2012/08/12 - 2012/08/17
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■夏の車旅⑫ 信州上田城
≪4日目≫・・・・・・・・・・・・・・
▼上田駅前ホテル泊/長野県上田市
▼信州上田城/長野県上田市大手
▼美ヶ原高原/長野県松本市入山辺
▼ビーナスライン/長野県
▼白樺湖(想い出さがし)/長野県茅野市白樺湖
▼蓼科高原(想い出さがし)/長野県北佐久郡立科町
▼舞鶴城公園(甲府城)/山梨県甲府市丸の内
▼甲府駅前ホテル泊/山梨県甲府市
■信州上田城
・真田十勇士
豊臣方の武将真田幸村の家臣として活躍をしたとされる十人の勇士の総称です。
この内の一部の名は、江戸時代中期頃に著された『真田三代記』などに見えます。その武勇伝は架空のものであり『真田三代記』や『難波戦記』を種本として「立川文庫」によって創作されました。
十勇士の活躍舞台は、真田昌幸・幸村の九度山配流から大坂の夏・冬の陣までの間で、父子を中心に、徳川家康の動静を探りながら縦横無尽に活躍する痛快なおもしろさは大好評を博しました。
その郎党の顔ぶれが猿飛佐助・霧隠才蔵・三好清海入道・三好伊三入道・穴山小助・由利鎌之助・海野六郎・根津甚八・望月六郎・筧十蔵です。
・信州上田城
信州上田城は、今から400年ほど前(天正11年:1583年)に、真田昌幸の居城として築かれました。
ちょうど甲州から信濃へ勢力を伸ばしつつあった徳川家康とこの点の利害が一致し、徳川の援助のもと対上杉への「徳川の城」として工事を開始いたしました。
現在の上田城の構造が、特に北側と西側からの侵攻に対して厳重な守りになっているのは、北の上杉景勝に対する縄張りが基本となっているためでしょう。
・信州上田城の構造
上田城の縄張りは、梯郭式といわれている形式で、本丸の虎口を馬出し状にカバーするように二の丸があります。
二の丸の東側をカバーするように三の丸があり、西側は小泉曲輪がカバーしています。
このため、本丸が直接外部に臨むことになるが、上田城の場合は南側に千曲川(尼が淵)という天然の堀があり、また河原から本丸までは切り立った崖であり、天然の要害の地にあります。
さらに、城の北側と西側は川筋を人工的に掘って付け替えた、矢出沢川が取り囲むように流れており、上田城の北と西の総構えを形づくって、厳重に防御しています。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 自家用車
-
■夏の車旅⑫です。
≪4日目≫
▼信州上田城/長野県上田市大手
上田駅前のホテル泊、早朝に立ち寄った上田城です。 -
▼信州上田城/長野県上田市大手
ここは初訪です。
信州上田城は、今から400年ほど前(天正11年:1583年)に、真田昌幸の居城として築かれました。 -
▼信州上田城
ちょうど甲州から信濃へ勢力を伸ばしつつあった徳川家康とこの点の利害が一致し、徳川の援助のもと対上杉への「徳川の城」として工事を開始いたしました。
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▼信州上田城
現在の上田城の構造が、特に北側と西側からの侵攻に対して厳重な守りになっているのは、北の上杉景勝に対する縄張りが基本となっているためでしょう。 -
▼信州上田城
・信州上田城の構造
上田城の縄張りは、梯郭式といわれている形式で、本丸の虎口を馬出し状にカバーするように二の丸があります。 -
▼信州上田城
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▼信州上田城
二の丸の東側をカバーするように三の丸があり、西側は小泉曲輪がカバーしています。
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▼信州上田城
このため、本丸が直接外部に臨むことになるが、上田城の場合は南側に千曲川(尼が淵)という天然の堀があり、また河原から本丸までは切り立った崖であり、天然の要害の地にあります。 -
▼信州上田城
さらに、城の北側と西側は川筋を人工的に掘って付け替えた、矢出沢川が取り囲むように流れており、上田城の北と西の総構えを形づくって、厳重に防御しています。
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▼信州上田城
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▼信州上田城
んー。紅葉か。 -
▼信州上田城
真田昌幸が二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦が行われたことで有名です。 -
▼信州上田城
(第1次上田合戦)
1585年(天正13年) 次子真田信繁(幸村)を人質に送り上杉景勝に臣従し、上田城にて徳川軍(約7000)を迎え撃ち、撃退に成功する。 -
▼信州上田城
(第2次上田合戦)
1600年(慶長5年) 徳川家康率いる上杉討伐軍から離脱した昌幸が、石田三成の西軍に与しておよそ2000の兵力で上田城に篭城。
徳川秀忠率いる東軍およそ3万8000を迎え撃ち、前回に続いて守り抜いた。 -
▼信州上田城
この時、上田城攻略を断念した秀忠軍は、上洛を命じる使者の遅れにより関ヶ原の戦いに間に合わなかった話は有名。
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▼信州上田城
・東虎口櫓門
この虎口は、大手を東にとっている上田城の構えからすると表玄関に当たります。 -
▼信州上田城
したがって、櫓門とその両端の櫓台を、切り出した石を加工して積み上げる「打ち込みはぎ」により石垣が築かれています。 -
▼信州上田城
・本丸南櫓
しかも大阪城などの城にも見られるように、櫓門の前には上田城一大きな石、「真田石」を配置しています。 -
▼信州上田城
・東虎口櫓門
真田十勇士の顔抜き -
▼信州上田城
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▼信州上田城
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▼信州上田城
・真田神社 -
▼信州上田城
・真田神社
本丸跡には、明治に松平神社として建立された歴代城主を祀った真田神社があります。 -
▼信州上田城
・真田神社
茶室と記してある。 -
▼信州上田城
・真田神社
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▼信州上田城
・真田神社
真田六文銭の赤兜 -
▼信州上田城
境内には古井戸があり、「城外への抜け穴になっていた」との伝説があります。 -
▼信州上田城
・西櫓
本丸西櫓は上田城において唯一、仙石氏による再建当時から原位置に残る建物です。 -
▼信州上田城
・西櫓 -
▼信州上田城
西櫓 -
▼信州上田城
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▼信州上田城
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▼信州上田城
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▼信州上田城
・真田十勇士
豊臣方の武将真田幸村の家臣として活躍をしたとされる十人の勇士の総称です。 -
▼信州上田城
この内の一部の名は、江戸時代中期頃に著された『真田三代記』などに見えます。 -
▼信州上田城
その武勇伝は架空のものであり『真田三代記』や『難波戦記』を種本として「立川文庫」によって創作されました。
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▼信州上田城
十勇士の活躍舞台は、真田昌幸・幸村の九度山配流から大坂の夏・冬の陣までの間で、父子を中心に、徳川家康の動静を探りながら縦横無尽に活躍する痛快なおもしろさは大好評を博しました。
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▼信州上田城
その郎党の顔ぶれが・・・
猿飛佐助・霧隠才蔵・三好清海入道・三好伊三入道・穴山小助・由利鎌之助・海野六郎・根津甚八・望月六郎・筧十蔵です。 -
▼信州上田城
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▼信州上田城
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▼信州上田城
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▼信州上田城
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▼信州上田城
上田城をあとにして美ヶ原高原へ向かいました。 -
▼R152号線/長野県上田市上丸子
なんだろうと思いましたが、廃線になった上田丸子電鉄の電気機関車ED251だそうです。 -
▼美ヶ原高原/長野県松本市入山辺
次は自分の中でイチオシの旅行記です。標高2000メートルの美ヶ原高原にある「美ヶ原高原美術館」です。 -
▼美ヶ原高原
屋外の美術館を歩きながら綺麗な景色を見渡すことができます。
THE END. つづく・・・
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