2012/07/25 - 2012/07/25
252位(同エリア1895件中)
みにくまさん
天神祭は、京都の祇園祭、東京の神田祭と並ぶ日本三大祭の一つ。
また、四天王寺別院の勝鬘院愛染堂の愛染祭(神式では愛染祭に替えて生国魂神社の生玉夏祭)、住吉大社の住吉祭と共に大阪三大夏祭りの一つでもあります。
24日宵宮、25日本宮
今年も日本三大祭りと名高い天神祭に行ってきました。
スケジュールとしては7月23日から25日にかけて、大阪天満宮を中心に各種の行事が行われたのですが、今年は日程が全て平日になってしまった関係で、23日のギャルみこし、24日の宵宮などには行くことができませんでした。
陸渡御①の旅行記は↓
天神祭2012 一千余年の伝統を誇る日本屈指の祭典 「本宮・陸渡御①」
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10691461/
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天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 御神酒講(おみきこう)
江戸時代の元文2年(1737)に結成された、天満郷の酒造業者の講「酒屋講」を起源としている。
幕末・維新後には一時途絶えたが、明治39年に再結成。
現在は、所在地にかかわらず、洋酒・ビール・酒造メーカーのほか、食品メーカー・卸売業者・酒販店などによって講が維持されている。
天神祭の渡御への御奉仕が講の活動の中心で、その際に講のシンボルとなるのが「猩々(しょうじょう)」である。
猩々は酒に浮かれて孝子高風を祝福して舞ったと伝えられる中国の霊獣。
赤熊(しゃぐま)、波模様の袴、菊模様の裲襠(うちかけ)を着し、右手に扇をもち、左手をかざした木像を飾った猩々山車(しょうじょうだし)を曳いて渡御列に参加する。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 大阪書林御文庫講(おおさかしょりんおぶんここう)
万延2年(1861)、「書林講」という名称で天神祭に初めて参加した。
講の歴史は享保15年(1730)、学問の神様として信仰厚い大阪天満宮に御文庫が建てられたことに始まる。
御文庫とは、出版を行っていた開版業者が、御加護を記念して神前に奉納した初摺りの書籍を納める保管庫のことで、天満宮御文庫講という組織が運営した。
その後、住吉大社の御文庫講と合併して「大阪書林御文庫講」となった。
陸渡御には講員20名がそろいの裃(かみしも)を着て、菅原道真公が御旅所でお読みなる本を載せた「文車(ふぐるま)」のお供をする。
船渡御には大阪書林御文庫講供奉船に関係者約200名が法被姿で乗り込む。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 大阪書林御文庫講(おおさかしょりんおぶんここう)
◎ 陸渡御(おかとぎょ)について
天神祭の重要な祭事のひとつ。
神様に氏地の平安を御覧いただこうと、氏子たちが御迎えの行列を組んだのが陸渡御・船渡御の始まりです。
陸渡御列の中心は、御霊を奉安する御鳳輦(ごほうれん)ですが、この前後を催太鼓や神輿、神具、旗、鉾などが供奉して氏地を巡回し、天神橋北詰めの乗船場まで進みます。
かつての氏地各町では、地車(だんじり)を曳いて神様の渡御を悦びました。安永9年(1780)には84基もの地車が宮入りした記録があります。
現在では、1基だけ残った三ツ屋根地車が渡御列に御奉仕しています。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 大阪書林御文庫講(おおさかしょりんおぶんここう)
去年の陸渡御では、こちらの御文庫講と最初の御神酒講(おみきこう)の写真が撮れませんでした。
なので、今回紹介するのが初めてとなります。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 大阪書林御文庫講(おおさかしょりんおぶんここう) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 大阪書林御文庫講(おおさかしょりんおぶんここう) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 福梅講
昭和24年に、旧此花町の有志により結成された。
結成年に茅輪(ちのわ)・唐櫃(からひつ)を奉じて渡御列に供奉、翌25年から、旧川崎東照宮の葱華輦(そうかれん)を奉じて供奉が数年続き、昭和32年頃からは牛曳童児(うしひきどうじ)を伴って渡御列に供奉するようになった。
牛は菅原道真公ゆかりの動物である。
祭に曳かれる牛は丹波篠山より借りてその背に花籠を乗せ、牛を曳く童児は男女2名の子供が奉仕する。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 福梅講 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 御旗講
明治20年頃に天満や、堂島北新地(きたのしんち)の料理屋を中心に、紅白錦旗、盾鉾を奉じる講として設立されたものと伝えられている。
大正10年の絵巻には、大提灯、紅白4本の錦旗盾鉾を捧持した行列の華麗な姿が描かれ、当講の隆昌がうかがえる。
戦後は、大阪料理組合連合会の協力を得て、大阪府下の料理組合の講社となる。
毎年天神祭を中心に新年神殿諸式、賀春初顔合わせなどの年中行事を行う。
陸渡御では、提灯を先頭に神具のひとつといわれる梅鉢と雲が描かれた金銀2本の錦旗を奉じて、約16人の講員が行列に参加する。
船渡御では、大きな2艘の船に350人余りの講員と関係者が乗り込みお供する。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 御旗講 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 前行
大阪府知事・大阪市長役の方が馬に乗って登場です。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 前行 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 前行 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 前行 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 前行 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 榊講
由来は古く、文政6年(1823)の文献にその活動が確認できるが、「神木講(しんぼくこう)」という講名の初見は嘉永元年(1848)。
明治15年(1882)には、祭に大榊を献上したことが記録されている。
その様子は、大正10年(1921)に描かれた「夏祭渡御列図」「夏祭船渡御図」にもうかがうことができる。
その後「神木講」の名は途絶えるものの、昭和47年(1972)に榊会(さかきかい)が結成され、平成13年(2001)には渡御列に「榊講」が復興。
講員と(社)日本生花通信配達協会大阪地区連合会(花キューピットグループ)が、月2回天満宮末社へ定期的に榊を奉納するとともに、天神祭では大小300本以上の榊を奉じる。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 榊講 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 榊講 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 御羽車講
昭和24年、天神橋筋2〜6丁目商店街と振興町会が、滋賀県坂本の日吉(ひえ)神社から「御羽車」を譲り受け、大阪天満宮への奉納した。
そして、御羽車をもとに講をつくろうと御羽車講が結成され、6ブロックで形成・運営している。
毎年7月23日正午に、天満宮御本殿にて御神霊を御羽車にお遷しする神事を行い、表門から商店街に入り巡行。
天神橋筋6丁目に設けられた斎場で駐輦祭(ちゅうれんさい)を行い、天神祭の無事斎行と商店街の繁栄を祈願した後、天満宮で還御祭を斎行する。
陸渡御では12人の白丁(はくちょう)が御羽車を曳き、菅笠をかぶった講員約50名が供奉。
この御羽車とは、平安時代の乗り物で、菅原道真公の乗用車とされる神具である。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 御羽車講 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 御羽車講 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 御菅蓋(おかんがい) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 御菅蓋(おかんがい)
神輿の屋根の上には極彩色の鳳凰が鎮座していました。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 北信友の講
大阪北信用組合の組合員の親睦を目的とする「北信用友の会」を母体として結成された講。 昭和30年の「北信用友の講」結成時に、大阪天満宮へ御菅蓋(おかんがい)を新調献上した。
御菅蓋とは、御神体を覆い祀る神具であり、講員は御菅蓋を奉じて陸渡御に参加する。
当初は船渡御にも供奉していたが、現在は陸渡御にのみ供奉している。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 北信友の講 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 北信友の講 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 御鳳輦講(ごほうれん)
菅原町、樋上町などの氏子有志の講。
鳳輦とは、菅原道真公の御神霊を奉安する乗り物をいう。
渡御列は平安時代の天皇行幸の形式を模し、警護役の随身(ずいじん)2名に先導された御鳳輦の左右前後には、紫翳(むらさきかざし)が飾られ、後方には菅翳(すげかざし)を捧持した従者がつく。
蝋色塗りの神輿は屋根の頂きに鳳凰を飾り、屋形から紫の布を張り巡らし、興丁(よちょう)18名が古式ゆかしい衣装で粛々と曳いてゆく。
にぎやかな船渡御の船列のなか、御鳳輦奉安船だけは、雅楽の音色に包まれて神々しい空間を演出する。
多くの講が、祭礼の「動」の部分を担当するのに対し、御鳳輦講は神事の「静」の部分を演出している。
賑々しい群衆も、御鳳輦の通過時には本殿に向かうのと同じように参拝するという。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 御鳳輦講(ごほうれん) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 御鳳輦講(ごほうれん) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 御鳳輦講(ごほうれん) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 御鳳輦講(ごほうれん) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 御鳳輦講(ごほうれん) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 御鳳輦講(ごほうれん) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 御鳳輦講(ごほうれん) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 御鳳輦講(ごほうれん) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 鳳神輿(おおとりみこし)
鳳神輿は元禄13(1700)年に、大阪三郷の奉加により、改修造営が行われましたが、天保8(1837)年2月の大塩平八郎の乱で惜しくも灰燼に帰しました。
その後天保11(1840)年に、御旅所のある江ノ子島東町から寄進され、今日の神輿に至っています。
現在は、鳳神輿は管南連合(八町会)が奉仕を続けています。
有名な大田南畝がその著「芦の若葉」の中で「鳳凰の輿は天神にて・・・」と記しています。つまり、鳳神輿には道真公の御御霊がお乗りになり、陸・船渡御の中心でした。
明治に入ると、廃仏毀釈のため、鳳神輿には菅原家の祖と伝承される野見宿禰社(のみのすくねしゃ)が祀られるようになりました。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 鳳神輿(おおとりみこし)
こちらの鳳神輿と次の玉神輿は、祭りの期間中、大阪天満宮の境内に飾られています。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 鳳神輿(おおとりみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 鳳神輿(おおとりみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 鳳神輿(おおとりみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 鳳神輿(おおとりみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 鳳神輿(おおとりみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 鳳神輿(おおとりみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 鳳神輿(おおとりみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 鳳神輿(おおとりみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 鳳神輿(おおとりみこし)
神輿そのものも、非常に煌びやかで細かい装飾がびっしりと施されており、とても美しいです。
この時間は神輿も動いているので、ゆっくり見ることはできませんが、宵宮などに大阪天満宮へ行くと近くでじっくり鑑賞することができるようになっています。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 鳳神輿(おおとりみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 鳳神輿(おおとりみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 鳳神輿(おおとりみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 鳳神輿(おおとりみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし)
今から160余年前、江戸時代の後期の天保11(1840)年に江ノ子島東之町衆(現西区)が、船大工に発注して誕生しました。
以来、幾多の災禍を免れた玉神輿を、社団法人大阪市中央卸売市場本場市場協会でお守りするようになったのは、昭和23年ごろ、大阪中央卸売市場本場付属商組合の組合長をしておられた江ノ子島の船大工の子孫の御縁によるものです。
玉神輿の名前の由来は、神輿頭部に宝珠がついているところからその名がつけられました。
形式は「一重台輪通り屋根御神輿(鳥居・玉垣つき)」といわれ、材質は欅で釘は一本もしようされていません。
造作は非常に重厚・細微で特に屋根が荘厳。
総重量は2トン近くあり、神輿としては他に類をみない大きさで、文化財としても非常に貴重なものと言われています。
玉神輿には、手力雄命(たぢからおうのみこと)の御霊がお乗りになっています。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし)
★ トップ写真 ★ -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし)
陸渡御はこの玉神輿で終わりです。
この神輿が通過すると、通路は自由に通行ができるようになるので、神輿の後をぞろぞろとついて歩いたりしてもOKです。
私は神輿を追い越して、もう一度正面から撮影しようと思います。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし)
橋下市長 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし)
神輿と公会堂が一緒に撮影できるポイントを探しますが、道路に出て正面に立たないと難しそうなことが分かりました。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし)
夕陽を受けてうっすらと赤く染まっているのがポイント。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし)
道路に出て正面から撮影します。
本当は道路には出られないと思いますが、カメラを持ったかた、みんな出ていたので私も便乗しました。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
第二陣 玉神輿(たまみこし) -
天神祭・本宮~陸渡御①~
難波橋の上から中央公会堂方向を見たところ。
太陽が西に沈みかけています。 -
天神祭・本宮~陸渡御①~
陸渡御の行列はここから天満警察の前を通って、船渡御の出発地点へ向かいます。
私は去年は陸渡御を見た後で、急いで花火大会の近くへ行きましたが、あまり良い場所が確保できませんでした。
そこで今年は花火大会はスッパリと諦めることに。
船渡御くらいは見てもいいかと思いましたが、暑さに負けて撤収してしまいました。
これで今年の天神祭はおしまい。
来年は宵宮も参加したいと思います。
◎ おしまい
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