2012/09/27 - 2012/09/28
351位(同エリア1835件中)
ottoさん
森と湖の国・フィンランドに名残を惜しみつつ、
ヘルシンキを発ちモスクワに飛ぶ。
モスクワで一泊し、翌日「世界遺産クレムリン」を見学。
夕刻チャーター船”リトヴィノフ号”に乗船。
サンクトペテルブルグ迄船中6泊。
途中の寄港地でロシアの原風景、歴史、文化の一端に
触れる旅が始まる。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
9月27日 15:15 ヘルシンキ国際空港へ、
出国手続きに手間取る。
AY6843便にてモスクワへ。 -
機内は狭くサービスも今一であったが
機中で慌しく軽食を摂りつつ
1時間45分後にはモスクワに到着。
フィンランドとの時差+1時間 21:30着。
厳しい通関を経て、モスクワ空港を出る。 -
チャーターバスでホテルに直行。
「ホリデイ・イン・ソコーリニキ」泊。
湯沸しもあり、寝心地は良かった。 -
8:30 ホテル前でチャーターバスを待つ。
モスクワ市内は慢性的に渋滞しており、
夕方クルーズ船に乗る為に短時間での
クレムリン観光がスタート。 -
気持ちよく晴れた空、日中は最高23℃とか。
-
交差点に通勤の人びとが集まってくる。
-
12世紀初頭、スズダリ公が小さな木造の砦を
建てたのが始まりで、13世紀モンゴル軍の侵攻
によって完全の破壊された後、ノヴゴロド公が
ロシア統一の中心地にしようと建設に着手。
周辺諸国と和を結びモスクワ大公国を建てた。 -
商人や手工業者の住む地区が生まれ、
モスクワは次第にロシアの政治、経済の
中心都市として発展していった。
ビザンテイン帝国に決別してからイタリア
からルネッサンスの高名な建築家、芸術家
が高給で招かれ、城壁や塔の新建築ラッシュ
が始まった。 -
14世紀になると正教の主教座がモスクワに
移され、遂にモンゴル軍に勝って後は聖画(イコン)
のもと”聖なる都”のイメージが確立された。 -
クレムリンは ”城塞”と言う意味で他都市にも
あるが、モスクワのクレムリンは南をモスクワ川、
北東を赤の広場、北西をアレクサンドロフスキー公園に
よって囲まれたほぼ三角形の敷地。
総面積は26ヘクタール。 -
あ!モスクワ河岸沿いにクレムリン大宮殿が
見えてきた。 -
城壁の総延長2.25km。20の塔を持つ城壁に
囲まれている。 -
門は4つある。セキュリテイーチェックが
厳重に行われ、大きいバッグは持ち込めない。 -
入ってきたヴォロヴィッツカヤ塔を振り返る。
1937年のロシア革命を記念してルビーで造られた
直径3mの”クレムリンの赤い星”が尖塔に輝く。
他にも4つの塔に設置されている。 -
武器庫と言う名の宝物館に入る。
撮影禁止のため贅を尽くした王冠、宮廷衣装
武具、戦利品、インペリアル・イヤー・エッグ
ロマノフ家の馬車などをしっかりと目に焼き付けた。
3階建てに見えるが、2,3階は天井が高い2階と
なっている。 -
15世紀イヴァン3世の時代、ロシアの古都と
イタリアの香りが混じリあい タマネギ型の
金色の塔が輝く、壮麗なクレムリンが誕生した -
16世紀には10万の人口を有する大都市となり、
陶工、金銀細工師、イコン画家などが活躍した。
「イワン雷帝」が勢力を広げヨーロッパに伍して
繁栄したが、恐怖政治により内乱を招く。
自由な外出を禁じられた皇族の女性達の建物の
最上階には教会があり、美しいドームが並ぶ。 -
クラノヴィータヤ宮殿....
1481〜1891年に建造された宮殿。
正面が多面体の石で覆われている。
帝政時代には公式行事やレセプション会場に
用いられた。 -
プラゴべシチエンスキー寺院....皇帝や皇族の
洗礼式と結婚式が行われ、布告を聞く為に民が
集まったという。 -
ウスペンスキー寺院.....歴代皇帝の戴冠式が
執り行われ、ロシア正教の総主教達が眠って
いる。現在は大統領の就任式が行われる。
後方に12使徒寺院が見える。 -
寺院広場のほぼ中央にイヴァン大帝の鐘楼が
聳えている。1505〜1508年にイタリア人
建築家によって建設された。
高さ81m、21個の鐘を備えており.... -
下には直径6.6m、総重量70トンの
”鐘の王様”が置かれている。
鋳造の段階で失敗したものを磨かずに
記念に残されたもの。 -
鐘楼の裏手には”大砲の王様”と呼ばれる
中世期最大のカノン砲がある。
砲身は長さ5.3m、厚さ15cm、口径89cm
重さ40トン。
一度も発射されたことはないそうだ。 -
アルハンゲリンスキー寺院..16世紀はじめに
建立された。5個の丸屋根を持ち内側には絵や
イコンが飾られている。イワン雷帝の他
17世紀末までの歴代ロシア皇帝が眠る。 -
ロシア内閣館は赤の広場に面した二等辺三角形の
建物。ロシア大統領官邸。(元元老院)
この右手前にはロシア最高会議幹部会ビルがある。」 -
”美しい”と言う意味の”赤の広場”から見た
ロシア内閣府。7万3000?の広場には城壁の前に
ばら色の花崗岩をピラミッド状に積み上げた
レーニン廟がある。 -
大統領官邸の入っている旧元老院の
ドームに翻る旗は嘗ては赤一色であった。 -
「”スパスカヤ塔”は政府の要人が出入りするので
普段、門は閉まっています」。とガイドのユリアさん。
此処にも”クレムリンの赤い星”が輝く。 -
4つある門の一つ・トロイツカヤ塔。
(三位一体の塔) 高さ82m。
やはり”赤い星”が見える。 -
赤の広場の北側にある歴史博物館。
1613年ロマノフが帝位に就き、十月革命
までロシアを支配することとなった。
農奴解放を叫ぶ”ステンカラージンの乱”を
鎮めた後、ピョートル1世は新首都をペテルブルグ
に建設。近代化に努めた。
十月革命後にモスクワは再び首都に返り咲いた。 -
東には国営営百貨店(グム)があり、昔
交易の場・マーケットとして栄えた広場
の名残が裏手の商店街に残っているらしい。
時間があれば入ってみたかった。 -
南側には”聖ワシーリー寺院”がある。
イワン雷帝がカザン汗国を破った戦勝記念に
建てさせた。9つの玉葱型ドームは聖なる焔を表し、
木造から石造りへと5年の歳月をかけ再建された。、
奔放な空想力と巧みな技術で生み出された余りにも
傑作故に建築家は凶暴な雷帝によって目を潰された
と言う。 -
聖堂の前には 1611〜12年ポーランドに占領され
ていたモスクワを開放した二人の英雄の像がある。
(商人ミーニンと大貴族ポジャルスキー) -
見学に少し疲れたところでランチタイム。
ロシア美人が出てきた。一斉に注目。 -
野菜タップリが嬉しいサラダ。
-
このピロシキの味が忘れられない。
(一人一個で充分) -
赤カブスープ・ボルシチーは野菜が細かく刻んであり大変美味。
疲れが癒される。 -
ビーフストロガノフ、ポテト添えのメインデイッシュ
はとにかく美味しく完食した。
(紅茶は4ユーロ) -
クレムリンの南を流れるモスクワ川が西へ
湾曲したあたりに救世主キリスト大聖堂に
立ち寄った。 -
バスは広場に差し掛かる。
モスクワの生みの親 スズダリ公ユーリ・ドルゴルーキー。
12世紀のモスクワはまだほんのみすぼらしい木造小屋の
集まりにしかすぎなかった。 -
”リトヴィノフ号”が待つ船着場へ着き、
-
音楽と塩パンで歓迎された。
-
4階8室限定のスイートルームは 20平方メートルの
広さがありゆったりした居住空間。
(ドナウ川クルーズではちょっと手狭だった) -
展望デッキに出てみれば、出航の合図。
風船が空に舞い上がる。 -
さらばモスクワ....
-
歓迎会で主だったクルーの紹介があった。
船長さん、女医さんの姿も。 -
船長主催のデイナーメニュー
-
-
-
ドリンクはアルコール以外は無料でチョイスできる。
よく歩いたのでぐっすり眠った。
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