2012/04/27 - 2012/04/27
373位(同エリア819件中)
滝山氏照さん
曹洞宗榮見山・観音禅院(かんのんぜんいん、東京都武蔵野市境南町)は松江藩主松平出羽守直正(まつだいら・でわのかみ・なおまさ、1601~1666)の下屋敷だった所で屋敷の西方に観音堂として創建され経緯があります。
観音院境内にある武蔵野市指定文化財「来迎阿弥陀如来像」は、松平家下屋敷跡地を開拓して新田境村を開いた保谷三右衛門の追善として、天和2年(1682)に造立されたものです。
このように観音院は松平家によって創建された観音堂と保谷三右衛門墓所から幕府公認の寺として発展しており武蔵境周辺開発を象徴する寺院となります。
観音院は武蔵境駅南口すぐの所にあり、墓地スペースのを除く境内は手狭と言う印象はぬぐえませんが、自分が想像するにかつては静寂な武蔵野台地に占める広大な敷地が確保されていたと思われます。
当寺一番の印象は墓地に存在した狛犬ならぬ狛亀でした。左右双方とも一見怖そうな面をしてますがよく見るとある種のユーモアというか愛らしさと言うものも感じられました。
2022年7月26日追記
現地にある来迎阿弥陀如来像の脇に建ててある説明板には下記の通りです。
『 来迎阿弥陀如来像
この観音院の来迎阿弥陀如来像は、上保谷村(旧保谷市)から移り住み、松平家(松江藩主の松平出羽守直政<1601~1666>、祖父は徳川家康、父は家康三男結城秀康)の下屋敷跡地を開拓して出雲新田(境新田、のちの境村)を開いた保谷三右衛門(下田)の追善のために、天和2年(1682)に造立されたものである。
観音院は、下屋敷内西方に直政によって建立された観音堂とこの墓所から幕府公認の村の寺院として発展しており、境新田村の開発のいわれを語る重要な資料である。
美術的に見ても?髪・肉髭の単純化、尊顔の素朴な微笑、印相の表情の巧みな表現等の彫法は、本市所在の石仏としては最も古く、代表的な美しさを持っている。
武蔵野市教育委員会 』
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
PR
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
16