2012/11/25 - 2012/11/25
49位(同エリア185件中)
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この日はマラケシュから9号線を南下してアトラス山脈を越え、カスバ街道(10号線)にあるティネリールの街まで移動する日。
この道筋は1993年に初めて来た時にも通ったけど、今はどうなっただろう。
ティシュカ峠越え前後の景色も楽しみだし、峠を超えたあとにはアイト・ベン・ハッドウにもちょっと寄って行こうね。
マラケシュを出るのが旦那の不手際で10時になってしまったのがちょっと気になるけど、お天気もよさそうだしレッツ・ゴー!!
表紙の画像は、マラケシュを出て3時間。アトラス山脈のティシュカ峠(2260m)を越えたあとの9号線。
※備忘録: 途中で寄ったアイト・ベン・ハッドウの画像は、数日後に再度訪れた時の画像も合わせて取捨選択し、この日の旅行記としてまとめます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- その他
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
昨日着いたばかりのマラケシュ。
そのマラケシュをもう少し見て回るのは後回しにして、この日はアトラス山脈を越えてカスバ街道を目指します。
車でマラケシュを去る時には、まず城壁で囲まれたメディナの北側へ回り込んでいくと、フェズやワルザザート方面への標識が出ています。
それに従ってマラケシュ近郊まで出て行くと、畑や木立があるこんなまっすぐな道が。
●注: この道は、数日後にまたマラケシュに戻って来た時に交通取締りのお巡りさんとトラブルがあった場所。
ワルザザート方面からマラケシュに向かってやって来ると、この直線道路でそれまでの制限速度が時速60kmになるんですが、それに気付かなかったSUR SHANGHAIたちは交通取締りのお巡りさんに停められました。
スピード違反はこちらの過失でしたが、そのあとの処理が問題。
罰金500モロッコ・ディルハムをその場で支払うように命じられ、レシートも無し。
事情がよく分からない土地のお巡りさんに逆らって、更に大きい問題になるのは避けたかったので支払いに応じました。(-ω-ll)
それに、実際に写真は撮らなくても、交通取締りのお巡りさんにカメラを向けるのもご法度です。
この道筋ではありませんが、自分の写真を撮られたと思ったお巡りさんに停められ、それまでに撮った画像を見せたこともありました。
幸い、そのお巡りさんの写真は撮っていなかったので、この時にはメモリーカード提出も画像の削除も免れました。ふぅε-(´ωノ|┬
モロッコの幹線道路が通っている町では、大体2人組みになっているお巡りさんが、町をちょっと出たあたりの道端で交通取締りをしています。
その周辺では、運転や写真撮影には特に気を付けましょう。 -
今日のSUR SHANGHAIたちの目的地は、アトラス山脈を越えたあとのカスバ街道にあるティネリールの街。
マラケシュからだと、まず、この画像に出ているワルザザート方面への9号線を選択するのが正解。
この道筋の途中にアトラス山脈があって、2260mのティシュカ峠越えがあります。
そう言うと、なにやら凄まじく大掛かりな道のように聞こえますが、マラケシュ→ワルザザート間の距離は200kmで、現在の道筋は全て舗装された片側一車線。
マラケシュからワルザザートへ直行すれば、途中の休憩時間などを除いて4時間ちょっと位になると思って行けばよし。
●注: 道路の舗装状態は、今後に続く画像でご覧ください。 -
マラケシュ郊外の平地から、なだらかな山に入った9号線。
周りの山がウチワサボテンだらけ。
実を採るために植えてるんじゃないかな、どうだろう。
実は、レンタカーでアトラス山脈を越えるのはこれが3度目のSUR SHANGHAIとその旦那。
最初と2度目に通ったのは1993年の9月。
あの時にもマラケシュで車を借りて、ワルザザート周辺を回ったんだよね。
当時に比べると、道の状態は格段によし! -
マラケシュを出てちょうど1時間。
今、自分たちが通っているなだらかな山間の向こうに、これから向かうアトラス山脈の雪山が見えて来た! ヽ(^。^)ノ
お天気が崩れなきゃいい景色になりそう。
そうそう、車はマラケシュを出る時に一旦満タンにしていくと憂い無し。
2012年11月下旬〜12月上旬のガソリンは、リッター8.47モロッコ・ディルハム前後。ディーゼルはリッター8.2モロッコ・ディルハム前後でした。スタッフが給油してくれます。
どこのガソリン・スタンドでも、窓を拭く水やモップが置いていなかったので、飲用とは別に窓拭き用の水、それにスポンジ、タオルを事前に用意していくとよし。 -
マラケシュからアトラス山脈へ向かって延びる9号線は、風光明媚。
勾配もカーブも思ったほどきつくはなく、舗装も出来ていて、サイクリストたちにも人気のよう。
自転車旅をしている西洋人旅行者ともすれ違ったりしました。 -
アトラス山脈の雪山が行く手の山々のそのまた向こうに見える9号線。
右奥に見えるあの雪山が、モロッコはおろか、北アフリカでも最高峰のトゥブカル山(4165m)なんだろうか。
9号線はアトラス山脈を越える道とは言っても、あの雪山のてっぺんを通るわけではないのでご安心を。(*^。^*)
9号線のアトラス山脈の峠はティシュカ峠と言って標高2260m。
この旅行記の中でご紹介します。 -
アトラス山脈に向かって続く9号線。
アトラス山脈越えと言うと荒々しい道を想像しますが、現代の9号線はなんだか日本の地方国道にもあるような感じでちょっと拍子抜けする人もいるのでは?
1993年に通った時には結構大変だと感じた道も、今ではこのとおり少なくとも悪路ではなくなりました。 -
それでも、9号線から見える景色は日本とは大違い。
眼下にはこんな風景も広がっています。
これはマラケシュを出て1時間半ほど経過した頃の風景。
車を停められる場所があったら、ちょっと降りてみるのもよし。
ただし、めざとい土地の人たちが物売りに寄って来たりするのでご用心。
買う気の無い時にはきっぱりお断りしましょう。 -
9号線の道筋には簡単な小屋掛けをしたお土産屋さん多数。商品は、道が山に入った後ではきれいな鉱石や化石が主体。
道端でそれらの商品を見せながら立っている人もいます。
1993年にもこういうお店や売り子さんが存在してましたが、その頃は驚きの方法でお客を追って来る売り子さんがいたんですよ。
どう追って来るのかと言うと、山を下って来た車が呼び込みを無視して通り過ぎると、車が曲がりくねった道を進んでいる間に商品を持って山の斜面を駆け下り、一段下の道で待ってるんです。 エ━━━(;゚д゚)━━━・・
そしてまた車が素通りすると、次の斜面を駆け下り…。
それも一人だけじゃなかったんですよ。
その体力と根性にはびっくり。でも、売り上げ効率の方はどうだったんでしょ…。
今回は、さすがにそこまでする売り子さんは見かけませんでした。 -
9号線上の眺めがいい場所には、展望台とまではいかなくてもちょっと車を停める位のスペースがあったり。
ちょっとした峠では、自転車でやって来たおにいさんたちも一休み。
同行者の傘寿のBさんはもとより、SUR SHANGHAIとその旦那も自転車旅行をするだけのパワーは無いから羨ましくもあり。 -
上に出したちょっとした峠から、自転車おにいさんたちとも一緒に見た景色。
アトラス山脈の雪山と、9号線が一つの景色の中に。
アトラス山脈越えの道と言っても、まずは手前にある低い山々を先に上り下りするので、ここで見える9号線は一旦下り坂になっています。 -
イチオシ
アトラス山脈の雪山と9号線。
この写真だけ見たら、アトラス山脈越えの途中というより、週末のお気軽ドライブのように見えるから不思議。 -
マラケシュを出てちょうど2時間。
アトラス山脈に入ると、さすがにそれまでの穏やかな景色は消えて、荒々しい風景に一変。
雪山も目の前!
今回は、11月下旬に二度この9号線でアトラス山脈を越えましたが、路上には雪は全然ありませんでしたよ。
ただし、山脈の中にある集落には除雪車が置いてあったので、真冬にはそれなりの積雪があるんじゃないでしょうか。 -
9号線には小さな村も点在していますが、そこは村の人たちの生活の場。
村を貫く9号線がそのまま市場と化していたり、村人がたむろして日向ぼっこをしていたりで、通り抜けるだけの旅行者が休憩で使えるようなお店は無し。
でも、ちょっと集落を離れた景色の良い道端には、こんなカフェやお土産さんがあちこちにあって、お土産品のチェックがてら、ミント・ティー休憩もトイレ休憩もできるんです。
自分が見てよさそうと思う場所が見つかったら一休みしましょ。
普通のティッシュのほか、トイレ用ペーパー、ウェットティッシュを常備していると憂い無し。 -
上の画像のカフェで休憩したのは20分位。
またまたアトラス山脈の中の道を前進。
ティシュカ峠が近づくにつれて、さらに荒涼とした風景になっていきますが、9号線の道の状態はこれまでと変わらずこのとおり。
11月下旬だと、路上には雪もありませんでした。
わ! 自転車旅行の人がやって来る。
さすがに峠あたりは2000mを越えるから寒そう! ((+_+)) -
さあ、9号線の最高地点のティシュカ峠間近。
周りのアトラス山脈の山々は、「あれ? 遠くから見ていた方がきれいだったね。」という荒涼とした景色。
このあとすぐにティシュカ峠の記念碑が立つ場所があります。
途中での休憩時間を除くと、マラケシュからの所要時間は2時間20分位。 -
アトラス山脈中、9号線での最高地点はティシュカ峠で標高2260m。
峠での天候が今ひとつだったのでこの日は素通り。
これは、数日後にまたこの峠を通過した時に撮った画像です。
峠の記念碑脇には簡単な駐車場があって、こんなカフェやお土産屋さんも並んでいます。
お土産屋さんの商品は、周辺で採れるきれいな鉱石や化石が主力。
記念に何か買って行っては?
お値段交渉はお忘れなく。 -
これがティシュカ峠の記念碑。
これも、数日後にまたこの峠を通った時に撮った画像です。
名前と標高(2260m)を書いたプレートが付いていて、フランス語でもちょっと説明が出てます。
単語を拾ってみて、『これは9号線開削に関する碑文じゃないかな。じゃ、書いてある1925〜1939の数字はその開削期間? あとは功績のあった人たちの役職名かな?』
…と思ったんですが、大間違いかも。(;^ω^) -
イチオシ
マラケシュを出てちょうど3時間経過(途中の20分の休憩含む)。
ティシュカ峠はもう過ぎているので、あとはアトラス山脈の南側へも続いている9号線を下りて行きます。
ちょっと画像が斜めになったけど、こうして9号線の途中から見るアトラス山脈の雪山がいいよねえ。 -
お!! バイク旅。 (^◇^)
いいねえ、旦那と二人、あちこちバイクで回った頃を思い出す。
バイク旅は天気が崩れると悲惨だけど、風を切って走る爽快感は車とも一味違って好きだった。 -
同じ9号線でもアトラス山脈の南側に来ると、地名と距離を示す看板式の標識は減って、こんな標石が増えてきた。
これは最寄のAMERZGANEという町までの標石で、距離は36km。
この画像では見えませんが、車道側の面には9号線の≪9≫の数字が書いてあります。
反対方向から来る車に見える面にも、行く先にある町の名と距離数が書いてあるという仕組み。
標石については、今後に続く別編の旅行記の中でご紹介しようと思います。 -
11月下旬だと、アトラス山脈南側では白樺らしき木々の黄葉も見られました。
お日様が出ていたら、金色に輝く道になったでしょうね。 -
アトラス山脈南側の9号線沿線。
結構規模の大きい町があったり、寒村と言った風情の集落も。
大きな町では送電塔や通信塔が一番背の高い建築物になっていたりしますが、小さい村だと今もモスクが一番背が高い建物。
ヨーロッパの村では教会の塔が、アジアの村ではお寺さんの塔が往々にして一番背が高いのと同じだね。 -
マラケシュを去って3時間40分経過(途中の20分の休憩含む)。
もうアトラス山脈越えの余韻も消えて、すっかり乾いた眺めに変わった9号線。
短時間のうちに、気候も風土も異なる姿を次々に見せてくれる9号線は、通る人を飽きさせません。 -
さて、この日の目的地へ向かう前に、寄ってみようと思っていたのはアイト・ベン・ハッドウ。
アイト・ベン・ハッドウとは? の前に、そこへ行く時の注意点。
マラケシュから9号線を南下してアトラス山脈を越え、ワルザザートまであと20kmという地点にはOUED MALEH(ウエド・マレー)という小さい町があって、ここがアイト・ベン・ハッドウへの分岐点になっています。
1993年に続いて、またアイト・ベン・ハッドウに寄り道しようと思っていたところ、上記のウエド・マレーより数km手前の9号線脇に、この画像の≪カスバ・アイト・ベン・ハッドウ 6km≫の標識が。
あれ? (・・? 新しいルートが出来たの? ―と行ってみると…、 -
…4WDでも進むのが大変な悪路。
これはこれから整備される道なのか、それともオフロード・バイクなどのスポーツ用に造られた道だったのかも?
結局引き返して、OUED MALEH(ウエド・マレー)からの正規のルートでアイト・ベン・ハッドウへ向かいました。
レンタカーで行こうと思っている方は、気を付けましょう。 -
これが、アイト・ベン・ハッドウへ向かう正しい道。
上の方で言ったように、マラケシュから9号線を南下して来てワルザザートまであと20kmという地点にはOUED MALEH(ウエド・マレー)という小さい町があって、アイト・ベン・ハッドウへの分岐点になっています。
ご覧のように大きい標識が出ているので見落とすことは無いと思います。
ここからアイト・ベン・ハッドウへは、1506号線に入って9km。
マラケシュからこのウエド・マレーの分岐点までの所要時間は、20分の休憩時間や間違った道に入って行った時間も含めて4時間半ほど。 -
アイト・ベン・ハッドウへ向かうべく1506号線に入って行くと、干草を盛大に積んだトラックが。
その干草の積み方が結構迫力。
なんだかひさしを強力に突き出したリーゼントおにいちゃんみたい…。(ノω`*)
こんな干草を積んだトラックは、その後もよく見かけました。 -
9号線からアイト・ベン・ハッドウへ向かう1506号線。
簡単ながら舗装は出来ています。
1993年に来た時には、未舗装だったような気がするなあ。
その行く手には、さっき越えてきたアトラス山脈の雪山が。 -
1506号線の向こうにアイト・ベン・ハッドウの姿が見えて来た!
ああ、久しぶり!
今はどうなっているだろう? -
イチオシ
アイト・ベン・ハッドウが近づくと、なにやら賑やかに楽の音が響いてきた1506号線。
走る車から撮ったから足先が切れて残念な写真になったけど、雰囲気はよし。
え(o'ω'o)? お祭りなの?
でも、着いた先のアイト・ベン・ハッドウでは何もなし。
あ、ひょっとして婚礼か何かの行事だったのかも。
もう少しじっくり見ておけばよかったな。 -
アイト・ベン・ハッドウの村は大変貌していた。
村を貫く1506号線沿いには、観光客相手に新しく出来たカフェや食堂、小規模の宿がずらり。
1993年には寂れた村だったと思うんだけど…。
世界遺産に登録された場所は、遅かれ早かれどこでもそうなるのはこれまでの経験で分かっていたけど、あまりの変貌振りにΣ(・ω・ノ)ノえっ!とびっくり。
で、画像左手のおじさんが向かっている方向に、目指すアイト・ベン・ハッドウのクサル(要塞化された村)があるので、この駐車場に車を停めてちょいと歩いて行ってみます。 -
お土産屋さんの並ぶ石畳の緩い坂を、アイト・ベン・ハッドウ方向へ下りて行く。
さて、さっきから名前が出ているアイト・ベン・ハッドウというのは、カスバ街道周辺に数多い、日干し煉瓦造りのクサル(要塞化された村)の一つ。
7世紀にモロッコ北部を征服したアラブ人の支配から逃れるため、アトラス山脈を超えて移り住んだベルベル人が造り上げたクサル。
その中でも、このアイト・ベン・ハッドウはその美しさが際立っていて、これまでにも多くの映画のロケ地にもなっています。検索してみては?
世界遺産の文化遺産に登録されたのは1987年。
え、じゃ、最初にここに来た1993年には、もうアイト・ベン・ハッドウは世界遺産だったんだ。(◎◇◎)
下段の画像は、1993年に訪れた時のアイト・ベン・ハッドウ。
最近、以前の写真が発掘されたので、今回の様子と比較するために並べてみます。
あれ? 坂道の壁は随分鄙びた感じだけど、ひょっとして今回下りて行ったのと同じ坂道?
この大きさの画像だと分からないかもしれませんが、クサル内の建物が、1993年にはかなりボロボロ。
今回の2012年には補修がだいぶ進んでいます。 -
アイト・ベン・ハッドウへと下りて行く坂道に並ぶお土産屋さん。
この中の一軒に、「あ、これいいな。」と思った石の透かし彫りの壁掛けが。
多分ほかの場所にもあるお土産なんだろうと思って執着せず素通り。
結局、他の場所では見つからなかった…。(−−〆) -
最初に車を停めた駐車場から徒歩数分。
お土産屋さんが並ぶ緩い坂を下りきると、アイト・ベン・ハッドウの全貌が河原の向こうに! -
アイト・ベン・ハッドウの現在の村とは川を挟んだ向こう側にある、アイト・ベン・ハッドウのクサル(要塞化された村)。
ついに再会できた。ヽ(^o^)丿
今では数家族だけが住むと言うこのアイト・ベン・ハッドウのクサルも、あの頃はまだ結構住民がいる気配があって、入って行きにくい感じだったっけ。
現在は、川のこちら側に、観光客相手のカフェや食堂、小さい宿が並んでいる村があるのは、上の方で言ったとおり。 -
イチオシ
1993年9月に訪れた時にはカラカラだったアイト・ベン・ハッドウ傍らの川。
今回11月下旬にはご覧のように浅い流れになっていました。
飛び石を伝って向こう岸に向かう観光客たち。
今では川上(画像左手)にコンクリート製の橋も出来ていました。
川の水量が多い時には、急がば回れで橋を渡って行くのがいいかもです。 -
今では、アイト・ベン・ハッドウのクサルの中も、背後にある岩山にも行けるようになっていましたが、同行者のBさんは傘寿のお年頃の女性で脚に障害があって無理。
それでも、この眺めにはご満悦。(*^。^*)
村にいくつもあるカフェからこうして眺めるだけでも、アイト・ベン・ハッドウは見に来る価値あり。
小規模の宿もいくつもあるので、ここに泊まってじっくり周辺を歩いてみるのもいいと思いますよ。
ここに宿泊するらしき西洋人グループをいくつも見かけました。 -
ちょっと観光地化されたきらいがあるけど、やっぱりアイト・ベン・ハッドウの風情はいいよね。
思い切ってここに泊まることにすればよかったかも。
…とは言っても、今日のSUR SHANGHAIたち一行はこれからまだ先があるので、アイト・ベン・ハッドウを出発。
9号線に戻る途中の1506号線からは、こんなバウム・クーヘンのような地層を見せる岩山もあり。 -
また戻って来た9号線と1506号線の分岐点にあるOUED MALEH(ウエド・マレー)。
アイト・ベン・ハッドウに寄ったのは、この分岐点に戻ってくるまでの往復時間も含めて1時間。
標識を見ると、今日出て来たマラケシュまでは180km、ワルザザートの街までは20km。
SUR SHANGHAIたちがこれから向かうカスバ街道(10号線)への分岐点はワルザザートのすぐ手前。
で、上段の画像の標識に出ているとおり、左折して行きます。 -
ワルザザートが近づいた9号線。
左右になだらかな乾いた大地が広がって、気分よく走れます。
マラケシュからアトラス山脈越えでワルザザートまで車で直行するなら、途中の休憩時間を除いた所要時間は4時間ちょっとを見ていくといいですよ。
このあと、ワルザザートの手前にカスバ街道(10号線)への分岐点があって、SURSHANGHAIたちはそちらへと入って行くことに。
その分岐点は撮り損ねたのでお許しを。<(_ _)> -
カスバ街道(10号線)に入って、東のティネリールを目指すSUR SHANGHAI一行。
途中の町々の間はこんなに平らな乾いた大地が続いて、今日前半のアトラス山脈越えとは大違いの景色。
う〜ん、午後の4時を回ったら、夕暮れっぽい光になって来た。
ワルザザートからティネリールまでは3時間かかるみたいだし、着く頃には真っ暗かも…。
今朝、準備が遅れてマラケシュ発が10時になった原因を作った旦那もちょっと焦り始めた頃。
今日はワルザザートに一泊することにすればよかったかな?
※ 旅が終わってからの反省点としては、この日はワルザザートに泊まって、翌日のダデス渓谷、トドラ渓谷行きへと繋げた方がよかったなと思います。 -
カスバ街道(10号線)沿いの日干し煉瓦の建物が夕日で赤く染まり始めた。
時間に余裕があればちょっと車から降りて見てみたい場所も、車の中からだけ。 -
夕暮れの光の中のカスバ街道(10号線)。
この道沿いにも町が点在。
今日の目的地のティネリールへの途中にはバラ栽培で有名なエル・ケラア・ムグナの町があってバラ水を売るお店も多いんですが、この日は車の中から見ただけで素通り。(−−〆)
旦那〜、今日はティネリールの町に泊まると決めたのに、マラケシュ出発を遅らせたのは誰だったっけ〜? -
イチオシ
これもティネリールへ向かうカスバ街道(10号線)の途中。
道のすぐ脇に崩れ残っていたこの建物の風情がよくてちょっとだけストップ。
今日見てきたアイト・ベン・ハッドウのクサルのように、世界遺産にも登録されて有名になった場所じゃないとこのまま朽ちていくんでしょうね…。
カスバとクサルの違いはと言うと、
どちらも日干し煉瓦の城壁で要塞化されていた建築物なんですが、カスバはその土地の司令官とその関係者のみが住まっていた場所のことで、クサルは城壁に囲まれた村の形態になっているんだそう。
よって、以前は多くの村人が住んでいたというアイト・ベン・ハッドウはクサル。
ただ、一見しただけではどちらなのか判別しがたい場所が多いのも確か。
今後に続くトドラ渓谷、ダデス渓谷の旅行記ではそんな風景もご紹介しようと思います。 -
カスバ街道(10号線)沿いにも、夕暮れと共にこの日の白い月が昇り始めた。
う〜ん、ティネリールへはまだ50km以上あるから、到着は暗くなってからだね。 -
もうすぐこの日の日も沈む。
カスバ街道(10号線)上に現れては過ぎ去って行く朽ちかけたカスバ。
(それともこれはクサル?) -
カスバ街道(10号線)にも、大きい街はあります。
行く手に見えて来た街が今日の目的地のティネリールかとお思いでしょうが、これはダデス渓谷への入り口があるブーマルン・ダデスの街。
画像左手へ入って行く道がダデス渓谷への道。
ティネリールの街はこのブーマルン・ダデスからさらにカスバ街道を東へ50km。
途中で暗くなったのでこの日の道筋の画像はありませんが、荒野の中の一本道でした。
ちょっとスピードを上げてティネリールに到着したのは、ワルザザート手前の分岐点から2時間40分ほど。もう少し余裕を持って走っていたらやっぱり3時間はかかったよね。
マラケシュからの所要時間は、途中での休憩、アイト・ベン・ハッドウに寄った時間を含めると8時間40分。Bさんもお疲れさま! -
ティネリールでの宿になったのは、市街地やトドラ川のオアシスの眺めがいいと言うオテル・サグロ(HOTEL SAGHRO)。ネット予約して行きました。
画像をクリックして元画像にすると大きく表示されます。
所在地はB.P.46-45 800 TINGHIR ティネリール市街中心部を通るムハンマド5世通りから、TOTALのガソリン・スタンド脇の坂を上って行った所。
このホテルの客室の造りや設備はシンプル。
ここに泊まるなら、市街地やトドラ川のオアシス一帯を見下ろす広い屋上テラスに出られる部屋にしないと意味が無いと思います。
部屋からのネット接続不可。左上の画像のロビー周辺ではどうにか繋がりました。(無料)
浴室も簡単な造りでしたがお湯はちゃんと出ました。シャンプー類は持参が吉。
朝になってからの周辺の景色は翌日の旅行記で、ということにして、今日はこのホテルでの食事のあとすぐに全員リタイアします。
(-_-)zzz
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