2012/06/01 - 2012/06/01
11位(同エリア49件中)
ベームさん
9日目、6/1。
リューベックを発ちリューネブルク、ユルツェン、ツェレと南に向かいます。
北部の海からは離れていきますがハンザ都市はまだまだあります。
リューネブルク:人口7万人弱。12世紀にハインリヒ獅子公が町を建設。ブラウンシュヴァイク・リューネブルク公国の主要都市だった。
魚の保存で欠かせない塩の独占的生産で莫大な富を築きハンザ同盟の中で重要な位置を占めた。10世紀半ばから塩の生産が始められ13~14世紀にそのピークを迎える。16世紀後半からハンザ同盟そのものの弱体化、他地域での塩の生産などで衰退を始めるが、塩の生産は1980年まで細々と続いたという。塩といっても岩塩ではなく地下を流れる濃厚な塩水を汲みあげて精製したもので、ために街の一部は地盤沈下を起こしているという。
戦災に遭ってなく町には重厚なレンガ造りの建物が並んでいる。
近くにリューネブルガー・ハイデがある。
ユルツェン:人口4万人。リューネブルクの南約30キロにある小さな商業都市。ハンザ同盟には1374年加入。聖マリエン教会にあるハンザの富の象徴”黄金の船”が見もの。
フンデルトヴァッサー設計のユルツェン駅は世界1美しい駅といわれている。
写真はユルツェン駅のトイレ。フンデルトヴァッサー設計。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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赤まる
リューベックから一路南へ、リューネブルク、ユルツェン。 -
リューネブルクに着きました。
リューベック7:07発RB、リューネブルク着8:15。 -
リューネブルク駅。
この向かいにもう一つリューネブルク西駅がありますがローカル専用で、通常リューネブルク駅といえばこの東駅です。 -
駅を背に右に行き左に曲がりガードをくぐって橋を二つわたると市街地に入っていきます。
今日は天気になりました、が気温は低めです。聖ニコライ教会の塔が見えます。 -
北ドイツらしいレンガ造りの家が並びます。
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古いクレーン。
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古いクレーン。
二つ目の橋の袂、イルメナウ川のほとりに建っています。その昔ここに港がありリューネブルクの特産、塩を積みだすために使われました。
1797年。 -
古いクレーン。
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昔の倉庫。
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塩はイルメナウの水運とあとは陸路でリューベックまで運ばれました。
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イルメナウ川。
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橋の周りの風景。
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古いクレーンの向かいにに建つ教会のような建物ですがホテルアルテス・カオフハウスです。
まさか教会がホテルに身売りすることはないと思いますが。 -
お天気が良いとカメラを構える頻度が増します。
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橋を渡り赤レンガの街並み、リューナートーア通りを進むと、
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聖ニコライ教会です。
1407年。塔98mは1895年。 -
聖ニコライ教会。
時間が早く扉は閉まっていました。 -
教会の裏手にある家。
レンガと木組みとミックスしたみたいな造り。 -
グローセ・ベッカー通りを南に行くとマルクト広場です。
あんなに晴れ渡っていた空が急に曇り寒くなってきました。 -
リューネブルク市庁舎。
当初1230年の建設で1720年改装されています。 -
噴水と市庁舎。
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旧大公宮殿、現裁判所。
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広場に面して建つハイネの家。1560年築。
ハイネの両親が1822~1826年ここの3階に住んでいました。
ハイネはゲッティンゲン大学在学中帰省の折この家でローレライの詩がつくられたという。 -
家のプレートには「ハインリヒ・ハイネハウス」とあるだけであとは現在の建物の使用状況が記されているのみ。
これではハイネがここで生まれたのか死んだのか住んだことがあるのか、ハイネとの関係が全く分からないです。せめてハイネの両親がいつごろ住んだ家くらいの説明はあってもいいと思いますが。愛国の詩人ハイネは34歳の時パリに移り永住、そこで亡くなり墓もパリにあります。また当時のドイツの政治体制を常々批判しました。そんなことでひょっとしてドイツはハイネによい感情を持っていないのではと勘ぐります。
一昨年パリのモンマルトル墓地にハイネのお墓を訪ねました。 -
グローセ・ベッカー通り。
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グローセ・ベッカー通り。
ラーツアポテーケ。 -
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ラーツアポテーケ。
華麗な装飾。どこの町でもラーツアポテーケあるいはライオン(レーヴェン)アポテーケ、マルクトアポテーケと名のつく薬局は町で1番古く大抵町の中心マルクト広場辺りにでんと構えています。1598年。 -
金色眩いファサード。
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市庁舎の裏にあるマリエン広場。
奥に聖ミヒャエル教会の塔。 -
市立図書館。
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市立図書館。
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マリエン広場から聖ミヒャエル教会にかけてこの辺り古い家並みが続きます。
ドイツでは北に行くほど木組みの家が少なくなり、石造りとかレンガ造りの家が目立ちます。 -
石畳の道が真ん中に傾斜していてそこを雨水が流れるようになっています。
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今は雨水だけですが昔は汚物も流していたそうです。
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聖ミヒャエル教会。
1418年。1700年にバッハがリューベックへの途次訪れています。 -
聖ミヒャエル教会。
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聖ミヒャエル教会。
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聖ミヒャエル教会。
時計でしょうか1910年ヒルデスハイム製となっています。教会とどんな関係が。 -
グラーペンギーサー通り。
奥にアム・ザンデ広場にある聖ヨハニス教会が見えます。 -
グラーベン・ギーサー通りの商店。
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アム・ザンデ広場にやって来ました。
町1番の賑わいです。広場の西端から。 -
広場の片方の端に建つ商工会議所、通称黒い家。
1548年醸造所として造られました。 -
広場の周りをゴシック、バロック様式の豪壮な建物が取り囲み、まさにハンザ商人の富を誇示しています。
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アム・ザンデ広場。
1階はパン、ケーキ屋です。 -
アム・ザンデ広場。
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アム・ザンデ広場。
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バス停アム・ザンデ。
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アム・ザンデ広場。
左の建物は薬局、ローマ字のaは薬局・アポテーケの印。その右は銀行。 -
アム・ザンデ広場。
カフェ・バー・リストランテ ピカンチとなっています。イタリア料理店ですね。 -
アム・ザンデ広場。
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アム・ザンデ広場。
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広場の東端から。
今までに見た最も豪華な広場でした。 -
広場の反対側には聖ヨハニス教会が聳えています。
塔の高さ108m。1300年。 -
聖ヨハニス教会。
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聖ヨハニス教会。
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聖ヨハニス教会。
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聖ヨハニス教会。
ドイツ最古のオルガン。バッハが15歳から2年間ここの合唱団に居たと言います。このオルガンを弾いたかもしれませんね。 -
聖ヨハニス教会。
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聖ヨハニス教会。
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聖ヨハニス教会。
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聖ヨハニス教会。
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聖ヨハニス教会。
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聖ヨハニス教会。
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聖ヨハニス教会。
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聖ヨハニス教会。
美しい教会でした。 -
カラントハウス。
ゴシック様式レンガ造りの家。1491年。 -
聖ヨハニス教会の先にある給水塔。
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給水塔。
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エレベーターがあるので上りました。3.9ユーロ。料金も高いです。
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中央奥に聖ミヒャエル教会の塔、その手前がアム・ザンデ広場。
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左奥に聖ミヒャエル教会、右奥に聖ニコライ教会、手前に聖ヨハニス教会。中央がアム・ザンデ広場。
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聖ヨハニス教会。
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給水塔の中。
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また青空になりました。駅に戻ります。
来た時より1本南の橋アルテンブリュックです。聖ヨハニス教会と給水塔。 -
複雑な屋根の古い建物です。いづれ何らかの名前は有るのでしょう。
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聖ヨハニス教会。
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イルメナウ川を渡ります。
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橋の袂に素敵な家がありました。
これでリューネブルク終わりです。戦災に遭っていないそうで赤レンガのどっしりした建物が多い落ち着いた街でした。 -
ユルツェン駅。
リューネブルク11:00発IC、ユルツェン11:14着。
ICやICEは良く遅れます。これら特急列車が遅れると同じレールを走るRE,RBなど他の列車は一斉に遅れます。
DBがよく遅れたり運休するのは、合理化のため大幅な人員削減の結果車両のメンテナンス力が低下しているのも一因のようです。 -
ユルツェン駅。
建物の四隅の柱、変わっていませんか。 -
ホームの階段もユニーク。
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駅舎の中もエキゾチックな雰囲気。
フンデルトヴァッサーバーンホフ/フンデルトヴァッサー駅と呼ばれています。 -
駅舎。
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駅舎。
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極め付きはトイレ。
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なんとこの駅はオーストリアの著名な建築家フンデルトヴァッサーのデザインによるものなのです。2000年、彼の死去した年に完成しています。
こんな素敵なトイレでは、用の足し方も丁寧になります。
トイレの使用料は1ユーロ。普通は50セントですので倍です。でもこの芸術的なトイレで用を足せるのなら高くはないか。
処で男子小用用の便器、位置がとても高いのです。私は背伸びしても届きませんので子供用を使います。 -
町の中央までは時間節約と体力温存のためタクシーを使いました。マルクト広場と言ったものはありませんが、聖マリエン教会、旧市庁舎のある辺りが中心です。
聖マリエン教会。
塔はすっぽりと工事の櫓でおおわれていました。 -
聖マリエン教会。
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聖マリエン教会。
教会の宝、黄金の船です。ハンザ時代海の交易を担った帆船コッゲです。1600年頃の作。 -
純金かどうか分かりませんが豪華なものです。
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聖マリエン教会。
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聖マリエン教会。
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聖マリエン教会。
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聖マリエン教会。
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聖マリエン教会。
祭壇。 -
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祭壇。
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聖マリエン教会。
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聖マリエン教会の裏に建つウーレン・ケーパー像。
お金を持つ商人と袋を持つ農夫。袋からフクロウが顔を覗かせています。 -
なんでも、農夫が袋にごそごそ動くものを持ってユルツェンの町に売りに来た。ある商人がそれを鶏と思って焼き鳥にしようと大金で買った。家に帰って袋を開けてみると出てきたのは3羽のフクロウだった。怒った商人は裁判所にうっえたが農夫にトンチでごまかされてしまった。それ以来ユルツェンの人をフクロウ/オイレンをもじってウーレンケーパー/時計守りと言うようになった、とか。訳が分かりません。
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聖マリエン教会の横にルター教会。
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聖マリエン教会の反対側には旧市役所があります。
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旧市庁舎のある界隈。
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バーンホフ通りとリューネブルガー通り、フェアーサー通りが交差する辺りが町の中心。
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ミューレン堰。
この辺りに市壁の跡があります。 -
堰にあった水車かな。
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少し北に歩くとシュネレンマルクト。
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シュネレンマルクトの陶器の噴水。
かってここで陶器の取引が行われていたそうです。 -
アハター通り。
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歩いて駅に向かいます。バーンホフ通りの所々にある面白い彫刻。フンデルトヴァッサーの町らしいですね。
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列車を待つ間駅の食堂で一服。これからツェレに向かいます。
3時間ほどの滞在でしたが結構面白い町でした。
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