2012/09/08 - 2012/09/12
7508位(同エリア15517件中)
junさん
シンガポールのマリーナベイサンズに宿泊した前後に、シンガポールの戦跡を訪問しました。
平和で、繁栄しているシンガポールで、近代に戦争が?
と思いますが、ちょうど七十年前、我々の父、祖父のころ、この島で、日本と英国等が壮絶な戦いを行いました。
1942年の戦いは日本が勝利して、昭南島と名前を変え、日本の支配下に置かれました。
第2次大戦は日本が敗北して、太平洋地区に日本軍の戦跡慰霊碑が多くありますが、不思議なことに、ここシンガポールを中心にして、マレーシア、インドネシア、ベトナム等には日本軍勝利のみで、敗戦の慰霊碑はそれほどありません。
勝利占領したままで、終戦となったわけです。
と言うわけで、今回のシンガポールは、日本軍勝利地の戦跡訪問として、前線のマレー人部隊激戦地と英軍司令部壕の2か所に行ってきました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 交通手段
- 鉄道
-
羽田発のJAL深夜便なので、機内食は到着前の朝食です。
冷たいお弁当ですが、温かい味噌汁付きでおいしかったです。
シンガポール人(中国系)には冷食が苦手かも。 -
朝6時シンガポール空港に着き、ホテルに荷物を預けました。
ホテル入室までの午前中に、戦跡2か所回ろうと予定しましたが、
予想より時間がかかり、1か所のみでした。
第一の訪問地ケントリッジパーク(KENT RIDGE PARK)に、地下鉄で向かいます。 -
地下鉄の最寄り駅は、パシル・バンジャン(PASIR PANJANG)駅で、HARBOUR FRONT駅から三つ隣です。ケントリッジ(KENT RIDGE)駅ではありません。
-
KENT RIDGE PARK内に、REFLECTIONS AT BUKIT CHANDU(ブキ・チャンデュ記念館)があります。
-
迫撃砲と兵士の像が入口にあります。
-
記念館の建物です。おじいさんが受付していて、わかりにくい英語(私の語学の問題か?)で、いろいろ案内してくれました。日本人が来るのはめずらしいのでしょうね。
-
この丘を守って、日本軍と戦ったマレー人連隊の中隊兵士の名前です。
中隊長等大尉・中尉の幹部がイギリス人で、中尉以下、兵士まではマレー人です。
シンガポールで日本軍と戦ったのは、英印軍、英本国軍、オーストラリア軍、現地マレー人部隊です。英印軍とマレー人部隊は、幹部がイギリス人で、兵士はインド人、マレー人です。この丘は現地マレー人が守っていたので記念館を作ったのでしょう。 -
日本軍の部隊がシンガポールを目指している図や武器等を掲示しています。日本軍の攻撃部隊(第5師団、第18師団、近衛師団)も細かく記載されていて、ビデオも上演しています。
ちなみに、私の亡父は近衛師団兵士で、直接シンガポール戦には参加していませんでしたが、シンガポールに移動後、インドに向かいました。
戦時中は、このあたりを移動していたかもしれません。 -
前写真の日本軍三個師団を指揮した山下将軍です。
山下将軍と英軍のパーシバル将軍とが会談を行い、英軍が降伏した有名なフォード工場には、今回は行く時間がありませんでした。 -
館内には、本物の迫撃砲が展示してありました。
このフロアには、占領後、日本軍が現地人(中国系、マレー系)を虐殺したビデオ上映や絵があります。
つらいところですが、日本人が白人を追い出したので、東南アジア諸国が独立して、アジア人の国家になった面もあります。 -
記念館の壁には、攻撃する日本軍と戦うマレー人連隊の絵が描かれています。
現在の視点で考えると、侵入してきた日本軍を、現地マレー人部隊が守った図式ですが、
当時は英国の植民地拠点なので、英国を追い出しにきた日本軍を、英国植民地ために現地マレー人部隊が守らされたと言うイメージだと思います。 -
公園内にキャノピーウォーク(木々の間を渡している空中回廊)があったので、歩いているとこの地図案内板がありました。
ここから見える場所が戦場だったようです。
有名な会談場所のフォード工場はこの先、北方であることがわかります。 -
公園の中央に戦跡碑がありました。
シンガポール戦の最後に、この丘で、日本軍第18師団が第1マレー連隊他を攻撃したとあります。
英語の他に中国語(簡体字)、マレー語、タミール語、日本語で書かれています。
なお、この場所に、フランス製戦車(AMX13)とアメリカ製M114曲射砲があったようです。大分探しましたが、今はありませんでした。
戦後の兵器なので、撤去したのでしょうか。
この後に、近くにあるラブラドール砲台に行こうかと思いましたが、時間が無くあきらめました。 -
ホテルを12時にチェックアウトして、夜の帰国便まで時間があるので、繁華街近くにあるバトルボックスを訪問します。
前々日は、マレー人連隊の前線地訪問でしたが、今日は、後方の英国軍司令部壕の訪問です。
ドービー・ゴート駅(Dhoby Ghaut)から南に向かうと写真左の行き先表示版があり、フォート・カニング・パークに向かいます。 -
フォートカニングパークは、昔の要塞で、その中に、第2次大戦時のマレー・シンガポール防衛の司令部地下壕が作られています。
公園地図の中央やや右側にbattle boxのマーク。 -
公園内のわかりやすい表示版です。
英語、中国語、マレー語、日本語と、シンガポール公用語3語の他唯一の外国語が日本語なのがうれしいです。 -
昔の要塞門が丘の上にあります。
この下が地下壕になっています。 -
バトルボックスの受付は、冷房のためか、いつも閉まっていてわかりにくいです。
ちなみに、12時から13時の間は昼休憩のため、入場できません。
切符を買う時、係の人は、ジャパニーズサン?と聞いてきました。日本人訪問客は少ないようです。 -
バトルボックスの入口は、英兵(人形)が迎えます。
-
壕内も英兵が案内します。
中は、冷房が利いていて快適です。
昔はそうはいかなかったでしょう。 -
日本軍が占領したあとは、壁に日本兵がメモを残しています。
-
日本軍の侵入状況をモニターしているようです。
日本軍の駒が置かれています。 -
壕内での作戦会議でしょう。
-
日本兵のポスターも。
-
日本軍旗と英国旗が仲良くならんでいます。
-
バトルボックスの出口です。
シンガポールの繁華街から10分ほどで訪問できるこのbattle box(英軍司令部壕)は、お勧めです。
ここは、英国視点で作られていて、訪問客も英国人が多いようです。
が、ここまで日本軍がきて、英国の植民地支配を排除したことを、日本人が知る一助になると思います。 -
公園内にはリスがいて、ほっとしました。
-
公園内には、バトルボックス以外にも、このような地下壕があります。
私は、パラオ、ペリリュー、グアム、レイテ、コレヒドール、旧満州と戦跡訪問してきましたが、どこも悲惨で悲痛でした。
シンガポールは、日本人にとっては、幾分かは気が楽な面があります。これは、マレーシア、インドネシア、ベトナムも含めて、陸戦での敗戦は少なく、「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」の事だと思います。
※ビルマ:インパール作戦等 -
帰国便の機内食。帰国も深夜便なので、日本到着前に朝食が配られます。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
シンガポール(シンガポール) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
シンガポール(シンガポール) の人気ホテル
シンガポールで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
シンガポール最安
294円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
29