2012/12/29 - 2012/12/29
451位(同エリア1335件中)
tajiさん
12月29日(土)
この日は和室10畳の部屋を楽天で予約しておいた。19500円(2食付き)
朝起きると9時40分。すぐに朝食を食べに行くが既に終わっていた。
そのまま出発してまずは、昨日いけなかった松江城へ。
http://www.matsue-tourism.or.jp/m_castle/
こんなに凄い城とは思っていなかった。国内に現存する12の天守閣の一つ。先月に行った小田原城と全然趣が違う。
天守閣の大きさは姫路城に次いで2番目に大きい。しゃちほこは日本一大きいらしい。天守閣の梁もその当時の物だから
雰囲気がある。6階からの眺めも素晴らしかった。
複合式望楼型5重6階の天守で、内部に井戸がある唯一の現存天守。外装は黒い下見板張りで、最上階には内廻縁と高欄を有し、鯱は木造銅板張である。2階に付けられた石落としなどの装備の点でも極めて実戦的な造りであり、漆黒の武骨荘重な意匠となっている。
松江城見学後、石見銀山に向けて出発。
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昨日と打って変わって晴れた。
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ホテルも晴れた光で撮るといい感じ。
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大手前駐車場で城内の案内図をもらった。
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駐車場のすぐ前には堀川遊覧船の発着地がある。
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松江城保存につくした人たちの案内看板。内容は、、、
明治4年(1871)4月、松江城の廃城が決まり、明治8年(1875)に利用できる釘やかすがいなど金物が目的の入札が始まりました。木材は燃やし、石材は壊されるしかありませんせんでした。
この危機を救ったのが、元松江藩士 高城権八と出雲郡出東村(現 斐川町坂田)の豪農 勝部 本右衛門(かつべ もとうえもん)家の人たちでした。
高城は銅山方役人、勝部家は当時、銅山経営を行っていたので、本右衛門栄忠(しげただ)と息子の景浜(かげはま)は、高城権八と公私にわたり、親しい間柄でした。その時、松江城を管理していたのは、陸軍広島鎮台でした。入札で松江に来ていた責任者の斉藤大尉と会い、「入札額と同金額を納めるから、せめて天守閣だけでも残してほしい」と懇願しました。天守閣の入札額は、180円だったと伝えています。
こうして高城と本右衛門の努力で松江城天守閣は残り、全国に現存する十二天守の一つとして、今も戦国の威風を漂わせて、松江の町を守っています。
昔の人って気概があったよな、、、。 -
ここは桜の名所100選にも選ばれている。
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松江城趾碑
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馬溜(うまだまり)跡。
一辺46mほどのほぼ正方形の平地。
西側にある高さ13mの高い石垣や、南・東側の石垣の堀、さらに内側の高さ1mほどの腰石垣による土塁でこの平場を四方から守っていた。
敵兵の直進を防ぎ、侵入の勢いを弱める機能と、出撃の際にこの馬溜に城兵を待機させ隊形を整える機能を果たしていたようです。 -
馬溜にある井戸跡
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江戸時代に米蔵や屋敷などのあったところである。
米蔵に貯えられた米は主として藩士の扶持米に供されていたが、洪水や飢きんが、しばしば発生するようになったので、米蔵を増築し、より多くの備蓄米を貯えるようになった。明治時代は運動場として使われていたらしい。 -
小泉八雲が松江に住んでいた時に自宅からこの坂を通って学校に教えに行っていたらしい。
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石垣積は、築城工事にあたって、全体の半分以上の労力を要したと云われています。
松江城は5年間で完成しましたが、そのうちの3年間を石垣に費やしました。
石垣台はよく見ると分銅の形をした記号がのみでたくさん刻まれている。これは松江城を築いた横尾家の家紋。他にもたくさんの刻印を見つける事が出来る。 -
色々な刻印が刻まれた石垣積。
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これは、刻印ではなく、運ぶときの杭の跡だろうか。
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この坂を登り二の丸へ
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坂を登ると羽織を来た侍がいた。
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この坂を登ると天守閣に行ける。
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が、その前にちょっと散策。
松江神社の老木の根が歴史を感じる。 -
松江神社
御祭神が松平直政公(松平初代藩主)、堀尾吉晴公(松江開府の祖)、松平治郷公(第七代藩主)、徳川家康公を祀っている。 -
興雲閣
松江神社の隣地に1903年(明治36年)、松江市が松江工芸陳列所の名目で建設した明治天皇行幸の際の御宿所である。擬洋風建築最後の例とされる壮麗な館の建設費用は、当時の金額で1万3489円。 日露戦争勃発により明治天皇の行幸は実現しなかったが、1907年(明治40年)5月に当時の皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)が行啓し、当館を宿泊施設として使用した。 -
興雲閣と松江神社が並んでいる。
城内にこのような建物がある。和洋折衷とはこの事だ。 -
この二の丸を抜けると天守閣。
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天守閣に行く一の門。正月用の角松が立派。
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チケット売り場。中でも買える。大人550円。昨日3カ所に使えるチケットを
920円で買っていたのでここでは購入せず。 -
振り向くと松江城天守閣が。ここで見えると思っていなかったので大感動!
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天守閣アップ。
本丸地上より約30メートル(天守台上よりは22.4メートル)。
鯱は、木製の銅板張で現存天守の中では最大の高さ約2m。
『千鳥破風』
千鳥が羽根をひろげたような三角形の屋根をいい、天守の美観を構成する重要な部分。 -
別名・千鳥城。国の重要文化財。
荘厳さを感じる。 -
美しい
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天守閣へ入る。土足禁止。いい事だ。
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この時点で何か歴史を感じる。この階段を登るとスリッパがある。
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昨日買ったチケットにスタンプを押してもらい入場。
パンフレットをもらう。 -
受付
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いよいよ天守閣へ入場
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すぐに目に入るのは井戸。
地階(穴蔵の間)は、籠城用生活物資の貯蔵倉庫。中央には、深さ24メートルの井戸があるが、北方の池の底とほぼ同底で常時飲料水が得られた。 -
築城当時の鯱。
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桐の階段
板の厚さ約10センチメートル、階段の幅1.6メートルで1階から4階の各階の間に設けてある。階段を引き上げたり、防火防腐のために桐を使ったもので他の城では見られない特殊なもの。 -
この部屋を見て他の天守閣(小田原城など)と全然違う現存天守閣の偉大なる歴史を感じた。
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寄木柱
柱は、肥え松の一本の柱の外側に、板を揃えて寄せ合わせ、これを金輪で締めて太い柱が作られている。この寄木柱の方が、普通の柱より力学的に強いらしい。 -
兜が展示してある。
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鎧も
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勉強になったのはこの塩札。
地下の穴蔵は篭城の万一を考慮して米塩等、生活物資の貯蔵されたところであったが、昭和の解体の際、地階の東北隅約24坪の部分には床を張らないで地面に瓦が敷き詰めてあった場所が発見された。その部分を調べると多数の塩も発見されたので食塩が貯えられていた事も明確になった。この木札には産地、目方、塩主、庄屋、年寄等の名が記されている。
城というものが戦の為にそして、篭城する事をみこうして築城されていると知ると、ただ単に立派だなという事とは違う感慨にふける。 -
総面。当たり前だが位の高い武将しか付けられなかったらしい。
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松江藩家老 大橋茂右衛門の写真。
本物の侍だ!凛々しい!!
先祖は福島正則の武将。 -
2階の部屋。ここには松江市のジオラマが展示してある。
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昭和50年の松江市街のジオラマ
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旧藩時代のジオラマ
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2階の奥には全国の城の写真がパネル展示してある。
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旧藩時代の松江城の模型
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3階。余計な展示物があまりなく、その当時を感じられる。
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すっきりしていていい。
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とうとう4階の望楼に出る。
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西側の街並
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南西に宍道湖が見える
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宍道湖
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泊まっている一畑ホテルが見える。
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東側の街並
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明治初年の松江城
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4階から降りて行く。
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下から登るときは感じなかったが、下るときは階段の勾配が急な事に気付く。
改めて城って戦闘用に築城されているんだと思った。 -
松江城のひな形
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天守閣を出る。
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こういう方達が年末にも関わらず掃除をしてくれているので城内はとても綺麗。
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松江城を後にして岩見銀山へ向かう。
朝食を食べ損ねたので山陰自動車道の宍道湖SAでパンを買う。 -
宍道湖SAからの宍道湖。
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クリームパンとT'sTEAを買う。
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レンタカーのナビには入っていなかったが終点の出雲出口で降りて国道9号線へ向かう。この道をまっすぐ行くと出雲大社に着く。
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神西湖を通って向かう。ドライブしながら撮ったので斜め
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下関まで274キロという表示。近いようで遠い。石見銀山は大田市にある。
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道の駅、キララ多岐。
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右手に日本海を眺めながら国道9号線を走る。
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