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JR青梅線二俣尾駅下車、すぐ北側に当地域を本領とする豪族三田(みた)氏の菩提寺である海禅寺(かいぜんじ、東京都青梅市二俣尾)があります。<br /><br />三田氏は鎌倉幕府に仕える御家人として「杣保(そまのほ)」と呼ばれる森林資源が豊富な多摩川上流域を本領としていました。<br /><br />室町時代になりますと三田氏は鎌倉府公方足利基氏(あしかが・もとうじ、1340~1367)に仕え、関東管領上杉氏の指揮下に組み込まれます。<br /><br />この時期の三田氏の居館は現在の青梅市の勝沼にあり、当主は「勝沼殿」と呼ばれていました。<br /><br />戦国時代では山内上杉氏に属し、主家に従い扇谷(おうぎがやつ)上杉氏と戦って各地を転戦しています。その中で本拠の多摩川上流域から現在の埼玉県飯能市・入間市・日高市・狭山市に支配圏を拡大させます。<br /><br />その頃伊勢氏から北条氏に改姓した二代目氏綱(うじつな、1487~1541)は武蔵国への勢力浸透をはかります。その正当性を裏打ちするために源頼朝が武士の政権である証として創建した鶴岡八幡宮の再興(造営)勧進を各領主に呼びかけます。その中で今後進出する敵の勢力、武蔵・上野方面の豪族に息のかかった神主たちを派遣します。<br /><br />当然「杣保」の主である三田氏にも造営の呼掛けがありますが、多摩地域の他領主と同様上杉氏を主家とする立場は微妙であることは言うまでもありません。<br /><br />即ち、勧進に協力して奉加金を出せば北条氏に従うことになり、他方拒否すれば鶴岡八幡宮を蔑ろにすることになります。<br /><br />厳しい選択のなかで諸領主は一旦協力拒否しますが、三田氏はまもなく勧進に応じることになり奉加金を出し、更に鳥居用木材の奉納まで致します。<br /><br />これを契機に北条氏は武蔵国への支配力を強め、氏綱は自分の名前の一部を諸領主に与え厚遇すると共に彼らを自分達の家臣に組み入れようとします。三田氏でも綱秀(つなひで)がそれに該当します。<br /><br />以降三田氏は北条氏支配とは距離を置きながら制限されつつも独自の領域経営を進めますが、永禄4年(1557)の上杉謙信の小田原遠征については上杉方に付き北条氏に反旗をひるがえします。<br /><br />しかし謙信の帰国後は状況が一変します。<br /><br />つまり滝山城主の北条氏照(うじてる、1540~1590)による三田氏攻撃が始まり、三田氏は平城の勝沼城では防御不可能と判断し永禄5年(1562)、同城を捨てて多摩川上流の険しい辛垣山(からかいざん)に居城を移し氏照の軍勢を迎えますが翌年攻め落とされ三田氏は滅亡します。<br /><br />尚辛垣城はJR二俣駅の西端から北側から登るルートがありますが、自分は今回の登城は断念し機会を改めることにしました。<br /><br /><br />2022年7月20日追記<br /><br />現地境内には下記の如く当地領主三田氏に関する説明が記載されています。<br /><br />『 海禅寺三田氏墓<br /><br />        所在地  青梅市二俣尾963番地<br />        指 定  昭和11年3月4日<br /><br />三田氏一族の墓と伝えられるこれら一群の宝篋印塔、および五輪塔は三田氏各個人の墓石ではなく、形式から見て桃山時代または江戸初期に設置された供養塔であろうと思われる。<br /><br />三田氏は平性の系譜を持つと言われており南北朝期から戦国時代に活躍した奥多摩地区の豪族であったが、永禄6年(1563)6月三田氏最後の領主綱秀は北条氏照に攻められ、二俣尾の辛垣城で滅ぼされた。また、勝沼城も三田氏の築城になるもので、辛垣城落城の前に三田氏みずからの手で廃城したものであるという。<br /><br />    平成5年3月31日<br />                  東京都教育委員会 』<br /><br /><br /><br />また、海禅寺総門に関しても下記の通り説明がされています。<br /><br />『市指定有形文化財  海 禅 寺 総 門<br /><br />海禅寺は、群馬県北群馬郡子持村中郷・雙林寺の末寺で曹洞宗である。天文の頃(1532~1554)三田氏の菩提寺となったと言われている。<br /><br />天正3年(1575)勅願所に列せられた寺格を持ち、江戸時代中頃には末寺42寺を数えた。<br /><br />境内は、本堂・鐘楼・山門・総門・庫裏などの堂宇からなり、東京都指定史跡となっている。<br /><br />寺伝によると、総門は、慶長17年(1612)に山門とともに造立されたとあり、現存する様式からも江戸時代初期の建立と考えられる。<br /><br />一間一戸の四脚門で切妻造銅版葺(かつては茅葺)である。本柱はご平柱、控柱は角柱でともに礎石建ちとし、本柱が直接化粧棟木を支えている。冠木と本柱、頭貫とい控柱は鼻栓でとめられ素朴な味わいを感じさせる。<br /><br />市内に現存する近世期の門の中でも代表的な構造を持つ総門の一つである。<br /><br />平成7年に解体修理が完了、この時に東側の市道中央部から現在の位置に移築された。<br /><br />      昭和43年11月3日<br />                  青梅市教育委員会 』<br /><br /><br />

武蔵青梅 奥多摩の森林資源を経営の基盤とし上杉謙信に忠誠尽くし謙信勢力衰退と共に小田原北条氏攻略耐えきれず没落した三田氏菩提寺『海禅寺』散歩

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2012/04/17 - 2012/04/17

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR青梅線二俣尾駅下車、すぐ北側に当地域を本領とする豪族三田(みた)氏の菩提寺である海禅寺(かいぜんじ、東京都青梅市二俣尾)があります。

三田氏は鎌倉幕府に仕える御家人として「杣保(そまのほ)」と呼ばれる森林資源が豊富な多摩川上流域を本領としていました。

室町時代になりますと三田氏は鎌倉府公方足利基氏(あしかが・もとうじ、1340~1367)に仕え、関東管領上杉氏の指揮下に組み込まれます。

この時期の三田氏の居館は現在の青梅市の勝沼にあり、当主は「勝沼殿」と呼ばれていました。

戦国時代では山内上杉氏に属し、主家に従い扇谷(おうぎがやつ)上杉氏と戦って各地を転戦しています。その中で本拠の多摩川上流域から現在の埼玉県飯能市・入間市・日高市・狭山市に支配圏を拡大させます。

その頃伊勢氏から北条氏に改姓した二代目氏綱(うじつな、1487~1541)は武蔵国への勢力浸透をはかります。その正当性を裏打ちするために源頼朝が武士の政権である証として創建した鶴岡八幡宮の再興(造営)勧進を各領主に呼びかけます。その中で今後進出する敵の勢力、武蔵・上野方面の豪族に息のかかった神主たちを派遣します。

当然「杣保」の主である三田氏にも造営の呼掛けがありますが、多摩地域の他領主と同様上杉氏を主家とする立場は微妙であることは言うまでもありません。

即ち、勧進に協力して奉加金を出せば北条氏に従うことになり、他方拒否すれば鶴岡八幡宮を蔑ろにすることになります。

厳しい選択のなかで諸領主は一旦協力拒否しますが、三田氏はまもなく勧進に応じることになり奉加金を出し、更に鳥居用木材の奉納まで致します。

これを契機に北条氏は武蔵国への支配力を強め、氏綱は自分の名前の一部を諸領主に与え厚遇すると共に彼らを自分達の家臣に組み入れようとします。三田氏でも綱秀(つなひで)がそれに該当します。

以降三田氏は北条氏支配とは距離を置きながら制限されつつも独自の領域経営を進めますが、永禄4年(1557)の上杉謙信の小田原遠征については上杉方に付き北条氏に反旗をひるがえします。

しかし謙信の帰国後は状況が一変します。

つまり滝山城主の北条氏照(うじてる、1540~1590)による三田氏攻撃が始まり、三田氏は平城の勝沼城では防御不可能と判断し永禄5年(1562)、同城を捨てて多摩川上流の険しい辛垣山(からかいざん)に居城を移し氏照の軍勢を迎えますが翌年攻め落とされ三田氏は滅亡します。

尚辛垣城はJR二俣駅の西端から北側から登るルートがありますが、自分は今回の登城は断念し機会を改めることにしました。


2022年7月20日追記

現地境内には下記の如く当地領主三田氏に関する説明が記載されています。

『 海禅寺三田氏墓

        所在地  青梅市二俣尾963番地
        指 定  昭和11年3月4日

三田氏一族の墓と伝えられるこれら一群の宝篋印塔、および五輪塔は三田氏各個人の墓石ではなく、形式から見て桃山時代または江戸初期に設置された供養塔であろうと思われる。

三田氏は平性の系譜を持つと言われており南北朝期から戦国時代に活躍した奥多摩地区の豪族であったが、永禄6年(1563)6月三田氏最後の領主綱秀は北条氏照に攻められ、二俣尾の辛垣城で滅ぼされた。また、勝沼城も三田氏の築城になるもので、辛垣城落城の前に三田氏みずからの手で廃城したものであるという。

    平成5年3月31日
                  東京都教育委員会 』



また、海禅寺総門に関しても下記の通り説明がされています。

『市指定有形文化財  海 禅 寺 総 門

海禅寺は、群馬県北群馬郡子持村中郷・雙林寺の末寺で曹洞宗である。天文の頃(1532~1554)三田氏の菩提寺となったと言われている。

天正3年(1575)勅願所に列せられた寺格を持ち、江戸時代中頃には末寺42寺を数えた。

境内は、本堂・鐘楼・山門・総門・庫裏などの堂宇からなり、東京都指定史跡となっている。

寺伝によると、総門は、慶長17年(1612)に山門とともに造立されたとあり、現存する様式からも江戸時代初期の建立と考えられる。

一間一戸の四脚門で切妻造銅版葺(かつては茅葺)である。本柱はご平柱、控柱は角柱でともに礎石建ちとし、本柱が直接化粧棟木を支えている。冠木と本柱、頭貫とい控柱は鼻栓でとめられ素朴な味わいを感じさせる。

市内に現存する近世期の門の中でも代表的な構造を持つ総門の一つである。

平成7年に解体修理が完了、この時に東側の市道中央部から現在の位置に移築された。

      昭和43年11月3日
                  青梅市教育委員会 』


交通手段
JRローカル 徒歩
  • 山号石標<br /><br />参道はJR青梅線で分断されており、山門に行くには踏切を渡る事になります。

    山号石標

    参道はJR青梅線で分断されており、山門に行くには踏切を渡る事になります。

  • 海禅寺総門<br /><br />寺の伝えでは慶長17年(1612)の建立といわれます。往時は当然ながら参道(右側道路)を跨ぐような形で配置されていましたが、参道が市道となったため不本意ながら現在の場所に移されています。

    海禅寺総門

    寺の伝えでは慶長17年(1612)の建立といわれます。往時は当然ながら参道(右側道路)を跨ぐような形で配置されていましたが、参道が市道となったため不本意ながら現在の場所に移されています。

  • 海禅寺桜並木<br /><br />海禅寺山門の前は「海禅寺通り」と呼ばれJR青梅線の北側を線路に平行して走っていますが、通りに沿って桜の花が見事に咲いています。<br /><br />

    海禅寺桜並木

    海禅寺山門の前は「海禅寺通り」と呼ばれJR青梅線の北側を線路に平行して走っていますが、通りに沿って桜の花が見事に咲いています。

  • 海禅寺山門<br /><br />海禅寺通りを過ぎて正面に山門を見据えて急な石段を登ります。高台になっており山門の左右の石垣が城郭を連想させます。

    海禅寺山門

    海禅寺通りを過ぎて正面に山門を見据えて急な石段を登ります。高台になっており山門の左右の石垣が城郭を連想させます。

  • 海禅寺山門<br /><br />山号は「瑞龍山」で、山門の至る所に彫刻の細工が施されています。

    海禅寺山門

    山号は「瑞龍山」で、山門の至る所に彫刻の細工が施されています。

  • 鐘楼

    鐘楼

  • 本堂<br /><br />説明では瑞龍山海禅寺は寛永年間(1460〜1465)に僧益芝永謙が草庵を営み長勝庵と号したのが始まりで、開山は一洲正伊と伝えられ長勝山福禅寺と称していました。<br />その後三田氏の厚い保護を受けていましたが、北条氏の攻撃を受けて三田氏は滅亡、その折岳火にかかって諸堂ごと焼失します。<br />その後天正19年(1591)徳川家康より15石の朱印状を受けた時に現在の海禅寺に改称しています。

    本堂

    説明では瑞龍山海禅寺は寛永年間(1460〜1465)に僧益芝永謙が草庵を営み長勝庵と号したのが始まりで、開山は一洲正伊と伝えられ長勝山福禅寺と称していました。
    その後三田氏の厚い保護を受けていましたが、北条氏の攻撃を受けて三田氏は滅亡、その折岳火にかかって諸堂ごと焼失します。
    その後天正19年(1591)徳川家康より15石の朱印状を受けた時に現在の海禅寺に改称しています。

  • 扁額<br /><br />寺号「海禅寺」とあります。

    扁額

    寺号「海禅寺」とあります。

  • 三田氏供養塔

    三田氏供養塔

  • 三田氏供養塔

    三田氏供養塔

  • 海禅寺境内

    海禅寺境内

  • JR二俣尾駅<br /><br />構内陸橋から青梅方面を望みます。

    JR二俣尾駅

    構内陸橋から青梅方面を望みます。

  • JR二俣尾駅<br /><br />駅前の桜の大樹に咲いた花がきれいです。

    JR二俣尾駅

    駅前の桜の大樹に咲いた花がきれいです。

  • JR二俣尾駅<br /><br />駅ホ−ムに立っている周辺案内板があります。

    JR二俣尾駅

    駅ホ−ムに立っている周辺案内板があります。

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