2013/01/19 - 2013/01/19
417位(同エリア760件中)
まみさん
ジオラマって、楽しい、楽しい!
眺めるだけでも楽しいですが、撮影できるとなると、もっと楽しいです。
カメラのズームレンズは双眼鏡の役割もしますから、肉眼では気付きにくい、小さな人形たちの生き生きとした世界がファインダーを通してよく見えます。
常設展の特別展示「笑う門には福来る」がきっかけでぜひ行きたいと思った江戸東京博物館ですが、公式サイトで常設展の様子をチェックして、ジオラマがとても楽しみになりました。
期待以上でした。
特に、たくさんの人形たちでその時代の庶民の生活を再現していた「寛永の町人地」には夢中になりました。
もちろん、「三井越後屋江戸本店」も「両国橋西詰」、それから明治時代の「銀座煉瓦街」も@
それにしても、江戸東京博物館は本当に盛りだくさんで、2時間程度ではとてもとても回り切れませんでした@
実は常設展で撮影OKなのはカメラOKマークがついたところだけかと思っていましたが、そうでなくて、カメラOKマークかと思っていたのはフラッシュOKマークでした。
ちゃんとフラッシュの部分がピカッと光っているイラストだったのに、そこ以外は撮影してはいけないのかと、最後まで勘違いしていました(苦笑)。
でも、ジオラマはどれもフラッシュOKマークがついていたので、警備員があちこちでうろうろしていても気にならず、念入りに撮影できました。
代わりに、写真を撮らなかったその他の常設展は、さくっとしか見学できなかったんですけどネ。
※これまでの博物館旅行記はこちら。
「博物館・展示会・フェスティバル・テーマパーク紀行(国内)〜花の展示会を含む〜 目次」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10744682/
<江戸川区自然動物園のレッサーパンダ詣と江戸東京博物館をはしごした旅行記のシリーズ構成>
□(1)ブナくんとユウユウちゃんに会えた江戸川自然動物公園〜レッサーパンダ詣
□(2)無料なのにこんなに盛りだくさん!〜江戸川自然動物公園
□(3)江戸東京博物館の常設展と「笑う門には福来る」
■(4)ジオラマが楽しい江戸東京博物館
江戸東京博物館の公式サイト
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
常設展示の紹介ページ
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/permanent/index.html
<タイムメモ>
09:20頃 家を出る
11:06頃 西葛西駅に到着
11:14発 都営バスで宇喜田まで
11:30〜14:50 江戸川区自然動物園
14:55〜15:30 遅めのランチ休憩
15:35〜16:00 江戸川区自然動物園
16:50頃 両国駅に到着
17:10〜19:30 江戸東京博物館
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄
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-
寛永の大名屋敷の平面図
復元されたのはこのうちの赤い部分です。
緑の部分は、空間だけ確保されていました。
「江戸城本丸大手門の前に建てられた越前福井藩主・松平伊予守忠昌(まつだいらいよのかみただまさ)(1597〜1645)の上屋敷を「伊予殿屋敷指図」(岡山大学池田家文庫所蔵)、「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館所蔵)等の史料をもとに30分の1の縮尺で復元しました。向かって右手にある同縮尺の寛永の町人地と比べて見ると、その壮大さが実感できます。」
(江戸東京博物館の公式サイトの説明より引用) -
寛永の大名屋敷の模型はこんなかんじにドーン
-
寛永の大名屋敷の中で一番華やかな「御成門」
こうして撮ると、模型には見えないくらいです。
でもジオラマっぽく撮れないのは、つまらないかな。 -
こちらも華やかな「台所門」
大きな荷車の出入りも可能なように広い門なのだろうと思います。
この大名屋敷は明暦の大火により焼失してしまい、以後こんな華麗な大名屋敷は姿を消してしまったそうです。 -
大広間と中庭
大名屋敷のジオラマ、というか模型は、見るのは楽しかったですが、撮影しづらかったです。
こういう、写真に撮りにくいジオラマばかりだと残念だなぁ、とか思いながら、次のジオラマへ。 -
江戸城本丸大広間・松の廊下・白書院の模型より白書院・その1
「諸大名が将軍に拝謁する大広間、それに続く松の廊下、勅使との体面などに用いられた白書院、大広間に附属する能舞台を復元した。建物は、1845年(弘化2)の再建時の図面をもとにし、ふすまや壁・天井などの絵は、1844〜48年(弘化期)につくられた「江戸城本丸等障壁画絵様」(東京国立博物館蔵)によった。
1701年(元禄14)3月14日、播磨・赤穂藩主の浅間内匠頭長矩が高家の吉良上野介義央に斬りかかった事件は、松の廊下で起こった。」
(展示の説明より) -
江戸城本丸白書院・その2
下から眺めたら、見事な天井@
「大広間に次ぐ格式を有する御殿。大広間と松之廊下で繋がっており、上段・下段・帝鑑之間・連歌之間を主な部屋として約300畳の広さを持つ。表における将軍の応接所として公式行事に用いられ、御暇・家督・隠居・婚姻の許可への御礼時に諸大名はここで将軍と面会していた。他に年始の内、越前松平家・加賀前田家とはここで対面をし、また勅使・院使を迎える際には下段を宴席の間としていた。」
(ウィキペディア「江戸城」より一部引用) -
江戸城本丸大広間
障子の絵が華やかです。
屋根の構造も興味深いです。
「本丸御殿中で最高の格式と最大の規模を有する御殿。東西方向50メートル、約500畳に及ぶ広大な建物である。寛永17年の大広間には大屋根があったが、焼失後の再建では中央に中庭を設け、屋根を低くするようになった。
大広間は将軍宣下、武家諸法度発布、年始等の最も重要な公式行事に用いられ、主な部屋は上段・中段・下段・二之間・三之間・四之間があり、西北から反時計回りで配置される。南東の南には中門が、東には御駕籠台があり大広間の権威を象徴している。また南面の向かい側には表能舞台があり、大きな祝い事があるときの能の催しではその内の一日を町入能として、町人が南庭で能を見ることを許した。」
(ウィキペディア「江戸城」より一部引用) -
江戸城本丸大広間と白書院をむすぶ松の廊下と白書院の一部
幅4メートルもあったので廊下と思えないくらいです。
2011年12月に見た歌舞伎「元禄忠臣蔵」の「江戸城の刃傷」場面では、実際の刃傷場面ではなく、この松の廊下で周りの人があたふたしているシーンが演じられましたっけ。
「江戸城内にあった大廊下のひとつ。本丸御殿の大広間から将軍との対面所である白書院に至る全長約50m、幅4mほどの畳敷の廊下。廊下に沿った襖に松と千鳥の絵が描かれていたことから松之大廊下と称された。」
(ウィキペディア「江戸城」より一部引用) -
寛永の町人地(復元年代)17世紀中期〜日本橋を渡る篭の一行にフォーカス
常設展で1番楽しみにしていたジオラマです。
双眼鏡は何ヶ所かに備え付けられてありましたが、カメラのズームレンズが十分にその役割を果たしてくれました。
いや、写真は、視写界深度の浅さからピントを合わせたところ以外は思いっきりぼけるので、双眼鏡で眺めるよりももっと楽しいです。
「江戸初期、日本橋北詰付近の町人地を「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館所蔵)、「江戸名所図屏風」(出光美術館所蔵)等をもとに30分の1の縮尺で復元しました。橋から大通りにかけて、さまざまな階層の老若男女が賑やかに往来しています。また、通りの裏手に広がる長屋では井戸のそばで洗濯している様子も見られます。また、ところどころで大道芸も! 備え付けの双眼鏡で見るとさらに迫力満点です。」
(江戸東京博物館の公式サイトの説明より引用) -
美しい屋根の家々が並ぶ日本橋前の大通り
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日本橋を渡る魚売りの兄ちゃん
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大道芸人と見学者たち
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魚売りの商談中かな
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一列に並んで歩くこの人たちは
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こちらは何を売っているかな
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さまざまな人々が行き交う賑やかな大通り
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粗末な屋根の長屋が並ぶ
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納屋の前でワンワン!
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こちらでも大道芸!?
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さきほどの大道芸人にフォーカスしながら、通りの奥まで眺めたアングルで
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路地裏で子供がぽつん
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犬と遊ぶ子供たち
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井戸端で洗濯風景
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洗濯物を干すほのぼの風景
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再び往来に注目すると
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おえらいさんの一行かな
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茶屋前のお侍さんたち
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奥さまのお出かけ
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のんびりと道を歩く町人たちの後ろ姿
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うわさ話に花が咲く
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おおっ、獅子舞の一行かな
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掘り越しに獅子舞を眺める
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獅子舞で賑わう通りの様子
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中庭の方を覗いてみる
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ここでも洗濯風景
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洗濯物を干す様子と井戸
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上着を手に、何をしているのかしら
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自慢の松を披露する
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米俵を仕入れて
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馬に乗せて運ぶ
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再び日本橋前にやって来た
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篭が行く
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日本橋から続く大通り
これだけたくさんの人形がいて、めいめいドラマがあるので、すっごい面白くて、時間をかけて眺めても見飽きなかったです。
それにしても、人形たちを見ていて、何の場面か、よく分からないところも多かったです。
私は江戸時代の風俗や町人の暮らしをよく知らないんだなと痛感。 -
三井越後屋江戸本店の平面図
「江戸時代の代表的な呉服店、三井越後屋の創始者三井高利は伊勢松阪の出身で、京都に呉服の仕入れ店を、江戸に販売の店を設け、「店先売り」、「現金、掛値なし」の新商法が当たって繁盛しました。この模型は三井越後屋の店先(駿河町)を、「本普請画図面」(1832年 三井文庫所蔵)などをもとに10分の1の縮尺で再現しています。暖簾部分が下がると、呉服を商う店内の様子もご覧いただけます。」
(江戸東京博物館の公式サイトの説明より引用) -
三井越後屋江戸本店の店構え
三越の祖先ですね。
併置されたという両替店は現在の三井住友銀行の祖。
「江戸時代の1673年(延宝元年)に「店前現銀売り(たなさきげんきんうり)」や「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」「小裂何程にても売ります(切り売り)」など、当時では画期的な商法を次々と打ち出して名をはせた、呉服店の「越後屋」(ゑちごや)として創業。現在では当たり前になっている正札販売を世界で初めて実現し、当時富裕層だけのものだった呉服を、ひろく一般市民のものにした。
現在の商号「三越」は、三井家の「三井」と創業時の「越後屋」からとったもので、1904年に「合名会社三井呉服店」から「株式会社三越呉服店」へ改称した際からのものである。この改称の案内の際に「デパートメントストア宣言」を行い、そのことを以て日本での百貨店の歴史が始まりすることが多い。」
(ウィキペディアより一部引用) -
暖簾が下がって中の様子が見える
暖簾は15分おきに下がって中が見られるようになっていました。
私が最初に見たときは、暖簾が下がっていたので、中がすぐに見られたわけです。 -
越後屋店内を背景に、店下通りを歩く女性たち
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店から出て来た人がいる場面
小脇に、買った布を抱えているようです。 -
店内の商談の場である本見世の様子
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商談席がずらっと並ぶ
「(前略)越後屋開店と同時に、(三井)高利は、「店前現銀無掛値」と「小裂何程にても売ります」、つまり、店頭販売と切り売りを始めた。これは、当時の商慣習を打ち破るやり方であった。いわゆる大店では、得意先が、裕福な商家か大名や武士といった特権階級に限られていたため、現金扱いの小売りは行われていなかったからである。見本を持って得意先を回る「見世物商い」や、品物を直接得意先に持ち込む「屋敷売り」が、当時の一般的な商売の方法であり、また、支払い方法は、盆と暮れの節季払いという掛け売り方式が、当たり前となっていた。
しかし高利は、店頭での現金販売により商品を安く提供(掛け値なしの正札で販売)し、一反単位での販売しか行われていなかった反物を、必要な長さだけでも売ることとした。この「店前現銀無掛値」と「小裂何程にても売ります」は特に江戸町民の間で大当たりして、越後屋は急成長を遂げた。また、地方の商人に越後屋の品物を扱わせるための卸売業や、両替業なども初め、高利は江戸の豪商となっていった。(後略)」
(Welcome toSAKAZO CHOTTO COM!─商業史レポート②「越後屋・三井八郎兵衛高利」より引用)
http://www.sakazo.com/chotto/report/syogyoshi205 -
暖簾が上がって中が隠れた様子
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正面側を、億の土蔵が見えるアングルで
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両国橋西詰の平面図
「両国橋西詰の広小路は、軽業や歌舞伎を見せる見世物小屋、髪結床、水茶屋などが立ち並び、寿司、天ぷら、うなぎなどの屋台や大道芸人も多く集まる盛り場でした。夏の間は隅田川の川風を楽しむ夕涼みや花火見物に興じる屋形船、屋根船、猪牙船などで賑わいました。この30分の1の模型は、天保の改革の取締りの記録をもとにして、改革前の盛り場の姿を1500体の人形を配置して当時の風景を再現しています。」
(江戸東京博物館の公式サイトの説明より引用) -
両国橋と隅田川に浮かぶ花火船と屋形船
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提灯もついたの華やかな屋形船
屋根の上でも酒を飲みながら花火を見学している人がいたようです。
船頭仲間かな。 -
両国橋と広小路方向
川沿いに水茶屋が並んでいます。 -
橋をくぐる屋形船
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橋の界隈の賑わい
おもり石や、道端の野菜売り・提灯売りが見えます。 -
芝居小屋が並ぶ通りの賑わい
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川沿いの水茶屋前の通りの賑わい
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隅田川と建ち並ぶ芝居小屋
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両国橋と西詰広小路を見渡す
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銀座煉瓦街のジオラマ
「銀座煉瓦街は、1872年(明治5)2月の銀座から築地一帯を焼き尽くす大火の後、近代国家にふさわしい街づくりとして、明治新政府によって計画、建設されたものである。
計画の中心は、新橋ステーションから築地居留地や諸官庁を結ぶ銀座地域に、不燃家屋(煉瓦造り)を建設し、道路を拡張・改良しようとするものであった。大火の後、英国人トーマス=J=ウォートルスが設計を担当、建設には大蔵省建設局があたり、翌年には、西洋を模した街区が姿をあらわした。
煉瓦街の各家屋は、はじめ買取りであったが、その後、賃貸契約になったあとも、高額な家賃のために空き家が目立った。やがてウィンドウディプレイなどの近代商法が根づいたり、思潮をリードする新聞社・雑誌社が次々に集まったことも手伝って、文明開化を省庁する街としてにぎわった。」
(展示の説明より)
この模型は25分の1の縮尺で当時の新聞や雑誌の記事をもとに店を再現したものだそうです。 -
馬車が行き交う通り
歩道と車道はきちんと分かれていたようです。 -
モダーンな街並み
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馬車も通れば、荷車も人力車も通る
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建物の街灯にフォーカスして
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クラシカルな車両の駅馬車
道路上の線路みたいな轍は、この馬車のためでしょうか。
この写真では分かりにくいですが、中にちゃんと乗客もいました。
ただ、御者、というか運転手はどこかしら。車両の中から手綱を引いていたのかしら。
おわり。
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この旅行記へのコメント (2)
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- Oakatさん 2013/01/25 22:36:29
- 江戸の賑わいが目に見えるようです・・・
- まみさん、こんばんは!
ジオラマって楽しい!
こうして拝見すると、江戸の庶民の暮らしが目に見える様です。
精巧に作られたジオラマは、肉眼で見るよりカメラのレンズを通して見る方がリアル感がでてむしろ向いているのかもしれませんね・・・
楽しませてもらいました・・・
oakat
- まみさん からの返信 2013/01/28 02:00:31
- RE: 江戸の賑わいが目に見えるようです・・・
- Oakatさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
ジオラマ楽しいですよ!
おすすめです!
おっしゃるとおり、カメラの中で再現される世界の方がリアル感がでるかも。
いや、それだけ精巧に作られているおかげでもありますね。
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