2013/01/10 - 2013/01/10
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ちびのぱぱさん
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昔、鏡湖池ごしに金閣寺を眺めていると、隣にいた白人男性(25才くらい)が話しかけてきました。
感極まったように、
「美しい!実に美しい!!」
わたしとあまり年の違わぬ外つ国の人が、このように感動するのかと、そう思いました。
「どちらからおいでですか?」
「スコットランドです。」
「イギリスですね。」
「イギリス!? ……、ちがいますっ!あなたは、北海道でしょ?北海道は、東京と違うでしょっ!!」
スコットランドの方は、イギリス(イングランド)とごっちゃにされるのを強烈に嫌いますね。
分かっていたつもりでしたが、ついやってしまいました。
あれから25年がたちました。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 徒歩 Peach
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
朝八時に、通勤客が行き交う河原町三条のバス停から市バスに乗り、御池通りで鴨川を渡って、南禅寺バス停まで揺られること数分。
京都の朝の顔は、京野菜のようにさわやかで、夕べの祇園の色気などなかったかのようにすましています。
降りたバス停の前にあった案内板の地図で見当をつけて歩き出すと、すぐ脇を、琵琶湖疎水からの水でしょうか、苔むした斜面の水路を超特急のように、走り下っています。
鹿ヶ谷通という細い石畳の道に出て、その左手の、苔の下生えが美しい森が南禅寺でした。
ふと右手を見ると、慈氏院という寺の門が開いていて、梅のつぼみがほころびていました。 -
南禅寺の三門(禅寺は漢数字の三を使います)に上って、
「ぜっけいかな、あ、ぜっけいかな〜。」
と、大見得を切ろうとしましたが、まだ開いていませんでした。 -
石川五右衛門を気取るのは、またの機会に譲って、南禅寺奥にある琵琶湖疎水の美しい水道橋を見ようと思います。 -
セゴビアのローマ水道のよう。
この水路の建設にかけた、明治の京都人たちの意気込みが伝わってきます。 -
南禅寺を後にして、迷路のような路地に見当をつけて、バス停の方に戻ります。
名も知らぬ寺院の、長々とした白壁に沿って水路があり、その水路に長靴で入って、竹箒で落ち葉をすくい出している庭師の方と目が合いました。
「おはようございます。」
「よう」のところにアクセントのある、つやのある京都弁が帰ってきました。
ふと見上げると、真綿のような空から、ひらひらと雪片が舞い降り始めました。
ついさっきまで、良い天気だったのに……。 -
来たのと逆方向の5ばんバスで神宮道下に移動して、知恩院を目指します。
親鸞が植えたという樹齢800年の楠木に見とれていると、白人女性がひとり自転車に乗り、坂を上ってゆくのですが、どうもチェーンの具合が悪いようです。
停まって、しげしげチューンの様子を見ていますが、首をかしげるとそのまま乗って、ギーギー音を立てながら力ずくで上っていってしまいました。 -
こちらも「三門」と書きますね。
でかいです。 -
ひーひー言いながら上ります。
-
70tもあるという大鐘。
「ゆくとし、くるとし、だね。」 -
サザンカの赤が、寒気に滲むように、路傍を彩っていました。
「あかくさいても、ふゆの〜はな。」
「よく、歌が出てくるね。」
サザンカは、北海道に住みならすと、冬に、このような可憐な花を満開に咲かせるのが、どこか痛々しくさえ感じます。 -
八坂神社をぬけ、
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石塀小路を流し
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八坂の塔の下で客引きをする人力車のイケメンを振り切り、
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二年坂
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三年坂
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ちりめん山椒……
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ご存じ、清水の舞台。 -
気づくと、札幌の自宅で入念に練った計画の時間を、大幅にオーバーしております。
そういえば、二年坂のお店できんつばを買うときも、北海道から来たという話で盛り上がって、ついあることないこと、おしゃべりに花を咲かせ、三年坂でも、ちりめん山椒を買うときに、はんなりとした店員さんと、世間話に花を咲かせ……、予定通りには行かないものです。
「ちょっと予定を大幅にカットして、金閣に行っちゃおう。」
「うん、いいよ。」
日頃の運動不足がたたって、けっこう足に来ているんです。
五条坂下のバス停から、祇園に出て、そこから金閣にゆくバスを捕まえるのがよいと、親切な運転手さんが教えてくれました。 -
金閣に向かうバスには、大勢の外国人(韓国の方が多かった)が乗ってきて、チャルオショッスミダ なんてしばし国際交流に花を咲かせます。
もっとも、韓国の方はけっこう日本語を覚えてきています。
「モヤモヤさまあず」というテレビ番組にときおり出てくるADで、よく舞子など色々なものに扮装させられる方がいるのですが、その人によく似た男性と、ふっくらとした彼女の若い韓国人のカップルと、いろいろ情報交換しました。
とてもまじめで、礼儀正しいのですが、ちょっと彼の方がおっちょこちょいのようで、おっとりした彼女がよくしめています。
金閣寺道バス停というのは、金閣寺前バス停の手前にあるのですが、そこで舞子AD似の彼が、お世話になりました的に、降りようとする裾を、彼女がしっかり押さえ、ここでいいんですか、的視線を私たちに投げてよこします。
もう一つ先です! -
ほんとうを言いますと、鹿苑寺に来る気はありませんでした。
ごぞんじのように、金閣は、昭和25年に全焼しています。
京都は初めてという妻のために、鹿苑寺を訪れることにすると、にわかに、金閣炎上のことが気にかかり出しました。
そして、調べているうちに、この、国家を揺るがした大事件に興味がわいてきたのです。
近くのブックオフで探すと、事件から6年後の昭和31年に著された三島由紀夫の小説「金閣寺」の文庫が見つかりました。
ずいぶん古いな、と思って見ると、昭和41年の版で、紙も真っ茶色に変色し、しかも、旧仮名遣いのままでした。
先ほどまで、ちらついていた雪がすっかり晴れ、いつの間にか青空が覗いていました。 -
この小説、若き学僧による狂気の所行の中に、必然を見いだそうとした、狂気の作品にしか映りませんでした。
しかし、特に月夜の金閣の描写には、鬼気迫るものがあり、改めて失われたものの大きさを認識しました。
金閣は、足利義満が建立した550年後に、遭難したのです。
では、なぜ、わたしの目の前には、金閣が怪しく、美しく佇んでいるのでしょう。
明治期に行われた解体修理の際の、詳細な記録が残っていたからだと言います。
金閣は、国家の威信をかけて再生されたのです。
消失する前の金閣は、ほとんど金箔も剥げ落ちて、所々朽ちていたことでしょう。
しかし、目の前に燦然と日を受けて輝く金閣は、創建当時の美しさを放っています。
つまり、遺物としての金閣は燃焼することにより、新陳代謝を果たしたのです。
まるで生物のようだ、と思いました。
芸術としての金閣は、まさによみがえったのです。 -
小説「金閣寺」にもたびたび登場する、義満の盆栽だった「陸舟の松」。
-
同じく「金閣寺」の中で、金閣の均整をあえて破ることにより、無限の美を引き出す役割が付されている「漱清」。
審美眼などありませんが、それなりに感動して金閣寺を後にすると、バス停で再びあの舞子AD似の彼氏と彼女に会いました。
こんどは、清水寺の方にゆくのだと言います。
乗るべきバスと、降りるバス停を教えてあげると、
「ちょっと。」
といって、紙とボールペンを彼女が取り出し、しっかりとメモしておりました。
がんばれ、舞子AD。
☆最後に町歩きのヒント(になるかどうか−超初心者向け)
京都を自分の足で観光しようとする人は、節約したいのであれば、京都の市バスの一日乗車券をうまく活用することになるのでしょう。
外国からの観光客たちも、実に上手に乗りこなしておりました。
特に、漢字圏からの旅行者は有利で、それに比べると欧米系の貧乏旅行者は、レンタサイクルや、ひたすら歩くことによって、問題を解決しているように見受けます。
地下鉄も、利用すると移動の早さが違いますが、別料金になりますし、景色は見えませんし、それに、どこか観光客として見た論理性に欠ける路線展開ですから……。
京都のバス路線というのは、まさに網の目のように張り巡らされ、おおむね均一区間(220円)で、主要な見所を網羅できるようになっています。
洛ナビというウェブサイトで、路線や料金、所要時間などを検索できるので、事前に入念な計画を練ることも可能です。
朝から一日中乗れる500円のワンデイパスを買えば、三回目から元が取れる計算ですが、ちょっとした落とし穴は、このパスは市バス以外(南海バスなど)は使えないという点。
ちょっと苦い思いをしました。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- nakamasananiwaさん 2013/01/25 10:01:29
- ♪
- はんなりとしっぽり♪
- ちびのぱぱさん からの返信 2013/01/25 22:45:31
- RE: ♪
- 八日ほど国内旅行をしてきました。
久しぶりの感じです。
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