお多福や、有卦絵(うけえ)の福助など、笑いをモチーフとして表現し、福を招くものが多くありました。」
(展示の説明より)
* * *
七福人宝遊
(豊原国周・画/1864年(元治1))
笑っている七福神が描かれた有卦絵。
なぜか展示のタイトルは「七福神」ではなく「七福人」。
武神の毘沙門天もちょっと苦笑いしていますが、弁財天は、どちらかというとむすっとしているように見えます(笑)。
有卦絵とは「有卦に入った人が飾ったり、また贈られたりした縁起絵。福に通じる「ふ」の字のついた、藤・筆・瓠(ふくべ)などを描く。江戸末期に流行」(デジタル大辞泉の解説より)したものだそうです。初耳。
そして、有卦とは、「生まれ年の干支に配された陰陽五行(木・火・土・金・水)に基づいて定められた7年間吉事が続くとされる年回りのこと」(展示の説明より)だそうです。 -
とりわけ楽しそうに笑う恵比寿と大黒天
下ネタで受けているじじいにも見えてしまいますけどネ(笑)。 -
七福人宝之入船・その1
(歌川房種・画/1885年(明治18))
横長の絵でしたので、3分割して撮影しました。
右下には七福神ではない子供がいます。
子孫繁栄の吉祥画題だという唐子かな。 -
七福人宝之入船・その2
(歌川房種・画/1885年(明治18))
踊る弁天。
かすかに微笑んでいます。 -
七福人宝之入船・その3
(歌川房種・画/1885年(明治18))
武神の毘沙門天は、笑っちゃいけないけど、というような、笑いをかみしめた表情っぽいです。
ここにも子供が描かれています。 -
七福神の中でただ1人、日本発祥の神といわれる恵比寿像(木像)
にこにこした「えびす顔」が可愛らしいです。
鯛が釣れたぞ───と可愛いドヤ顔@ -
福神えびす図
(渓斎英泉・画/天保期(1830〜43年)以前)
恵比寿と大黒天の笑顔はどっちが魅力的かな。
七福神のうち恵比寿と大黒天はセットで祀られることが多いです。
後ろに描かれているのは、小正月の飾り物であるまゆ玉だそうです。 -
東都名所遊観 極月(しわす)浅草市の一部
(歌川国貞(初代)・画/1843〜47年(天保14〜弘化4))
12月17日・18日に行われる浅草蔵の市に出かけた商家の女性と子供、奉公人のうち、おたふくの面をかぶる子供がいる部分。
おかあさんにしがみついているところも可愛らしいです。
おかあさんは後ろにいる奉公人に、「早く早く」と促しているのかもれしません。
大人だって市へ出かけるのは楽しいです@ -
有卦絵 福禄寿の仮装に驚く福助
(歌川芳富・画/1864年(元治1))
頭でっかちな福助さんが可愛いです。
「どうだ、驚いたか」という恵心の福禄寿のドヤ顔も@
「有卦絵とは、有卦の年回りに入る幸運な時期を知らせる、またはそれを祝うめでたい絵。有卦に入る時に、「福」に通じるということで頭文字が「ふ」である富士山、藤、筆などが描かれた絵を贈るという風習が、江戸末期に流行した。」
(展示の説明より) -
有卦絵 奴(やっこ)姿の福助
(歌川広重・図/1855年(安政2))
福助というとすぐに連想するのは、菊の仕立てだったりします。
「福助は、寛政年間(1789〜1801年)には人形が売り出され、1804年(文化1)春頃から江戸市中で流行したとされる。一般的に、裃姿で正座をし、おじぎをする福耳で童顔の姿がイメージされる。」
(展示の説明より) -
<3章 ユーモアをちりばめる>
「近世から近代にかけて、笑いは、メディアを介して庶民の生活に受容されていきます。なかには当時の世相を風刺的に表したものもありますが、そこに描かれたコミカルな表情やユーモア豊かな発想は、現代の私たちが見ても遊び心をくすぐられます。
また、昨今ゲーム機などの普及により、あまり見かけなくなった福笑いは、伝統的なお正月の遊びです。出来上がった顔のユニークさを楽しみます。」
(展示の説明より)
* * *
玩具 福笑おかめ・その1
これは古めかしいですが、福笑い遊びはやったことがあるので、なつかしいです。
小学生の学研の付録とかにあった気がします。おかめではなかったです。 -
玩具 福笑おかめ・その2
この福笑いのおかめは、かなりイイ出来ではないでしょうか@ -
土人形 招猫(大正〜昭和初期)
いまも盛んな招き猫。
大きく写しましたが、だいたい人差し指くらいの大きさでした。 -
郷土玩具 豪徳寺 猫(1957〜58年(昭和32〜33))
これは人差し指の第1関節くらいの大きさでした。
「招き猫発祥の由来にはいくつかの説が伝わるが、その中の一つが豪徳寺の猫の話である。万治年間(1658〜60年)、井伊直孝が鷹狩りの帰途、白猫によって現在の東京都世田谷区豪徳寺に招き入れられて雷雨の難を逃れた。この時の猫がもととなり、招き猫が誕生したという説である。」
(展示の説明より) -
土人形 丸〆猫(大正〜昭和初期)
招き猫の由来はなかなか興味深かったです。
この展示で紹介された二つのエピソード自体には、あからさまに福が招かれたといわれているわけでもなかったところも興味深いです。
「この丸〆猫(まるしめねこ)も、招き猫の由来として知られる一つである。嘉永年間(1848〜54年)、浅草花川戸に住む老婆が貧しかったために愛猫を手放したが、その猫が夢に現れ、自分の姿の人形を作ると良いと言った。そして老婆によって作られた手招きをしている猫の人形が流行し、評判となった。これが招き猫のルーツであるという説である。」
(展示の説明より) -
土人形 おかめ(大正〜昭和初期)
文楽人形のうち、1人で操る「つめ人形」にこういう顔をした人形がいましす。
おかめでしたか。
「丸顔で鼻が低く、豊かに丸みを帯びた頬を特徴とする点では、おかめはお多福に同じ。近世以降に民間芸能を通じて親しまれてきた。」
(展示の説明より) -
土人形 福助におかめ
ちんまり並んで夫婦のようです。
豆人形といってよい大きさでした。 -
面(おかめ)
お肌つやつやに撮れました@
江戸東京博物館の1階ロビーの大熊手にもおかめがいました。
「里神楽では、ひょっとこの面と対にして使用される。おかめは福を呼ぶ面として、酉の市の大熊手などにも取り入れられている。」
(展示の説明より) -
白亜のクラシカルな朝野新聞の建物/復元年代:明治10年代
この建物は、復元された日本橋の上からも見ることが出来ました。
この建物の左奥に、東京ゾーンへの通路があります。
でも、この段階で、閉館まで約30分になってしまったので、東京ゾーンは、いくつか写真を撮った他は、駆け足で回りました。
「「朝野(ちょうや)新聞」は、1874年(明治7)に創刊され、社長の成島柳北(なるしまりゅうぼく)、主筆の末広鉄腸(すえひろてっちょう)らが新政府を辛辣に批評し、人気を博しました。現在の銀座4丁目交差点北西角(和光ビルがある場所)に建てられた朝野新聞社屋のファサードを原寸大で復元。扉のガラスは当時の製法で作られており、表面に凹凸がみられます。銀座通りの夜を照らしたガス灯もあわせて展示しています。」
(江戸東京博物館の公式サイトの説明より引用)
「(前略)東京では1887年(明治20)までに150紙にのぼる新聞が発行されたが、それらが竣工したばかりの銀座煉瓦街に集まり、銀座はジャーナリズムの中心地となっていった。とりわけ銀座4丁目の交差点には、「朝野新聞」、「曙新聞」、「東京横浜毎日新聞」という代表的な政論新聞が社屋を構え、自由民権運動の高揚にともなって、互いに論陣を張った。」
(展示の説明より) -
リンタク(複製)/昭和20年代
これは座席に座ってみてもいいのですが、座り心地を確認する余裕はなくて、写真を撮っただけ。
「戦後のガソリン不足の頃、リンタクは都会の乗り物として流行しました。このリンタクは、昭和63年まで皇居の周辺を走っていました。」
(展示の説明より)
12月のイルミネーションの時期に東京丸の内通りで自転車タクシーを見かけましたが、1人乗りではなかったです。あの自転車タクシーは期間限定かしら。
ドイツ、少なくともベルリンあたりにはふつうにあるんですよね。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/27580264/
関連の旅行記(2012年12月22日)
「観劇ついでに東京ミチテラス2012と丸の内イルミネーション」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10735612/ -
ダルマ自転車/1882年(明治15)ころ
復元ではなく、コレクションのものです。
手すりがあるところをみると、乗ってみてもいいのかな。
バランスをとるのが難しそうです。
女学生が乗り回したというハイカラの象徴の自転車は、こんなにタイヤに差があるダルマ自転車ではなく、もう少し今の自転車に似ているものだったと思います。
「自転車が東京の市街に目立つようになったのは、明治20年代ころからである。おもに遊戯・娯楽用に流行し、貸し自転車屋が繁盛した。はじめは輸入車や模造車だったが、国産車が製造されると、営業用にも使われるようになった。明治後期、袴をはき、おさげ髪にリボンを結んだ女学生が、さっそうと自転車をのりまわす姿は、<ハイカラ>の象徴となった。」
(展示の説明) -
人力車
大和和紀さんのコミック「ハイカラさんが通る」を思い出しました。 -
大人の三輪車(複製)
いま自転車の主流は二輪なのは、その方がスピードが出るから? コンパクトだから?
この三輪車も乗ってみることができます。
「大人向けに製作された三輪車です。自転車や三輪車は、明治初期に西欧から輸入され、それをモデルにして国内で作られました。鉄のフレームは刀鍛冶や鉄砲鍛冶の技術、車輪は大八車の製作技術が活かされています。」
(展示の説明より) -
いわゆる初の映画館だった「電気館」
一瞬、秋葉原の電気街のビル名かと(笑)。
上映されたのは、映画ではなく、正確には、活動写真。
音声がついていないので、弁士(解説者)が必要だったそうです。
現在この跡地には、「電気館ビル」が建っているそうですが、それはもはやふつうに飲食店と住宅の複合施設。
「浅草六区にあった電気館は、はじめ電気仕掛けの見世物でにぎわい、1903年(明治36)、日本で最初の活動写真の常設館となりました。ここでは1914年(大正3)、イタリア映画「アントニーとクレオパトラ」上映の際の様子を10分の1の縮尺で再現しています。また、手前のモニターでは映画の一部もご覧いただけます。」
(江戸東京博物館の公式サイトの説明より引用)
映画の一部が見られるというモニターはスルーしてしまいました。
このあたりはほんとに駆け足で回っていましたから。 -
凌雲閣/明治期後半
ぱっと見て、イタリアの教会の鐘楼かと思いました。
でも設計者はイギリス人です。
「<十二階>の名で親しまれた凌雲閣(りょううんかく)は、英国人の技師ウイリアム=K=バルトンの設計による展望塔で、1890年(明治23)落成。浅草のシンボルとして土産絵にも登場し、関東大震災で倒壊するまで多くの人びとで賑わいました。高さは197尺(約60メートル)、建物のなかには世界各国の品物を売る店や休憩室があり、11・12階には、望遠鏡も備えられました。模型は電気館と同じく10分の1で復元しています。」
(江戸東京博物館の公式サイトの説明より引用) -
話電働自、ではなく、自働電話───自働電話と屋外で最初に設置された公衆電話ボックスの複製(1900年(明治33))
受話器をとると、詳しい解説が聞けたそうです。
もう閉館5分前だったので、聞いているひまがなくて残念でした。
江戸東京博物館の常設展の重要なもう一つの柱である「東京ゾーン」に入ったあとは、もう駆け足で、目立つものだけとりあえず写真を撮ってくるのがやっとでした。
戦時中の東京や関東大震災のころの展示もフルーです。残念。
でも、銀座煉瓦街のジオラマはゆっくり撮ることが出来ました。
それを含めた「江戸ゾーン」と「東京ゾーン」のステキなジオラマの写真は、今回の江戸つながりの動物園と博物館はしごの旅行記のシリーズ最後である次の旅行記「冬のレッサーパンダと博物館詣は江戸つながり@(4)ジオラマが楽しい江戸東京博物館」にて。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10744658
つづく。
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