2012/11/26 - 2012/12/03
60位(同エリア269件中)
ミモザさん
旅も後半、ユカタン半島の代表的なマヤの遺跡チチェンイツァ見学です。
行く前にコロニアルな雰囲気のイサマルの街歩きをしました。丁度お祭りが開かれていて、民族衣装を着た子供たちの可愛いパレ−ドも見ました。
チチェンイツァに着いた時は、平日にもかかわらず入り口ゲ−トには多くの観光客が並んでいました。
お土産やの軒もずら-っと並び、この遺跡の人気の高さを証明しているようでした。
入り口をゲ−トをぬけて、真っ先に眼に飛び込んでくるのが、カスティ−ヨ(お城)の四角いピラミッド。
白く光るピラミッドはメキシコの暑い陽光を照り返してキラキラと輝いて見えました。
- 旅行の満足度
- 4.5
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メリダから東に70km、「THE YELLOW CITY」という名で知られる小さな街イサマルに着きました。
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黄色の街と呼ばれるごとく、どこを見ても黄色で塗装された建物。
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ローマカトリック教の聖人の巡礼地と知られ、回廊の大きさはバチカンに次ぐ2番目の規模を誇り、ヨハネパウロ2世が訪れた事で有名だそうです。
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修道院の内部にある主祭壇の装飾。マリアを像を中心に聖人たちの絵が並んでいる。この修道院は、異端審問により多くのマヤの古文書を焼いたディエゴ・デ・ランダが院長を勤めたことでも知られる。ユカタンにおけるマヤとスペインの対立を象徴するような場所でもある。
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イサマルはかつてユカタン半島を支配したマヤの有力都市だった。16世紀にスペイン人が侵略したことで都市は破壊され、その跡にスペイン風のコロニアル都市が建設されたが、町には今でもマヤのピラミッドなどの神殿跡がいくつか残っています、向こうにそのひとつのピラミッドが見えます。
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中央広場でなにやらお祭りが行われていました。花火が打ち上げられ、音楽で賑わっていました。
私達もしばらく見学することに・・・ -
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マヤの民族衣装を着た子供たちのパレ−ドが。
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イサマルの観光は馬車でするようです。
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セイバの木
セイバの木がマヤの聖なる木(世界樹の考え方)になったのは、この木で雨季の季節の前にその年の雨季に雨が多いか少ないか予測できる。
花がたくさん咲くと、その年は雨が多い、少ないと雨が少ない。つまりその年が豊作か不作か予測する事ができた。
そのため、このセイバの木を聖なる木として祭るようになった。 -
メリダから東へ約120kmにある世界遺産チチェン・イツァ
紀元400年〜700年までの旧チチェン時代と紀元900年〜1200年代のトルテカ人との融合時代の2段階に分かれる。 -
先ず眼に飛び込んできたのは、あの有名な四角いピラミッド、
カスティ−ヨ(お城) -
ピラミッドの四方に作られた階段は、傾斜が45度、段数の合計と最上部の1段を加えて1年の日数である365段になるよう設計されている。また、毎年春分と秋分の日の午後3時頃から太陽の陰と階段の模様で、ピラミッドの傾斜に沿ってククルカン(ケツァルコアトル)と呼ばれる羽の生えた蛇の姿が現れ、2004年には6万人の観光客がこれを見に来たとか。
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ジャガ−の神殿が見えます。
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残念ながら2006年からこのピラミッドには登ることはできません。
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戦士の宮殿
石柱が林立するトルテカ風の建築物。ここにも入ることはできません。 -
壁から突き出した蛇の頭(ククルカン)
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心臓にかみつくジャガ−とイ−グルの彫りもの。
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生贄の台には、生贄となった奴隷たちの頭蓋骨が無数描かれている。
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ジャガ−の神殿の建物
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なんか可愛いジャガ−の像が置かれています、壁の内側には戦争の様子が克明に描かれています、これは10世紀のトルテカ侵入の際の戦闘風景だといわれている。
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新チチェンの遺跡はまるで公園のようです。
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ここは人が入らないで写せるポイントとか。
つくづくもっと早くにメキシコに来るんだった、10年前に1度チャンスがあったのですが、ツア−の催行中止で・・・今はほとんど遺跡には登れません。 -
球戯場
マヤ遺跡最大のサイズ、左右の壁には絵が彫られている。 -
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結構高いところにリングがあります。
球技の試合は娯楽としてではなくて、宗教儀式として行われたようです。 -
メキシコ国立人類学博物館で見た、球戯場のゴ−ルとボ−ル
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勝利者の名誉をたたえて首をはねられる様子が描かれている。切られた首からは血汐が幾筋も飛び散り、それが蛇の形となって描かれている。
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音響効果があるとかで、みな手をたたいてみる。
音が逃げず、選手の声が150m近くある球技場内の隅々まで届き渡るように設計されているマヤの建造物に対する高度な技術がよくわかるでしょう。 -
ここはロイヤル席でしょうか?
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球戯場の壁の端にはククルカン
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聖なるセノ−テ
生贄の泉とも言われる、飢饉や乾ばつが続くと、この池に財宝や生贄を投げ込んだ。
直径60m、水深13.5mで緑色に濁っているのは現在は地下水脈から遮断されているのでしょう。 -
このほかにもいくつかセノ−テがあります。
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ここで15分ほどの休憩です、みやげ物やさんを少しのぞいてみました。
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それにしても沢山のお店が並んでいます、それだけ観光客が多いということでしょう。
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なんだか重そうなものばかり、見るだけですね。
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東側の階段はまだ修復途中?
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ククルカンのマジックが現れる北側の階段。
夜は音と光のシヨ−も行われているようです。
2008年位までは階段横のトンネルからプラミッドの内部に入ることができたようです。 -
エジプトのアプシンベル神殿のように、古代の人は天文学の知識が凄かったのですね。
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階段下のククルカンの頭。
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マヤの民族衣装もこんなに沢山売られていました。
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ここからは旧チチェン時代の遺跡です。
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高僧の墓、納骨堂
1985年に、ユカタンに赴任したアメリカ領事トンプソンがこの遺跡を発掘した際、5つの偽装墓の下に本物の墓を発見した、貴重な埋蔵品あったようです。 -
高層の墓の階段下にもククルカンが。
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天文台(カラコル)
カラコルも同じ秋分と春分の日、太陽と月の場所を正確にとらえるための観測窓に光が差す。マヤの人々は、太陽と月の動きを完全に把握していたようです。 -
尼僧院の前まで来ました。 三層の古典期後期の大きな建造物です。
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ここの壁はパワ−がもらえるというので、みなさんこんな格好で。
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尼僧院と教会
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宮殿として使われていたとされる尼僧院には外壁に幾何学文様が施され、プウク様式の典型建築物だとされています。
マヤ人が古代より崇拝していたチャック・モ−ル(雨の神)像で装飾されている。 -
これも神殿跡ですが・・・旧時代の遺跡はまだまだ修復途中のようです。
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フランボヤンの花
マダガスカルが原産地、南国の花ですね。
泳げるセノ−テ見学の後は、いよいよ最後の景勝地カンクンです。
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