2012/09/26 - 2012/09/26
314位(同エリア712件中)
愛吉さん
長い夏休みも終わり、あじさい会の街歩きも再開です。
9月の幹事が選定したのは、表題のとおりです。
集合は午前10時、JR目黒駅改札。今回の参加は7名でした。
目黒といえば、どうしても秋刀魚を思い浮べますが、今回は江戸から続く寺を巡り昔を偲びます。
写真は目黒不動の仁王門。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 徒歩
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定刻10時前に全員揃ったので、それでは出発。
駅前を右折し、そのまま行人坂を下ります、なかなか急な坂です。
これでも昔は目黒不動への参詣道で、しかも遠く富士山と江戸湾を望む場所として、坂上の茶店が繁盛しました。
江戸名所図絵にも、夕日丘行人坂として掲載されています。 -
坂の途中に、目黒川架橋供養勢至菩薩石像があります。
像の台座には、1704年に僧西運が目黒川に架橋した経緯が書かれて居ます。 -
坂を降り切る手前に大円寺があります。
どこか風格を感じる佇まいです。 -
境内に入り先ず目に付くのが、左手に並ぶ石仏群です。
釈迦三尊像、十大弟子像、五百羅漢像等520体の石仏が迫ります。
都の有形文化財です。 -
石仏群。中央から左半分を見た処です。
何か威圧感を感じます。 -
案内板。
これを読むと、明和9年(1772)2月29日、ここ大円寺から上がった火は、おりからの強風に煽られて三日三晩燃え広がり、江戸の三分の一を焼く大火となりました。
この大火で江戸城の櫓も焼け、又147百余人が亡くなりました。
よってその菩提を弔う為にこの像が建立されたとあります。 完成までに50年掛りました。
子供を抱いた女性の像もあるそうです。
尚この火災は、行人坂の大火と呼ばれ、振袖火事、車坂の大火と共に江戸三大火災に数えられます。
又大円寺は大火の火元として、幕府から76年間寺の再建が認められませんでした。 -
右半分の石仏像の前に、顔のとろけた地蔵像が立って居ます。
江戸湾で漁師の網に掛った石仏で、悩みをとろけさす地蔵として、とろけ地蔵と呼ばれて居ます。 -
境内の一隅、石仏像の外れに、一つのお地蔵さんが建って居ます。
よく見ると、後ろに小さなお地蔵さんが沢山置かれています、水子地蔵と呼ばれるお地蔵さんでした。 -
本堂の脇に小さな祠が建って居ます。
石碑には、国宝生身の釈迦如来立像と記されて居ます。
又祠の前には、仏足石です。
この像は建久4年(1193)に造られた清涼時式釈迦如来立像で秘仏とされ、正月七日間と甲子祭しか開扉しないそうです。
体内に女性の髪の毛と白銅鏡が納められている事から、生身の釈迦如来と呼ばれます。
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大円寺は、山の手七福神の大黒天を祀る寺でもあります。3面大黒でこれも正月7日間と甲子祭しか公開しません。
その代わりに境内に七福神の石像が置かれています。 -
道祖神
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阿弥陀堂
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阿弥陀堂の横に西運顕彰碑が建って居ます。
傍の立札によると、八百屋お七が1683年放火未遂で捕えられ、鈴ヶ森で処刑されると、恋仲の吉三はお七の菩提を弔う為出家し、僧名西運となり諸国を巡礼後、隣の明王院に入山しました。
そして目黒不動尊から浅草観音迄の日参一万日の念仏講を務め、27年と5ヶ月掛けて成し遂げました。
又托鉢で得た浄財を元に、行人坂を改修し目黒川に橋を掛けたそうです。
尚明王院は明治の初めに廃仏毀釈で廃寺になり、大円寺が合併しました。
以上西運の業績を顕彰して、念仏鉦を叩き念仏を唱えながら日参する西運の姿を写した碑が建てられました。 -
案内板です、読んで下さい。
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お七地蔵
西運の顕彰碑の横に建っています。
お七と吉三さんの比翼塚は、駒込吉祥寺に有ります。 -
大円寺を出て、坂を下りきると雅叙園になります。
昭和の竜宮城と呼ばれた宴会場です。 -
道なりに進むと、目黒川に突き当ります。
そこに掛っていたのが太鼓橋です。昔は目黒不動の参詣道であった為太鼓橋が掛けられ、江戸名所絵図百景にも取り上げられた場所です。
今では交通に不便とフラットな橋になっています。 -
岩屋弁天に到着しました。
山手七福神の弁天を祀るところです。 -
山門に建つ石仏と結界石、不許辛肉酒入山門
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おしろい地蔵、普段使用しているおしろいをこの地蔵の顔に塗ると、その後そのおしろいののりが良くなり、色白の美人に見えるそうです。
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岩屋弁天は扉が閉まり見る事が出来ませんでした。
参道を戻ります。 -
五百羅漢寺の入口です。
元禄8年に本所に建立された寺院で、将軍家の庇護を受けていました。
五百羅漢像は、当時の松雲禅師により作成されたもので、、536体を十数年掛けて造られ、現在はその内305体が現存し、東京都の重要文化財に指定されて居ます。
寺は明治41年にこの地に移り、昭和56年再建されました。
従い建物自体は、コンクリート造りで風情は有りません。 -
入口横には、松雲禅師の銅像が有ります。
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入口には、羅漢さんが一体座っていました。実物大の大きさです。
それでは中に入ります。
羅漢堂と本堂に、参百体余りの仏像が並び圧巻です。
しかし残念ながら寺内は撮影禁止でした。 -
羅漢寺の隣にある海福寺に来ました。
この寺は、万治元年に深川に開創した黄檗宗の寺院で、明治43年にこの地に移転しました。 -
入口の四脚門です、明治後期に新宿にあった泰雲寺より移築しました。
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山門を入った左側に、文化4年永代橋崩落横死者供養塔と石碑があります。
これは文化4年8月19日、深川八幡の祭礼時に多くの人が押し掛けて永代橋が崩落、440人が水死したのを悼んで、木場の人が建立した供養塔です。
当初は深川海福寺に建てられましたが、寺の移転と共に、ここに移りました。
都の文化財に指定されて居ます。 -
供養塔の前に建つ案内板
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九層の塔
新宿にあった泰雲寺から四脚門と同時に受け入れた塔で、武田信玄の屋敷にあったと伝えられます。
泰雲寺は廃寺になりましたが、武田家とは姻戚関係にあったそうです。 -
たこ薬師こと成就院に到着しました。
天安2年(858)自覚大師により開山、本尊はたこに乗ったお薬師様。
福を吸い寄せるお薬師様として信仰を集めています。 -
境内にある蛸薬師如来。
本尊は年に一度1月8日しか公開しません。 -
本堂の壁面に掛けられた大きな蛸の絵馬。
絵馬の下に並ぶ六地蔵の中央に立つ大きなお地蔵さんは、お静地蔵と呼ばれます。
これは2代将軍秀忠の側室お静が、わが子正之の栄達をこの寺の薬師如来に祈願し、保科正之として大願成就したお礼に納めた地蔵尊だからです。 -
目黒不動こと滝泉寺に来ました。
江戸5色不動の一つ、関東36不動の18番札所です。
大同3年(808)慈覚大師により創建されました。
江戸時代は、浅草の観音様と並んで庶民信仰の二大拠点であり、又行楽地として親しまれた処です。
又目黒は将軍の鷹場でもあり、目黒のさんまの舞台は門前の茶店であったといわれています。
写真は仁王門。 -
本殿の階段下にあるドッコの滝、竜の口から湧水が流れ出ています。
2か所あります。水垢離をとる処でもあります。
又この湧水は枯れる事が無く、近隣の灌漑用水としても用いられました。 -
水掛け不動。
水を掛けて来ました。 -
本殿 不動明王をおまつりしています。
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本堂の真後ろにある、大日如来像 天和3年(1638)の銘があります。
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甘藷先生こと、青木昆陽の碑
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境内の外れに、白井権八と小紫の比翼塚があります。
歌舞伎鈴ヶ森で有名ですね。 -
林試の森公園に到着しました。
明治33年に当時の農商務省が目黒試験苗圃として開設、その後林業試験場と名を変え昭和53年迄続きました。
その後筑波学園都市に移転したので、跡地を都立林試の森公園として、平成元年に開園しました。
樹木数6700本あります。
公園内を一回りしてから武蔵小山駅に向い、そこで解散となりました。
これで今回の巡礼は終了です。 お読み頂き有難う御座いました。
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