1994/09/17 - 1994/09/23
1378位(同エリア2586件中)
おぎゃんさん
この旅行記のスケジュール
1994/09/19
1994/09/21
1994/09/22
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この旅行記スケジュールを元に
(以前アップしたフィルムのプリント写真をスキャンし直しました)
乗り継ぎでちょっと滞在したロンドンが寒々としていて、ドイツ人とイギリス人のリタイア夫婦がわんさといるマルタは完全な避寒地状態。そのギャップが不思議。マルタの独立記念日パレードで、大統領が至近距離で隊列にいたのがさらに不思議。強力な車でなければテロとかやばそうだった。そしてマルサシュロックの派手派手漁船が可愛かった。
日本にはマルタのガイドブックもなく、ロンドンで1泊時本屋に行って購入。マルタの空港にリビアの金持ちの自家用機が留まっていたのも、もう過去のこと。
アラブの春政変前の出来事だったわけですね。
※この年の9月に関空オープン、初関空旅。
【スケジュール】
9月17日(土)関西<タイ国際航空>バンコク<タイ国際航空>[機内泊]
9月18日(日)<タイ国際航空>ロンドン・ヒースロー[ロンドン泊]
9月19日(月)ロンドン・ガトウィック<エアマルタ>マルタ[マルタ(スリマ)泊] ★ココ
9月20日(火)マルタ[マルタ(スリマ)泊] ★ココ
9月21日(水)マルタ[マルタ(フロリアーナ)泊] ★ココ
9月22日(木)マルタ<エアマルタ>ロンドン・ヒースロー<タイ国際航空>[機内泊] ★ココ
9月23日(金)<タイ国際航空>バンコク<タイ国際航空>関西
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 船
- 航空会社
- タイ国際航空
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ロンドンからエアマルタ。午前に出発したけど、到着は夕方近く。
日本発券にしたので4万近くかかってしまった。(高い)
当時ボーディングブリッジはなかった(はず)。
エアマルタ、マルタ~ロンドン線、機内食はサンドイッチ程度だったけど、機内誌はなかなか立派で持ち帰る。
旧宗主国との間の便が一番多いという話はやっぱりでした。近いローマよりもロンドン線の方が多かった。マルタ国際空港 (MLA) 空港
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マルタ・ルア(LUQA)国際空港。
「ルカ、ルカ」って言っても通じず、「ルア」だと教えてもらう。
マルタ語の音はローマ字読みでは無理なのね。
この当時、到着ロビーの両替機はすでに日本円対応可で非常に助かる。
在マルタ日本人在住者は1桁しかいないと聞いていたし、正直日本人観光客って2桁もいなかったはず…。
誰がこの両替機使っていたんだろーか。
結局再両替はせず使い切った。マルタ国際空港 (MLA) 空港
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マルタ着翌日はホテル周辺の海岸エリアをウロウロしていて、時間があっという間に過ぎる。
その翌日はバスターミナル方面に行ったが、何やら人が多く集まっていて見物。聖ヨハネ大聖堂 寺院・教会
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騎馬警官(軍人?)も現れる。
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何かと思ったらこの日はマルタ独立記念日。
バレッタ市街でパレードが行われました。(どうもこれ首相の車らしい)
狙ってマルタ観光したわけではありませんが、たまたま。
至近距離過ぎてよく分からないまま終了。 -
バスターミナルに戻る。
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広場でパレード続く。
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これはスリーマ側のような。
ホテルやコンドミニアムがずらり。 -
バレッタ~スリーマの渡船、何度も乗りました。
船 (バレッタ) 船系
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最初のホテルはこちら。
1~2泊目はスリーマ海岸の防波堤沿いにあるホテル「Milano Due」。
インターネットなんざない頃なので、旅行社にあった分厚いホテルリストから適当に選んで、FAXで予約希望入れる。
ヨーロッパリタイア者が多いリゾートだから、行き会ったりばったりは止めた方がいいよとの、指南もあったせい。
国際FAX代は痛かったけど…。
スリーマの大通り(のはず)沿いだったけど、エコノミーな価格。
少々古臭いけどバルコニーあるし、景色は良いしでなかなか快適。
うっかり部屋は撮影しなかった。
(すでにホテルは廃業した模様) -
最初に2泊したホテルチェックアウトして、奮発したバレッタ手前のフロリアーナにあるいいホテルへ移動。混んでいて連泊できなかったので。
(ヨーロッパの方々の保養地とこの旅で初めて知った)
テレビではイタリアの番組がほとんど。3大テノール(パバロッティ、カレーラス、ドミンゴ)の放送をここで見た。
1994年に3人が競演したのはあとで探してみるとFIFAワールドカップアメリカ大会の時なので、その再放送だったのかなぁと思われます。 -
ロンドンのホテル代ぐらい奮発してる。
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門構えが自分に似つかわしくないので、落ち着きませんでした。
ザ フェニシア マルタ - ザ リーディング ホテルズ オブ ザ ワールド ホテル
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再び散策。
考古学博物館。外観のみ(入れなかった)。国立考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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マルタ語英語併記なんだけど、マルタ語って何に近いのでしょうね。
何度聞いてもイタリア語なのかアラビア語なのかよく分からず。 -
昔のイタリア映画みたいな光景。イタリア語の代わりに英語(公用語でもある)の看板がかかっているだけのような。
イタリアには行ったことがないが、きっと南イタリアの下町はこんな感じなんだろうかと思う。
バレッタ内、海に向かってゆるい坂道と階段。 -
バレッタ内の中級ホテル?ホテルブリティッシュ。海が見えてこちらも良さげだった。
British Hotel ホテル
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バレッタ内。こちらはたぶん住宅。
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バレッタ内で場所がよく「こっちに泊まれば良かったかな?」と後悔したカスティーユホテル。(首相官邸そば)
ホテル カスティーユ ホテル
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首相府のはずれのカトリック教会(St Catherine of Italy)。
イタリア聖カタリナ教会 寺院・教会
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バレッタからバスに乗ってマルサシュロック(Marsaxlokk)の港へ。
派手派手なペイントをした漁船がわんさかといた。マルサシュロック湾 海岸・海
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当時のバスルートがバレッタ起点の郊外行というルートしかないので、どこに行くにも一旦バレッタに戻らないと次の場所に行けないという残念さ。
マルサシュロック湾 海岸・海
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再びバスに乗ってラバト経由イムディーナ。
イムディーナ旧市街への門の裏側。
マルタの守護聖人が彫刻されている。メイン ゲート 旧市街・古い町並み
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観光スポットの大聖堂。
聖パウロの大聖堂 寺院・教会
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イムディーナ、狭い路地なのはバレッタ市街も同じなので、コンパクトカーが目立つ。旧市街乗り入れ禁止ではなかった。
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旧市街で中古車販売中。
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旧市街からの風景。
ペタンと高山のない起伏のない国土ですね。バスティオン スクエア 広場・公園
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静粛の町ではあるが、観光中のガイドさんの声がこだましていた。
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イムディーナの路地。
全体的に暑い日が続いたがロンドンとはえらい違い。
日陰は涼しい。 -
聖パウロ広場。
マルタ語と英語の併記です。 -
聖パウロ大聖堂の向かいの博物館。
入館記録あり。大聖堂付属博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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イムディーナのメインゲート前の橋。
地図売り少年もいた。
(イギリス&ドイツの)観光客多し。メイン ゲート 旧市街・古い町並み
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ここは駆け足で見学したが、洞窟は見ていない…。
聖パウロ教会と洞窟 寺院・教会
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聖ポールのカタコンベ(地下墳墓)。
地下に降りる階段だけなぜか撮影。内部は撮影禁止だったかも。聖パウロの地下墓地 史跡・遺跡
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一般住宅のようだけど、古い館の印かもしれない。
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バレッタ市街に戻る。
コンパクトなサイズの車が目立つ。アメ車は余り見かけない。日本車もほぼ見かけなかった。ディーラー看板も見かけなかった。(かなり珍しいのかも) -
すでに夕方近く、入場できる場所もなくなって。
バレッタ市街の外周にあった建物。(どこかメモしていない)
もしかするとマルタ・エクスピアレンスあたり。 -
街歩き、うろうろ。
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街歩き。うろうろ。
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結構坂道の多い町で、てくてくとかなり歩きました。
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バレッタの船着き場の近くから。城壁ががっちりと残っているのがうれしい。
ストビューにもまだ同じ風景が残っていて、懐かしくなる。 -
上の写真を撮影した海沿いの駐車場にあった、日本では見たことがなかったチェコ車(スコダ)。
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色はスカイブルーで統一されているようだ。ひんぱんに通っているので、バスほど待つ必要はない。
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バレッタ側はあちら、バレッタとの間の渡船あり。
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スリーマの大通りから海側を眺める。
翌朝は早いので、ひたすら景色を目に焼き付ける。 -
ホテルの部屋から市街を眺める。
高級ホテルたった1泊でもったいなかった。ザ フェニシア マルタ - ザ リーディング ホテルズ オブ ザ ワールド ホテル
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翌日マルタ出発。茶色い大地なんだなと感じた。
マルタ国際空港 (MLA) 空港
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ホテル カスティーユ
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British Hotel
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